4-06.
前話あらすじ
ランクE昇格試験へ向けて、グラスウェルの街を出発した彰弘達。
途中までは何事もなく進んでいたのだが、道程のちょうど中間点まで来たところでフォレストウルフという魔物の集団に襲われる。
皆が奮戦し、何とか一人の怪我人も出さずにフォレストウルフを殲滅した彰弘達は、魔石のみ回収して魔物の死骸を処分した後、目的地へ向かうためその場を後にするのであった。
「ここで一度休憩を取ります」
フォレストウルフに襲撃された場所から五百メートルほどを歩き、ウェスターは足を止めると後ろを振り返った。
その場所は遮蔽物などがない普通の草原である。北側に目を向けると鬱蒼とした森――フォレストウルフが現れた森――が見え、南側には草原が広がっていた。その草原を越えた向こうには富士山ほどの標高はあろうかと思える岩山が見えている。
休憩場所として適しているかどうかは、その時々により異なるが、今の一行の状況からしたら特に問題はないといえる。何かに追われているわけではないので遮蔽物に身を隠す必要はないし、周囲に魔物の姿は見えないからだ。少しの間、身体を休めるだけの一行にとって、この見通しのよい草原は休憩場所としては妥当であった。
「念のために、車座になりましょう」
最後尾の彰弘とオーリが普通の声の大きさで会話できる距離にまで近付くのを待って、ウェスターはそう言うとその場に座り込む。
「お互いが目線の先を注意していれば、不意を突かれることはない、そういうことか」
「そうです。ともかく座ってください。今のペースであれば、まだ日が高い内に野盗の棲家であろう場所へ辿り着くことができます。少々の休憩は問題ありません」
彰弘の言葉に頷いたウェスターは、皆に座るよう促す。
このときに一行が座った並び順は、森の方を向いて座るウェスターの左隣から順に、シズク、キリト、アカリ、彰弘、オーリ、ルナルである。
ともかく、そのような順で車座になった面々を見て、それからウェスターは再度口を開く。
「まず血を落としましょうか。ルナル、魔石は持ってますよね? すみませんが水を出してください」
そのウェスターの言葉を受けて、ルナルは魔石を持ってきていることを伝え返すと、脇に置いたばかりの杖を手に取り車座の中心へとその先端を向けた。
離れた距離からの攻撃だったルナル達三人は血で汚れることはなかったが、残る四人は相応の返り血を浴びていたのである。
別にそのままの姿でも行動に支障はなかったが、汚れたままの状態というのは普通であれば精神的に負担だ。緊急時ならまだしも、今はそこまでの状況ではない。血は洗い流しておくべきであった。
なお、それぞれが今回の昇格試験に必要となるだけの水を持参してはいたが、血を洗い流すとなると十分の量とはいえない。いや、それだけに使うのであれば足りるのだが、それをすると飲む分がなくなるのである。
近くに川でもあればまた別なのだが、今いる場所から一番近い川は森の中だ。次に近いのは数キロメートル戻った距離にある。
だからウェスターは、魔法使いであるルナルに魔法で水を出すように言ったのであった。
ちなみに、魔石の確認をしたのは、いざというときに魔力が足りなくて魔法が使えませんでは話にならないからである。
「わざわざ魔法を使って水を出す必要はないさ。こんなときのために契約したんだ。それに今日の分をどうしようかと思っていたところだ」
水溜りを造りだそうとしたルナルを初め、その場の面々が彰弘へと視線を向けた。
その視線を受けつつ彰弘は腰に下げた小瓶の蓋を開けると、中で出番を待っていた濃い桃色の物体を取り出す。それから彼は笑み浮かべると、「さあ、食事だ」と呟き、手の平の上に載せた濃い桃色の身体をぷるぷるさせている物体へと、意思を乗せた魔力を流し込んだ。
彰弘が取り出したアルケミースライムは、汚れの洗浄という名の食事を終えた今、その身体を食事の前の倍以上へと膨らませていた。
彰弘たち四人が浴びたフォレストウルフの返り血は相当なものであった。食事を終えたばかりのアルケミースライムが、その身体を大きくさせていたのも当然のことである。
なお、このアルケミースライムによる汚れの洗浄をキリトだけは拒否していた。彰弘を嫌悪しているということもあるが、それよりも魔物にしか見えないような不定形の生物を、受け入れることができなかったからだ。
そのため、キリトは持参した水を使って、自分に付着していたフォレストウルフの返り血を洗い流したのである。
ちなみに、このキリトの反応は珍しいものではなく、アルケミースライムが普及しない要因の一つでもあった。
ともかく、食事を終え体積を増していたアルケミースライムだったが、その大きさでいるのはそう長いわけではない。
アルケミースライムは、取り込んだ先から消化吸収排出を行う。自らに必要な成分は取り入れ、不要な成分は無害な水や魔力へと変換して体外に排出するのだ。その速度は驚異的で、彰弘達の目の前で、たちまちの内にその身体の大きさを元のものへと戻していく。
そんな彰弘のアルケミースライムは、役割を終えた後も彼の手の平の上でぷるぷると揺れていた。
その存在を知ってはいたが、実物を間近で見るのは初めてというルナルの要望に彰弘が答え、まだ小瓶戻していないのである。
「触ってもだいじょうぶですか?」
オーリと座る場所を代わったルナルが、興味深そうな視線を彰弘の手の平の上のアルケミースライムに注ぐ。
「普通に触るだけならな。一応、自衛本能はあるから攻撃の意思がなければ大丈夫だ」
「では、失礼して」
彰弘の答えに、ルナルは口で「つんっ」と呟き、ぷるぷる揺れるアルケミースライムを指で突く。
「なんか……、かわいい。欲しいなー、つんっ」
指で触れられる度にアルケミースライムは、その身体を大きくぷるぷるさせる。
そんな動きに魅了されたのか、ルナルは何度かアルケミースライムを突いていたが、ふと疑問を表情に浮かべる。
それは、小さな火を出せる程度でしかない彰弘が、何故アルケミースライムと契約できたのかというものであった。
アルケミースライムとの契約には熟練といえるほどの魔法を使えるほどでなければできないとされている。
だから、「アキヒロさんは少ししか魔法使えないって言ってたような?」という、呟きがルナルの口から漏れたのも無理はない。
そして、その疑問は昨日の冒険者ギルドでの訓練場で話を聞いていた、ウェスターとオーリも感じていたことであった。
なお、残る三人はアルケミースライムの存在自体を知らなかったので、そのことに疑問を抱くことはなかったようだ。
ともかく、たいして魔法を使えないはずの彰弘へと視線が集中する。
そんな中で彰弘は、別段何ともないような顔で口を開いた。
「アルケミースライムとの契約に必要なのは、一定以上の魔力を保持していることと体外での魔力操作の上手さ、それと契約する個体との相性が大事ということらしい。俺の場合、魔法は昨日言ったとおりだが、魔力操作自体はある程度できるからな」
「専門外なのでよく分かりませんが……。そうなのですか」
「アルケミースライムを扱えるほど魔力を使えるのに、魔法がほとんど使えない人に初めて会いました。でも、考えてみれば確かに、そういう人もいるかもしれません。体外に魔力を出す出口が狭ければ魔法とすることはできませんし」
魔法を使うことに縁がないウェスターとオーリはそんなものかと思い、この場で唯一の魔法使いであるルナルは何やら考え込む。
キリトとシズクは話の流れから疑念の視線を無言で彰弘に向ける。
そんな中でアカリが少々躊躇いがちに口を開いた。
「あ、あの。そのスライムは私でも契約できますか? あと魔法は誰でも使えるのでしょうか?」
彰弘に向かっていた視線が、今度はアカリへと注がれる。
話の流れからは、そうおかしな質問ではなかったが、やや唐突な感じがするそれに、一同は多少の驚きを表した。
「アキヒロさんの言葉からすると、両方とも可能性はあると思いますが……」
ウェスターはそう口にすると、顔をルナルに向ける。
その意図を察したルナルは「そうですね」と呟いてから、アカリに向けて説明を始めた。
「誰でも可能性はあります。誰にでも魔力はありますし、極微量ながら……それこそ魔法に全く縁のない人でも魔力の放出を常に行っているんです。まあ、一般的には魔法を使えるレベルにない魔力の放出は、魔力を体外に出しているとは言わないのですが。ともかく、アルケミースライムとの契約について、できる可能性はあります」
真剣に話に聞きいるアカリに、キリトとシズクが目を見張る。
ルナルの説明が続く。
「ただ、そう簡単ではないと思います。わたしの知る限り、アルケミースライムの契約者は熟練の域に達している魔法使いや神職の方ばかりでした。冒険者のランクでいったらDの上位以上の方々ばかりです。過度の期待はしない方がいいと思います」
ルナルはそこで一度口を閉じる。
彰弘に六花達四人、そして六花の親友である美弥が少し普通ではないのだ。
ちなみに、美弥もアルケミースライムとの契約に成功していた。
説明を聞き僅かに落ち込むアカリを見て、今度はアキヒロが話し出す。
「とりあえず、この試験が終わったら試してみればいいんじゃないか? ああ、試すといっても契約じゃなくて、魔力操作とか魔法についてをな。ギルドで暇そうにしている魔法使いに教えを請うてもいいし、それが難しいなら央常神社の影虎っていう神主に話をしてみてもいい。あの人は学習所で教師もしてるから常に神社にいるわけではないが、魔法を使えるし何より面倒見がいい。きっと協力してくれるはずだ。まあ、一番気楽なのは……」
と、そこで彰弘はルナルに顔を向ける。
「はい。わたしでも基本的なことくらいなら教えることはできます。ただ、先ほど言ったように過度な期待はしないでくださいね。大抵の人は感じ取れるほどの魔力を体外に出すことすらできないのですから」
「いえ、ありがとうございます。そのときは、よろしくお願いします」
落ち込みから一転とはいかなかったが、アカリの表情が上向いた。
自分にできるかどうかは分からないが、その可能性があることに、そして協力してくれる人がいることに、アカリは嬉しさを感じたのである。
「そろそろ出発しましょう。順調に進めば、まだ日が高い内に目的地へ到達できます。野盗に襲撃をかけるのは夜が更けてからですが、その前にいろいろと調べることができるかできないかでは大きな違いがあります」
頃合いと見たウェスターはそう言うと、自分の荷物を持ち立ち上がる。
それを見て、彰弘達六人も出発の準備を整えた。
「では、出発します」
ウェスターは一行の先頭に立ち歩き出す。彼の隣で歩みを進めるのはキリトだ。
その後ろには、アカリ、ルナル、シズクが横に並んで進む。
彰弘とオーリはさらにその後ろ、最後尾である。
ふと彰弘は自分のアルケミースライムを小瓶に戻していないことに気が付いた。
どこにいった? そんな表情を浮かべた彰弘に、隣を歩くオーリが笑いを堪えながら彼の頭を指した。
彰弘が出発の準備をする間にアルケミースライムは、その頭の上に移動していたのである。
「気付かなかった俺もどうかと思うが……まあ、いいか。ともかく、何があるか分からないから戻っててくれ」
腰のに下げた小瓶の蓋を開けた彰弘は苦笑を顔に浮かべ、アルケミースライムにそう語りかけた。
アルケミースライムは頭から肩に降り、一度彰弘に向けて手を振るように身体を揺らすと素直に小瓶の中へと戻っていく。
その様子を見たオーリは笑みを浮かべたままで口を開いた。
「なんか、ペットみたいですね」
「そうだな。魔力で繋がっているからかもしれないが、何となく意思の疎通ができてる気がするよ。それに便利だし、何より動きと触り心地に癒される」
「ルナルやアカリさんじゃないですが、俺も欲しくなってきました」
彰弘の言葉に、オーリは彼の腰に下げられた小瓶へと目をやる。
オーリの視線の先にあるのは、見た目なんの変哲もないただの小瓶だ。しかし、その中にいるのは先ほど愛嬌を振りまくようにぷるぷると揺れていたアルケミースライム。その姿形を受け入れることができるならば、契約することのデメリットは皆無といってよい存在である。
「オーリも試してみたらいいんじゃないか? 魔法はともかくとして、魔力操作はやり方さえ覚えれば、ちょっとした時間があるときでも修練ができるんだ。仮にアルケミースライムとの契約ができなくても、魔力操作の修練を行うことは無駄にはならない」
「そうですね。今までは槍を使った技術を学ぶことで精一杯でしたが、今後は武器に魔力を流すことも必要となるでしょうし……。はい、やってみようと思います」
真剣な顔付きになり頷くオーリに、彰弘も頷き返した。
魔力操作により武器に魔力を流すことができるようになれば、一時的にだが自身の武器の性能を上昇させることができる。彰弘が言うとおり、魔力操作の修練はアルケミースライムの契約を考えなくても、やって損はないものなのであった。
「とりあえず、今は試験だな」
「はい」
彰弘とオーリの二人は再び頷き合うと、それ以降口を開くことなく集団の最後尾を歩いて行くのであった。
フォレストウルフ襲撃後の休憩を経て移動を再開した一行は、魔物の襲撃を受けることなく順調に歩みを進める。そして、ウェスターの言葉どおりにまだ日が高い内に、ランクE昇格試験の標的である野盗が棲家としている我谷市の市民ホールを目にできる場所まで到達した。
この後、普通の冒険者にとっては、ある意味で最も大事な資質を試される場面を迎える。
お読みいただき、ありがとうございます。