3-09.
前話あらすじ
冒険者ギルドの訓練場での一件の後、彰弘達は近くの食堂で昼食を取る。
十分な量と最後のデザートにより満足した一行は、次の目的であるメアルリアの神殿へと足を向けるのであった。
『メアルリア』は五柱の女神の教えを信仰する者達が、今から一千五百年前ほどに興した宗教である。
その教えは『自らの力で自らに平穏と安らぎを』だ。他人に不要な迷惑をかけないなどの一般常識的な付随はあるものの、その簡潔な教えの下、信徒は日々精進していた。
このような、言うなれば当たり障りのない教えを持つ宗教のように思われるメアルリアであるが、その信徒数は他の神々を信仰する宗教よりも圧倒的に少なかった。
信徒数の少なさには二つほどの大きな理由がある。
一つは、メアルリアでは信徒が信徒以外へ、自ら教えを広げないことが上げられる。メアルリアでは自ら動くことが大前提にある。そのため、その意思を持って教団施設に来るなり信徒に教えを請うなりしない限り、信徒が他人へとその教えを説くことはないのである。
もう一つは、あらゆる種族を受け入れるその性質にある。元の地球と同じような普人族、獣人族にエルフ族にドワーフ族、さらには不死族に魔族とメアルリアでは分け隔てなく受け入れる。当然、元は魔物であったが、遙か昔にそこから分かれ人種となった一部のゴブリン族やオーク族などのような者まで受け入れている。そのため、特定の種族とは相容れないという者達はメアルリアの信徒になろうとは思わないのである。
他にも、神から祝福を受けて神の奇跡を扱えなければ階位を得られないとか、寄付金を受け取らず教団の運営費を全て自分達だけで賄うなども信徒数に影響を与えていた。
少々余談となるが、メアルリアがどのように自らの教団を運営している資金を稼いでいるのかを説明する。
まずは教団で作成している物品の販売だ。護符や浄化の粉、煙草やそれに火をつける着火の魔導具などがこれに当たる。なお、他の教団でもこれらは手に入れることはできる。ただし、メアルリアと違い他の教団では寄付のお返しという名目である。ちなみに、大抵の物品はどこで手に入れても性能に差はないが、煙草の味だけは各教団で違っている。
残りの資金調達は階位持ちの信徒が働いて得た賃金がそれだ。働く先は治療院や孤児院、学習所などがある。また、冒険者ギルドに登録し魔物退治を行い、その素材を換金したりもする。
こうして階位持ちが稼いだ賃金は全て教団に納められ運営資金となるのである。
ただ、これだけだと信徒自身は無一文となる。信徒ならば、と考えるかもしれないが、この世界では例え神の信徒であろうとも個人が金銭を持たないと、いろいろと不便である。そのため、メアルリアの信徒は月単位給金という形で金銭を信徒に支払っていた。つまり、細かいところで違いはあるのだが、メアルリアは一般社会の企業と同じような体制で運営されているのである。
最後にメアルリアの五柱の女神について話そう。
メアルリアは次の五柱の女神の教えを信仰する宗教だ。
平穏の神『メルフィーナ』
安らぎの神『アルフィミナ』
平穏と安らぎを司る守護神『ルイーナ』
平穏と安らぎを司る破壊神『アンヌ』
平穏と安らぎを司る戦神『リース』
神の名はともかくとして、その神を表す言葉に違和感を覚えるかもしれない。
当然、これには訳があった。
詳しいことは長くなるので割愛するが、現メアルリアが起こる以前に平穏の神である『メルフィーナ』と安らぎの神である『アルフィミナ』は、その力を必要以上に地上で発現させたことがあった。無論、自らが直接発現させたのではない。自らに信仰を奉げていた、それぞれの教祖へ力を譲渡する形での発現だ。それでもその力は、発現元の周辺環境を大規模に変化させるほどであった。もし、これが教祖二人を通してではなく、またその教祖二人が譲渡された力に耐え切れずにいたら、一つの大陸環境が丸々変化していたかもしれなかった。
ともかく、そのような事があった。
その後、神の世界でも紆余曲折あったが、平穏の神と安らぎの神が落ち着ける最も相応しい対策が講じられる。それが三柱の神にその精神を守らせることであった。
対策が講じられてから二千年、特に問題もなく、良い意味での乱れもあり、この対策は効を奏している。
『平穏と安らぎを司る』というのは、平穏の神と安らぎの神の精神を守る三柱の神のその姿が、世界のシステムから見て、管理していると認識された結果であった。
なお、この言葉に異を唱える神は当の神を含めて一柱としていなかった。
◇
食堂の前でちょっとした事を起こした彰弘達の姿は、あれから三十分ほど後にメアルリアの神殿前へと来ていた。
街路から敷地に入り数メートル程度の距離を進んだ場所に建つ、その趣のある神殿には装飾のようなものは見当たらない。唯一のそれらしきものは、今も人が出入りしている正面出入り口の上にある紋章だ。
「おお、でかい」
感嘆の声を六花が出す。
敷地が広いために錯覚しがちだが、周囲に建つ家と比べるとメアルリアの神殿は、大体十倍の容積を有していた。
「それにしても飾り気がありませんね。あるとしたら、あの杖と剣が交差している紋章くらいでしょうか」
「あれって、彰弘さんが持ってる魔導具にあるのと一緒ですよね? と言うことはここがメアルリアの神殿なんだ」
紫苑の言葉に続いて、香澄がそんなことを口にした。
それに対してガイが口を開く。
「正真正銘ここがメアルリア神殿だ。この辺りに他の教団の神殿はないから間違えることはないだろう」
少しの間、無言で神殿とそこに出入りする人達を見ていた一行だったが、ふと思い付いたようにグレイスが声を出した。
「それにしても、アキヒロさん魔導具を持っていたんですね。避難拠点では、まだ魔導具とかは売っていないはずですが……いえ、仮に売っていたとしても各教団が作成している物は普通には売りに出されないはず?」
「それは、退院祝いに貰ったということにしといてくれ」
彰弘はグレイスの疑問にそう言うと曖昧な笑みを浮かべる。
そんな彰弘を訝しげに見たグレイスだったが、それまで無言で小首を傾げていた瑞穂の言葉でさらなる疑問を飲み込むことにした。彼女の言葉は疑問とは全く関係のないものであったが、先ほどの食堂の前でのことを思い出させた。そのため、深く入り過ぎない方がいいかもしれないと思ったのである。
さて、グレイスの疑問を打ち切ることに成功した瑞穂の言葉とは何だったのかというと、「メアルリアってどんな宗教だっけ?」である。
「確か、平穏とか安らぎとかじゃなかったかな。あれ?」
香澄は自分の記憶を探りながら答え、瑞穂と同じように小首を傾げた。
「言われてみれば……何故、平穏と安らぎであの紋章なのでしょうか」
「彰弘さんが持ってたから、魔導具の紋章を見たときは気にならなかったけど、ちょとイメージが合わない気がします」
瑞穂と香澄に続いて、紫苑と六花も疑問を顔に浮かべた。
「それはな、メアルリアの教えが『自らの力で自らの平穏と安らぎを』だからだ。外敵などの障害も自分達で打ち払う。興した当初から今の今までそれを実践してきているんだ。それに破壊神やら守護神やら戦神までいるんだ、それを考えればあの紋章も間違ってはいないだろう?」
少女達は彰弘の口から語られたメアルリアについて、そう言われるとそんな気がすると各々頷く。
「また、随分と詳しいな」
「ああ、ちょっと興味があってミリアに聞いた」
関心したように言葉をかけてきたガイに、平然と彰弘は返す。しかし、胸中ではちょっとした焦りを浮かべていた。実際にはミリアに聞いたのではなく、国之穏姫命のときの一件でアンヌの記憶から読み取ったことだったからだ。流石にあのときあの場所にいなかった、ガイやグレイスに本当のことを言える訳がない。
「まあ、それよりもそろそろ行こう。このままここにいても仕方ない」
彰弘はそう言うと、自ら先頭に立ち歩き出した。
グレイスが再び訝しげな顔を見せたため、少々強引に話題を終わらせたのである。
神殿に足を踏み入れた彰弘達の目にまず映ったのは、大広間と言える空間と出入り口と正対する位置に鎮座する五柱の女神の彫像だった。二体は中央で向き合っており、お互いが胸の前で祈るような形で手を組んでいる。そしてその二体と背中合わせに剣と杖を持った二体がある。そして、そんな四体の後ろに背中を向けた一体があった。
「あれが、メアルリアの神様かー」
遠めで見ても素晴らしく出来が良い、その像に瑞穂が声を漏らした。
「ようこそ当神殿へ。そうです、向かって中央左がメルフィーナ様で右がアルフィミナ様、杖をお持ちなのがルイーナ様で剣をお持ちであるのがリース様、そして背中を向けているのがアンヌ様です」
いきなり横からかけられた声に一行が向き直ると、そこにはまだ若い男の姿があった。
にこやかに笑みを浮かべる男はワンピース状の長袖服で、腰の部分を紐のようなもので締めている。服の丈は踝まであり、肌の露出は顔と手のみであった。色は薄いクリーム色だ。
「いきなりお声かけしてしまい、すみません。僕は受付を担当しているジースと言います。よろしければ、何かご説明しましょうか?」
ジースの言葉に一行は一度顔を見合わせる。それから、少しして彰弘が口を開いた。
「そうだな、神殿での作法とかは分からないし、お願いしようか。とは言っても、目的は決まってるんだ。とりあえず、祈っておきたいのと、後はアルケミースライムをできれば購入したい。この二点なんだが、どうしたらいいかな?」
「もしかして、元地球の方ですか?」
彰弘の言葉にジースは疑問を返した。
それに彰弘が肯定の返事をすると、ジースは分かりましたと一つ頷いてから話を始めた。
「そうですね、お祈りでしたら正面の彫像の前で行っていただければと。細かい作法などはありません。大抵は片膝や両膝を着いた状態でお祈りされる方が多いですね。勿論、立ったままでも構いません。あえて言うならば、静かにというところでしょうか。確か、そちらでは拍手を行うと聞いています。ですが、当メアルリアも、他の神殿でもお祈りのときは静かに行うのが通例となっています。あくまで通例なので絶対ではないですが、そういうのを気にする人もいますので、できれば覚えておいてください」
なるほど、と頷く彰弘達の様子を見てからジースは言葉を続ける。
「次にアルケミースライムですが、こちらは皆様がお祈りをしている間に担当の者を呼んできますので、まずはお祈りをなさってはどうでしょうか?」
ジースの話が終わると彰弘は頷いてから少女達、そしてガイとグレイスに向かって「いいかな?」と確認の言葉を出した。それに対する反対意見はない。
改めてジースに向き直った彰弘は口を開いた。
「それじゃあ、まずは祈ってくるから、案内の方は頼む」
「分かりました。丁度今でしたら像の前に誰もいませんし頃合です。では、僕は案内の者を呼んできます」
ジースはそう言うと一度頭を下げてから彰弘達の前から辞した。そして、他の受付を担当するものへと一言二言話しかけてから神殿の大広間を後にした。
「さてと、彼が戻る前に祈りを済ませようか」
少しだけジースの様子を見ていた彰弘だったが、そう言うと大広間の奥正面に鎮座する女神像へと目を向けた。
「なんか、ちょっと緊張するねー」
女神像へと向かいながら瑞穂が声を出した。ただ、口ではそう言ってはいるが、その顔は笑顔だ。緊張というよりはどこか楽しみといった感じの顔である。
「瑞穂ちゃん、その顔は緊張してる顔じゃないよー。何となく楽しい、そんな感じなんでしょ?」
よく分かってるよ、と少々呆れた顔で香澄が訂正する。
それに対して、瑞穂は笑ったままで言葉を返した。
「ああ、そうだね、うん。流石香澄よく分かってる」
そんなやり取りを瑞穂と香澄が行う一方で、六花と紫苑は別の話題を口にしていた。
「何、祈ろう?」
「そうですね……いざ、祈るといっても何も浮かびません」
「う〜ん、とりあえず今の目標は強くなること」
「そうですね。でしたら、ここは強くなる決意を示すことにしましょう」
ここで瑞穂と香澄が会話に合流する。
「ああ、いいね、それ。やっぱ自分で努力しなくちゃね」
「うん。自分のために頑張るのは自分だよね」
「おおう、決定」
こうして少女達の祈りの方向性が決まった。
そんな少女達を見ていた彰弘は笑みを浮かべる。
そして、そんな彰弘へとこちらも微笑みを浮かべたグレイスが声をかけた。
「アキヒロさんはどうするんですか?」
「ん? 俺は普通に感謝するだけだな。それが目的でもあった訳だし。でも、そうだな。俺も強くなる決意を示そうか」
そう答えた彰弘は僅かに目を細めた。
「ふっ。いいじゃないか。俺もそうしよう」
彰弘の答えとその表情に、ガイはニヤリと口角を上げる。
そんな男二人にグレイスは呆れ顔を見せた。
「何だ、その顔は」
「いえ、何でも……」
ガイの言葉に答えを返そうとしてグレイスはふと自分はどうなのかを考えた。そして、出た結論はガイや彰弘、そして少女達と似たようなものであった。だから、答えようとしていた言葉を直前で変える。
「……私も魔法使いとして強くなることは悪くないと思っただけです」
そう言ってグレイスは再び微笑みを浮かべた。
図らずも同じ決意を示すことにした七人は女神像の前、それぞれの姿で祈りを奉げる。強くなりたい理由はそれぞれ違うものであったが、その思いは神の下へ十分に届く強さを持っていたのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。




