4-07.
前話あらすじ
フォレストウルフの襲撃による肉体的精神的消耗を癒すために、襲撃現場から少し離れたところで休憩をする一行は、返り血で汚れた身体と装備を彰弘が契約したアルケミースライムで取り除く。
その後、一行は休憩がてらアルケミースライムについて言葉を交わす。
そうして、ある程度の休憩を取った後にウェスターの号令をもって、再び野盗の棲家である我谷市市民ホールを目指し歩き始めたのである。
我谷市の市民ホールから二百メートルほど離れた場所に建つマンションの屋上、そんな場所にうつ伏せの格好をして一方向を見る七人の男女の姿があった。それはランクE昇格試験中の冒険者、ウェスター、オーリ、ルナル、キリト、シズク、アカリと、その試験官であるタリクだ。
同じ試験中である彰弘の姿は今この場にはいない。彼は一人で野盗の棲家となった市民ホールの偵察に出ているのである。
「なぜ偵察があいつ一人なんだ?」
彰弘が偵察に出てから暫く、不機嫌そうな顔のキリトが、今回のパーティーリーダーであるウェスターへ問いかけた。
確かにキリトの言うとおり、彰弘が偵察を行うのは一般的には考えられない。通常は相手の気配を察知し、自らの気配を消す術も持つ、罠師や弓師が行うものだからだ。
ただ今回は少々事情が異なる。その事情があったから、ウェスターは彰弘を偵察に出したのである。
では、その事情とは何なのかだが、それは本来なら偵察に出るべき弓師のアカリと、こちらも偵察に向いていると考えられる半弓師半戦士のシズクが、戦闘における実力はランク相当であったとしても、偵察方面の能力は素人同然であったことだ。
世界の融合前まで普通の高校に通っていた普通の高校生だったアカリとシズクは、冒険者となってまだ半年の期間しか過ごしていない。そのため、本来弓師が持つであろう偵察にも必要な気配察知や自らの気配を遮断するといったようなものを、二人はまだ身に付けてはいなかったのである。
もし仮にアカリとシズクの二人がリルヴァーナ側の人種であって、元々弓師を目指していたならば、現時点で偵察に必要となる最低限の能力を持っていた可能性がある。そうすれば、どちらかを、または双方を、ウェスターは偵察に出していたかもしれない。
そんな事情で彰弘が偵察をすることになったのだが、彼も偵察に必要な能力を全て備えているというわけではなかった。
ただ彰弘の場合、世界の融合当初に百体を超える魔物を倒し、期間限定の加護によりその十倍の魔素を力として身体に取り込んでいた。つまり、本人の意図していないところで、偵察に必要となる最低限の能力を獲得していたのである。
このことは先のフォレストウルフ戦からも分かる。あのとき、フォレストウルフの増援が来る方向を察知していたのはウェスターと彰弘だけだ。このことだけでも、今いるメンバーの中から偵察に彰弘を選ぶ理由としては十分であった。
また、何かあったときの対応能力という点も、ウェスターが彰弘を選らんだ理由だ。昨日の冒険者ギルド訓練場での模擬戦、道中の行動、先のフォレストウルフ戦、そして冒険者ギルドで集めた情報。それらから戦闘能力的にも精神的な面でも、彼なら今ここにいるメンバーの誰よりも適任だったと考えたのである。
なお、能力的には彰弘に少し及ばない程度のウェスターであれば、偵察を問題なく遂行できた。しかし彼は今回のパーティーリーダーだ。他に偵察ができる人がいるのだから、自分が動くべきではないと分かっていたのである。
さて、このような理由があるのだが、ウェスターは一呼吸ほどの間で、何と答えるか考えを巡らす。馬鹿正直に理由を伝えても、これまでの言動から反発するのは見えている。かと言って嘘を口にしたところで、どうとなるものではない。
そんなことを考えたウェスターの出した結論は、先の戦いのことを前面出すことだった。
「現状、私達の中で誰かが特別偵察に向いているということはありません。しかし、偵察を出さないわけにはいきません。では、誰を偵察に出すのかですが……。今回は単独で行動しても一番問題ないであろうアキヒロに行ってもらうことにしました。先のフォレストウルフ戦で分かったように、彼はある程度周囲の気配を察することができますし、強さもある。それに彼一人なら仮に野盗に見つかっても相手をまいて逃げることもできるでしょう。それが彼一人を偵察に出した理由です」
話し終え相手の表情を見て、ウェスターは苦笑を浮かべる。彼が思ったとおりの顔をキリトはしていたからだ。
ウェスターは軽く息を吐き出してから、再度口を開く。
「誰にだって、相性の合わない人はいます。気に入らないと思うこともあるでしょう。それ故に嫌悪することも別におかしなことではありません。しかし、周囲の話も聞かず事実を受け入れず、自分たちの考えだけで相手を判断するものではありませんよ。もっとも、周りの人たちから聞こえてくるその内容が正しいものばかりとは限らないので難しいところですがね」
話はこれで終わりと、ウェスターはキリトへ向けていた顔を、彰弘が偵察を行っているであろう市民ホールの方へ向けた。
そのウェスターの姿を、直接言葉をかけられたキリトと、その横で話を聞いていたシズクは険しい顔で見据える。
そんな二人を見るアカリの目は、とても冷たいものであった。
ウェスターとキリトのやり取りから暫くが経ち、彰弘が偵察から戻ってきた。
その姿は偵察に行く前と別段変わりない。
「お疲れ様です。どうでした?」
低い姿勢で近付いてきて自分の横にうつ伏せとなった彰弘に、ウェスターが偵察の結果を確認する。
「とりあえず見張りについては、ここから見える四人だけのようだ。……ところで、どうも微妙な雰囲気だが、何かあったのか?」
とりあえずの報告をした彰弘は、その場の雰囲気に疑問を覚え、ウェスターにだけ聞こえる程度の小声を出した。
それに対してウェスターは苦笑を浮かべ、「少々説教なようなことをしてしまいました」と口にする。そして、一瞬だけ視線をキリトとシズクへ向けた。
「ああ、なるほど。迷惑をかけたようですまない」
ウェスターの言葉と視線で、ある程度の事情を彰弘は察する。
キリトとシズクが、自分を嫌悪していることを彰弘は知っていた。だから、自分がこの場から偵察に出た後で、どのようなやり取りがされたのかを察することができたのである。
そんな彰弘は数か月前の出来事を思い出していた。それは、二か月ほど前まで一緒に行動をしていた六花たちが、自分に連れ回されているという誤解を解きにキリトたちの下へ行こうとしたときのことである。
あのとき彰弘は、『わざわざ誤解を解きに行く必要はない』とそれ止めたのだが、もし彼女たちの行動を止めてなければ、今のキリトとシズクにある自分への嫌悪は、無くなっていたとまでは言わないが、多少は軽減されていたのかもしれない。
彰弘は、ふとそんなことを考えた。
「まあ、それはいいとしましょう。それよりも今は野盗の方です。詳しく聞かせてください」
ウェスターは気持ちを切り替えたように、そう彰弘へと声をかけた。
確かに今は野盗討伐であるランクE昇格試験に集中すべきときである。
彰弘もそのことは分かっており、真面目な顔で偵察の結果を話し出した。
「見張りはさっきも言ったように四人。ここから見える屋上と地下の搬入口の二か所に二人ずつだ。出入り口となる場所は他にもあったが、人の姿が見えたのはその二か所だけだった。で、見張りが見ている方向なんだが、どうやら地下の方はそこに面している側だけを、屋上は地下の方からは見えない裏側を順に回って見張っているようだ」
彰弘は一度口を閉ざし、皆が自分の言葉を理解したのを確認してから話を続ける。
「他の出入り口に関してだが、まず正面の出入り口には格子状のシャッターが下りていたから、そこでの出入りはなさそうだ。勿論、出入りの度に開け閉めしているかもしれないが、少なくとも見張りはいなかった」
「そこの開け閉めの方法とかは分かりますが?」
「推測でしかないが……。融合前なら電力で自動開閉だったろうが、今だと建物内にあるハンドルを回すことで開け閉めできるはずだ。俺が住んでいた央平の市民ホールと同じタイプに見えたから、多分間違いはないと思う」
「……そうですか。あの大きさだと時間もかかりそうですし、そこはとりあえず無視でいいかもしれませんね」
自分の問いに返された内容に、ウェスターは少し黙考した後でそう結論を出す。
そして、それから彰弘に続きを促した。
「でだ、問題は一階にある通用口と、建物の外側に備え付けられた屋上まである非常階段だな。通用口の方は、ここからだと見えない裏側にあるんだが、危険そうだから開くかどうかは調べてない。非常階段も各階ごとに中と繋がる扉はあるが、こちらも同様の理由で調べていない。調べられたのはこのくらいだな」
事前に聞いていた野盗の人数は二十人程度。相手が一般人と同じ程度の力量しかなく逃げることもなければ、『血喰い』に相応の魔力を流した彰弘の攻撃で殲滅も可能かもしれない。
しかし、野盗の中にも実力者はいるはずだし、もしかしたら依頼を失敗し違約金を払えなくなった元冒険者や、不正を働きそれが見つかり奴隷となること由とせず逃げた兵士がいる場合がある。
迂闊な偵察をすることは危険な行為でしかなかった。
彰弘の話を聞き終り、ややあってからウェスターが口を開く。
「これ以上は、今の私たちには望めないでしょうね。では、これからの行動を説明します。まず夜になるのを待つ間、こちらは順番で休みつつ、見張りがどの程度の間隔で交代となるのかを調べます。そして夜となり野盗も寝静まった頃合いで、尚且つ見張りが交代した少し後に襲撃を仕掛けることにします。ここまではいいですね?」
ウェスターの言葉に、その場の面々は頷く。
「次に誰がどこに向かうかですが……。まず屋上へはアキヒロとオーリが向かってください。地下の方は私とルナル、そしてアカリ、キリト、シズクが対応します」
屋上と地下の見張りの位置は、そのままではお互いを確認できない位置関係にある。そのため、どちらかの見張りを速やかにそして静かに倒すことができれば、残る一方に襲撃を知られる可能性はないと思われた。
しかし、屋上から少し身を乗り出せば、地下の見張りの位置を見ることができる。それに何らかの方法でお互いが連絡を取り合っているかもしれなかった。
それらを考えて、ウェスターは見張り全てを同時に倒してから、野盗が棲家とする市民ホールの中へと入ることにしたのである。
この後、襲撃を仕掛けるタイミング、メンバーそれぞれの配置等々の説明がウェスターの口から行われた。
やがて夜の帳が下りる。そして普通なら大抵の誰もが眠りにつく時間となり、そこから更に一時間程、野盗の見張りが三度目の交代をする。
「では……、各自持ち場へ」
ウェスターが静かに行動開始を口にした。
その言葉を受け、ランクE昇格試験メンバーは各々が決められた襲撃開始位置へと移動を開始したのである。
◇
屋上の見張りの目が非常階段側に向かないタイミングを見計らい、極力音を立てぬようにして階段を上りきった彰弘とオーリは屋上の様子を観察する。
今現在、二人の野盗は談笑しながら非常階段に背を向けた状態で歩いている最中だ。話の内容は屋上に踏み入れる一歩手前の彰弘とオーリには少しだけしか聞こえなかったが、それは二人にとって眉を顰めるものであり、野盗と断ずることができるものであった。
「話まで下衆い。まあ、とりあえずは問題はないようです。こちらが風下であったことが幸いです」
オーリの声を抑えた言葉に彰弘が無言の疑問を返す。
「見てください。あの右側を歩いているのは犬系獣人です。種類にもよりますが、普通の人種よりも鼻が利くんです。もし今こちらが風上であったら、あの獣人に気付かれていたかもしれません」
オーリからの返しに、彰弘は「なるほど」と一つ頷き、早速行動することに決めた。
「よし、やるぞ。いいな、ウェスターも言っていたが躊躇うなよ。この場で相手の言葉を聞く必要はない」
「はい」
落ち着いた様子で彰弘が二つの長剣をそれぞれ抜き放ち、オーリは僅かに緊張を表しながら背中の槍を手に持つ。
彰弘は右手に魔剣である『血喰い』を持ち、左手に普通の長剣を握っていた。魔剣に頼らない戦い方を習得するために、ここ最近は利き腕で普通の長剣を扱っていた彼だが、今回は万が一をなくすために利き腕に『血喰い』を持つことにしたのである。
「獣人は俺がやる。オーリはもう一方を頼む」
「分かりました」
獣人は直立した獣のような姿をした人種だ。それぞれが獣であるそれと似たような特徴を持っていて、彰弘たち普通の人と比べると基本的な能力は平均して高いものがあった。しかし、その特徴は純粋な獣に比べると大分能力は落ちる。例えば嗅覚は純粋な獣の犬であれば人の一億倍――臭いの種類によってその倍率は異なる――あると言われるが、犬系獣人の場合はせいぜいが十倍程度のものだ。また筋力などについても同様で、純粋な獣ほどではない。
なお、この能力については劣っている部分も特徴として現れていた。例えば今の世界では、犬系獣人の平均寿命は五十年前後であるが、普通の人の場合は七十年前後である。しかし、当然個人差はあるので犬系獣人が七十年以上生きることもあれば、普通の人が五十年で亡くなることもあった。
ちなみに、基本的な能力とは魔物からの魔素を全く取り入れていない状態のことを表している。
ともかく、獣人の基本的な能力が高いことは事実だ。だから彰弘は自分が獣人の相手をすると言ったのである。
「一、二、三!」
飛び出すタイミングを数を数えることで示した彰弘は、自らが口にした最後の数字と同時に魔力を流した左手の長剣を一度頭上に上げた後、屋上に入り駆け出した。当然、右手に持った『血喰い』にも魔力は流されており、その刀身は赤黒い光を放っている。
彰弘からほんの少しだけ送れて、オーリも動いていた。初めて人を殺すかもしれない恐怖はあったが、覚悟は決めている。その動きに澱みはなかった。
「なんだ?」
彰弘とオーリが屋上に足を踏み入れた段階で、野盗の一人である犬系獣人が、ふいに立ち止まる。
一緒に歩いていたもう一人の野盗は、そんな相方の様子に疑問を覚え辺りを見回し、そこでようやく彰弘とオーリの存在に気が付く。
「なんだ、テメーらは?」
姿を確認しはしたが、これから起こることを想像できていない野盗の言葉は、とても見張りをしている者とは思えないものであった。
そのように未だ迎撃体勢を整えない野盗二人にも、彰弘とオーリの行動が鈍ることはない。
野盗が彰弘たちの存在に気付いてから数秒、両者が剣の間合いに入った。
「ふっ!」
彰弘は短く息を吐き出すと、まず左手の長剣を外から内へと払う。
オーリが相手をする野盗と、自分が相手をする犬系獣人の野盗を離すためである。
当初の思惑通り犬系獣人の野盗は彰弘の長剣を避けようと、持ち前の瞬発力を発揮し右側へと跳躍した。
「なん……!?」
腰に吊るした長剣を抜き放ちはしたが、まだ事態に考えが追いついていないのか、オーリと対峙した野盗は問いかけの声を出そうとする。
しかし、それはオーリの鋭い一撃を腹部に受けたことで、強制的に止められた。
「ぐっ!」
オーリの攻撃を受けた野盗はうめき声を出す。
そしてその声は、その野盗が最後に出した声となった。何故なら、オーリが突き出した二撃目を喉に受け、その後絶命したからだ。
今回のランクE昇格試験で最も重要視される対人戦、それをオーリが成した瞬間であった。
一方、彰弘の方はというと、オーリが自分と対峙した野盗を仕留める前に決着をつけている。
彰弘を敵と認識し唸り声を上げて彼を睨みつけ攻撃のため体勢を低くした犬系獣人の野盗だったが、その行動は少しばかり遅かった。そのときには、『血喰い』の刀身が犬系獣人の首へと振り下ろされていたからだ。
並みの剣なら両断できるほどに魔力を込められた『血喰い』は、赤黒い軌跡を描いてその対象の首を刎ね飛ばしていた。
彰弘たちが市民ホールの屋上に足を踏み入れてから十秒にも満たない時間で、見張りをしていた野盗二人の生命は最後を迎えたのである。
荒い息をつくオーリを見た後、彰弘はマジックバングルから魔石を取り出し魔力の補充を行う。まだまだ余裕がある魔力であったが、いざというときに魔力切れで『血喰い』が鈍らになっていたのでは話にならない。できるときに、魔力は補充しておくべきであった。
「すみません。お待たせしました」
初めて人を殺したことによる、精神の揺らぎは元地球人であっても、元リルヴァーナ人であったも変わりはない。
それに、オーリは待たせたと口にしたが、それはほんの少しの時間だ。今回の討伐に差し支えるほどではなかった。
「気にすることはない。謝るほどの時間じゃないさ。それに、俺も魔力の補充ができた。少々加減を間違えて魔力をこいつに流しすぎていたからな」
彰弘はそう言うと、『血喰い』を目の前に持ち上げる。
「さてと、下が気になるところだが、こっちはこっちのやるべきことをやろう。オーリ、槍の血糊を拭いて中に入るぞ」
「分かりました」
オーリが血糊を拭う間、彰弘は屋上と市民ホールの中とを繋ぐ扉へと目をやる。
とりあえず、彰弘たちは第一関門を事もなく突破した。後は中に入り、下から上がってくるであろうウェスターたちと合流し野盗の殲滅を行うだけであった。
勿論、それが簡単ではないことは彰弘も分かっている。野盗の正確な数は不明だし、市民ホール内部の構造も正確には分からない。しかし、やることは明確だ。
槍の血糊を拭い取ったオーリを引きつれ、彰弘は市民ホールの中へと足を踏み入れるのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
二〇一六年 五月五日 二十二時 0分 表現修正
修正前)
その言葉を受け、ランクE昇格試験メンバーは各々が決められた襲撃開始位置へと移動を開始したのである。
修正後)
十六夜月の下、その言葉を受けたランクE昇格試験メンバーは、各々が決められた襲撃位置へと移動を開始したのである。