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8,テクノロジーはファンタジーの夢を見るか? -VRMMO論-

 ラピュタの話をしたついでに、一応『ソードアート・オンライン(以降SAO)』の話もしようかと思います。ひいては、VRMMOについても。


 SAOは複数部に分かれたシリーズ物です。去年の冬にアニメ化第二期(シリーズ5,6,7,8巻)が終了しましたよね。9巻以降のアリシゼーション編も着々と刊行され、かなり大きなヒットを放っている印象があります。


 実は昨晩も知人と話していたのですが、SAOは、もともと約十年ほど前(確か2002年)に個人サイトに載っていた作品なんですよね。果たしてそのときに「VRMMO」という概念はちゃんと理解されていたのかどうか……この年の前後の(いわゆる)本格SFの方を見ると、例えば『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002年〜)や、グレッグ・イーガンの『ディアスポラ』(2005年)があり……つまり仮想空間(ヴァーチャル・リアリティ)というものがいかに人口に膾炙(かいしゃ)し、文化を形成するのかを考えたものが多かった。私はどちらも観ても読んでもいませんが(ヲイ)、あらすじだけ確認するとそういう類だと観ても間違いではないと愚考します(なお文句は幾らでも受け付けます)。

 しかしSAOが書籍として刊行されたのは2009年からです。この頃になって初めて、作中で話題になるネットゲームはもちろん、スマートフォンそのものや、TwitterなどのSNSの普及が促進し、仮想空間(ヴァーチャル)への想像力が広く浸透したころなのではないかと感じます。

 それまでの仮想空間(ヴァーチャル)は、「サイバーパンク」……例えば『マトリックス』であり、『ブレードランナー』の雰囲気であり、ギブスンの『ニューロマンサー』のような、「頽廃的」かつ「アウトロー」なイメージがあったと思われるのです。何故なら、当時コンピュータの黎明期には、プログラマーは一種の異端であり、特殊な技術者でもあったからだと思います。

 しかしその固定観念はITやインターネットの普及によって融解し、仮想空間(ヴァーチャル)はとても身近な夢の仲間入りをしました。その流れのなかに、SAOを(半ば無理やりですが)置いて考えてみたいと思います。


 ところで、ギブスンが頽廃的な未来のなか、神経にプラグを挿し込むようなハッカーたちを書いていた時期、日本では『ドラゴンクエスト』をはじめ、数多くのコンピュータ・ゲームが激しい販売競争をしていました。当時はこの二つの想像力がつながることは夢にも思わなかったでしょう。この二つの流れは、少なくとも当初はあまり関連がなかったように感じます。


 ですがコンピュータ・ゲームのあとに、国内にやってきたTRPG(Table Talk Role Playing Game)が一部の創作に深く影響を与え、それが『ロードス島戦記』などの、のちの「ライトノベル」への布石となったあたりは見逃せません。何故なら、この頃から「ゲームっぽい」小説が様々な形で書かれていたからです。

 しかしその「ゲームっぽい」というのは、ステータス表示がされる、アイテムの情報が即座に観られる、などのVRMMO特有の方面ではありません。むしろ「異世界トリップ」や「ループもの」という形で現れたもののことです。前者は「現実世界の少年(ゲームのプレイヤー)が異世界(ゲームのなかのファンタジー世界)に入」り、後者は「明日への脱出(トゥルーエンド)を目指し、何度も繰り返す(リセットボタンを押す)」という想像力が転化されたものだと言われています。より詳しいことは東浩紀の『動物化するポストモダン』や『ゲーム的リアリズムの誕生』を読まれればだいたいわかると思いますのでそちらをどうぞ。

 両者につながりが出てきたのは、恐らくは1994年、高畑京一郎『クリス・クロス 混沌の魔王』(メディアワークス社)からでしょう。VRMMOの、いわゆる「デスゲーム」がこの頃すでに表れていました。また、本格的にMMORPG(つまりネットゲーム)が用いられたフィクションとしては『.hack』シリーズ(2002年〜)なども存在します。どちらが先なのかは判然としませんが、「ゲーム」そのものを主題とする小説は段々と目立ち始めています。


 そして、SAOです。

 SAOの世界観によると「ナーヴギア」と呼ばれる装着型端末でゲーム世界に没入できるようになった時代が来たようです。この際、プレイヤーは現実世界において、あたかも睡眠を取っているかのように完全に無防備になります。この点だけ観ると、まるで『マトリックス』の接続を思い出してしまいます。しかしそこで繰り広げられるのはネットゲーム……つまりファンタジー世界における冒険でした。こちらだけを観ると、「異世界トリップ」的なものを感じます。

 恐らく、SAOの初出の時期を考えると、SAOはSFだと観て差し支えないと思います。また、厳密に言うとSAOはファンタジーではありません。この理由は後で述べます。


 さて、SAOの最初のストーリィは、有名な「デスゲーム」です。ゲーム作者の茅場(かやば)晶彦(あきひこ)が、二万人のプレイヤーのログアウトを無効にし、百層の巨大ダンジョン「アインクラッド」を完全攻略するまでという条件付きで、ゲーム内に閉じ込めたのです。H.Pヒットポイントがゼロになった人間は、ナーヴギアに仕組んだ機能によって「本当に死ぬ」。

 このデスゲームを生き抜いたのが、主人公キリトを始め多くの登場人物たちです。ここで問題だったのは、彼らは「デスゲーム」のような残酷な事件に巻き込まれたにもかかわらず、その後も似たようなゲームをし続けたことにあります。むろん直接の続編である「フェアリィダンス編」のなかでは、キリトが再びゲーム内に入らざるを得ないように作られています。しかしこの「フェアリィダンス編」以降の方針が、俗にVRMMOと呼ばれる派生ジャンルの基礎を作ったのです。


 鍵は作者の言葉です。作者は4巻のあとがきで、次のような主旨を述べています。

 自分が好きだったゲームを素材に小説を書くのは良かったが、当初ゲームのなかでは物語ができないと思っていた。なぜなら、「リセットボタン」があるから。主人公からみて不都合なものを簡単に避けて通れるならば、物語に起伏は生まれないし、単調になってしまいかねない。()()()()()()()()()()()()()。やり直しようのない一回きりのプレイヤーとすることで、()()()()()()()()()()()()、物語を創ろうと試みたのです。


 少し話が逸れますが、SAOの始まりの物語に登場した茅場という男は、1巻の終盤で「ゲームの世界を本物にしたかった」という主旨で、事件の動機を述べています。若しかしたら茅場は作者の分身であったのかもしれません。


 しかし、作者は同時に茅場のやや狂ったような考えに限界を感じていました。前回からのつながりで言うならば、茅場はムスカと同類なのです。

 作者は言います。もしデスゲームがないと物語ができないとするならば、自分が今までやってきたネットゲームは「嘘」になるのではないか? と。いや、そんなことはない。自分はゲームプレイ時に、喜怒哀楽を確かに味わっていた。顔も名前も知らない人たちと必死にコミュニケーションを取り、協力して達成したクエストの喜びは、絶対に「嘘」ではなかった。

 だから川原礫はフェアリィダンス編以降を「デスゲーム」無しで書かなければならなかったのです。彼は茅場の狂おしい夢に魅力を感じながらも、「デスゲーム」に溺れなかったキリトの味方を選んだのでした。


 以降のSAOは、作者の渾身の挑戦でした。その主題は、今回の副題に書いた言葉そのままです。つまり、「テクノロジーはファンタジーの夢を見るか?」

 このテーマは、SAO最大の物語アリシゼーション編の始まり、9巻のあとがきに言葉は違えど、はっきりと書いてあります。要するに「VRMMOのままでどこまでファンタジーに近づくことができるのか」ということを突き詰めようとしていた。川原は、物語を、シリーズを通してそのことだけを追求し続けたと言ってもいい。彼は自分が今まで楽しんできたファンタジーやSFの世界を、夢や空想のままで忘れることができなかったのです。冷めた現実主義者(リアリスト)たちに「そんなゲームに熱中するなんて、時間の無駄だ」と嘲笑われたとしても、彼は自作とともにこう返したことでしょう。「君たちがどう言おうと構わない。しかし自分が熱中してきたこの世界は、その情熱の限りにおいて、紛れも無い『本物』だった」と。

 それはキリトやアスナを含む、登場人物たちの群像に言えることです。「ファントムバレット編」の新キャラクター、シノン/朝田詩乃に到っては、現実のトラウマを仮想空間(ヴァーチャル)で克服しようとまでします。もはやキリトたち少年少女にとって、ヴァーチャルは唯の虚構ではなかった。ゲームは唯の遊び以上の意味を持ち、その志の高さにおいて、ファンタジーの美しさに限りなく近付こうとしている。


 新時代がもたらすであろうテクノロジーが、ファンタジーやユートピアを具現化させる装置と化した時代(とき)

 かつて多くの理想が思い描かれ、多くの空想が人々を楽しませてきました。それがテクノロジーで実現する! この夢は実に多くの人々を魅了したでしょう。私はSFには「ヴィジョン」がなくてはならぬと言いました。しかし敢えて「ヴィジョン」と言いました。なぜなら「ヴィジョン」とファンタジー、ないし理想とはまた異なるものだったからです。

 ではSAOが大ヒットし、多くの人に見せた「ヴィジョン」とはなんだったのか? それこそは仮想空間(ヴァーチャル)空想(ファンタジー)実現(リアライズ)するという「ヴィジョン」だったのです。そこに本当に必要だったのは、「俺TUEEE」や「ハーレム」を描写する「空想の力」ではなく、茅場の踏み誤った道を乗り越え、それでも茅場と同じ夢を追い求めたキリトのような強靭さであったのです。


 果たして、なろうのVRMMO作品には、川原礫がストイックに求め続けたような「ヴィジョン」を、ないしそれを超える「ヴィジョン」を持っていたのでしょうか? それは読者はいつか決めることでしょう。私があれこれ言うことではないですね。

 私情につき、一週間ほど休載することにしました。次回のための資料集めも含めて、です。遅くても3/12(木)ほどに再開したいと思います。


 なお次回は「異世界転生」について書きたいと思います。「異世界転生」のできた背景やその系譜にはかなり見当がついているのですが、「異世界転生」にはSAOのような象徴的な作品が見当たらないのが現状だと思われます。

 もし可能であるならば、感想欄及び作者宛のメッセージ等で、


・なろうにおける「異世界転生」の代表格


・非ネットの「異世界転生」らしき作品(ネットが出来る前の作品でも良い)


・個人的に好みな「異世界転生」作品


 などを教えていただけると嬉しいです。私個人からすると、累計ランキング第一位のあの作品ぐらいしか思いつかなくてですね……。

 なお「異世界転生」の定義・基準などは一切設けません。主観で「異世界転生」だと思ったら遠慮なく作品名(及びURL)を教えてください。


 ひょっとすると「異世界転生」の章だけ複数部に跨るかと思われます。ゆっくりのんびりお待ちいただけると幸いです。

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