1,SF・ファンタジーの系譜?
SFの歴史なんてぶっちゃけどーでもいいんですが、ブライアン・オールディスの『十億年の宴』によると、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』に端を発するそうです。しかし凄く乱暴なことを言えば、『かぐや姫』を宇宙人襲来噺としても読めるし、ダンテの『神曲』は当時の科学知識を綿密に詰め込んだ幻想宇宙が拡がってます。その気になれば古今東西あらゆる作品にSF要素を見つけられますよね。
一方で、ファンタジーの歴史も凄く曖昧で、リン・カーターの『ファンタジーの歴史』には、その気になれば世界最古の文学『ギルガメッシュ叙事詩』から系譜を作れてしまうと書いてあったりします。ファンタジー要素もまた、探そうと思えばいろんなところに見つけることができますよね。
この程度のことはWikipediaにも書いてあるので気にするだけ野暮ってものです。
しかし、一方で何でもかんでもSFと言うわけにも行かない。『源氏物語』をファンタジーと読むのはある意味許されるとしても、これをSFとして読むと違和感を覚える。やっぱり両者にはそれなりの違いがある、と思わざるを得ない。同じように『2001年:宇宙の旅』をSFと呼べても、ファンタジーだとは言いにくい。いや、言いたければそう言えばいいんですが。
まあ、今回は特に両者を定義づける積りはないので、いささか乱暴ではありますが、幅広い作品群をSF・ファンタジーの観点で捉えてみたいと思います。
SFというと何を思い浮かべるでしょう? 宇宙人、未来都市、宇宙船、タイムマシン、超能力、機械、サイボーグ、ロボット、ライトセイバー……他にも多重世界やループもののなかにSFだと思うものを見出せるでしょうか。
一方ファンタジーはどうでしょうかね? 剣と魔法、竜、エルフ、ドワーフ、勇者、魔王、ミスリル銀、……などでしょうか。まだまだあったような気がしますが、挙げるとキリがないので、何かあったらご教示お願いします。
まあ、要素だけ挙げれば以上のようなものですが、ここで一つ、私見をば。
簡潔に述べると、ジャンル分けはあんまり意味がないとしても、ジャンル特有の面白さはあると思うのです。固有の価値、とでも言いましょうか。「この作品はこうでないといけない」と思わせる何かを持ってないと、いかん。それは作者の心血かもしれないし、一方でジャンルを決めたからこそできる何かかもしれない。そういう独創がないと、作品は喜ばれにくい。
一部でテンプレがどーのこーのと文句を言う声があり、この声は私の知る限り二年くらい前からまったく変わってませんが、「物語」というもの自体がテンプレ化作業に近いところがあるので私は非難も迎合もしたくないですね。
例えば、「『勇者』が『魔王』を倒す」という概略を持った作品があるとしましょう。このとき、テンプレ作品になると主語や述語を別の言葉にすり替えてしまえる。「『ジェダイの騎士』が『シスの暗黒卿』を倒す」内容になったら『STAR WARS』になってしまうし、「『改造人間』が『ショッカー』を倒す」だと『仮面ライダー』になってしまう。別に非難してるわけではなく、テンプレ的な、わかりやすい物語とはこのようなすり替え易い構造を取らざるを得ない。わかりやすい物語や文章でないとそもそも読まれませんので、これは仕方ないことだと思うのです。
しかし分かりやすさを求める一方で「その作品にしかないもの」を読者は求めている。わがままですねぇ。まあそれはそうとしても、SFにはSFにしかない楽しみが、ファンタジーにはファンタジーにしかない楽しみがある。でないと全て「文学」や「小説」という括りで充分でしょう?
ところで「文学」を堅苦しいものだと思い込む人が稀に居ますけど、『源氏物語』なんて「マザコンロリコン女ったらしの一代記」だと思えばそういう風に読めてしまうし、ドストエフスキーの『罪と罰』とて十九世紀の犯罪小説だと思えばそれなりの娯楽にはなります(もっとも時代が異なるので合うか合わないかは別問題です悪しからず)。
「小説は面白ければならない」とは、イギリスの作家サマセット・モームが言ってた言葉ですけれど、まさしく面白ければ小説はなんだって良いのかもしれない。しかし彼も認める通り、「面白い」は様々ですので、ここで敢えて私が「SF・ファンタジーにはこういう楽しみがあるよ」と言っても害はないと思います。次回以降はそういうことを書いていこうかな、とも。