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閑話:勇者覚醒

三人称視点です。


乙女おとめ達が異世界に召喚されて一ヶ月が過ぎようとしていた。

彼らが元々持っていたお菓子やジュースなどの食料はとっくに尽き果て、鮒田ふなだが狩って来るモンスターの肉を生徒全員が躊躇いなく食べるようになっていた。


「だ、だからさ。モンスターをある程度、た、倒すと、と、突然強くなった、ように感じるんだよね、デュフフ」


毎日恒例となったモンスター狩りの途中、鮒田は乙女に話しかけていた。

彼が話しているのは、この世界がゲームのような経験値によってレベルアップするシステムになっている、という理論だ。


「さ、更に、スキルも、ある程度使い続けていると、性能がアップするんだよね、グフ」


スキルの習熟度についても発見し、異世界召喚という、ある意味鮒田の願望を満たした世界で、彼は充実した毎日を送っていた。


「そうなのね。でも、やっぱり勇者っていう特別な存在だからなのかな。私はそんな感覚を覚えた事はないんだけど」


「お、オレも、細かい数字までは見れないけど、クフォ。た、確かに、つ、強くなってる感じは、し、しないよね、フォカルフォ」


身長は自分の方が高い筈なのに、何故か上目使いで乙女を見ながら、醜悪な笑みを浮かべる鮒田。

しかし乙女は、そんな鮒田に対し、不快感も嫌悪感も抱いていなかった。

かといって、好意を抱いている訳でもない。


彼女にとって鮒田はあくまでクラスメイトであり、それ以上の感情は抱いていなかったのだ。

むしろ、クラス内ヒエラルキーの最下層にあった鮒田に対し、保護欲のようなものを覚えていた。

この世界に転生する前と、それは変わっていない。


乙女の目的はクラス全員で元の世界に帰る事。

そして、元の世界に戻ったなら、鮒田のヒエラルキーは再び最下層に戻る事を乙女はわかっていたからだ。


誰もが平等で、公平な世界など、乙女も存在するとは思っていない。

むしろ、この世界が不平等である事を、クラスの誰よりも理解しているのが乙女であると言えるかもしれない。


イジメの原因はいじめられる側にある。


度々聞かれる言葉であるが、乙女はそれが真理だと思っていた。


勿論、悪いのは(・・・・)いじめる側だと思っている。

イジメはいじめる側が始めないと始まらない。けれど、いじめる側には、イジメが始まる原因が無いのだ。


嫌いだったから、キモかったから、暗かったから、無口だったから、運動ができなかったから、勉強ができなかったから。

明るかったから、優しかったから、美形だったから、運動ができたから、勉強ができたから、友達だったから。

嫌われものだったから。人気者だったから。


いじめられる原因は、常にいじめられる側にある。


小学校の頃は知識だけでイジメに対する嫌悪感を持ち、中学生の時にイジメの現場を目撃して、それをやめさせようと奮闘した結果。

乙女が達した結論だった。


イジメは決してなくならない。

極端、クラスメイトだったから、という理由だけでイジメが始まる事だってある。


だから乙女は、イジメを無くそうとは思わなくなった。

イジメが起こったら対処はする。やめさせられそうならそうするが、基本的には、エスカレートしないようにコントロールし、被害者、加害者共に、イジメによって人生が大きく狂わないように尽力するようになった。


それはこのような異世界に来ても変わらなかった。

鮒田がその力を悪用してしまわないよう制御する事で、クラス全体を守り、そして、元の世界に戻った際の、鮒田に対する揺り返しを回避しようとしていた。


「や、やっぱり、止めを刺さないと、だ、ダメなのかな? ど、どう? 委員長? やってみない?」


「私じゃ死んだ相手にだって歯が立たないじゃない」


この世界に飛ばされた初日、鮒田が倒したジャイアントキャタピラーに、カッターナイフが通らなかった事実を思い出していた。


「あ、委員長、下がって!」


会話をしながら歩いていると、鮒田が突然立ち止まって乙女に言った。

乙女を背中に庇うように自然と動くその動作は、非常に頼もしく思える態度だった。


「モンスター? 三日ぶりね」


「そ、そうだね。ジャイアントキャタピラーよりは、ツインテイルスコーピオンがいいかな、ジュリュフフ」


狩りに出たからと言って、毎日獲物が見つかる訳ではなかった。

二、三日に一回。長い時は一週間以上、モンスターが出現しない時もあった。

校舎の外に、危険な怪物がひしめいている訳ではないとわかって乙女は安堵したが、同時に、食料確保の難しさに頭を悩ませる事になった。


今のところは、飢えるような事態には陥っていないが、それも時間の問題に思えた。

第一、この世界にやって来て以降、元の世界に戻る手段は勿論、何故自分達が呼び出されたのか、というてがかりさえ掴めていなかった。

生きるだけで精一杯だったとは言え、これは非常にまずい事態だった。


自分達がこの世界に呼び出されたのなら、呼び出した者が存在している筈だが。

そういった存在がコンタクトを取ってくるような事も無かった。

相手が善人であれ悪人であれ、接触があれば色々と判断する材料になる。

しかし、何も無ければ、何もわからないのは道理だ。


「ギュオオオオオオオオ!!」


地中から出現したのは、巨大な蚯蚓のような怪物、ジャイアントキャタピラーだった。


「ち、ジャイアントキャタピラーか、マズイんだよな、コイツ」


最初こそ恐怖に慄いたが、今ではただの食材にしか見えなくなっていた。


「キャタピラーなのに、芋虫っぽくないのよね」


そして緊張感が無くなっているのは乙女も同じだった。

月の勇者の能力でクラスメイトの能力を写し取って無力を装っているが、彼女もいざとなればジャイアントキャタピラー程度は瞬殺できる。


「グフフ、委員長も、い、いい感じで、なれたよね」


「一ヶ月もすればね。ほら、余所見はしないで」


注意する乙女にも危機感は皆無だった。


「でやぁっ!」


しかしそれでも、戦闘は鮒田の見せ場。

気合いの掛け声と共に拳を振るい、ジャイアントキャタピラーを吹っ飛ばす。


「ぎゅううおおおおおおぉぉぉおお……」


力無く鳴くと、ジャイアントキャタピラーは動かなくなった。


「よっと」


鮒田はジャイアントキャタピラーを地面から引き抜き、そのまま担いだ。

初日は解体して、それぞれが持てる分の肉だけ持って帰ったが、今は丸ごと持ち帰るようになっていた。

鮒田がジャイアントキャタピラーを担げるようになったのもあるが、肉を食べる以外にも、何か活用できるのではないか、と乙女が考えたためだ。


特に皮はなめせば何かに使えそうだ。

しかし、水は貴重なので、今のところは鮒田の『クリーン』の魔法で不純物を取り除いた後、天日干しして敷布団として使っている。


「ところで、怪物を解体した時に出て来る宝石みたいなもの、なんなのかしらね」


「き、きっと魔石だよ。魔力が蓄えられていて、それがモンスターを巨大にしているんだ」


「可能性は高いわよね。あれ、鮒田君でも傷つけられないんでしょう?」


「う、うん、無理だね……」


乙女は雑談のネタのつもりだったが、鮒田は本当に落ち込んでしまったようだった。


「鮒田君の力、魔力、だっけ? それを注いでみて反応を見るのもいいけど、何が起きるかわからないと危険だし」


「そ、そうだね……」


乙女は気にした様子は無く、会話を続けている。

ヘタにフォローを入れた方が、鮒田を傷つける事を知っているからだ。

乙女は別に鮒田に嫌味を言った訳ではない。ただ鮒田が勘違いして勝手に落ち込んだだけだ。

鮒田から指摘されたなら、そんなつもりはなかった、と謝るべきだが、乙女からそれを口にするのは良くない結果を生むだけだ。

そんなつもりはなかったのだから、自分からそれに気付くのはおかしいからだ。

気にしないふりをする事で、鮒田に自主的にそれを気付かせるのが乙女の狙いだった。

そして、それは成功していた。


「委員長は、つ、強くなりたい?」


不図、鮒田がそんな事を聞いて来た。


「うん? んー、なりたくないかな?」


「ど、どうして?」


「必要ないから、かな」


そう言って乙女は鮒田を見て首を傾げた。


「そ、そそそそう? ま、まぁ、つ、強くなりたかったら、い、言ってよ。と、とどめ、ささせてあげるから……」


その言動を深読みした鮒田が顔を真っ赤にし、早口にまくしたてた。


「うん、ありがとう」


お礼を口にする乙女の言葉に、何の感情も乗っていない事に気付けない程、鮒田は舞い上がっていた。




「みんなただいま、久し振りに獲物が取れたから……」


教室に戻った乙女は、クラス内に流れる不穏な空気を敏感に感じ取った。


「? ど、どうしたの? い、委員長……」


この世界に来て一月。恐怖と不安に苛まれたクラスの人間関係は悪化していた。

最悪の事態に至っていないのは、鮒田という強力な力の持ち主の存在と、ここで仲間割れをしても死ぬだけだと直感的に理解しているからだ。


だが、今この教室内に流れる空気は、これまでのそれとは違っていた。


「なにが、あったの?」


乙女は男子側のリーダー的存在である桶谷おけたにに話しかける。

思わず声が硬くなりかけたところを、すんでの所で抑え込む。


まるで教室に一本線が引かれたかのように、教室内で人のグループが二分されていた。

どちらのグループも怯えている。そしてその対象が、入口近くのグループに属する桶谷たちである事は簡単にわかった。


「くくく、いや、委員長、すげーなお前」


しかし桶谷は乙女の質問には答えず、楽しそうに笑った。


「こうなってみるとよくわかるぜ。ブタのヤバさがよ。そして、その隣で平然としてられるお前の凄さもな」


「なにを言って……! まさかあなたたち……!?」


「お、鋭いねぇ。流石委員長。そう、委員長の想像通りだよ。俺達も『勇者」とやらになったのさ」


「ブタ的には『覚醒』だって?」


「うわ、ブタマジで名前が赤い(・・)じゃん。これってやっぱり、経験値的な?」


「あー、敵を倒してレベルアップ?」


上井うえい君……。家田いえだ君、茶田さた君まで……?」


「まぁ、そういう事。これでブタの言う事必要ねぇと思ったんだが、そうでもないみたいだから、作戦変えるわ、おい、ブタ」


「な、なんだい? 桶谷君」


いつも通りに高圧的に呼ばれた鮒田だったが、しかし、彼は不気味な笑みを浮かべて応じるだけだった。

この世界に来る前だったなら、そう呼ばれただけで委縮していた鮒田である。しかし、勇者として覚醒し、『致死予測』で桶谷達より自分の方が圧倒的に強いとわかっているため、鮒田は余裕だった。


「俺達と組めよ」


「え?」


「は?」


桶谷の提案が予想外だったためか、鮒田と乙女の動きが止まる。


「この『致死予測』っつーのか? これで見てわかったけどよ、お前俺より大分強いわ。だから、俺はお前に逆らわない。同時に、この力があれば、クラスの奴らは俺達に逆らえない。な? お前が王になって君臨してくれていいからよ。俺達と組もうぜ?」


「何を言っているの? 鮒田君の方が強いのなら、そんな提案に乗る必要ないでしょう?」


言葉とは裏腹に、乙女は焦っていた。この展開は、乙女が最も恐れていたものだからだ。


「この状況はさ」


再び乙女の言葉は無視して桶谷は話を続ける。彼が指差したのは、教室の入口付近と、窓の近くとに分かれた二つのグループだ。


「俺達に従う奴と、逆らう奴に分かれてんだよ。で、こっちの奴らは俺達の言う事ならなんでも聞くって言った奴らな訳。わかる? ブタ。なんでもだぜ。な・ん・で・も」


「な、なんでも……」


その言葉の意味するところを誤解しなかった鮒田がごくり、と喉を鳴らす。

入口側のグループ、桶谷側には、女子が多かった。


「ち、ちょっと待ちなよアキラ! 私はブタにまで好きにさせるつもりはないわよ!」


入口側に居た女子の一人が立ち上がって叫んだ。

肩の辺りで切り揃えられた茶髪に派手めのメイク。女子のヒエラルキートップを乙女と争う少女だった。


「だったら向こうにいけよ」


「うそ、でしょ? 私はあんたの彼女なのよ……?」


「ここじゃもうそんなの関係ねーんだよ! いうこと聞けねぇんなら向こうに行けよ!」


「…………」


冷たく突き放された少女は、しかし唇を噛んでその場に座った。


「向こうに行くとどうなるの?」


「食料が配給されなくなる」


「そんなこと許されるわけないでしょう?」


「ここじゃ関係ねぇっつったろ? もう日本に居た頃とは違うんだよ。嫌なら自分で飯獲って来いよ!」


乙女に向かって叫ぶ桶谷の表情を見て、乙女は彼が本気だと理解した。

だからこそ、恋人の少女はおとなしく従ったのだ。


「ちょ、桶谷、本気かよ? いくら勇者だっつっても、ブタだろ? 囲んじまえば……」


「うるせぇんだよ! クズ!」


桶谷側でも意思の統一がなされていないのか、一人の男子が鮒田の勧誘に反対した。だが、桶谷がその男子の腹を蹴り上げ、力ずくで黙らせる。


「『覚醒』もできねぇクズが一丁前に意見してんじゃねぇよ! 鮒田の名前見てから言いやがれ!」


その後も桶谷に罵声されながら蹴られ続ける。

その男子は、つい昨日まで桶谷グループのナンバーツーだった筈だ。

グループ内で唯一勇者として『覚醒』できなかったため、ヒエラルキー的には最下層に落とされてしまったのだ。


「まぁ、見ての通り、サンドバッグもあるからストレス発散もできるぜ。どうよ? ブタ?」


「騙されちゃ駄目よ、鮒田君。彼らが貴方を恐れているから、貴方を取り込みたがっているだけ。貴方が向こうにつかなければ彼らの目論見は……!」


そこまで言ったところで、乙女は言葉を失う。

鮒田が笑っていたからだ。

先程桶谷に向けた、不気味な笑みを、今度は自分に向けて。


「鮒田……くん……?」


「い、委員長はさ、結局、おれの気持ちとか、わ、わかってないんだよ」


一歩、乙女が後退る。


「クラスで孤立しないように、とか、帰った後の事とか、色々、か、考えてくれてたみたいだけど、お、おれにとっては、どうでもいいんだよね」


一歩、乙女が後退り、一歩、鮒田が距離を詰めた。


「お、おれを馬鹿にしてた奴らを見返すチャンスが巡って来たんだ! 倫理とか、道徳とか、ど、どうでもいいんだよ!」


一歩、乙女が後退ろうとしたところで、その両肩をがっちりと鮒田が掴んだ。

息がかかる程の距離まで顔を近付け、叫ぶ。


「この世界じゃおれが一番強いんだ! この世界じゃ強さが全てなんだよ! だ、だから、おれがここじゃ一番偉いんだ! い、委員長だってそれは同じさ! だから……」


「それが貴方の選択なのね」


「そ、そうだよ! おれは、おれは……!」


「確かに私は貴方の心の奥まで理解している訳じゃないわ。貴方の事をわかってると言っても、それは結局わかっているつもりでしかないしね。貴方の事も、クラスの事も、貴方や貴方をいじめていた人間の将来の事も、結局突き詰めてみれば、私が一方的にそうだと思っていただけだものね」


「そ、そうさ。も、もちろん感謝はしてるよ。だ、だから委員長、お、おれと……」


「だから私ももう取り繕わないわ」


「え……? 委員長……? 名前……黄色(・・)? 黄色(・・)なんで?」


それが私の(・・・・・)能力だからよ(・・・・・・)


そして乙女は鮒田の手を払った。乙女から放たれた『力』を受けて、鮒田はその場に膝をつく。


「ごめんなさい鮒田君。私は貴方を騙していたわ。どちらが先かはわからないけど、私もこの世界に来てすぐ、勇者として覚醒していたの」


「う、う……」


「私の目的は、皆で無事に日本に帰る事。だから、トラブルの種にしかならないこの力を隠していたの。もしも、さっき鮒田君が桶谷君の誘いを断ってくれていたら、ここで披露するつもりはなかったんだけどね」


「うう、ううう……」


「はは! 考えたな、委員長! けどさ、お前は今最悪のカードを切ったってわかってるか? お前の名前を見ればわかる! お前の名前、真っ赤なんだよ!」


崩れ落ちたままの鮒田に代わって、桶谷が前に出た。

彼も、ここで乙女の好きにさせてはならないと、直感的に理解したからだ。


「怪物を倒したブタが俺より強いのはわかる。理解できる。ゲームみてぇに、敵を倒して強くなってるんだろ? じゃあなんでお前もブタと同じくらい強い? 簡単だよ。ブタと一緒にお前も強くなってたんだ!」


「その通りだと思うわ。怪物に止めをささなくても、強くなれる。けど、これは貴方たちにとっての最悪のカードじゃないの?」


「なんでだよ? こっちはこれからブタと一緒に狩りに行ってどんどん強くなるぜ? 五人だ。お前なんかすぐに……」


こっちは(・・・・)十二人よ(・・・・)


静かな乙女の宣言に、桶谷の言葉が途切れ、表情が歪む。


「貴方たちが勇者として覚醒したなら、他の皆も覚醒する可能性があるってことでしょう? 私と一緒に狩りに行って強くなっておけば、覚醒した時、貴方たちより強くなっているかもね」


「はぁ!? それがどうしたよ? だったらこっちだって……」


「無理でしょう?」


桶谷の代わりに上井が反論しようとするが、乙女に遮られてしまった。


「貴方たちはそっちの皆を好き勝手に扱うんでしょう? 強くなった皆が、それでも貴方たちに従うと思っているの?」


「う……」


「私の目的は全員無事に日本に帰る事。でも、それは努力目標であって絶対的な目的じゃないわ。不可能だとなれば下方修正してもいいものよ」


「ぐ……」


乙女の気迫に気圧されるように、桶谷達もその場に膝をつく。


「最悪、十二人だけでも仕方ないかもね」


乙女は委員長として、真面目に振る舞い、厳格に接して来た。それでも、『融通の効かない口うるさい奴』という評価を受けていないのは、彼女が自分の理想を妥協できるからだ。

周囲の人間に合わせて、ルールを拡大解釈できるからだ。


このような時に雁字搦めになって動く事のできなくなる絶対正義の信者とは違う。

彼女は自分の信念を、理想を曲げる事ができる人間だった。


だからこそ、彼女は折れる事がない。


「こっちの皆は私が守るわ。勿論、私に守って欲しい人が居るなら、その人達も守る。何度も言うけれど、私の目的は皆で無事に日本に帰る事だから、来る者は拒まないわ。去る者も追わないし、敵対するなら容赦しないけど……」


「うぐ……」


乙女は窓際に身を寄せ合って怯えているグループの前に立ち、桶谷達と対峙する。

そろそろと、入口側のグループから、窓際に移動する女子が出た。


「お前ら……!」


「だ、だって、桶谷君や鮒田君が皆こっちだと思ったから……」


「帰れるんなら、帰りたいし……」


「本当に帰れるかどうかわかんねぇだろうが!」


「そっちだと一緒に狩りに行くんだぞ! 危険だろうが!」


「帰れるわ」


しかし桶谷達の批難を、乙女は一言で斬って捨てた。


「私達がこの世界に呼ばれたという事は、その目的がある筈よ。なら、それを達成すれば帰れるわ」


そんな保証はどこにも無いが、断言されてしまえば、桶谷達はそれ以上強く言えなかった。

それは桶谷達の中にも、『帰りたい』と思う気持ちがどこかにあるからだろう。


「今まで力を隠していた私が、鮒田君に知られる事がなかったのだから、危険は少ないでしょうね。むしろ、目の届かない所に居た今までよりは安全かもしれないわよ」


鮒田一人で三十人を守るのは難しいが、乙女一人で十二人なら決して難しい数ではなかった。

これまでの狩りで、乙女はそれを確信している。


「それで鮒田君」


そして乙女は、未だ床に崩れ落ちたままの鮒田に声をかけた。


「貴方は本当にそっちでいいのね?」


「い、今更だろ……。あ、あんなことを言って、今更そっちにいられないだろ……」


「誰だって人に言えないような本心を隠しているものよ。謝って、地道にもう一度信頼を積み重ねれば大丈夫よ」


「…………」


心底から乙女がそれを言っている事がわかっていたが、しかし鮒田は無言だった。

この一ヶ月で鮒田はクラス内でそれなりの地位を手に入れていた。

勿論、圧倒的な力を唯一持っていた彼は、立場としてはクラスの頂点にあったのだが、それは一種の恐怖政治のようなものだった。

誰も心底から鮒田を信頼し、尊敬し、感謝していた訳ではなかった。

だが、徐々にだが、その空っぽのピラミッドに、中身が注がれていたのを、鮒田自身も感じていた。


だからこそ。

再び最下層に落ちた場所に戻る事はできなかった。

ピラミッドには穴が空き、注がれた信頼は零れてしまうだろう事は用意に想像できた。

穴を塞ぎ直すだけの気力が、最早鮒田には無かったのだ。


他に場所が無いならともかく、今は別に場所がある。


例えハリボテでも、王として君臨できる場所が。


「そう」


言う乙女の声は、特に失望も怒りも無かった。

ただ、ただ事実を受け入れた、そんな声だった。


「鮒田君に限らず、そっちの皆も、気が変わったらいつでも言ってね。さっきも言ったけれど、私は来る者は拒まないから」


そして乙女は笑った。


「できれば皆で帰りたいから」


なんの混じり気もない純粋な笑顔。

だからこそ、何の感情も読み取れない、能面のような笑顔で。


彼女達が本編に絡むのはもう少し後になります。

次回は主人公の話に戻ります。

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