おまじない
梅桃さくらの闇の世界に、ようこそ。
ショートホラーの連作、第8回となります。
「クリームチーズ 200g、小麦粉 大さじ3。」
キッチンにユリの声が響く。
「砂糖を100g、卵3個、塩一つまみ。」
慣れた手つきでボウルに材料が入っていく。
「そして、お兄ちゃんの血、200ml。」
真っ赤な液体がボウルに注がれる。
ユリの傍らには、古びた本が一冊。
ユリがその本を手にしたのは、高2の夏だった。
「おまじない百科」
かすれたタイトルが、そう読めた。
ユリは生まれてからずっと兄が好きだった。
将来はお兄ちゃんと結婚する!とよく言っていた。
今もその気持ちは変わらない。
兄もユリをとてもかわいがった。
でもユリが高2の夏、兄は彼女を連れてきた・・・
なんで?
私と結婚するんじゃなかったの?
ユリは混乱し悲しんだ。
兄妹に生まれた事を呪った。
そんな時、古本屋の片隅でこの本を見つけたのだ。
好きな人を自分のものにするおまじない
ユリはそれを実行することにした。
用意するのは、チーズケーキの材料と、好きにさせたい人の血液。
それで誰にも見られずにチーズケーキを作り、好きな人に食べさせることが出来れば、願いは叶い、想い人は自分に夢中になる。
兄の血さえ手に入れば、料理の得意なユリには簡単なことだった。
血さえ手に入れば。
ユリは志望大学を看護学校に変えた。
看護婦になって、採血の方法を勉強する。
ユリの計画ははじまった。
「あとは型に入れて、焼くだけ、と。」
オーブンに真っ赤な生地が入ったタルト型が入れられる。
「さてと。」
ユリはベッドの上に横たわる、兄を見つめた。
兄が目を覚ます頃には、チーズケーキが焼きあがっているだろう。
いよいよお兄ちゃんが私のものになる。
そう思うだけでユリの心は震えた。
このケーキを作るのは3回目。
1回目は作っている最中に兄がキッチンに入ってきてしまい、失敗。
2回目はオーブンの調子が悪くて真っ黒焦げになってしまい、失敗。
そしてこれが3回目。
絶対失敗するわけにいかない。
だって、これ以上お兄ちゃんの血を無駄にできないから。
ユリはうっとりと兄の顔を見つめる。
ベットに横たわる兄の、青白い横顔。
何故か目を見開き、天井を見つめ続けている兄の横顔を。
ユリの採血は完ぺきだった。
最初に微量の睡眠薬を混ぜたコーヒーでぐっすり眠った兄から200mlの血を取った時は、兄も気が付かなかった。
でも睡眠薬が少なすぎて、作っている最中に起きてしまったのだ。
2回目、黒焦げケーキを作ってしまった時も、兄は優しく慰めてくれた。
しかし、3回目。
ユリが採血をしていたあの時。
何故か兄が目を覚ましたのだ。
「やっぱり・・・」
兄はそういうと、採血しているユリの腕をつかんでこう言った。
「最初に見た時から、あの赤い液体が血だと分かった。
誰の血か突き止めようとしていた時に、あの黒焦げのケーキが作られた。
それでわかったよ。
2回とも、俺はお前のコーヒーで眠らされていたからな。
俺の血で作ってたんだな。
でもなんのために!」
兄の眼は怒りと恐怖と悲しみが入り混じっていた。
違う、違う違う!
こんな顔を私は見たいんじゃない!
後ずさる私にお兄ちゃんはつかみかかりながら叫んでいる。
何を言っているのか、全然耳に入らない。
分かっているのは、私は失敗したということ。
もうお兄ちゃんはチーズケーキを食べないということ。
もう、絶対食べないということ。
ユリの手が、後ずさった拍子にキッチンにおかれたナイフに触れた。
クリームチーズを切るために用意した、ナイフ。
それをユリは兄の胸につきだした。
血に染まる兄のシャツ。
思わず
「きれい」
とユリはつぶやく。
綺麗な綺麗なお兄ちゃんの血液。
大好きよ、お兄ちゃん。
ユリはさらにナイフを押し込んだ。
チン。
オーブンのタイマーが音を奏でる。
ユリはオーブンの扉を開けた。
キッチンには甘いような、生臭いような匂いが充満する。
「お兄ちゃんの匂い。」
ユリは笑って、チーズケーキを一口カットする。
そしてそれをこと切れた兄の口に押し込む。
「食べて。お兄ちゃん。」
赤いチーズケーキの欠片が空虚に空いた兄の口の中に滑り落ちた。
キッチンに夏の風が吹きこみ、古めかしい本のページをパラパラとめくった。
折り癖が付いていたのか、風はある頁で動きを止める。
好きな人を自分のものにするおまじない
ユリの願いは叶えられた。
料理は好きですが、お菓子はめったに作りません。
甘いものが得意でないので。
採血も苦手です。抜かれる専門なので。