閑話:彼女の独白
閑話回、一先ず最後です
セニア視点の話です
モニカ・ヴェレイ・デル・フェレノス。私の名前だ。
フェルデバイン大陸東部にある大国、フェレノス帝国の第三王女である。
しかし私はこの国が嫌いだった。
山間の地形で食糧の生産量が少ない。鉱山は大量にあるので金には困らないが、どこの国もまず自分の国民を食わさせる事を優先するため、外国の取り引きに使う量は非常に少ない。
その少ない食料も、足元を見られて国内相場の二倍以上の価格で買い取る事になる。
にも関わらず、上の者は贅沢をやめない。吝嗇家は皇族として周辺の国に侮られるだけだ、と嘯き浪費する。
尊大な皇族や狡猾な貴族を維持するために、下から搾取する。
その下を生かすために他の国から奪う。
これがフェレノス帝国という国だった。
国民を食わせるために他の国に略奪のための戦争を仕掛ける。
穀潰しも減って一石二鳥だと、笑っていた叔父の笑顔はとても人間のそれとは思えないくらいに卑しかったのを覚えている。
私もいずれああなるのだろうか。
権謀術数渦巻く伏魔殿。
それがフェレノス帝国の皇室。
私の王位継承権は第六位だが、明日にでも第一位になってもおかしくないのがこの国だ。
親兄弟でも油断はできない。
否。
親兄弟だからこそ、油断ができない。
私もいずれそうなるのだろうか。
平民など勝手に増えて適当に生きているだけだと思っていて。
自分の地位を少しでも上に上げるために、他者を蹴落とす。
そしてそれを悪徳と思わず。
むしろ世界の真理だと言わんばかり。
そんな人間に、私もなってしまうのだろうか。
それを嫌った私は国を抜け出した。
恐らく、皇室内にはすぐにバレただろうけれど、追っ手はかからなかった。
当たり前だ。
競争相手が一人、勝手に居なくなったのだから。
喜びこそすれ、嘆く者が居るはずがない。
比較的仲が良かったと思っていた姉も。可愛がっていた弟も。
誰も私を止めなかった。
だが私はわかっていた筈だ。
彼らがそういう人間であると。
何故なら私は、誰にも何も言わずに帝国を出たのだから。
それはつまり、私も家族の誰も信用していなかったという事なのだった。
帝国を出て向かったのは、南にあるエレノニア王国だ。
一応、停戦状態ではあるが、敵対している国だが、亜人も外国人も気にせず受け入れる穏やかな国風に、大陸東部の国の中では比較的食糧生産が豊富だったためだ。
帝国から来た冒険者風の12歳の少女一人、特に怪しまれる事無く入国できるだろうと思ったからだ。
そしてそれはその通りになった。
私は特に咎められる事もなく、むしろ、この歳で一人旅をしている私を慮って、規定通りの尋問すら行われず、私は入国を果たした。
緩すぎやしないか?
こんな国でも、国境で頻発する帝国との紛争では互角以上に戦っているというんだから、世の中わからないものだ。
帝国の国内が疲弊し過ぎているだけだと理解するのは、もうしばらく後の事だ。
北西の関所から入国した私は、そのまま街道を南下。途中途中の都市で、乗り合い馬車の護衛クエストを受けながら、私は迷宮都市ガルツを目指した。
ガルツはダンジョンをその中心に据えた珍しい都市で、国中から腕自慢や命知らずが集まる場所でもある。
当然、住民の多くは脛に傷を持つ者ばかりであるから、私のような出自の怪しい人間でも、問題無く生活できると思ったのだ。
しかしこの護衛クエストはいいな。
盗賊だってバカではないから、わざわざ大勢の冒険者が護衛している乗り合い馬車を襲うような真似はしない。
魔物は大きな馬車を見れば寄って来ないし、時折出現するモンスターはゴブリンなどの弱いものばかりだ。
戦闘経験も積めるし、魔石も手に入る。
タダで馬車に乗れるどころか、お金まで貰えるのだ。
何より、不機嫌な顔をして黙っていれば、誰も話しかけて来ないのが良い。
素性を探られたくないだけだ。
決して知らない人間と会話するのが怖い訳ではない。
ガルツに着いてから一度迷宮に潜ってみたが、なにあれ?
硬いわ強いわ素早いわ。
それで拾った魔石は買取価格2デューとか、舐めてるのだろうか?
小一時間戦わされて2デューとか……!
ソロだと間違いなく割に合わないので、私は迷宮に潜らなくなってしまった。
ガルツに来たというのに……。
いや、いい。
私は私の身分を隠すためにガルツに来たのだから。
結局私は乗り合い馬車のクエストを繰り返し受ける事にした。
考えてみれば、国を出る時に止められる事は無かったけれど、国を出たからこそ、刺客を警戒しなければならない。
いくら血生臭い骨肉の争いが日常の皇室であっても、皇族殺しは大罪だ。
しかし、国外ならば発覚する可能性が非常に低くなる。
国を出たとは言え、戻って来ないとは限らない。そして、戻って来るなら、それなりの手土産を持って帰ってくる筈だ。
それこそ、皇位争いで一気にトップに立てるだけの実績を土産に。
国外に出たからこそ刺客を放つ。
二度と戻って来ないように。
だからある意味密室状態のダンジョンは危険だった。
知らない人間ばかりだけど、大勢の中に居る事ができる護衛クエストは私にとって非常に有用だった。
そんな生活が二年間続いたある日、私は一人の男性と出会う。
いつものように受けた護衛クエストに参加したその男性はタクマと言った。
弓を持ったいかにも初心者冒険者然とした恰好だったその男性に、私は共感を覚えた。
私も最初のクエストは護衛クエストだったからだ。
決して、人から話しかけられても、愛想笑いを浮かべたまま相槌を打つだけのその姿に、人見知り同士で共感したとかではない。
私は彼との出会いが運命だったと思っている。
いかにも初心者冒険者然とした彼が、その実、凄腕の戦士だったからだ。
この護衛クエストはそもそもおかしかった。
盗賊が出た時は、珍しいな、と思っただけだったが、その次はゴブリン、更にケンタウロス、ゴブリンの軍団。おまけにサイクロプスまで襲って来た。
護衛の冒険者に人死にが出る程の厳しい道中だったが、この全てを退けたのがタクマだった。
弓の腕は一流。剣を使わせても強い。魔法も使え、頭も良い。
何より驚いたのは、彼が『インヴィジヴルジャベリン』を使えた事だ。
それは第五階位の真理魔法。現在、理論上ではなく、存在が確認されている数少ない第五階位魔法の一つだ。
とある小国の建国者が唯一使用できたという魔法。
私はその時、彼がその王の血縁なのではないかと考えた。
かの王、『冒険王』ウミオ・ダイバも、タクマと同じく黒髪黒目だったと伝えられているからだ。
いつもと違う護衛クエストに現れたかつての英雄と同じ魔法を使う男性。
これで運命を感ずに、どこに感じろと言うのか。
私は早速、これからもクエストを一緒に受けて貰えないか頼んだ。
彼の事をもっと知りたい事もあったが、何より、この護衛クエストに紛れていたのは、私を狙う刺客だったのではないかと思ったからだ。
これは間違いないだろう。他の人間が目的なら、他に幾らでも襲う機会はある。
私は二年間、護衛クエストだけを受けて来たから、刺客が狙い討つのは容易かっただろう。
タクマは了承してくれたが、王国内をあちこち見て回るんだそうだ。
うん。問題無い。一ヶ所に留まるより危険は少ないだろう。
タクマも、私が何かに怯えているのは気付いているようだ。
なのに何故宿は別の部屋を取るのかな?
いや、うん。わかっている。それが普通だ。
他の男性ならば、一緒の部屋を取って、これ幸いと私を力づくで蹂躙しそうなものだが。
ふふ、紳士的なのだな。
決して私に女性としての魅力を感じていない訳ではないのだろう。
その証拠に、ちょっとスキンシップをしてやると、何かに耐えるような表情を浮かべるんだ。
ふふ、いいんだぞ、欲望に身を任せてしまっても。
ダンジョン内では何故か迷わず歩けるようだし、『リトルマジックボックス』や『クリエイトウォーター』で野営用の荷物の量が減った。
食料もその日のうちに狩ってくるので非常に助かっている。
疲れたら気遣ってくれるし、戦闘では勿論頼りになる。
…………。父親とか兄がまともなら、こんな感じだろうか?
私だって、私の家族が異常な事くらいは理解している。
そしてだからこそ、普通の愛情溢れる家族というものを欲した事の一度や二度はあった。
タクマに私は理想の家族を重ねているのだろうか?
けれどそれなら、彼に触れられた部分が熱いのは何故だろう?
彼に呼びかけられると顔が赤くなるのは何故だろう?
彼を見ると。
胸が高鳴るのは何故だろう。
人と違う雰囲気を纏った彼。
強く、尊大で。けれど優しい。
それを理解したのは、エルフの集落に居た時だった。
異常なゴブリンの調査。その拠点の攻略。
彼が時空の神の使徒だと知り、驚きと同時に納得もした。
それ以上に、ボロボロに傷つき座り込む彼を見て、胸が張り裂けそうな思いだった。
彼におぶさって集落へ戻る。
彼の感触を彼の熱を彼の鼓動を感じていると安心して、彼の背で眠ってしまった。
そのせいか、集落の客間ではほとんど寝られなかった。
決して彼が隣で寝ていたからじゃない。
いや、それもある。
もう認めよう。むしろそのせいだ。
いつでも彼が求めて来ても良いように。
私は起きて待っていた。
何も無かったけどね。
戦勝会の途中でタクマが合流。濡れた髪がかかった横顔に見惚れたりなんかしていると、一人のエルフの少女が姿を現した。
エルフの集落エドウルウィン族長の息子の話によると、その少女はエドウルウィン長老会メンバーの娘で、なんとタクマへの追加報酬らしい。
その話を聞いた時に、私はそれを自覚したのだ。
その話を聞いた時に私の胸に訪れた小さな痛み。
私の胸に起こった小さなざわめきが。
これが恋なのだと気付かせてくれた。
しかし気付いてしまうと、気付いてしまったが故に、私はその心をタクマに伝えられなくなってしまう。
恥ずかしい。それもある。
自覚した事でタクマと今まで通りに接する事が難しくなっていた。
しかしそれ以上に私を縛るのが、私の立場だ。
国を捨てたとは言え、私は皇族だ。
次の皇帝が決まるまで、いや、皇帝が決まったなら、反乱を恐れる者が、私に刺客を放つだろう。
その時、タクマが無事でいられるだろうか?
無事の可能性は高い。タクマならば、乗り切る事ができると思う。
けれどもし、彼を傷つけてしまったら?
それを想像しただけで、私は胸をきつく締めつけられたような痛みを覚えた。
ならばいっそこのままでいいのではないか。
恋の楽しさと苦しみを、どちらも味わいながらいられる今のままでも。
そんな時にまたしても事件は起きる。
王都とルードルイを結ぶ巨大なトンネル、エレア隧道の崩落。そして王都への空からの攻撃。
エレノニア王国は豊かだった。
国に住む者は誰もが笑顔で、おおらかで、優しかった。
勿論、そうでない人間も居たけれど、多くの人間は暖かかった。
彼らは正体のわからない外国人の私を受け入れてくれた。
こんな私に居場所を与えてくれた。
色鮮やかな美しい国。
灰色の景色しかなかった、祖国とは違う。
この一連の事件で、王国の国力は著しく減退した。
これを狙う者は多い。
特に、私の祖国の飢えた国は、涎を垂らして眺めている事だろう。
もしも事が起こってしまった時、この国に住む人々はどうなるのか?
この国で出会った人々の顔が浮かぶ。
皆が笑顔で、楽しそうだった。
その笑顔が、引き裂かれる。
それは駄目だ。それは許容できない。
彼らの笑顔を守れるのは私だけだ。
本当に守れるかどうかはわからない。
本当は何もできないかもしれない。
けれど。
守るために動く事ができるのは私だけだ。
私の胸に炎が灯ったのを自覚した。
私の心に力が入ったのを自覚した。
覚悟は決めた。
後は、一歩を踏み出す勇気だけだ。
それは、タクマから貰う事にした。
卑怯なのはわかっている。
それでも私は、彼から思い出を貰いたかった。
何もできずに倒れる事があった時、少しでも後悔をしないように。
嘘です。そういう事に興味があっただけです。
ああ、思い出すだけで頬が赤くなる。
口元が緩みながらも、恥ずかしさに叫びたくなってくる。
ああ、もう、なんだあれ。
服の上から触れたり、密着したりするのと全然違うじゃない。
直に触れ合うだけであんなにも多くの感情が私の中に流れ込んで来るなんて。
なんていうか、凄かった。
凄かったのは覚えてるんだけど、情報が多過ぎて詳細を覚えてない。
最後に覚えているのは私に迫って来る彼の顔だ。
瓦礫の下から彼を掘り出した時(また彼は無茶をしたのだ)、私は彼に抱き着いてキスをした。
その時は感情が昂ぶっていて気にしてなかったけれど。
やはり、自分から行くのと、相手が来るのを待つのとでは勝手が違う。
高くはないけど通った鼻筋。やや大きいけれど形の良い口。
強い意志を宿した目。吸い込まれそうな黒い瞳。
力強い太めの眉。
それら個々のパーツも素晴らしいけれど、それぞれが絶妙のバランスで、男らしい角ばった輪郭の顔に配置されている。
うん。やっぱりカッコイイなぁ。
帝国には無かった顔よね。王国の顔つきとも少し違うし。
平たいけれど、それがなんかいい。
いや、勿論顔だけで好きになった訳じゃないんだけどね。
朝目覚めると彼は私の髪を撫でていた。
なんだこれ。なんだこれ?
凄い嬉しいんだけど。
ああ、こんな幸せな時間があっていいの?
この余韻にいつまでも浸っていたい。
いたいけれどそれは無理だ。
私はもう、選んでしまったのだから。
宿を出た所で私たちは囲まれた。
すぐに雰囲気を察した彼が、私の手を握って逃げようとした。
その動きに惚れ直す。
そのままついて行きたい衝動に駆られるが、なんとか踏みとどまった。
驚く彼。私は無言で前に出る。
「タクマ、これまでの道中ご苦労であった」
彼らは私が呼んだ、帝国の者達。
かつて私が国に捨てて来た、私のための護衛部隊だ。
恐らく、彼らも王国に入っていたのだろう。
昨日便りを出したのに、あまりにも早い到着だったからだ。
「ここまで妾の護衛を務めた褒美を取らせる。有り難く受け取るが良い」
それは、彼との訣別の証。
彼を巻き込む訳にはいかない。これは私の戦いだ。
勿論、彼に傍に居て欲しいと思うけど、しかしそれは無理だ。
私がこれから赴くのは権謀術数渦巻く伏魔殿。
ただでさえ、一度国を捨てて逃げたというハンデを背負っているのだ。
攻撃される材料を、これ以上抱え込む訳にはいかない。
「過分な称賛を賜り恐悦至極に存じます。恐れながら王女殿下に一つ、お願いしたい事がございます」
名乗るかどうか迷っていると、タクマが先にそう言った。
やはり、私の正体に気付いていたのか。
その上で、私の正体が漏れないようにぼかしているのは流石だと思った。
顔に出ていたのか、諫めるような目で見られてしまった。
これからは、表情を思い通りに動かせる訓練もしないといけないな。
一体何が原因で引き摺り下ろされてしまうかわからないからな。
そして彼から語られた『お願い』の内容に、私は心底驚いてしまった。
彼は全てを悟った上で、私の意思を尊重してくれた。
その上で彼は言ってくれたのだ。
俺はお前の味方だ、と。
これほど頼もしい言葉があるだろうか。
これほどうれしい言葉があるだろうか。
胸に決意の火が灯る。
心に行動するための力が入る。
「伝えよう」
もう、伝わった。
一言告げて、私は歩き出す。
振り返らない。立ち止まらない。
最早止まれない。
私が全てを飲み込み頂点に立つか。
その途中で敗れて堕ちるか。
その時が来るまで、私は止まる事はできない。
私は、選んだのだから。
一介の冒険者、セニアとしての仮面を捨てて、モニカ・ヴェレイ・デル・フェレノスとして戦う事を。
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