第26話:エドウルウィン
エルフとの交渉回。そして若干のサービス回です。
ゴブリンの掃討が終わり、俺達はエルヴィンに先導されて集落へと入った。
火矢でも放たれたのか、木で造られた建物の幾つかが焦げて黒い煙を吐いていた。
集落の中には十メートルを超える巨木が点在しており、その根元や枝の間、ウロの中などに建物が建てられていた。
蔦や枝を利用した自然の階段もあり、いかにも、森の中に造られた集落という雰囲気を醸し出している。
これで色鮮やかな花が咲き乱れていたら、エルフの里というより妖精の住処だったな。
その点エルフは厳格というか、緑と茶色ばかりが目立つ。
「エルヴィン様、ご無事で」
「いや、みなこそよく頑張ってくれた」
集落の防衛にあたっていたエルフの一人がエルヴィンに声をかける。
ゴブリンの侵入を防いでいた簡易拠点は、逆茂木に蔦が絡んだ本当に簡単なものだった。
けれど、『アナライズ』で見れば、それらに防御の魔法が付与されているのがわかる。
そう言えば、『付与術士』持ちが居るんだったか。
応えるエルヴィンの声は若干弾んでいた。
人心掌握のための演技だというなら大したもんだけど、俺には本心から喜んでいるように見えた。
ほんと、コイツ尊大な性格と差別主義者である事以外は良い指導者だよな。
「して、若様、そちらの首尾は?」
最初に声をかけたエルフとは別の、エルヴィンより大分年上のエルフがそう尋ねた。
人間から見るとエルフは軒並み美形だ。
それは年を取っても同じこと。
所謂ナイスミドルってやつだな。
ロマンスグレーとはどう違うんだっけ?
「うむ。その事も含めて父上と話がしたい。父上は屋敷か?」
「はい。ゴドノフ様含め、長老会の方々はお屋敷に集まっておられます」
「わかった。ミューズ、シャール。ついて参れ。コルドとルドは若い者を何人か連れて周囲の警戒。他の者は防衛設備の点検と修理にあたれ」
「はっ」
エルヴィンの指示を受けてエルフ達が動きだす。
てきぱきと命令を下すその姿は、男の俺から見てもかなりかっこよかった。
イケメン爆発しろ。
「いきましょう」
セニアが俺の背中にそっと手を添えて促した。
あれ? ひょっとして今俺慰められた?
それとも励まされたのか?
「あ、ああ」
どもりながら応える俺。
うぅむ、情けない。
未だに突発的な事態には対応できないんだよな。
戦闘とかなら『常識』のお陰か咄嗟に体が動くのに。
集落の中心にある、一際大きな木。
祖樹と呼ばれているその木の根元に、エルヴィンの父、つまりこのエドウルウィンの長が住む屋敷はあった。
ちなみにエルヴィンはもう一人立ちして別の家に住んでいるそうだ。
四人の妻と二十三人の子供と一緒に。
流石長命のエルフ。家族人数の桁がおかしいぜ。
勿論、そんな調子で嫁と子供を増やしていけば、集落の土地がいくつあっても足りないし、食料にも問題が生じてしまう。
そのため、長子以外の男子は成人すると集落を出るそうだ。
集落を出た後は、別の土地で集落をつくったり、街に住んだりと色々だ。
女性はまず族長の長子(現在で言えばエルヴィン)が好きなだけ囲い、残りは集落を出る男子が妻として連れて行くらしい。
おお、なんだそのハーレム。
集落を出る男子が連れて行けるのは一人らしいので、制度としてはライオンなどの野生動物のそれに近いのかな?
強いオスがメスを独り占めする事で、種族としての能力を上げる目的だ。
昔は本当に、族長の長子しか妻を娶れなかったそうだから、本当にそういう目的があったんだろう。
昔は女性に拒否権が無かったが、今は普通に拒否できる。
ただ、族長の長子は権力も実力も十分だから、余程そいつが嫌いか、他に好きな男が居るかしない限りは拒否しないそうだ。
集落を出る男について行く女性も、昔は強制だったらしいが、今は当然違う。
昔は外に出てから、落ち着いた先で結婚の儀式を行っていたそうだけど、今は結婚の儀式を行ってから出て行く場合が多いらしい。
当然、独り身のまま集落を出る男子や女子も多くなっている。
族長の屋敷は会議室や緊急避難所の役割も持つため、非常に大きい。
フィクレツで泊まった高級ホテル並みの大きさだ。
一部屋の造りが大きいので、部屋数はその三分の一程度だけど、それでも三十近い部屋数がある。
これには居間や台所、風呂、厠、倉庫等は含んでいないので、実際にはもっと多い。
エドウルウィンは族長の下に、四人の長老会があり、五人の合議制で方針が決定される。
とは言え、最終的な決定権を持つのは族長だけだし、他の四人が反対しても、族長が押し通す事もできる。
まぁ、あまり独裁を行っていると反乱を起こされてしまうだろうけど。
長老会は集落の中でも有力な家の長で構成されているからな。
彼らがクーデターを起こせばそれなりの戦力が集まるだろう。
ちなみに族長は世襲制だが、長老会は十年に一度の選挙で決まる。
とは言え、長老会はそれぞれに派閥を持ち、派閥内の家を囲っている訳だから、勢力図が大きく変わらない限り、その票数に変動は無い。
今の長老会は百年以上顔ぶれが変わっていないそうだ。
更にちなみに、長老会全員の賛成があれば、族長を罷免する事もできる。
その場合は、長老会と罷免された族長を含めた、全てのエルフで新たな族長を決める選挙を行うんだそうだ。
あと、選挙と言っても、演説や挨拶回りで地道に票を集めるような、現代の選挙とは違う。
事前の根回しが大事とかやはりそんな現代の選挙のような話じゃない。
弓や魔法の腕前、軍団の指揮、政務の知識などを、実践で競い、有権者がその結果を見て誰が族長に相応しいかを投票するんだそうだ。
そのため、現代の選挙とは別の意味で死者が出る。
謀殺ではなくて、正々堂々とした選挙活動の結果、相手が死ぬ事もあるんだそうだ。
特に自分を罷免した長老会やその一族に対して、元族長やその一族が容赦する筈もない。
長老会達も報復を恐れて、族長達を一斉攻撃する。
族長選挙の後は、長老会か族長。どちらかの一族が全滅している事はざらにあるそうだ。
こえぇよ、エルフの選挙。
「エルヴィンよ、戻ったか」
俺達は屋敷の応接室に通される。
そこには、切り株でできた椅子に座った五人の老エルフ(美形)が居た。
それぞれの後ろには護衛だろう、若い、武装したエルフが二人ずつついている。
「は。集落を襲っていたゴブリン達も全て打ち倒しました。現在は周辺の警戒と、防衛設備の修理にあたらせています」
跪いてエルヴィンが報告する。
俺とセニアもそれに倣って跪いた。
「そうか。やはり奴らは」
「はい。状況から見て例の拠点からやって来た者達と思われます」
「やはりな。ではかねてより検討されていた、ゴブリン達の拠点への攻撃に関してだが……」
「予定していた人間の野盗に協力させる事はできませんでした。何故なら――」
そこでエルヴィンは立ち上がり、俺達を指し示す。
「――彼らがその野盗のアジトを壊滅させていたからです」
「ほう」
族長以下長老会の面々が驚きと関心を含んだ呟きを漏らした。
どうでもいいけど、いや良くないけど。
今俺すっげープレッシャー感じてるからね。
流石に何百年と生きて来たエルフ。その長達だけあって、威圧感ハンパねぇよ。
身じろぎ一つできる雰囲気じゃねぇよ。
横目でセニアの様子を盗み見る事さえできねぇくらいきっつい。
「彼らなら予定していた人間達に替わり、いや、それ以上の働きをしてくれるものと思われます」
あとエルヴィン、気持ちはわかるが、彼らって言うのやめてくんね?
一応俺の主人はセニアで、俺はあくまでその従者なんだからさ。
「うむ。其方が言うなら信が置けるであろうな。人間達よ、面を上げよ」
ああ、あなたも差別主義者なんですね。
昔と同じく、森の中に住む事を誇りにしている人達だもの。排他的でも仕方ないか。
「さて、エルヴィンより聞いているとは思うが、この集落から一日程の距離に、奇妙な要塞が発見された。多数のゴブリンが出入りしているという報告がある。この世界に生きる、神より祝福を賜りし者として、あのような不浄な輩が跋扈するのを見過ごす訳にはいかぬ」
モンスターは魔力によって生み出されたこの世の理から外れたモノ。
だから彼らは神によって創られ、その祝福を受けた人間やエルフを襲う。
当然、そんな奴らと交渉は勿論、共存なんて有り得ない。
それがこの世界の常識だ。
「その要塞は防衛設備が充実しており、防御魔法も付与されている。下等なモンスターの拠点にしては些か堅牢に過ぎる」
「我ら誇り高きハイエルフの力をもってすれば、奴らを殲滅する事など容易い」
「だが、あの程度の奴らとの戦いで、貴重な同胞を減らす訳にはいかぬ」
「よって貴様ら人間達に、我らの尖兵を務める栄誉を与えよう」
族長の言葉に続いて、長老会の面々も口を開く。
どいつもこいつも尊大で傲慢だな。
誇り高きハイエルフとか言って、役職がハイエルフなのって族長と長老会の一人だけじゃん。
後の三人はハイエルフ(自称)って思ってんじゃん。
ハイエルフ(自笑)。
すまん、ちょっと思いついちゃったから。
「おそれながら申し上げます」
正直、口を開く事すら厳しいこの空気の中で、臆することなく声を上げるセニアを、俺はすげぇと思った。
俺なんてとても耐えられないからいらない事考えて心の中で茶々入れる事で誤魔化してるっていうのに。
「我々を評価していただき、誠に恐悦至極に存じます。しかしながら、この身は卑賎の身なれば、その栄誉、賜るには過分と存じます」
「なんと!?」
「我らの情けをいらぬと申すか!」
「下賤な人間の分際でなんと不遜な!」
「己の立場を弁えよ!」
口々に罵声を浴びせる長老会達。
おい、いい加減にしろよ。
俺の感じてる恐怖を怒りが上回ったらお前ら終わりだぞ?
全員軒並み俺よりステータス低いんだからな。
知ってるんだぞ。
わかってるんだからな。『アナライズ』使えるから。
「ならば如何にする? よもやこの場より無事に帰れるとは思うておらんだろう?」
おおう、流石族長さん。動じてないよ。
セニアの言葉が、あくまで譲歩を引き出すための擬態だって気付いてるよ。
こちとら冒険者だ。
いきなり『ハイエルフのために戦え。名誉な事だろう』と言われて、はいわかりました、とはならない。
むしろ、なっちゃいけない。
今どきのエルフだって森の中だけで自活できる訳じゃないんだ。
今回エルフが野盗たちの力を借りようと思った事からわかる通り、何か問題が起きたら、普通に人間の力を借りるんだ。
今回は近くにいるから、という理由で野盗たちを候補に挙げたけど、それはエルフ、それも、森の中で暮らす彼らにとって、犯罪者の野盗たちと、犯罪者一歩手前の冒険者に大した違いはないからだ。
近くに冒険者の一団が居ると知っていたら、そちらに頼んでいただろう。
しかしここで冒険者である俺達を邪険に扱えば、今後、冒険者達がエルフに協力してくれなくなる可能性がある。
俺達ができる限り冒険者ギルド等から目をつけられないよう行動をしている事を彼らは知らないからな。
人間相手に下手に出る事はできないけど、かと言って、必要以上に横暴に振る舞う事もできないんだ。
だからまず、セニアはエルフからの要請を断った。
そしてそのお約束を知っていたから、族長も続きを促した。
ひょっとしたら、長老会の奴らの態度も予定調和なのかもな。
まぁ、言動は予定調和でも、それにかこつけて人間達に対する不平不満をぶちまけているだけって気もするけど。
ああ、だから最初野盗たちを使おうとしたのか?
奴らならエルフからの頼まれごとに対する予定調和を知らない可能性がある。
本当にタダ働きさせる事ができたかもしれないからな。
「はい。我々はしがないその日暮らしの身です。欲しているのは即物的な碌なれば」
「ふん、卑しいものよな」
はい。ここまでがテンプレです。
まぁ、あまり良い気分ではないけれどね。
プレッシャー自体は本物だから、俺だと絶対に滞りなく進行するなんてできなかっただろうし。
「してエルヴィンよ、この者らに下賜する褒美はどのようなものが適当であると考える?」
「は。この者達、下賤な人間の身でありながら、剣も弓も一流の腕前。更に男の方は魔法も使いこなします」
「ほう」
「それほどとは」
「勿論、我々の誇る精鋭達には及びませぬ故、少々の金子とある程度の装備を下賜する程度でよろしいかと」
多分、俺はエルヴィン含めてこの集落のエルフ全員に戦って勝てる。
勿論、どんな隠し球が居るかわからないから絶対じゃないけど。
セニアはともかく、エルヴィンも俺の得体の知れない強さを目の当たりにしている筈だけど、まぁ、族長への報告で、『自分たちの誰よりも強いから大量の財宝を渡すべき』とは言えないわな。
俺がハイエルフにとって蔑むべき人間種だってのもその理由の一つだ。
ちなみに『少々の金子』は『今回の事を冒険者ギルドに依頼した場合にかかる費用に若干色をつけた額』の隠語だ。
「確かに、みすぼらしいなりよな」
族長が俺を見る。
そういや俺、まだガルツで買った初期装備のままだったな。
フィクレツに来るまではそれほど稼いでなかったから、ステータスの高さに頼って装備をケチっていた。
稼げるようになってからは大きな街で買い物をする余裕が無かったからな。
「女の方はそれなりに上等な装備の様子。そちらには風の外套を下賜するのが良いのではないかな?」
「では男の方は灰色狼の装備で良いのでは?」
「戦士階級の者が好んで着る、緑熊の装備で良いだろう?」
そして長老会が俺達に下賜する装備の相談を始める。
「前金として一万と装備一式を下賜する。見事拠点を攻略した暁には、更に一万を渡そう」
「ありがたきしあわせ」
族長の言葉にセニアが頭を下げたので、それに合わせて俺も頭を下げる。
ちなみに、発言を許されていないので、『ありがたきしあわせ』とさえ言えない。
言って大丈夫だとは思うが、そうすると『空気読め』的な目で見られる事は間違いないだろう。
見栄っ張りが過ぎてヒキニートになった身としては、そんな視線には耐えられない。
「ではエルヴィンよ、よきにはからえ」
そして交渉は終了した。
特に俺もセニアも、何かエルフに望んでいたものがあった訳ではないので、簡単なものだ。
「今日一日は客用の屋敷で過ごしてもらう。明日は早朝にここを発つ。その時には呼びに行かせるので準備をしておけ」
族長の屋敷を出て、エルヴィンに案内されながら、俺達は今後の予定を聞いていた。
どうでもいいけど、俺達の案内なんて雑事、お前がやっていいのか?
あ、皆今日の片づけと明日の準備で忙しいのか。
「ここだ」
辿り着いたのは集落の端。他の家よりも明らかに小さく、粗末な小屋だった。
お前客用の屋敷って言わなかったか?
なるほど、ハイエルフは他の種族よりおしなべて格上だと思ってるから、それを現してるんだな。
助力を請われてこんな屋敷に案内されたら普通はキレるぞ?
まぁ、その日暮らしの冒険者なら、風雨を凌げる場所があるだけでも十分なのか。
「暫くしたら風呂に呼ぶ。その後はささやかながら宴会となるだろう。末席でよければ参加する栄誉を与えよう」
なんかもう、こいつ新しいタイプのツンデレに思えてきたな。
「風呂があるのですか?」
水が貴重なこの時代、毎日風呂に入るような人間は一部の貴族や王族に限られる。
裕福な商人は、成功者の証として、屋敷に風呂を作っている場合も多い。
風呂を沸かすための燃料代もばかにならないし、それを保温する技術もないから、共同浴場のようなものも、その土地の支配者が余程酔狂な人間でなければ造られる事はない。
正直、森の中で木々で造られた集落という、おそろしく火に弱そうなこの場所に、風呂がある事は非常に驚きだ。
俺の問いにエルヴィンはにやり、と笑い。
「人間の街にあるような無粋な石造りのそれと同じにするなよ? 見て驚き、入って慄け。そしてその栄誉を賜れた事を一生の自慢とするがいいわ」
そして高笑いを残して、エルヴィンはその場を立ち去った。
「おお……」
俺はその場所に足を踏み入れて、そして目の前に広がる光景にただただ驚いていた。
あれから、俺とセニアは案内された小屋に入った後、それぞれにくつろいでいた。
小屋の中はやはり小屋だった。
一応、寝る用の敷物と掛け布団らしき布はあったが、そのくらい。
屋内土足文化のこの世界にも関わらず、椅子も机もないとか客用の屋敷としてどうなんだ?
それとも、もっと信用が得られたりとか、格が上の人間なら上等な部屋が与えられるんだろうか?
装備を解いて荷物を下ろした俺達は、それぞれ保存食を口にしつつ、水を飲むなどしてくつろいだ。
特にその間会話は無かった。
別に不仲とか、二人きりになると会話が続かなくなるとかじゃない。
別に会話が無いまま、二人で同じ空間に居てもくつろげるくらい仲が深まっているって事だ。
ほんとだよ? 今までの俺とセニアの会話からもそれはわかってもらえるだろう?
そして暫くするとエルヴィンの言葉通りに、風呂の準備ができたとエルフが呼びに来た。
背筋がぴんと伸びた、姿勢の良い女性エルフで、赤い色を基調とした丈の長いスカート服を着ていたから、おそらくエルフの侍女だ。
森の中を散策する事が多いエルフは、動きやすさと、肌への防護を考えて、厚手のズボンを履いているからな。
スカートである彼女は、集落の中で仕事をする役目。そして、下賤な人間である俺達への伝言役をしている以上、そうした世話係のエルフだと推測できる。
俺とセニアにそれぞれ、渡された木桶には、綿でできたタオルが大小それぞれ一枚ずつと、木綿でできたざらざらした手触りのものが入った小袋。更に何かどろりとしたものが入っているらしい革の袋だ。
木綿の小袋に入っているものはフスマ。つまりは小麦のヌカだ。
これはこの世界の一般的な石鹸だ。昔は日本でも米ぬかを洗剤代わりにしていたそうだ。
まぁ、木綿の袋にヌカを入れているだけなので、石鹸というと語弊があるけど。
革の袋に入っているのは椿の香料。
通常の椿油と違うのは、こちらはモンスターの素材を錬成して作ったマジックアイテムという事。
材料は人捕椿の種。入手方法はヒトトリクサの魔石からだ。
そう、あのモンスター、椿なんだよ。椿って草ってより普通に樹木だと思うんだけどな。
で、こっちの世界でも椿油は洗髪料じゃなくて整髪料だ。
モンスターの魔力によるものなのか、それとも、椿なんて名前がついているけど実は全然違う植物なのか(そもそもモンスターなので違うのは当然なんだけれど)知らないけど、この椿の香料には洗髪効果がある、
皮脂脂を洗い流し、毛穴を洗浄し、髪に潤いを与え、毛虱などを退治する効果がある。
材料の元になるヒトトリクサはエルフが管理してるエルフィンリードの迷宮で死ぬほど出てくるし、稀にダンジョンの外でも出現するから、量に困る事はない。
風呂に入る文化が無い庶民でも、水浴びなどで体を洗う場合、この椿の香料で髪を洗う事も少なくないくらいに普通に供給されている。
さて、風呂だけど。
男女で入口は分かれていた。
つまるところ、この風呂は男女別だ。
共同浴場がある街では混浴な所も多いけど、変に潔癖なエルフだからな。その辺りも潔癖なんだろう。
残念だとは思ってませんよ?
十四歳。それも、あまり栄養状態の良くないこの世界この時代の十四歳。
おまけに同じ十四歳に比べてもあまり発育が良くなさそうなセニアと一緒に入れなかった事の何を残念に思えと言うのだろうか?
例え俺が、巨乳が好きではあっても、それ以上にスレンダーな美少女が好きな性癖を持っていたとしても、ガチロリは流石にまずいのはわかるからね。
仮にセニアのその裸体を見たいと思っていたとしても、風呂場という場所で、旅の相棒である彼女の裸に欲情なんてできる訳も無い。
浴場で欲情なんてしてはいけないのだ。
だからむしろ、彼女の素肌を拝めなかった事を残念に思うより、それによって醜態を晒さずに済んだ事を喜ぶべきなのだ。
いや、本当に。
脱衣所で服を脱ぎ、風呂セットを持って浴室の扉を開ける。
そして俺は、そこに広がる光景に目を奪われた。
クローバーが敷き詰められた一面緑の床も見事だけど、高さ五メートル程の位置にある巨木の枝から湯が流れ落ち、その下に生えているこれまた巨大な樹の幹へと注がれていた。
樹の幹は鷹さ五十センチ程でその先を失っており、中は空洞になっていて、そこに湯が溜まっている。
しかし、その幹から確かに感じられる生命力が、その樹が決して死んでいない事を伝えていた。
流石にこんなものは『常識』には無かった。
けれど俺にはわかる。この二つの木が、特にエルフによって加工されたものではない事が。
この樹は、湯を流す枝と湯を溜める幹。どちらもそういう性質を持って生れて来たのだとわかった。
『アナライズ』で見れば一目瞭然だからね。
管湯樹と霊洞樹と言うそうだ。
管湯樹の方はくみ上げた地下水から栄養分を抜き出したものを管上になった枝から排出しているらしい。お湯になっているのは、その過程で木の熱を得ているからだそうだ。
え? つまりこのお湯って、木のおしっこなの?
…………深く考えないでおこう。
霊洞樹は雨季と乾季のある熱帯地方などで自生する植物らしい。雨季の間に降った雨を、その幹の中に蓄えておく作りになっているらしい。
枝も葉も無いんだが、こいつは太陽から栄養をもらえないんだろうか?
まぁ、何百年も前から生えている木の生態を俺があれこれ心配しても詮無い事だ。
俺は入口近くにある、湧水を利用した掛け湯で少し体を濡らすと、小さな管湯樹が並んでいる、体を洗う場所に向かった。
木製の椅子が、お湯がちょろちょろと流れる管湯樹の下に並んでいて、その前には木桶が置かれている。
なんだろう、外観は完璧ファンタジーなのに、そこかしこに感じられる日本の銭湯感は?
それとも、『お風呂』で『便利』で『快適』なものを追求すると、自然とこの形に行き着くんだろうか?
過去、エルフに転生した日本人でも居たんだろうか?
エドウルウィンの内実については外に知られている事が少なく『常識』でもわからない。
俺は木桶に湯を溜め、木綿の袋を体に擦り付けて体を洗う。
おお、すげー垢が取れて行くのがわかる。
宿や野営地で度々体を拭いていたとは言え、濡らしたタオルで適当に拭っていただけだったからなぁ。
ヒキニートだったけど、風呂は毎日入ってたし、正直、ここまで不潔にしたのは人生で初めてなんだよな。
最初は気持ち悪かったけど、もう慣れた。
とは言え、この自分の体が綺麗になっていく感覚はかなり良いものだ。
クセになったら困るな。それはつまり、ある程度不潔でいる事を許容するって事だから。
服も当然着の身着のままだからすげぇ汚れてるんだけど、まぁ、新しい装備もらえるみたいだからそっちに期待しよう。
革袋から椿の香料を手の平に出し、お湯を少量含ませて手を揉むと、泡立ち始めた。
それを髪にあててわしゃわしゃと洗い始める。
日本に居た頃は、不潔にこそしていなかったけど、不規則で不健康な生活を送っていたから、頭を洗った時に手につく抜け毛に恐々としたものだったけど、肉体年齢が若返った事で今はその心配がない。
それでもこちらの世界では、不健康でこそなくなったけど、不規則ではあるし、不潔が代わりに入ったから、プラマイゼロ。むしろ不潔のせいでマイナスだからな。できる限りに気を遣う事にしよう。
「ほう。下賤な輩の割に作法を心得ているじゃないか」
扉が開く音と共に、そんな声がかけられた。
頭を洗っている最中なのでそちらを見る事はできなかったけれど、反射的に上半身が向いてしまう。
『サーチ』で確認すればエルヴィンと護衛だろう二人のエルフが入って来たようだ。
って、気安過ぎやしないか?
一応客人相手とは言え、ハイエルフ的に言えば下賤で野蛮な輩であるところの人間種と一緒に風呂入っちゃうのかよ!?
「貴様のような奴に一人でこの湯殿を使わせるなど、贅沢が過ぎる」
だったら他のエルフでもいいじゃないか。
掛け湯をしてエルヴィンも洗い場に腰を下ろす。
場所は俺の二つ隣。
そのエルヴィンを挟むように護衛のエルフが座った。
「ありがたいことです」
色々言いたい事はあったけど、一応お礼の言葉を口にしておく。
「ふ、よきにはからえ」
見えないけれど、ドヤ顔してるのが想像できた。
暫くは無言のまま、四人が体を洗う音だけが響く。
当然、先に洗い始めた俺が最初に洗い終わった。管樹湯を使って泡を洗い流し、軽く会釈して浴槽へ向かう。
霊洞樹の手触りは完全に木のそれだった。若干すべすべしているのは湯の効果だろうか?
『アナライズ』で見ると、打ち身や切り傷の治療促進効果があるらしい。
どうやら銭湯というより、天然温泉に近いものらしいな。
「ふぅー……」
頭に折り畳んだ手拭いを乗せる、という日本古来からの入浴スタイル。
幹にもたれかかり、縁に肘を乗せると、自然とため息が漏れた。
そういや、こんなでっかい風呂入るのっていつ以来だ?
中学の修学旅行が多分最後だから、14~15年振りくらいか?
おう、ダブルスコアかよ!? 今更ながら、無駄にした時間の大きさにへこむ。
「おや、ミューズ殿、お邪魔しますよ」
暫く湯に浸かっていると、木々で仕切られた向こうからそんな声が聞こえて来た。
察するに、湯に浸かっているか、体を洗っているかしているセニアの下に女性エルフがやって来た、というところだろうか。
女性エルフ。
侍女エルフも美人だったし、やっぱりエルフは美形揃いなんだなー。
勿論、エルフにはエルフの美の基準があるんだろうけど、まぁ、これは俺達側の問題だから、俺達が美人見れてラッキーと思えればそれでいいんだ。
服の上からだとそれほど凹凸があるようには見えなかったから、やっぱりエルフは肉付きが薄いスレンダー美人が多いんだろうか?
うん。いいね。
スレンダーなエルフとスレンダーなセニアが並んでいると思うと、ちょっと下半身が元気になっちゃうよ?
こっち来てから自分ではシてないからなぁ。
肉体若返っちゃって、朝とか大変なんだよなぁ。
「さすが冒険者ですね、ミューズ殿。しっかりと引き締まっていて良いお体です」
「っ。ど、どうも」
「肌も白くてまるでエルフのよう。それでいて、触るとしっかりと女性の弾力が感じられますね、羨ましいですわ」
「ふ、ん、ありがとうございます」
「まぁ、肌もスベスベできめ細かいですわね。何か特別な事をなさっているのかしら?」
「ん、いえ、あ、特に何も……」
内容自体は普通の女性同士の美容に関する話なんだろうけど、セニアの言葉に時々含まれる、その何かを我慢するような声はなんだい?
女性エルフはセニアに何をしているの?
「ふふ? どうしました?」
「い、いえ。ん、あの、ふぅ……」
ちょっと女性エルフさん、嗜虐的な笑みが想像できちゃいますよ?
「ふふ。可愛らしいですね」
「ん、あ、ありがとうございます……」
セニア、それ絶対意味違うから。
「ところでシャールよ」
うぉっ!? びっくりした!
いつの間に隣に来ていたのか、エルヴィンが湯に浸かりながら俺に話しかけて来た。
「ミューズとはどのような関係なのだ?」
聞きようによっては、ミューズに懸想しているエルヴィンが、俺との仲を勘ぐっているようにも聞こえる。
けれど、真顔で尋ねてくるその様子は、そういう浮ついたものでない事は理解できた。
「ミューズ自体はの強さはそれほどでもない。我々の戦士階級の中でも並だろう。年齢にしては鍛えられているとは思うがな。しかし不釣り合いな上品な所作と溢れる気品の持ち主だ」
わー、見抜かれてるねぇ。『王気』とか『貴人の振る舞い』ってパッシブスキルだからなぁ。
本人気付いてない可能性があるんだよねぇ。
「そして貴様の存在があまりにも異様だ。年齢に似合わぬ強さ。所作は庶民のそれだが、ハイエルフの作法にも通じているようだし」
いや、多分風呂だけです。
「ミューズがどこかの貴族で、貴様がその護衛というならある程度理解もできる。しかし、彼女の装備に比べて貴様の装備はあまりにも貧弱だ。手の者に調べさせたが、特にエンチャントなどされていない普通の武具だった」
うわぁ、荷物漁った事普通に話しちゃうんですね。おまけに悪びれもしませんか。
まぁ、見られてヤバイものは『マジックボックス』の中だからいいんだけどさ。
「関係と言われてもですね……」
さて、誤魔化すのは簡単だ。
身分を隠して冒険者をしている貴族の令嬢とその護衛。
それで十分押し通す事ができる。
何せエルヴィン達にはそれを調べる術が無い。
彼女がミューズでない事を証明する事はできない。
更に、ミューズという貴族がこの世にいない事を証明する事もできない。
それは悪魔の証明だ。
それを証明するには、何百と言う王国の貴族を全て調べて、その中にミューズが居ない事を確認しなければならないからだ。
しかも、それを果たしたとしても、その証拠が正しい事を証明する方法が今度は無い。
貴族に隠し子や庶子が居るなんて当たり前だからだ。
そしてその全てが、平民として貧しい暮らしを送っている訳じゃない。
親元の貴族の支援を得て、貴族同然の暮らしと教育を受けている事も普通にある。
「俺と彼女はある依頼を通して知り合い、その後、馬が合ったのか気が合ったのか、行動を共にしている仲間です。俺は東の小国出身ですが、彼女が知っているのは俺の名前とその事実だけ。俺が彼女について知っているのも、名前だけです」
誤魔化さず、正直に話す事にした。
なんだかんだ、このエルフは信用できると思ったからだ。
とは言え、セニアの正体とか俺の正体とかは流石に話せないけど。
「その程度の繋がりなのか?」
「その程度の知り合い方で、今のような関係が築けている程度の繋がりです」
「そうか……」
知り合った期間やお互いに知っている情報は少ないが、それでも信用し合える程に絆が深い。
それを仄めかした訳だけど、どうやら理解してもらえたようだ。
その後は男四人、無言で風呂を楽しんだ。
決して、隣から聞こえてくる女性エルフの悪ふざけと、それに耐えるセニアの嬌声を、静かに聞きたかったからじゃない。
お湯の流れる音や、小鳥の囀り、風に揺れる枝のこすれる音が、風流だったからだ。
そこに人の話し声なんて、無粋だと思ったからだ。
結局のぼせる直前まで俺は、いや俺達は入っていた。
決して、頭に血を上らせなければ、とてもじゃないけど湯から上がれる状態じゃなかったからじゃない。
決してな。
一人称なので、主人公が見聞きしない事は描写されません




