3-20.
前話あらすじ
グラスウェル魔法学園入学試験一日目、その筆記試験を終えた六花達は食堂で食事をしている際に、クリスティーヌと言う少女と出会う。
六花達は、クリスティーヌの立ち居振る舞いから貴族家の息女かと推測するが、今の自分達が彼女の友達となることに、貴族家云々は関係ないと結論付けるのであった。
「いやー、そうだとは思ってたけど。そこかー」
クリスティーヌの告白を聞いた瑞穂は少々の驚きと共に幾分小声でそう返した。
二人の近くで話を聞いていた六花と紫苑、そして香澄の三人も、声には出していないがその表情から瑞穂と同じ感想を抱いていることが見て取れる。
今現在少女達が話している場所は、本来ならグラスウェル魔法学園の第三学年の生徒達が使用している教室だ。しかし、その本来の使用者である生徒達は、年間割合七割を超える実技の真っ最中。つまり、実技のために空となった教室が本日面接を受ける受験生達のための待機場所として使われているのである。
なお、受験生達は当然ながら好き勝手に空いている教室にいるわけではない。待機場所として用意された空き教室の出入り口には、何番から何番と受験番号が書かれた札がかけられており、受験生達はその番号に従い割り当てられた教室で自分の面接の番となるまで待機しているのである。
ともかく、そのようにして用意された教室で少女達は話をしていた。
「あの……」
自分の話を聞いた四人の反応が想像していたものと違ったために、クリスティーヌの口からそんな呟きが零れた。
「ふふ。貴族かもしれないと予想はしていましたから。ただ、まさか領主であるガイエル伯爵家の令嬢とは思っていませんでした。ですから、そこには少し驚きました」
「うんうん。でも、わたし達が友達になるのに、それは関係ないよね?」
「そうだね。貴族の話を聞いていて最初はちょっと戸惑ったりもしたけど、結局はわたし達自身がどうしたいかなんだよね。わたしはクリスちゃんと友達になりたいし、瑞穂ちゃんだってそう。勿論、六花ちゃんと紫苑ちゃんも同じ気持ちだよ」
「香澄の言うとおり。まあ、細かいことは気にしない気にしない」
クリスティーヌの呟きに、小声で答える紫苑に六花と香澄。最後の瑞穂だけは普通の声の大きさであった。
それまで、クリスティーヌの様子から伯爵家の者だということを、まだ知られたくないのだろう彼女のことを考えて、六花達四人は少し離れた席に座る他の受験生達に聞こえない程度の声を出していた。しかしそれも、伯爵家の者へと繋がる重要な単語を言う必要がなくなれば気にする必要はなくなる。瑞穂が声の大きさを元に戻した理由は、そこにあった。
「よかった。実のところ不安だったんです。今までが今まででしたから」
「私達にその不安は不要です。仲良くしましょうね」
心底安堵した表情をするクリスティーヌへ紫苑が答え微笑み、残る三人の少女もその顔に笑みを浮かべた。
そんな感じでクリスティーヌの告白については一段落といったところであったが、少しして彼女の口から別の不安が零れ落ちた。
「エルに説明を頼みましたが……親御様方は大丈夫でしょうか」
その言葉は彰弘達が自分を領主の娘だと知って態度を露骨に変えるのではないかという不安から出たものであった。
クリスティーヌ自身に経験があるわけではないが、身分を知られていない間は気軽であったその態度が、それと分かった途端に急変するという話を聞いたことがあるからだ。
ただ、そんな不安は即否定されることになる。
「ああ、あのとき『お願い』って言ってたのは、そういうことだったんだ。ま、うちの家族は大丈夫だと思うよ。ああ見えて普通じゃないし」
「瑞穂ちゃん、何を言いたいかは分かるけど、もうちょっと言葉を選んでよ。わたし達の家族なんだから」
「あはははー。まあ、クリスちゃんが不安になるようなことにはならないよ」
「うん。わたしもそれは同意する」
そう言ってお互いの顔を見て頷き合う瑞穂と香澄にクリスティーヌは目を見張る。
それから一呼吸、クリスティーヌの顔は六花と紫苑へと向けられた。
「彰弘さんならだいじょぶ」
自信満々の笑顔で欠片の躊躇もなく断言する六花に、クリスティーヌは先ほどよりもさらに目を見開く。
そんなクリスティーヌへと微笑んだ紫苑は声をかけた。
「六花さんの言うとおりですよ。恐らく今の彰弘さんなら、例えあなたが皇女だったとしても変わらないとは思います。もっとも、公の場などでは相応の振る舞いをするでしょうが」
「流石に皇女様と私では身分が違いすぎるのですが……」
驚きで口まで半開きになりそうな顔を正したクリスティーヌは、何とかそう声を出す。
十二年間を貴族の社会で過ごしてきたクリスティーヌにとって、紫苑の言葉は衝撃的であった。彼女も上級貴族である伯爵家の娘として、他の類に漏れず貴族としての教育を受けてきている。それ故に無意識の段階で既に皇女を自分よりも遙か上と認識するようになっており、その存在が相手でも変わらないということに驚いたのだ。
その後、数十秒経って驚きから復帰したクリスティーヌであったが、不安の表情はまだ消えていなかった。
そんな伯爵家の令嬢の様子を見て「それならば……」と紫苑が口を開いた。
「この入学試験が終わりましたら、実際に確認をしてみてはどうでしょうか? 間違いなく大丈夫だということが分かると思います。きっと笑顔を見せてくれます」
表情が冴えないクリスティーヌを見て、この場でこれ以上は難しいと判断した紫苑は、実際に確かめるしかないと考えたのである。これには残る三人も同意していた。
出会ってから僅か一日。それも実際には二時間程度の付き合いしかないのだ。声を出した紫苑のみならず他の三人も、ここでどれだけ言葉を重ねようと今のクリスティーヌの不安を払拭できるものではないことを理解していたのである。
なお、このことは入学試験が終わった後、紫苑がクリスティーヌのいる前で彰弘と、瑞穂と香澄の家族に確認をする。その結果はクリスティーヌの望んでいたものであった。
クリスティーヌが領主であるガイエル伯爵家の娘云々の話題から一時間と少し、少女達はお互いのことで談笑をしていた。そんな中で、ふと思いついたように瑞穂がある話題を出した。
それは……。
「何となく思ったんだけどさ。クリスちゃんって伯爵の令嬢じゃない。もっと誰かしら話しかけてきてもいいような気がするんだけど」
という、ある意味で地雷となりかねない類のものである。
しかしその話題についての反応は、「ふふ」っという笑い声であった。
声を出した本人へと残りの四人の少女が注目をする。
笑い声の主はクリスティーヌであった。彼女は自分に視線が集中したことに少し驚きを顔に表したが、再び笑顔を浮かべると口を開く。
「多分、私の名前を知ってはいても、今の私がそれとは気が付いていないのだと思います」
小首を傾げる四人へとクリスティーヌは言葉を続ける。
「昨日もそうでしたけれど、今日も比較的地味な格好をしているでしょう? 後、いつも外に出るときはエルに結ってもらっている髪も、昨日今日とそのままおろしているだけなんです」
そんな伯爵家の令嬢の言葉に、瑞穂の口から「今あたしは貴族の片鱗を見た気がする」、そんな音が漏れた。
確かにクリスティーヌの格好は地味と言えば地味である。ただそれは華美な装飾がない、落ち着いた色をしているというだけだ。暖かそうなセーターも膝丈のスカートも、そしてソックスやシューズまで素材も作りも一級品である。ついでに言えば髪もただおろしているのではなく、丁寧に櫛が通され綺麗に整えられていた。
つまり伯爵家の令嬢の地味というのは、一般人からしたら地味云々で語れるようなものではないということである。
なお、残る四人の服装はというと、六花はセーターにキュロットスカートで紫苑が女性用の黒色のスーツ、瑞穂と香澄は中学の制服であったブレザー姿であった。
ともかく、このような感じで五人の少女が談笑していると、これまでも何度か開かれ閉じられた教室の出入り口である引戸から音が聞こえてきた。
そして、その音を立てた人物が声を出す。
「お待たせしました。百九十四番ドリム・アスト君、百九十五番ピエス・リソニー君、百九十六番サターン・セグエルさん、百九十七番エクスボ・マイソクル君。そして、百九十八番クリスティーヌ・ガイエルさん、面接を行いますので私の後に付いてきてください」
名前を呼ばれた者は順番に立ち上がり、名前を呼んだ案内人の下へ歩み寄る。
その光景は別にこれといったことはない。しかし、最後にクリスティーヌの名前が呼ばれると、それまであった多少の話し声がピタリと止まり、直後に先ほどまでに倍するざわめきが起こった。
思わず瑞穂が「おおう」と声を出すほどには劇的な反応である。
その様子に苦笑を浮かべたクリスティーヌは軽くため息をつく。自分に対するこのような反応には、既に諦めがついているものの、やはり思うところがあるのだ。しかし、今は自分に他意のない笑顔を向けてくれる友達の四人がいた。
クリスティーヌは苦笑ではない笑みを浮かべ友達となった四人に目を向ける。そして「行ってきますね」と声をかけた。その言葉に返ってきたのは、予想と違わぬ笑顔と「いってらっしゃーい」という声である。彼女は朗らかな微笑を浮かべ立ち上がると、速くも遅くもない普通の歩みで案内人に近寄り「お願いします」と一礼してから教室を後にした。
教室の引戸が閉められるまでクリスティーヌの後姿を見送っていた六花達四人は、つい先ほど教室でおきた受験生達の反応についてを口にする。
「クリスちゃんも大変だわ」
「うーん、伯爵家って貴族の中だと真ん中くらいだよね? どうしてここまで反応があるんだろ?」
「んっとね、多分ガイエル伯爵家がちょっと特殊だからだと思う。去年の見学の次の日に図書館行ったんだけど、そこにあった本によると『サンク王国建国時に多大な貢献をした』、『王家との繋がりもある』、『人口と豊かさ共に国内有数』、とかとかで侯爵でもおかしくないみたいなことが書いてあった」
「六花さんの言うとおりのようです。簡単に表すのなら『並みの伯爵家ではない』といったところでしょうか。もっとも、伯爵家というだけで並ではないのでしょうけど」
瑞穂と香澄の二人は、六花と紫苑の話を聞いて暫し真面目な顔で黙考する。しかし、すぐに二人して笑みを浮かべた。
とりあえず今は、クリスティーヌの友達であるというだけでよいと結論に至ったためだ。貴族というのを全く考えないのもいけないのだろうが、それと友達は別であると彼女達は思ったのである。
「それはそうと……少々鬱陶しいですね」
背後に受ける視線と聞こえてくるヒソヒソとした声に紫苑は眉を寄せた。
その顔に六花はこくこくと頷き、瑞穂と香澄は苦笑を浮かべる。
「気にしない気にしない。何となくだけど、この教室にいる人達とは親しい友達にはなりそうもないし」
「わたしも瑞穂ちゃんに賛成。まあ、聞こえてくる半分以上が紫苑ちゃんで、残りの三分の二が六花ちゃんのこと。で、その残りがクリスちゃんと瑞穂ちゃんにわたしだから、二人が気になるのも分からなくはないけどね」
苦笑を浮かべたままで、そう言う二人に六花と紫苑は顔を見合わせた。
聞きたくなくても聞こえてくる話題の半分が紫苑なのは、クリスティーヌ本人である人物と遜色ない立ち居振る舞いで、尚且つその服装のせいだ。六花については学園入学年齢に達しているのか不明なその容姿が関係している。瑞穂と香澄は外見的に普通に見えることから、それほど話題には上がっていない。
なお、今の状況を作り出す切っ掛けとなったクリスティーヌについてが少ないのは、彼女と対等に話をしていた四人が教室に今いるためであった。
「軽く、ひと睨みしておきましょうか」
「ん。賛成」
「効果がなかったら、昨年のヒュムクライム相手と同等レベルへ」
「ん。了解」
六花と紫苑は顔を見合わせたまま会話をし、徐々にその目が細く鋭くなっていく。
その様子を机に肘を着いて頬杖をついて見ていた瑞穂は思わず声を出した。
「二人共目立たないようにするんじゃないの!?」
「そうだよ。そんなことしたら入学前から目立っちゃうよ?」
瑞穂に続いて、きちんとした姿勢で座って見ていた香澄も声を出す。
それに答えたのは紫苑であった。
「よくよく考えてみれば、目立つのは早いか遅いかの差だけでした。元日本人ということ、穏姫さんの称号にクリスさんの友達、この学園に入学して目立たない要素がありません。そこに多少の恐怖が加わったところで対して違いはないと思いませんか? 勿論、魔法については極力目立たないように全力を尽くしますけども」
紫苑の口から出たその内容に、瑞穂と香澄の二人は少し考え「確かにそうか」と納得する。
だがしかし、恐怖を与えるのはいろいろと別物であった。軽く睨むくらいならば然したる問題はないが、その後は今後の影響が大きすぎる。紫苑が言う『ヒュムクライム相手と同等レベル』ということは、つまり相手に向けて冗談抜きの殺気を向けるということだ。現状たいした被害を受けたわけでもないのに、流石にそれはやりすぎである。目立つ目立たない以前の問題であった。
「とりあえず二人共落ち着こ? そんなこと今しちゃったら、間違いなくクリスちゃんに迷惑がかかるから」
「う、言われてみればそうかも」
「確かにこの程度のことで迷惑をかけるのは良くありませんね」
「そうそう、そうだよ。それに多分もうすぐ帰ってくるし」
瑞穂と香澄の言葉に、六花と紫苑の目が幾分穏やかになる。
そして、それと同時に教室の戸が引かれた。
面接を終えた、先ほど出て行った受験生達が帰ってきたのである。
瑞穂と香澄は教室の出入り口へと顔を向けほっと一息つく。二人の目には、穏やかな笑みを浮かべて歩いてくるクリスティーヌが天使に見えていた。
なお、もし仮にヒソヒソとした声の話題の中心が瑞穂と香澄だった場合、その解決策は先ほどまでの六花と紫苑が取ろうとした行動と同じとなる可能性がある。性格がそれぞれ違うこの四人ではあるが、何だかんだでその考え方は非常似ているのであった。
その後、一組を間に挟んで六花達四人の面接の番となった。
クリスティーヌに送り出された四人は、何事もなく面接の時間を終わらせることに成功する。
残すは魔法能力の試験のみ。
特盛りの定食を平らげた四人と普通盛りの定食を食べた一人は、心身ともに万全の状態で試験会場へと入場するのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
二〇一六年 一月十六日 二十一時三十分 追記
前話(3-19.)の最初の方に避難拠点とグラスウェルを繋ぐための防壁についての説明を追加。