3-11.
祈りを終えた彰弘は見知らぬ男に声をかけられる。その男はグラスウェルにあるメアルリア神殿を取り仕切る司教であった。
その後、少しの間、司教と話をしてから、彰弘達は本来の目的であるアルケミースライムへと向かうのであった。
ミールの後に続いて扉を潜り抜けた彰弘達が入った先は、棚が一つと机が一つ、それと壁に何らかの装置が付いているだけの部屋であった。
その場で彰弘達は、ミールによる再度の入退室記録の説明を受け、ついでと言う訳ではないだろう、アルケミースライムとの契約には必須な魔力操作の可否も確認された。それから、その部屋に備え付けられた魔導具で入室手続きを行ったのである。
魔導具による入室手続きと言っても難しいものではない。壁に設置された魔導具の読み取り部に身分証を触れさせるだけだ。それより入退室の記録を行う魔導具へと身分証に保存されている氏名が入室の情報と共に保存される。
退室時の手続きも入室するときと同じだ。違うのは、魔導具に保存された入室したという情報が退室したという情報に書き換わることであった。
入室手続きを終え先に進んだ彰弘達は、横幅は三メートルほどで長さが二十メートルほどある廊下へと入る。
その廊下には全部で五つの扉が見える、左右に二つずつ、正面に一つだ。正面は窓がない扉しか見えないため、その中の様子を窺うことはできない。しかし、左右にある四つの部屋は、廊下との間を仕切っているものがガラス窓付きの壁であったため、部屋の中の様子を見ることができた。
なお、このメアルリア神殿の地下室は基本石材を使用して作られている。しかし、様々な魔導具や、石材自体に施された付与魔法により季節問わずに快適な空間に仕上げられていた。
ちなみに、一部例外を除いて付与魔法も永続の効果はない。そのため、メアルリア神殿では信徒達が自身の魔力を、または魔石を使い、日々の快適さ維持していた。
ともかく、このような状態のメアルリア神殿の地下にある契約前のアルケミースライムが生活する場所へと、彰弘達は足を踏み入れたのである。
廊下のある場所へ入って彰弘達は足を止めた。ガラス窓から見える部屋の中の様子が何とも異様だったからだ。
「おっふ、カオス」
「よくあれで平然としていられますね」
「うわー、あの人なんか腕と顔しか出てない」
「あ、あっちは頭の上で跳ねてます」
驚愕の表情の少女達の口から感想と目に見えた事実が零れる。
彰弘達から向かって左側、その手前の部屋では、思い思いの場所でぷるぷる震えていたり、だらーっと床に広がっているアルケミースライムがいた。ただ、こちらは内実はともあれ見た目はのんびりという感じであった。
しかし、右側手前の部屋の中は正に少女達の言葉通りの光景が広がっていた。その部屋は一見するとどこかの事務所のように見える。幾つかの机と椅子があり、そこでは信徒達が何やら事務仕事をしていた。だが、アルケミースライムがいるせいで、少女達の言葉の通りの場所となっていた。
「一つ聞いてもいいかな? あれは振りじゃないのか?」
彰弘は平然と部屋の中を見るミールへと声をかけた。
あそこまで、アルケミースライムに集られたりしながら事務仕事などができるのかという思いから出た言葉である。
「違いますよ。見た目はあれですが仕事はできています。重要なものについては地上の別室で対応しますけどね」
ミールは笑みを浮かべると彰弘にそう返した。
メアルリア教団の知識もアンヌの魂の一件により、ある程度持っていた彰弘であったが、この状態は記憶になかった。戦い方などの情報を優先したために、それ以外はたいして覚えていなかったのである。
「仮にそうだとしても、全部その別室とかでやった方が効率良くないか?」
「確かに事務仕事だけで言えば、そうなのですけどね。ただ、アルケミースライムの世話だけでは時間が余るんです。加えて言うとメアルリアは他のところよりも人手が少ないので、やることを掛け持ちする必要があるんですよ。その結果が、今の状態なのです。創始以来不具合もありませんし、まあ気にせずにいてください」
「そうか。別に立ち入ろうとしたわけじゃないから問題ないならいいんだけどな」
ミールに向けてた顔を再び彰弘は右側手前の部屋へと戻す。そこでは相変わらずアルケミースライムに集られながら信徒が事務仕事を行う光景があった。
「まさか、この部屋だとは思わなかったなー」
ミールに案内され部屋に入り、開口一番瑞穂が何の捻りもない言葉を口にした。
驚愕から立ち直った彰弘達は、それを見て取ったミールの案内により契約が可能なアルケミースライムの下へ案内されていた。しかし、その部屋は先ほど彼らがその光景を目にし驚きを表すこととなった右側手前の部屋であった。
「産まれたてのアルケミースライムは、本当に汚れを食べるだけの存在です。その状態の個体は左奥の部屋にいます。そして、少し成長してそれぞれの個体ごとに特徴が出てくるようになると、左側手前の部屋です。ここでは契約が可能な状態になるまで成長させます。合わせて人に慣れさせるということもやっています。そして、成長し適度に人に慣れ、契約が可能なまでに成長した個体はこの部屋に移される訳です。ここでは単純に契約までの間、飼育しているような感じになりますね」
彰弘達の視線を受けながら、この地下の区画にある各部屋の説明をミールは口にした。
なお、左奥の部屋はこの区画で働く信徒達の仮眠室で、一番奥の部屋は契約を行うための部屋である。
「さて。では、それぞれ好みの個体を探してください。先ほども言いましたように、気に入った個体に触れて簡単な命令と共に魔力を流して、それにその個体が答えたら契約ができます。とりあえず、それができたら答えたアルケミースライムと一緒に私のところへ戻ってきてください」
ミールが話し終わると、少女達はお互いに頷き合う。そして、早速と行動を開始した。
「実は外から見たときに気になってる子がいたんだよねー」
瑞穂はそう言うと、一直線に目的の個体へと向かって歩き出した。
「おおう、わたしもです」
どうやら六花も決めていたようだ。彼女は瑞穂とは違う個体を目指して足を進める。
紫苑と香澄はそんな二人を見てから、再度お互いに顔を合わせた。
「香澄さんは、どのスライムにします?」
「んー、わたしはおとなしい子がいいかなー」
瑞穂と六花が目指した先にいる、ぴょんぴょんぷるぷると他の個体よりは頻繁に動くアルケミースライムを見ながら、香澄は自分の考えを口にする。
「ふふふ、そうですね。私も同じです。契約した後で変わるのかは分かりませんが、できれば静かな方がいいです」
「じゃあ、そういう訳で……紫苑ちゃん、わたし達も行こう?」
「はい。行きましょう」
そんな会話をしてから、紫苑と香澄も自分に合った個体を見つけるために動き出した。
部屋の状態に驚愕をしていた少女達だったが、それはそれ、アルケミースライムへの興味は高かった。それに加えて、実際に今まで何度かその姿を見ていたことも、少女達が躊躇わず動く結果に繋がっていたのである。
部屋の中で事務仕事をしていた信徒達は、そんな少女達の姿に一旦その手を休め目を向けた。その顔には微笑みが浮かんでいた。
さて、積極的に動き出した少女達とは対照的に彰弘とグレイスはその場で立ち止まったままであった。
彰弘を見ると何かを探すように部屋の中を見回しており、グレイスはというと思案気な顔でこれまた部屋の中を見回していた。
「お二人も遠慮なさらず、移動して見ても構いませんよ」
少女達の動きを少しの間、見ていたミールは未だ動きを見せない大人二人に向かって声をかけた。
「ああ、俺のことはとりあえず気にしないでくれ。一応、目的の個体はいるんだが、それを探しているだけだから。何かあったら相談させてもらう」
ミールの言葉に反応し、そう返した彰弘は再び部屋の中を見回し始めた。
一方、グレイスはというと、ミールの声に言葉を返すでもなく先ほどと変わらぬ様子で部屋の中を見ていた。
「グレイスさん、どうかしましたか? 何か、ご質問でもあればお答えしますが」
ミールは改めてグレイスに声をかける。
すると、声をかけられた本人は少々硬い動きでミールへと顔を向けた。
「このアルケミースライムは、どちらの種類なんでしょうか?」
グレイスの口から出た言葉に、ミールは一瞬疑問を顔に浮かべるが、すぐに何を聞いてきているかを理解した。
この世界のスライムは大きく分けると二種類に分けられる。固定された外見を持たない液体状のものと、固定された外見をもつゲル状のようなものの二種類だ。
違いは養分とする物質を溶かす過程にある。前者はその設置面全てで物質を溶かし養分を吸収するのだが、後者は一度自らの身体の中に全て取り込んでから溶かし養分を吸収するのである。
そんな二種類のスライムの共通点は、有機物を溶かし分解することで自らに養分を取り込み生きていることと、滅多なことでは生きている生物に襲い掛かることはないことであった。
少々脱線したが、何故グレイスが種類を確認したのかが、このスライムの性質にあった。部屋の中のアルケミースライムが、信徒に集っている個体以外では液体状に見える個体もいたのだ。滅多なことでは襲ってこないスライムであっても、もし液体状のスライムであるならば触れた瞬間に溶解を開始する。その溶解速度は遅々としたものではあるし、火を近づければ直ぐに離れていくものであると知っていても、やはり自分が溶かされるという経験などしたくはなかった。つまり、グレイスは万が一を考えたのである。
なお、グレイスはそんなことを考えていながら早速と動き出した少女達に注意を行わなかったの。それは唯一人部屋の光景による驚愕から抜け出すのが遅れ、事態に付いていけなかったからである。この後、宿屋に戻ってから彼女はこのときのことを大いに反省した。とても、ランクCの冒険者とは言えない状態であったからであった。
ともかく、ミールはそんなグレイスの考えを読み取り口を開いた。
「それでしたら心配は要りません。アルケミースライムは身体を変化させることができる幅が広いので体表面全てで吸収するタイプにも見えますが、実際は体内に取り込んで吸収するタイプです」
「あ、そうなんですね。それでは私も探しに行ってきます」
グレイスは安心した顔をすると、一つ頭を下げてから思い思いに動いたり広がったりしているアルケミースライム達の中へと入っていった。
その様子を見ていたミールは思わず声を出す。
「アルケミースライムくらいは宣伝してもいいかもしれませんねー」
「信徒獲得のための勧誘とかはしていないみたいだが、これについても何もしていないのか?」
目的の個体を探しながら何となしに二人の話を聞いていた彰弘は、ミールのその声に疑問をぶつけた。
「ええ、ある程度の魔力操作ができて、尚且つ相性もある訳ですから、宣伝したとしても契約者が増大することはないと、何もしてきてないのです。ただ彼女を見て、もしかしたらアルケミースライムがどのようなものかを知らないから、契約者が少ないのではないかと思いまして」
「まあ、信徒でもない俺が口を出すのはどうかと思うが、少しくらいは宣伝してもいいんじゃないか? 勿論、宣伝することがマイナスになるんじゃ意味がないけど、そうでないなら試して見てもいいと思うけどな」
「そうですね。今の融合後の状態が落ち着いたら上に話してみます。ところで、見つかりましたか?」
彰弘の言葉に同意したミールは、そう言えば彼は探していた個体を見つけたのだろうかと思い出し尋ねた。
それに対する彰弘の答えは首を横に振る動作だった。
「差し支えなければ、その個体の特徴を教えてください。私も一緒に探しましょう。女の子達は既に契約できる個体を見つけたようですし、この分だとグレイスさんも直ぐでしょう」
事務仕事の手を休めた信徒達に見守られながら、それぞれが自分に答えてくれたアルケミースライムを見せ合うようにしている少女達を見て、ミールは彰弘へと言葉をかける。
「話に聞いただけなんだが、何でも色が薄い個体がいると聞いてな。それと契約できたらと思ったんだが……さっぱり見つからない。もしかして、もう別の誰かが契約してたりするかな?」
彰弘の答えに、顎に手を当てて少し考えたミールは、ややあってから口を開いた。
「色が薄い……となると、今いる中では最古参の……となると、多分……」
誰かに聞かせるというよりは、無意識に口から出ているといった感じでブツブツと呟きながらミールは部屋の中を見回す。それから暫くして、彼は部屋の四隅の内の一点をジッ見てから彰弘へと向き直った。
「お待たせしました見つけました。もし、あなたが探していたのがあの個体であるなら、そう簡単に見つかるはずもありません。何しろ、今となってはほぼ透明ですから。しかも、薄く広がって滅多に動かない。ともかく、見つけました。場所はあそこです」
ミールはそう言うと今いる場所から一番離れた部屋の角を指差した。
そこには何もないように見える。しかし、目を凝らすと何か濡れているようなそんな感じに見えた。
「あれは色が薄いとは言わないだろ……」
「言わないですね。核の色まで薄くなっていますし。ともかく、あれが一番色が薄い個体ですね。行って上げてください」
「ああ、折角だしそうするよ」
彰弘はそう言うと透明なアルケミースライムに向かった。
そんな彰弘とすれ違うように契約する個体を見つけた少女達とグレイスがミールの下に戻ってきた。
「ミールさん、見つけてきたよ」
瑞穂が自分の肩に乗せたアルケミースライムを指差しながら元気に声を出した。
残りの少女達と、そしてグレイスも顔に笑みを浮かべている。
「彰弘さんは、と。あれ? 何もいないところに向かってる?」
瑞穂と同じように頭の上に乗せたアルケミースライムをミールに見せた六花は、彰弘の姿を探し、そして見つけ疑問の声を出した。
「よく見てください。あの人の先の角、その床の部分にいます」
「んー? むー」
目を細めて六花は言われた部分を凝視する。そして「あっ」と声を出した。
六花の視力でも床が濡れているようにしか見えなかったそこが少しだけ動いた。彰弘が近付いたことによって、その透明なアルケミースライムが反応したためであった。
「あのような個体もいるのですね」
六花と同じようにして見ていた紫苑が驚きの声を出した。
そうこうする内に彰弘が透明な個体に触れることができる位置まで近付いた。それに伴い、その個体の動きが激しくなる。
彰弘はその場で片膝を着き、激しく動き出したアルケミースライムに手を伸ばし、そして、軽くその身体に触った。
透明なアルケミースライムは彰弘に触られると、動きを一度止める。しかし、またすぐに動き出した。だが、今度の動きは先ほどまでの激しいものではなく、ゆっくりとしたものであった。
彰弘は自分の手を撫でるように動くアルケミースライムに目を細めると、自分の下に来るようにとの思いを込めて、魔力をゆっくりとその個体に流し込んでいく。
すると、直ぐに変化が起きた。それまで透明と言っていい体色が鮮やかな濃い桃色へと変化したのだ。そして、色の変化が終わるとその個体は広がりきっていた自身の体を球状に纏め、彰弘の手の中に収まった。
そのとき、いつの間にか彰弘と透明色だった個体のやり取りを見つめていた部屋中の人達から驚きとも感嘆とも取れる声が漏れた。
しかし彰弘は、それらの声を気にすることなく、手の中でぷるぷる震えるアルケミースライムに一言「よろしくな」と呟く。
それから、彰弘は立ち上がる。そして、ふと思い出した。そう言えば自分にこのアルケミースライムと契約して上げて欲しいと言ってきた、メアルリアの破壊神であるアンヌの髪の色は濃い桃色だったなと。
お読みいただき、ありがとうございます。
野生のスライムについて
この世界のスライムは極端に火を恐れます。例え身体に降りかかってきても松明などの火を近づけるだけで逃げていきます。
ついでに、その身体を統制しているのは体内にある核ですが、この核も弱点です。この核は外気に触れるだけで死滅してしまいます。
このため、スライムは生きている生物を襲うことは滅多にありません。溶かしている最中に暴れられ万が一にも核にその生物の一部でも当たろうものなら、それだけで、そのスライムは死んでしまうからです。
なお、アルケミースライムは、その辺りの弱点は多少改善されています。火を近付けただけでは逃げませんし、核にも触っただけで死ぬことはありません。
一千年以上前に、とあるハーフエルフの品種改良によって生まれたアルケミースライムは、野生のスライムよりも、ずっと強い種であるのです。
ちなみに、スライムはどの種でも核を攻撃されない限り死ぬことはありません。どれだけ、核以外を攻撃しても体積が小さくなるだけで死なないのです。火を近づければ逃げるというのも、その大部分が水分であるスライムは本能的に火を恐れているだけというだけです。
二〇一五年十一月 八日 十七時四十八分修正
文章の表現を修正(話の流れ内容には変更ありません)
修正前)
ともかく、そのような彰弘だ。今ここで自分の手が爛れようと咽喉が爛れようと、それは自分にとって最も忌避する現象ではない。今、最も忌避すべきは、ここで躊躇い無為に時間を過ごした結果、大切に思う人を死なせてしまうという事柄であった。
修正後)
このような彰弘だ。今ここで自分の手が爛れようと咽喉が爛れようと、それは自分にとって最も忌避する現象ではない。今、最も忌避すべきは、ここで躊躇い無為に時間を過ごし、自分が大切に思う人を死なせてしまうということだ。
当然、自分が死ぬという選択もない。自分が死ぬことで大切な人達に負荷をかける気は一切ない。
二〇一五年十一月十四日 十七時十五分 修正
誤字修正