第95話:クォーリンダム家の再興
カタリナの実家、クォーリンダム家再興の話です。
久し振りに長くなりました。
カタリナが自身の領土を買い戻すには、王都の法務局で手続きをしなければならない。
金銭の支払いもその時に行われるため、白金板を持参する必要がある。
勿論、カタリナ一人で行かせる訳にはいかない。
なので王都には俺が付き添う事になった。
まぁ、カタリナの今のステータスなら、そこらの野盗やチンピラ、魔物やモンスターに負ける事は無いだろうけどさ。
『テレポート』は勿論、高速移動用の魔法やスキルを使えないカタリナが王都に行くには、一ヶ月近くかかる。
流石にその間を一人で旅させるというのはあまりに酷だ。
「あら、わたくし、実家からガルツに来る時は一人旅でしたわよ」
「乗り合い馬車のクエスト、便利よね」
「距離はそこまでじゃないけど、ボクも王都からサラドの往復は一人だったよ?」
「エレンもエルフィンリードに一人で挑んでいましたが?」
カタリナを筆頭に、うちの女性陣は逞し過ぎる。
しかもこれ、俺と出会う前の話、つまり俺とパワーレベリングをする前だからな。
サラ、自分は一人で活動した事がない、みたいな顔しなくていいぞ? それが普通だから。
「わ、私だって! 一人でガルツのダンジョンで戦った事があります!」
などと思っていたら、突然サラはそんな事を叫んだ。
ああ、あったなぁ、そういう事も。
まぁ、あの後サラと俺が男女の関係になったんだから、そうそう忘れられる出来事ではないよな。
「へぇ、それは初耳だね。しかもどうやら、中々大事な思い出みたいじゃないか」
「私と別れてからの話ね。詳しく聞かせてもらおうかしら」
「はい。あれは私がご主人様に買われて、十二日程が経った日のことでした……」
あ、語り始めちゃうんだ。
そう言えば、サラは俺の最初のハーレムメンバーって事にプライドがあるっていうか、誇りみたいなのを持ってたうえで、俺の最初の相手じゃなかった事にショックを受けていたからな。
『奴隷の心得』のせいだろうか。サラは割とこの手の順位付けとか、序列に拘る傾向がある気がする。
女性陣はサラの語りを興味深そうに聞いている。その反応も様々だ。
カタリナは妹を見るような温かい目で見ている。
ミカエルは冒険譚を聞く少年のような表情だな。
モニカとエレンは嫉妬交じりの表情だな。特にエレンは『危機的状況に陥った際、俺が颯爽と助けに来た』エピソードの時、心底羨ましそうにしていた。
モニカはそんなエレンを見てドヤ顔をしている。
お前も『危機的状況に陥った際、俺が助けに来た』経験者だもんな。
「ともかく、王都まで俺がカタリナに同行する。皆はここで留守番」
「「「え?」」」
声を揃えて、意外そうな呟きを口にするサラとモニカとエレン。
あ、当然のようについてくるつもりだったのか。
「いやぁ、サラ君とエレン君はともかく、モニカ君は駄目でしょ」
そして冷静に突っ込みを入れる元王女。
「う、それもそうね……」
モニカも元ではあるが、帝国の王女だからな。
しかも王国と帝国は未だに戦争中だ。
モニカの素性が王国に知れたらどうなるか、少し考えたらわかるよな。
「でも、ほら、残していくのも不安じゃない? ルードルイに買い物に行くだけならともかく、王都へ行くんでしょ? 手続きもどれだけかかるかわからないし」
往生際の悪いモニカ。
「ガルツに居る人間より、王都に居る人間の方が帝国の事情に詳しそうだけどな」
「う……」
「それにボク一人で留守番っていうのも寂しいしね」
強さ的な話をするなら、ミカエルをどうこうできる奴が居るとは思えないからな。
結局、炎の勇者もユーマ君に滅っされたみたいだし。
「かと言って、ボクとモニカ君だけじゃ、不測の事態に対処するのが難しいだろう? サラ君とエレン君のどちらかを置いて行くとなると、不公平に思うだろうしね」
それならいっそ、全員で留守番した方が良い、っていう考えだろうか。
モニカとサラとエレンも反論できずに黙ったままだ。こういう時のミカエルは本当に頼りになるな。
本来なら俺がきちんと説得するべきなんだろうがな。
ハイパー俺になるためにも、ミカエルのこういう所は参考にさせて貰おう。
「わたくしも一人で大丈夫ですが、よろしいのですか?」
「ああ。領地の買い戻しはカタリナの問題だけど、俺とカタリナの関係は二人の問題だからな。きちんと見届けるよ」
「そういう事でしたら、お願いいたしますわ」
そう言って笑顔を浮かべるカタリナは、どこか寂しそうだった。
やっぱり俺との絆の一つが無くなるのに思うところがあるんだろうな。
奴隷の証が絆ってのはかなり歪んでるから、俺としては直したいところなんだけどな。
二十日後、俺はカタリナと共に王都に居た。
別に準備にこれだけかかったとかの話じゃない。まぁ、準備っちゃ準備だけど。
いきなり王都へ向かって王城を訪ねても、法務局は取り合ってくれない。
こういう理由で法務局に用がありますので、会ってください、という所謂嘆願書を先に提出していないといけない。
ちなみに返事の受け取りは王都、それも王城で行う。
普通はガルツに居て『三日後に来て下さい』なんて返事貰っても不可能だからな。
ガルツから早馬の飛脚のような人に、王城へ届けて貰えるように依頼し、彼が到着するだろう日の翌日に王都へ『テレポート』したんだ。
ちなみにエレノニア王国に郵便事業は存在しない。個人でやってるのはあるし、冒険者ギルドに依頼を出す事はできるけどな。
俺が依頼したのは個人でやってる中でも早馬使ってる人。
相場の三倍の値段を要求されるが、今回は速度を重視した形だ。
「さて、返事はできているかな?」
「受け取りにはわたくし一人で行きますわよ?」
「ここまで来たんだ。最後まで同行させてくれよ」
「そう、ですわね……」
うーん、歯切れが悪いな。
緊張している? それとも、奴隷から解放される事に、まだ抵抗があるのか?
領地を買い戻す事はカタリナの悲願だけど、俺との関係も継続したいし、って感じか。
不謹慎ではあるけど、それだけ想われてるって思うと、嬉しいよな。
王城に入り、法務局へ行くと、病院の受付みたいな場所で職員から手紙を受け取る。
「二日後の昼に応対してくださるそうですわ」
それを読んだカタリナが教えてくれた。
「じゃあそれまでは観光でもしてるか。先に宿を決めてしまおう」
門から王城まで、ざっと見た感じでは、大通りと王城の周辺は大分復興しているな。
グリフォンの爆撃は、いずれ起こった事が、俺が王都に居るタイミングに合わせて女神の力で前倒しされた事らしい。
俺のせいで起こったわけではないけど、俺が居たから被害が軽減されたと誇りに思うのも違う気がするんだよな。
ちょっとモヤモヤするから、復興してる街並みを見ると心が安らぐ気がする。
爆撃の傷跡みたいなのを見ちゃうとへこむ気がするから、大通りからはできるだけ離れないようにしよう。
そうなると必然的に、宿も高級店になる。
まぁ、二泊くらいなら問題ないくらい稼いでいるからな。
選んだ宿は一泊120デューの高級宿。
フィクレツで止まった高級ホテル並みの宿が100デューだから、それよりランクが上だ。
と思ったが、中を見るとそれほどでもなかった。
造りはしっかりしているし、部屋もそれなりに広いが、フィクレツの高級宿の方が多分質は上だな。
王都価格か?
「二年前の王都襲撃によって、王都を訪れる人も減ったという話ですわ。帝国との戦争もあって、更に落ち込んでいるのではないでしょうか?」
「ああ、それで客単価を上げるために値上げしてるのか」
薄利多売の商売だと完全に逆効果だけど、元々相手にしているのが金を持っている富裕層なら、そのくらいの値上げは気にしないのかもしれないな。
一般的なサラリーマンが一泊一万円のビジホが一万五千円に値上げしたら、泊まるかどうか悩むだろうけど、一泊十万円の部屋に泊まれるような人が、二十万に値上げされたからって躊躇う可能性は低いよな。
同じ値段でグレードが上のホテルが近くにあったら別だろうけど。
部屋に入って、荷物を置いて一息吐く。
時間は午後四時。夕食にはまだ早いな。
観光するとは言ったが、被害にあったが復興していない場所を見ないようにするとなると、途端に選択肢は狭まるしな。
「ご主人様」
俺がベッドに腰かけてそんな事を考えていると、カタリナが隣に座って来た。
自然と腰に手が回った自分に驚く。
「もしもこの首輪が外れた時、ご主人様への想いが消えてしまっていたとしたら、ご主人様はどうなさいますか?」
尋ねるカタリナの表情は硬い。緊張しているようだけど、その奥の感情までは読み取れない。
「一緒に居て欲しいと頼むよ」
「それだけですか?」
「記憶が無くなる訳じゃないんだろう?」
「それは、そうだと思います。そのような話は聞いた事ありませんので」
「なら、とりあえず家に戻って、皆にも説得して貰うかな?」
「ライバルが減る事を喜ぶのではなくて?」
「ライバルが減るなら喜ぶだろうけど、カタリナが居なくなって喜ぶ奴は居ないよ」
自虐的に笑って言うカタリナに、俺はそう伝える。
俺の言葉を聞いて、カタリナの表情が戻った。
「そんな奴らじゃないって、カタリナだってわかってるだろう?」
「ええ、それは、勿論ですわ……」
カタリナの声に力が無い。俺は、カタリナの腰に回していた手を肩に移動させ、彼女を抱き寄せた。
「必ず、もう一度俺に惚れさせてみせる。だから、俺を信じろ」
俺の気持ちは伝えたから、後はカタリナ次第だと言うのは簡単だ。
けれど、それは少し無責任のような気がする。結局、決定権をカタリナに委ねる事で、逃げているだけだ。
ここは、逃げちゃいけない場面だろう。
「だから、奴隷から解放されても、俺の傍に居てくれないか?」
「……はい。約束いたしますわ」
カタリナは涙を浮かべながらも、笑顔で答えてくれた。
俺はそんなカタリナにキスをする。
そのまま涙を舐めとりながら、顔中にキスの雨を降らせると、そのままベッドに押し倒した。
その日は夕食抜きになってしまった。
空腹を感じて目を覚ます。
心地良いけだるさに包まれ、ベッドの中でダラダラしていると、腕の中でカタリナが動いた。
幸せそうに、俺の胸板に頬を擦り付けて来る。
思い返してみれば、カタリナが来てから今まで、こんな風に甘えて来た事は初めてかもしれない。
ひょっとしたら、自分はいずれ俺の下から去る、とか考えて、一歩引いていたんだろうか。
確かに、あんまりサラとかと俺の事に関して争ってる場面を見ないな。
つまり、今カタリナは、本当の意味で俺に心を許してくれた訳か……。
そう考えるとカタリナに対する愛しさが猛烈に込み上げて来た。
流石に朝っぱらから始めるのは憚られたので、カタリナの髪を撫でるだけで我慢する。
結局、俺はカタリナが自然に目を覚ますまで、彼女の髪を撫で続けた。
二時間くらいかな。
目を覚ましたカタリナは、俺に髪を撫で続けられていた事に顔を真っ赤にしたけれど、そのまま暫く受け入れていたから、嬉しくもあったんだろうな。
目を覚ました後、朝昼兼用の食事を摂った後、すぐに部屋に戻って、観光せずに一日宿で過ごした。
俺もカタリナも、お互いへの愛しさが爆発していたので、激しく求めあってしまった結果だ。
夕食を摂って部屋に戻り、互いの体を拭いていると(宿には浴場が無かったので)、段々とイチャイチャへと変化し、そのままベッドへと向かう事になった。
翌日。
流石に法務局へ向かうこの日は、朝から爛れた生活を送る訳にはいかず、朝食を摂った後、体を清めてしっかりと準備をする。
カタリナは、俺が奴隷商館で彼女を買った時に着ていた、青色のドレスをその身に纏っていた。
こういう時の彼女の勝負服、という感じか。
王城に入り、法務局に行き、受付で用件を伝えると、五分ほど待たされた後、奥へと通された。
「ついてきて、いただけますか?」
その時に、カタリナは俺にそう声をかけた。
元々そのつもりだったが、素直に頼ってくれた事が嬉しかった。
「ああ、勿論」
言って俺はカタリナの手を取り、先を行く案内役の職員の後に続いた。
通されたのは六畳ほどの部屋。
ソファが二つと、その間にテーブルが一つ置かれただけの簡素な応接室だった。
ソファの横には、一人の貴族が立っている。カタリナの体が硬くなり、小刻みに震えるのが、繋いだ手から伝わって来た。
握る手に少し力を籠める事で、彼女の不安を払拭しようと試みる。
「お、お父様……!?」
しかし、カタリナは俺の想像とは別の理由で震えていたようだった。
「久しいな、カタリナ。積もる話はあるが、まずは仕事の話をしようか。座り給え、二人共だ」
痩身長躯。刻まれた深い皺と、目の下の隈に苦労が滲んで見える。オールバックに整えられた金色の髪には白髪が混じっているが、青い瞳には力強い輝きが灯っていた。
フランツ・ヴィン・サント・クォーリンダム。
カタリナの父親がそこにいた。
「ど、どうして?」
「子爵の爵位を持っていると言っても、局員の中では下っ端なのでな。このような面倒かつ重要度の低い仕事は私に回されてくるのだよ」
カタリナの問いにしれっと答えるフランツさん。
とは言え、偶然とは思えないな。上司が気を回したのか、自分で志願したのか……。
「そうではなくて、お父様のお勤めは財務局では?」
「…………」
カタリナの問いかけに、羊皮紙をめくるフランツさんの動きが止まる。
まぁ、領地の買い戻しって財務局の仕事と言えなくもないかな。
でも受付が法務局だし、手続きも法務局の中でやる以上、やっぱり法務局の仕事だよな。
買い戻しのための金額を算定したり、資料を用意するのは財務局の仕事かもしれないけどさ。
審査は人事局かな?
まぁ、これで自分による志願だってのは確定したな。
「……審査の結果、買い戻しの条件自体は満たしているものと判断された。金額も、お前が提示した1000万デューで問題ない」
あ、スルーした。
そうだな、積もる話はあとですればいいか。
「なのであとは、お前自身の話だ。カタリナ・アルヌス・エンデ・クォーリンダム」
言って、フランツさんはテーブルの上に一つの水晶を置く。
「これは相手の役職を調べるマジックアイテム、役見石だ」
『アナライズ』するまでもなく、フランツさんがそう説明してくれた。
そう言えば、領地を没収された貴族が、貴族の役職を失った場合、貴族籍を剥奪されるんだったか。
例外は奴隷だが、当主だけでなく、家族全員に及ぶとか、中々厳しい条件だよな。
それだけ領地を手放すって行為は、罪が重いって事かな。
念の為『アナライズ』でカタリナを確認すると、役職は『タクマの奴隷』になっている。
カタリナがこちらを見たので、俺は無言で頷く。
そしてカタリナは、水晶にそっと両手を添えた。
「そのまま魔力を注ぎ込め」
言ってフランツさんが呪文の詠唱を始める。
水晶が光り始め、カタリナの両手をその輝きが包み込んだ。
水晶に、何やら文字が浮かび上がっているのが見えた。
「……役職は奴隷。問題無いようだな」
ほっと安堵の溜息を吐いて、カタリナは水晶から手を離す。すると、水晶の中に浮かんだ文字が消え、光が収まる。
「さて、それでは買い戻す領地の話をしようか」
そう言うと、フランツさんは一枚の地図を広げた。
随分簡略化されているが、それはエレノニア王国全土の地図だとわかる。
細かく区切られているのは、それぞれが貴族達の領地という事だろう。
こうして見ると、やっぱり多いな。
形は勿論、大きさもバラバラなのが、如実に貴族の力関係の大小を現しているな。
「クォーリンダムの元の領地はここだが……」
フランツさんが、ルル湖の近くの小さな領地を指差す。
「だが、今更湖周派には戻れない」
「ええ、当然ですわね」
ディール家やジョン個人に騙されていただけでなく、間違いなく、他の湖周派もグルだろうからな。
ジョンは処刑したが、ディール家自体は健在だし、クレインさんと交わした約束も、再興したクォーリンダム家まで守るものじゃない。
「王家直轄地の中で、代替地として受領可能な土地は幾つか確認している。どうする?」
どうしてフランツさんがカタリナにそれを尋ねるんだ?
確かに、領地を買い戻すための金を稼いだのはカタリナだが、クォーリンダム家の当主はフランツさんだ。
金銭の確認と、各種審査が終わった以上、元の領地を買い戻すのか、代替地を得るのかを決めるのはフランツさんじゃないのか?
「ガルツの近くではどこがありますか?」
俺と違って、フランツさんの真意を理解しているらしいカタリナのその質問で、俺も遅まきながら理解する。
カタリナが領地を買い戻す手伝いをしたとは言え、可愛い娘を奴隷として雇っていたんだ。恨まれても仕方ないと思っていたけど、どうやら全く真逆のようだった。
「ガルツの近くだと、ここと、ここと、ここだな」
フランツさんが指差したのは、いずれも旧クォーリンダム領地と変わらない程に小さな領地だった。
ガルツから東に十キロ程の場所、西に五キロほどの場所。ガルツのすぐ南の場所。
「ではここにいたしますわ」
カタリナが選んだのは、ガルツのすぐ南の場所。三つの中でも一際小さな領地だった。
「いいのか? ガルツという人口、往来する人数から、周辺の領地の価値は上がっている。そのせいで、その土地はそれほど豊かな土地でも無いにも関わらず、この中では一番小さいぞ?」
「ええ、ここにいたします。いえ、むしろ、ここ意外には有り得ませんわ」
「はぁ、そうか……」
小さくため息を吐いた後、フランツさんは一瞬ちらりと俺を見た。
なんかすいません。
「では、ここを代替地として購入する申請を出しておく」
「お願いいたしますわ。それと、もう一つお願いしてあったことですけれど……」
「……本気か?」
「ええ、勿論」
カタリナがそう答えると、フランツさんは再び溜息を吐いた。さっきより、深い。
そして俺をちらりと見る、いや、睨みつける。
なんだ? カタリナは他に何を要請していたんだ?
普通に考えれば、貴族となった後も暫く俺と一緒に居たいとかか?
それとも、俺を婿に入れる許可?
いや、後者ならカタリナは俺に相談くらいする筈だ。
それとも、先に父親に許可を貰っておいて、俺との交渉を有利に進めるつもりだろうか?
いや、待て。
落ち着いて考えろ。フランツさんが対応するのはカタリナにとっても予想外だった筈。
なら、自分の父親に頼むような個人的な要請をしている筈がない。
「お前達の関係なら、必要無いと思うんだが……」
「これはけじめですわ。わたくしが、何の憂いも後ろめたさもなく、貴族としての矜持を誇れるようになるための」
「しかしお前ももう22歳だ。できれば婿でも取ってだな……」
「今更こんな小さな家に婿入りする方がいらっしゃるかしら? しかも妻は出産経験の無い年増ですわよ」
「むぅ……」
会話をしながらも、フランツさんは俺をちらちらと見ている。
ああ、カタリナが何を要求しているのか、何となくわかってしまった。
奴隷から解放されても俺と一緒に居たいだけなら、貴族の誇りだなんだという話は必要無い。
俺を婿に入れるというなら、カタリナに婿を取れとか言わないだろうし、年齢の話も必要無い。
じゃあその両方を話し合いの中に含む要請とはなんだ?
「わたくし、カタリナ・アルヌス・エンデ・クォーリンダムは、時空の神の使徒タクマから借りた1000万デューを返済し終わるまで、彼の奴隷となりますわ!」
まぁ、それ以外に無いよな。
そしてカタリナは、こちらを見て、にぃっと笑った。
怪しくも悪くもない。けれど、屈託の無い、とは言い難い。
してやったり、という笑顔だった。
「これで一緒に居れますわね? ご主人様」
1000万デューは貸したんじゃなくて、あげたつもりだったんだけどな。
けれど、カタリナは胸を張って微笑んでいるし、フランツさんも覚悟完了したような表情で溜息を吐いている。
この状況でそれを言える程、俺のメンタルは決して強くない。
状態:困惑(中度)
ほら、もうこんな状態だよ。『サニティ』『サニティ』『サニティ』…………。
「お前を奴隷から解放して、その上で、一緒に居て欲しいって言うつもりだったんだけどな……」
「奴隷から解放されたら、貴族としての義務を優先的に果たさなければならなくなりますわ」
「ならそれを先に……」
「言えばご主人様は、わたくしを手放したでしょう?」
「…………会いにくらいは行ったよ」
「ご主人様が婿入りしてくださるなら、それが一番なのですけれど、流石にわたくしも、彼女達を差し置いてそのような要求をする程、厚かましくはありませんわ」
「事情が事情だから、あいつらも文句は言わないだろうに」
「確かに、わたくしだってあの娘達がわたくしが居なくならない方法がそれしかないというなら、了承してくださるとは思いますわ」
「だったら……」
「だからこそ、そこにつけこむような真似はしたくないのです」
「…………」
「彼女達との友情のために。わたくしの矜持のために。そして、ご主人様への愛情のために」
語るカタリナの表情は真剣そのものだ。
「彼女達の優しさを利用した時点で、わたくしは自らを許せなくなるでしょう。そんなわたくしは、ご主人様の傍に相応しくないでしょう」
「いや、そんなことは……」
「そんなことはない、とご主人様は仰るのでしょうが、他ならぬ、わたくし自身が許せないのです」
「奴隷に落ちても、再興のためになりふり構わなくなっても、それでも貴族としての矜持を失わない。そんなお前だからこそ、俺は大好きだよ」
カタリナの覚悟を受け入れると、自然とそんな言葉が出た。
勿論、これまで何度も愛の言葉を彼女の耳元で囁いて来たが、それでも、こんな澄んだ気持ちで愛を伝えたのは初めてだっただろう。
「ありがとうございます」
カタリナも照れることなく、ただただ嬉しそうにはにかんで、俺の告白を受け入れたのだった。
「お前ら、娘の父親の前だって忘れてないか?」
二人の間に漂い始めた点描は、呆れたような、野太い声で掻き消された。
「す、すみません……!」
「という訳でお父様、わたくしはまだ暫く、家には戻れませんわ」
慌てて謝る俺とは違い、カタリナは堂々とそう言い放った。
メンタルが強すぎるだろ!
「ただ、ご主人様は可能であれば時折里帰りを許してくださるそうですから、近くに領地があると便利ですわよね」
「てっきり私は、お前が彼を婿入りさせるために、この領地を選んだのだと思ったんだが……」
「これはわたくしの我儘ですわ。ご主人様のお陰とは言え、領地を買い戻したのはわたくしですもの。そのくらいは許してくださいまし」
「一人娘だからと、跡継ぎとしての教育に力を入れ過ぎたな……」
「勿論、お父様がどうしても、というなら、もっと豊かで、領地経営に適した土地にいたしますが?」
「いや、ここで良い。お前の言う通り、領地を買い戻せたのはお前のお陰なのだ。私や妻の稼ぎでは、一生かかっても無理だっただろうからな」
疲れたように溜息を吐くフランツさん。
日々の生活の疲れが、彼のお家再興の意思を蝕んでいたのは、想像に難くない。
「ただ、条件を一つつけさせて貰おう」
「なんでしょう?」
「三年以内に子供を作れ。三年後に子が居ない場合、お前には家に入って婿を取って貰う」
「そんな!」
フランツさんの出した条件に、カタリナは狼狽する。
まぁ、当然と言えば当然の反応だ。
「いいや、このくらいは……」
「三年で1000万デューもの大金、どのようにして返済するおつもりですか!?」
そっちかよ!
思わずフランツさんも態勢を崩しちゃったじゃないか。
「そこは、それ……。え? 本気でその金、返さないといけないのか?」
フランツさんはカタリナに尋ねているようだが、目線は俺に向けられている。
正直、返す必要は無い。
さっきも言ったが、あれはカタリナにあげたつもりだった。
けれど、それを言うとさっきフランツさんの出した条件を飲まなくちゃいけなくなる。
子供、子供かぁ……。
こっちの世界と地球の時間の経過が同じなら、母さんはもう58歳だ。
確かに、そろそろ孫が居てもおかしくない年齢か……。
女神との約束がある以上、すぐに見せる事はできないけれど、手紙で報告するくらいはできるよな。
こっちの世界でちゃんとやっているという証明のためにも、そろそろ子供を作ってもいいかもしれない。
勿論、カタリナに許可をしたのなら、サラ達にも許可を出さないといけないが、そのくらいの覚悟はしておこう。
全員一度に妊娠してしまっても、二年くらいなら多少収入が落ち込んでも、生活と仕送りが可能なだけの蓄えはあるし、最悪、獣人を何人か雇えば良い。
素材だけ調達させて、家の中で俺が『キャストアストーン』と『錬成』で商品を作って、それを獣人に販売して貰えばいいんだ。
むしろこれは良い機会なのかもしれないな。
こんな事でもないと、俺はズルズルと決断できずに、子作りの解禁を先延ばしにしていただろう。
今回、大金を捻出してカタリナを解放しようとしたのだって、サラやカタリナを奴隷から解放する切っ掛けにしたかったのもあるしな。
結局サラは説得できていないし、カタリナも奴隷に戻ってしまうから、次のタイミングを探さなきゃいけなくなってしまったが。
「カタリナ、子供作ろうか?」
「よろしいんですの!?」
覚悟を決めて俺がそう言うと、驚いたような、喜んでいるような、複雑な表情でカタリナが俺を見た。
「子供さえ作れれば、カタリナが奴隷から解放されても、一緒に住む事を許していただけますか?」
「む……まぁ、そうだな。カタリナには苦労をかけたし、私の後を継ぐのはカタリナではなく、孫でもよかろう」
「お父様……」
「それなら領地が近いのは丁度良かったな。子供に会いに行きやすいぞ」
「ええ、ええ。ありがとうございます、ご主人様。ありがとうございますお父様……」
「じゃあ、子供ができたら、カタリナは奴隷から解放するからな」
「え?」
「え? じゃねぇよ。そもそもお前を奴隷から解放するためにここまで来たのに、また1000万デュー稼ぐまで奴隷、とかバカじゃねぇか!?」
「け、けど、領地はもう買い戻しましたし、わたくしが子を成せば跡取りも問題ありませんわ。なら、わたくしが奴隷のままでも……」
「だから、奴隷のままでいる事が普通じゃないんだっつぅの! できれば今すぐにでも解放したいくらいなんだからな! つか、婿入りなしで子供を産む許可が出て、その子供が後継者になるって言うなら、そもそも奴隷に拘る必要無いだろ!?」
「ですから、それはわたくしの貴族としての矜持が……」
「そもそもあの金は貸したんじゃないっつーの!」
「で、ですが、奴隷でないのなら貴族としての義務を果たさないと……」
「領地と家が近いんだから、いつでも会いに行ってやるよ!」
「いえ、でも……」
確かにカタリナが家を出て、領地の屋敷に移るのは寂しいものがある。
けれど、やっぱり愛する女性を奴隷のままにしておくってのは、俺の精神衛生上よくない。
奴隷でいる事が俺との絆、なんて、そんな歪んだ愛情は矯正しないといけないだろう。
「別に構わんぞ」
横からフランツさんも口を挟む。
「家を継ぐのは孫であるからな。それまでは私が領地と家を守ろう。お前は使徒様の下で暮らして構わんぞ。偶に顔を出してくれさえすればな」
「え、いや、でも……」
結局、奴隷でいる事に正当性が無くなったカタリナの、奴隷からの解放が決まった。
ただし、それでもカタリナがごねたため、子供ができるまでは奴隷でいても良い、という条件がつく。
奴隷でいても良い、ってまた凄い表現だな。
その上で、先にフランツさんの出した条件も活きているから、三年以内に子供を作らないと、カタリナは別の男と結婚させられてしまう。
「ご主人様が婿入りしてくだされば……」
「サラ達の優しさにつけこむのは嫌だったんじゃないのか?」
他に方法が無いならともかく、子供を作ればいいだけなんだからな。
「ぎ、ギリギリまで魔法を解かずにいていただくわけには……」
「いつ当たるかわからない以上、それで三年経過しちゃったらどうするんだよ?」
「…………」
という訳で、子供ができたらカタリナは奴隷から解放される事になった。
同時に、俺のハーレムにおいて、子作りが解禁された事になる。
……これはサラの奴隷からの解放も、説得が容易になったんじゃないだろうか。
会話は書いていて楽しいのですが、どうしても長くなってしまいますね。
あと、あらかじめ決められた会話の着地地点に中々辿り着いてくれない事も多いです。
次回は、あのダンジョンに挑みます。