3-12.
契約前のアルケミースライムがいる部屋に案内された彰弘達は、その部屋の光景に驚愕する。
そんな驚愕から立ち直った彰弘達は自らが良いと思う固体と契約を行うべく行動を始めた。
やがて、彰弘を含む残りの面々も無事に相性の良い個体を見つけることに成功するのだった。
契約可能なアルケミースライムと巡り合えた彰弘達は契約を行うための部屋にいた。
その部屋には、小瓶が入れられた大きめの戸棚が一つ、九組の机と椅子、そして壁に備え付けられた黒板があるのみだった。
「うーん、これで教壇があれば、ここは狭い教室だね」
縦に三、横に三と並んでいる机と組になっている椅子の一つに座った瑞穂が部屋の中を見回しながら声を出した。
「出入り口の扉の形状が違うことと、窓ガラスと教壇がないことを除けば、確かに似ていますね」
同意の声を出したのは紫苑だ。綺麗な姿勢で椅子に座り、部屋の隅々まで観察するように視線を動かしている。
残りの四人もミールに言われて椅子に座った後、言葉には出していないが瑞穂と紫苑の言葉と同じ感想を持っていた。もっとも、グレイスは日本の教室を知りはしないので、彼女の頭に浮かんだのは自身が過去に通っていた学園マギカの教室であったが。
「それでは皆さん、契約に必要な小瓶を配りますので、それぞれアルケミースライムをその中に入れてから、小瓶に魔力を流してください」
彰弘達を着席させた後、戸棚へ向かっていたミールはそう言ってから、戸棚から取り出した小瓶を配り始めた。
スクリューキャップ式のその広口小瓶の大きさは高さが十センチメートル、直径が五センチメートルの円筒形をしている。材質は不明だが透明色で非常に丈夫そうな雰囲気を持っていた。
「一つ。どう考えても入らなさそうなんだが」
目の前に置かれた小瓶を手に取り、蓋を取り外した彰弘が声を上げた。
彰弘の肩の上でぷよぷよとしているアルケミースライムは、配られた小瓶の倍近い大きさがあったのである。
「それは大丈夫です。小瓶の中に入るように伝えれば不要となった水分を体外へと放出し、丁度良い大きさにまで小さくなりますから。とりあえず、試してみてください。一目瞭然ですよ」
彰弘はミールの言葉に「そうなのか」と独りごちると、肩の上の濃い桃色をしたアルケミースライムに掌を当てて、小瓶の中に入るように魔力を通して伝えた。
合図を受けたアルケミースライムは一度ぷるんと身体を揺すと、彰弘の肩から腕へ、そしてその先の手まで移動し、彼の手に持たれたままの小瓶の口へと徐々に入っていった。だが、やはりそのままでは全ては入りきらず、アルケミースライムは身体の半分を小瓶に入れたところで一度止まった。しかし、すぐに再度ぷるんと揺れる。すると、小瓶の中に入っていなかった部分が段々と小さくなっていき、数秒後には身体の全てが小瓶に中へと収まった。
「おお」
彰弘は思わず声を出す。
その声は小瓶に収まったアルケミースライムが、水分を放出して体積を減らしたようにはとても見えず、それなのに無理に見えた小瓶へと収まったことについての驚きの声であった。
勿論、アルケミースライムは自身を構成している成分の一つである水を放出して体積を減らしている。ただ、放出する水は純粋な水蒸気であるため、彰弘にはそれが分からなかったのである。
「では、小瓶に魔力を流してください」
彰弘を含め、その場の六人全員が小瓶にアルケミースライムを入れたのを確認したミールはそう言葉を発した。
それに従い、彰弘達は小瓶を手に持ち魔力を流し始める。
やがて、まずグレイスの手にある小瓶が、正確にはその小瓶に入っていたアルケミースライムが発光した。
発光した前と後でアルケミースライムに外見的な変化は見られない。そのため、グレイスは小首を傾げたが、まだ残りの五人が魔力を注いでいる最中だったので、暫く周囲の様子を観察するに止めた。
グレイスのアルケミースライムの発光から数分、六花、紫苑、香澄、瑞穂の順で、それほどの間を置かずに、彼女達のアルケミースライムが発光する。そして、さらに数分後、彰弘のアルケミースライムが発光した。
「おめでとうございます。皆さんの、アルケミースライムとの契約は完了しました」
彰弘が一つ息を吐き出し、落ち着くのを待ってからミールが契約完了の言葉を出した。
アルケミースライムとの契約にかかる時間は魔力操作の熟練度とその者の性質によりそれぞれだが、グレイスと少女達は文句なく早いと言える。彰弘にしても、その五人より時間はかかったが、それでも早い部類であった。
「それでは、続けて契約後のアルケミースライムについての講習を行います。難しいことではないので気軽にお聞きください。なお、質問に関しては講習の最後に纏めてお聞きします」
ミールはそう言うと、彰弘達六人が頷くのを確認してから、チョークを持って黒板に何やら書き始めた。
少し経って、ミールは彰弘達へと向き直る。
「まず、アルケミースライムは生物です。そのため、定期的に餌を与える必要があります。そして、その餌ですが……一番楽なのは身体を洗った後の水でしょうか。アルケミースライムの養分となるものは生物の老廃物などです。後、当然ながら水も必要です。つまりは、そういうことです。あ、水の温度はそれほど気にする必要はありません。人が触れれる水の温度であれば、アルケミースライムにとっても害のない温度ですから」
ミールは一度言葉を区切り、話を聞く六人の顔を順に見る。特に表情に変化がないことを確認すると言葉を続けた。
「勿論、身体を洗った後の水以外は駄目ということはありません。ぶっちゃけると、外に出して暫く放置していれば勝手に落ちている老廃物などを摂取して必要量の養分を補給します。アルケミースライムが生きるために必要な養分は極僅かですから、それで十分なのです。後は水分ですが、これに関しても極端に湿度の低いところでなければ、近くに水場がなくても空気中の水分を吸収して何とかします。ああ、餌は月に一度は与えてください。数箇月は何も与えないでも死ぬことはないですが、あまりに長い期間餌を与えないと最終的には死んでしまいますから。なお、毎日餌を与えたとしても、それが原因で大きくなったり分裂して増えたりはしないので安心してください。加えて言うと、アルケミースライムが取り込める老廃物などの量は個体差はありますが、平均すると大体一立方メートルです。当然、その小瓶から出た状態のままでは無理です。多く取り込みたいときは水を与えてアルケミースライムの体積を増やしてください。小瓶に戻るときに時間がかかってしまいますが、水を多量に与える影響はその程度です」
この部屋で新たに契約したアルケミースライムはそれぞれ特徴がある。
彰弘が契約した濃い桃色となった個体は、契約完了後すぐに小瓶から出て彼の肩の上でゆっくりと揺れている。
六花が契約した水色の個体はその頭の上で、瑞穂の方は肩の上で忙しく動いている。契約者本人の動きに合わせて動いているためか、二人はアルケミースライムのその動きを気にして、ミールの話を聞き逃すことはないようだ。なお、瑞穂の契約した個体の色は青色である。
紫苑と香澄の契約した個体はよく似ている。双方共に小瓶の口から身体を一部だけだして静かにしている。その色は鮮やかな橙色だ。
最後にグレイスが契約した空色の個体だが、こちらは小瓶から出て机の上で揺れていた。時折、グレイスの手に振れ、その存在を確かめるように動く。そんなアルケミースライムに手を触れられた彼女がお返しとばかりに指で突くと、その個体は嬉しそうにぷるぷると震えていた。
「では次です。アルケミースライムの用途は汚れの除去です。冒険者の方でしたら、依頼の最中の身体を綺麗にするなどが主な用途となるでしょうか。この際、身体の表面なら単に汚れを落とせを伝えるだけで間違いなく動いてくれますが、中の場合は注意が必要です。単純に『身体の中を綺麗に』と伝えた場合、アルケミースライムは本当にその通りに行動してしまいます。詳しく説明するのは少々憚られる内容ですので、これは後でお渡しする冊子を確認してください。あ、そうです。アルケミースライムが取り込んだ汚れは有機物については全て吸収されますが、無機物はその種類ごとに分けられて排出されます」
身体の中と聞いた彰弘は僅かに眉間に皺を寄せ、少女達は治療院での出来事を思い出す。グレイスは、ミールの言葉だけでどのようなことになるのか理解したのか、顔を俯かせた。
ちなみに、ミールが付け加えるように言葉にしたアルケミースライムに取り込まれた物がどうなるかは、この後宿屋に帰り冊子を読んだときに「そういえば言ってたな」と思い出すことになる。
ミールの説明は続く。
「さて、これはお願いでもあるのですが、先ほど言いましたように、アルケミースライムの用途は汚れの除去です。これは身体の汚れを取るだけでなく、あらゆる物の汚れを取ることができます。具体的に説明します。このグラスウェルがあるライズサンク皇国、そして隣合うノシェルとサシールの両公国にある一定以上の規模の街では、上中下水の全ては魔導具による処理が行われています。水の処理については魔導具で問題はありません。ですが、処理をすると魔導具はどうしても汚れてしまいます。そして、その汚れは落とさないと魔導具の処理能力の低下、果ては使用不可能になってしまいます。水処理の魔導具は高価であるため、定期的な洗浄で使用可能期間を延ばすのですが、水の処理ということで作りが非常に細かいため、人の手での洗浄ではどうしても汚れが残ってしまいます。ですので、可能な限りアルケミースライムによる洗浄を行って欲しいと要望があります。当神殿でも要請があれば洗浄に向かうのですが、来るのがグラスウェルの処理場からのものだけとはいえ、五十万の人をかかえる街の処理場です。当然全ての魔導具を洗浄することはできません」
ミールは一息入れてから、また口を開いた。
「ああ、長々としていまい、すみません。簡単に言うと冒険者ギルドへと処理場から魔導具の洗浄の依頼が出ます。と言うか、ほぼ常にでているはずです。もし、その依頼を見つけたら受けて欲しいのです。依頼に対する報酬の悪くなかったはずです。お願いします」
そう言って、ミールは頭を下げた。
そんなミールの姿に彰弘達は一様に考えを巡らす。そして、少し経ってからグレイスが口を開いた。
「そういえば、そんな依頼もあった気がします。確か、ランク不問で条件はアルケミースライムの契約者。報酬は魔導具一つにつき……高かったのだけは覚えてますね。自分達には関係なかったので詳しく見ていませんが」
「報酬が高いってことは大変なのか、その依頼を受ける人がいないってことですよね?」
ミールの話とグレイスの言葉を聞いた香澄が、そんな疑問を口にした。
それに答えたのはミールである。
「報酬の理由は後ろの方ですね。アルケミースライムとの契約は、あなた達より少し劣った程度には魔力操作の腕が必須です。そのため、契約者自体が少ないのです。なお、アルケミースライムと契約している人にとって、その魔導具の洗浄は難しいものではないですよ。何しろ洗浄をするのはアルケミースライムですからね。私達は指示を出した後は待っているだけです。人の手で洗浄をするとなると、誤って魔導具を壊す可能性のありますが、それもありませんし」
グラスウェルにいる現役の魔法使いの数は一千人弱。これは、とりあえず魔法を使えるというだけの者も含んだ数だ。そして、その中で熟練以上、つまりアルケミースライムと契約できるだけの実力者は一割程度しかいない。加えて相性というものもある関係上、アルケミースライムとの契約ができている者は実際には数十人といったところだ。
一応、現役ではなく冒険者を引退した老魔法使いや、メアルリア以外の神職でもアルケミースライムと契約している者はいるにはいるが、それでも絶対数は足りない。足りないからこそ、冒険者ギルドへ依頼が出されているのである。
「いい話を聞いた! これで学園に通うようになっても、小遣い稼ぎができる!」
「うんうん。卒業して、彰弘さんと一緒に行くときの旅支度も自分で稼いだお金でできるよ!」
瑞穂の言葉に六花が理解を示す。そんな二人のアルケミースライムは、主人の意図を読み取ったのか、それぞれ肩と頭の上で一層激しく動き出した。
「瑞穂さんも六花さんも、まだ入学することができるかも分からないのに気が早いですよ」
「そうだよ。でも、そうだね。やっぱ、頼りきりじゃ駄目だよね。うん、私もがんばろ」
テンションを上げる六花と瑞穂を諭すように声をかける紫苑と、胸の前で両手で拳を作り気合を入れる香澄。どちらも、その顔には笑みが浮かんでいた。
そんな中、ふと瑞穂が小首を傾げた。
「あれ? 香澄、いつ一緒に行くことに決めたの?」
そう、香澄は治療院で彰弘が目覚めた後の話で、家族を探しに行く彼に同行するかしないかの話題になったときに唯一判断を保留していたのである。
「え? 瑞穂ちゃん忘れたの? 穏姫ちゃんと会ったときだよ。避難所に帰ってきてから、お父さんとお母さんにも話したじゃない」
「おお、そうだった」
「そうだったんですね。良かった」
「わーい、一緒に行けるー」
香澄の返答に瑞穂は頭を掻きながら笑い、香澄は「もう」と呆れたような笑みを浮かべる。
そんな二人に紫苑と六花は喜びの言葉を口にした。
そして、それから誰も止めなかったために、少女達は雑談を始めたのである。
◇
少女達が雑談に花を咲かせる横では大人達が会話をしていた。
「説明の途中だったと思うが、いいのか?」
笑みを浮かべた顔で少女達を見ていた彰弘は近付いてきたミールへと、そう声をかけた。
「構いませんよ。説明で残すところは、後一つ。講習内容としては、その残った説明と契約後のアルケミースライムを実際に動かしてもらったら終わりですから、少しくらいは構いません」
彰弘へと言葉を返したミールも笑みを浮かべて少女達へと視線を送る。そうしてから、再び口を開いた。
「それにしても、学園に通うとか一緒に行くとか、何のことなんですか?」
「それは私も聞いてみたいところです。とは言え、プライベートなことですから無理にとは言いませんが」
ミールの言葉にグレイスが乗る。
どうやらグレイスは相当気になっているらしい。彼女のアルケミースライムが、先ほどよりも彰弘の座る方へと近付いていた。
「隠すようなものじゃないな。もっとも、あの子達の考えとかは知っていても話さないからな」
彰弘はそう伝えてから、学園のことと一緒に行くことについての話を始めた。
話を聞き終わったグレイスとミールは沈黙する。
やがて、ミールが口を開いた。
「あの実力で学園に通うとか、意味があるのかと思いましたが、そういう意味があったんですか」
「避難拠点ではあの子達と同じ年代の子は少なかったですね。加えてあの子達は避難拠点に着いてすぐに動き出しましたから……その影響もあって、他の子達と溝ができた。子供同士でしか経験できないことを経験させるには、学園に通わせるのが一番かもしれません」
ミールの後に言葉を続けたグレイスに彰弘は頷く。
そして、いつの間にか少し離れた場所へ移動して雑談を続けている少女達を見た。
「あの子達には、そのことは伝えてないけどな。まあ、そんな訳だ」
もしかしたら、あのときの六花と紫苑が気付かなかった彰弘の真意を、今の二人は気付いているかもしれない。それでも、特に彰弘へと何も言わないところを見ると、その真意をも汲み取って学園へと通うことにしたのかもしれない。
勿論、瑞穂と香澄が一緒に通うことになるだろうことも影響しているだろう。この二人が両親からどう言われて学園に通うことにしたのかを彰弘は知らない。しかし、二人の両親の様子を見るに、彰弘の考えとそうは違わないことは確かであった。
なお、『彰弘と一緒に行く』の内容の方は、グレイスとミールの口から出ることはなかった。少女達の実力は分かっているし、旅に出るのも数年後ということで、口にする必要はないと考えたからであった。
◇
少女達と大人達がそれぞれの会話を打ち切ったのは、少女達の雑談開始から十数分後のことであった。
「では、最後の説明を行います」
黒板の前に戻ったミールはそう言うと椅子に座る六人を見た。
少女達は、ばつが悪そうな顔で少しだけ俯いている。彰弘とグレイスは若干苦笑気味だった。当然、ミールも顔には出していないが内心では苦笑している。何せ、雑談をしていたのは自分も同じだったからだ。
とは言え、今はそれよりもアルケミースライムについての最後の説明をする必要がある。
「最後は、契約前と後でのアルケミースライムの変化についてです」
この内容は紫苑が気になっていたことであった。
契約前のアルケミースライムは『汚れを落とす』以外の意思はないとミールは言っていた。つまり、それは契約後はそれ以外を持つということではないだろうかと紫苑は考えたのである。
「変化と言っても、姿形や体質が変わることではありません。違いは、相性に表れます。契約後のアルケミースライムは、その契約した人が指示しない限り他人に近付くことがなくなります。例えば、契約前のあるアルケミースライムと相性が良い人が三人いたとします。この場合、契約前のアルケミースライムは三人の内どの人にも近付く可能性があります。しかし、いざ契約をしてしまうと、その契約をした人以外へは近付くことがありません。先ほども言いましたが、契約した人が指示を出さない限り別の人へ近付くことがなくなるのです。なお、契約した人が、誰かに無理矢理指示をさせられた場合でも、アルケミースライムは指示の先の人へは近付きません。契約後のアルケミースライムは、契約した人が無理矢理させられているのか否かを判断することができるからです。しかし、この場合は唯一の例外が発生することがあります。この無理矢理指示を出させた人が契約した人を害しそうな場合は、アルケミースライムは全能力を使って、その人を排除しようとします。以上です。何か質問はありますか?」
ミールは暫く無言で六人の顔を見回す。そして、今は特にないようだと判断すると講習の締めとなる、アルケミースライムに指示を出して動かすという実践に移ることにしたのだった。
講習を終え契約にかかった料金を支払った彰弘達は、ミールの案内で神殿の出入り口まで来た。そして、何かを忘れていると思いつつも受付にいた侍祭のジースに挨拶をしてから神殿を後にした。
アルケミースライムの契約のため地下へ向かうときに、グラスウェルのメアルリア神殿最高責任者である司教のゴスペルと模擬戦を行うと言って別れたガイのことは、神殿から宿屋へ向かう道の半ばまで思い出すことができなかった彰弘達であった。
お読みいただき、ありがとうございます。
便利生物アルケミースライムの説明回をお送りしました。