1-6.
前話あらすじ
校舎の中で場所を移して教頭――鷲塚――と話し合いを行う彰弘。
彰弘の意見を受け入れた鷲塚は話を切り上げ、彰弘と六花を伴い避難者が待機している四階へと向かった。
彰弘達三人は小学校の中央階段を上っていた。
「それにしてもですね、榊さん。もう少しご自身の発言と行動には注意をした方がよろしいですよ」
先ほどさんざん彰弘を注意した鷲塚だがまだ足りないようだった。
「あれでは、誰が見ても和泉さんを口説いているようにしか見えません。平時ならば即通報されてもおかしくないのですよ」
「わかった、それはわかったから。次からは気をつけるよ」
若干うんざりしながらも彰弘は答える。
そんな彰弘だが少し前を思いだし、他人に知られるわけにはいかないと冷や汗を流した。
六花を宥めようと恥ずかしげもなく可愛いだのなんだの言ったり、ぱっちりとした目が綺麗だとも言った。他にもふっくらした頬を触りたいとか髪型がよく似合ってるとも言った。最後には投げ出した自分の足に跨がってきた六花が自分は可愛いか聞いてきたときには頭を撫でながら「可愛い」と返したりもした。
絶対に解けない封印を掛けて、墓まで持ってく必要がある記憶だった。
このことについて彰弘は、一階での鷲塚の説教が終わった後に六花へと二人だけの秘密――鷲塚は知っているが――ということで他言無用をお願いしていたのだった。
上機嫌な六花とまだいろいろ言いたそうな鷲塚、そして疲れた表情をした彰弘は小学校の四階部分に到達していた。
廊下を右側へと進むと視聴覚室や理科室などの特別教室、左側へ進むと6年生が使う普通教室がある。
「それでは、和泉さんに榊さん。一度ここでお別れです。お二人は一番手前の教室へと入ってください。入り口で避難してきた人達の名簿を作っていますので、記名に協力をお願いします。私はまだ打ち合わせをしているでしょうからそちらに向かいます」
そう言うと鷲塚は、視聴覚室と札の出ている教室へ顔を向けた。
その教室からは時折声が漏れている。どうやら議論真っ最中のようだ。
「わかった」
一言で返した彰弘は、ふと今までは何だかんだで気にならなかった欲求に続けて声を出す。
「ああ、そうだ。タバコを吸いたくなったんだが、どこか場所はあるか?」
その言葉に「そうですねー」と視線を宙に向けた鷲塚は少しの間をおいて答える。
「我慢してください。と言いたいところですが、少し教室で待っていてもらえますか? 今だと屋上で吸ってもらうことになるのですが、見知らぬ人がいきなり屋上へ行ったら見張りの先生達が驚きますから。とりあえず無駄な議論を終わらせてきます。少し待っていてください」
議論を無駄と言い切って視聴覚室へと身体を向けた鷲塚だったが、忘れてましたと再度彰弘へと向き直った。
「そのマチェットですが、私が皆さんに伝え終わるまではバッグの中にでも仕舞っておいてください。この階なら襲撃が判明してからでも取り出す時間はあるはずです。ああ、後ゴブリンのことは黙っていてください。今教室にいる方々はその姿さえ見ていないはずですから。和泉さんもお願いしますね」
そう言って、彰弘と六花が頷くのを確認すると、今度こそ鷲塚はその場から歩み去った。
視聴覚室へ向かった鷲塚を見送った彰弘は、マチェットを腰から外しドラムバッグへと入れた。幸い、ギリギリではあるが全部が中に納まった。
そしてバッグを担ぎなおし六花と共に教室へと足を向けたのだった。
階段前のスペースから出た彰弘と六花は数歩も歩かない内に声をかけられた。
「あなた達、やっと上がってきましたね」
声の主は彰弘達と一緒に小学校まで来た桜井のものだった。
このタイミングで声をかけてくるあたり、教室の中にいたわけではなさそうだ。だから彰弘は疑問をぶつけてみた。
「もしかして、わざわざ廊下で待っていたのか?」
「違います。あなた達があまりにも遅いので様子を見ようかと出てきたのです」
「そうか。それは悪かったな。少し鷲塚教頭との話が長引いてな」
予想と違った答えだったが彰弘は理由を桜井へと話す。
その答えに桜井はトゲのある視線を彰弘にぶつける。そして同じくトゲを含んだ言葉を発した。
「そんなことより、和泉さんに変なことしていないでしょうね?」
重要な話をそんなこと呼ばわりされた彰弘は少し顔をしかめた。
六花を心配することに大部分の気持ちを割いていた桜井には、彰弘と鷲塚が話していたその内容は気にすることではなかった。平時であれば桜井もこんな風にはならなかったであろうが、ゴブリンに追われ心に余裕がないまま今に至った彼女に、見ず知らずの他者の言葉を考える余地はなかったのである。
「せんせー。話の内容も聞かないで、そんなことって言うのは酷いと思うの。彰弘さんと教頭せんせーは真剣にここにいるみんなのことを考えて話してたのに。それに今せんせーが無事なのは彰弘さんのおかげなんだよ? せんせーあのままだったら絶対にゴブリンに殺されていたんだよ。それなのに、なんで……」
怒りの表情を顔に浮かべた六花に桜井は混乱する。何故? ただ教え子の心配をしただけなのに、どうしてその教え子から責められているのか。今の桜井には理解できないことだった。
彰弘は「失敗した」と感じた。桜井の言葉が不快でも顔に出すべきじゃなかったと。
理由は解らないが自分に異様に懐いている六花だ。こうなることを予想しておくべきだった。
ともあれ、このままでは不味いのは確かだった。
「六花、もういい」
「大丈夫だ、これくらいのことは気にはしない。それに桜井先生も六花が心配だっただけだろう」
「でも……」
まだ治まらない六花は不満気な顔で彰弘を見る。
そんな六花に「大丈夫だから」と再度声をかけ、その頭を優しく撫でた。
そして、まだ混乱の最中にいる桜井へと言葉をかける。
「桜井先生、とりあえず教室に行こうか。確か避難者の名簿を作っているんだろ。悪いけど案内してもらえるか?」
彰弘の言葉で少しだけ理性が戻った桜井は「こちらです」と歩き出した。
桜井のその歩みは危なっかしかったが、元々たいした距離でもなかったので問題なく目的の教室の前に辿り着いた。そして扉に引き開けすぐ近くにいた人物に彰弘達のことを任せると、そのまま教室の隅へ行き座り込んでしまった。
「彰弘さん。せんせーだいじょぶかな。わたし、言い過ぎちゃったかな」
六花はそう言うと桜井を心配そうに見つめた。
「大丈夫さ。今は少し混乱しているだけだと思う。自分の中で整理がつけばいつもどおりに戻るさ」
そう言って彰弘は六花の肩へと手を置いた。
彰弘と六花が桜井から少し遅れて教室に入ると二人に視線が集中した。
桜井があんな状態で教室に入ってきたのだ、すぐ後に入ってきた二人と何かあったと思われても無理はない。
居心地が悪そうな六花へ気にするなと声をかけ、桜井が先ほど話していた人物へと彰弘は顔を向けた。
そこには可愛いというより凛々しいと表現した方が良さそうな少女がいた。
よくある学校の机を前にして、これまたよくある学校の椅子に座っている。
少女の髪は綺麗な黒色で、その髪は癖がなく真っ直ぐ肩甲骨の下あたりまで伸びている。着ている服はシックな色合いのワンピースだ。表情も相まってどこか大人びた雰囲気があった。
桜井との会話がなければこの少女が児童とは解らなかったかもしれない。
その少女は入ってきた彰弘と六花に気がついていないのか、未だ桜井の方を心配そうに見ていた。
「あ〜、名前を書きたいんだが、いいかな?」
「ひゃい!」
黒髪の少女は彰弘の言葉に驚いたのかその姿からは想像できない声を上げた。
思わず顔を見合わせる彰弘と六花。
二人が視線を戻すと、桜井から目の前に立つ二人に顔を向けた黒髪の少女が恥ずかしそうしながらもペンを差し出してきた。そして机の上に広げられたノートを指差しながら説明を始めた。
「こちらにお名前と性別、後この学校の児童の場合はクラスを記入してください。もしご家族でしたら、その関係もご記入ください」
透き通る声を聞き終わった彰弘は自分の名前と性別を記入し、ペンを六花へと手渡した。そして六花が書き終わりペンを置いたのを確認すると、どこにいればいいのかを質問した。
「そうですね。まず和泉さんですが、あなたはこの教室で待機してください。ここにはあなたのクラスメイトも数名います。榊さんは1度この教室を出ていただいて左に進み三つ並んでいる教室の一番奥、左階段手前の教室そこで待機をお願いします」
羞恥の消えた顔で黒髪の少女は淀みなく説明を行う。
その説明の途中から何となく横からの雰囲気が変わったことを感じた彰弘は、その確認のため六花に顔を向けた。
そこには彰弘の予想通り、不満顔の六花がいた。
「委員長さん横暴です」
「え?」
「わたしと彰弘さんを離して何するつもりですか」
「え? え?」
「もしかして……」
会話が変な方向へ行くのを感じた彰弘は六花のためにも、何より自分のためにそれを止めるべく動いた。
まず六花の頭に手を置き撫でて彼女の言葉を止めた。
「六花、そこまでだ。ほらこの委員長さんも困ってる。別にこの子が俺達を離そうとしているわけじゃない。教室の中を見てみるんだ」
そう言って、彰弘は自分も教室内を見回した。
教室にはおよそ三十人ほどの人が床に座っていた。黒髪の少女が使っている机と椅子以外のそれらは一箇所に纏められており、空いたスペースに避難してきた人達が座っている状態だ。その座っている人達を見ると子供の数が圧倒的に多い。大人は六人しかいない。その六人は纏まって座っているわけではなく、特定の子供と寄り添っている。つまり確定ではないが、この教室には小学校に通う児童とその親が待機しているということだろうと予想がつく。
「六花、解ったか? この教室は学校に通う子供とその親を待機させるようにしてあるんだ。で、多分だが、俺が案内された教室は本来この学校には関係ない近所の人達を待機させているんだと思う」
それでも納得できない六花はまだ不満顔を崩そうとはしない。
「すみませんが、その通りです。とりあえずの処置ということで、学校関係者とその他の人達で分けさせてもらっています」
黒髪の少女は申し訳なさそうな顔で彰弘の言葉を肯定する。
分けてある理由は彰弘にも想像がついた。
今、この学校には先生や児童が見たこともない人達も避難してきているだろう。その中には普通じゃない人がいるかもしれないのだ。過敏といえば過敏かもしれないが、何かが起こってからでは遅いのだ。だから、とりあえずは待機する場所を分けている、そういうことだ。
「ただこれも一時的なことで、後でまた変わると先生方は仰っていました」
「ま、問題ないのが解れば分ける必要もなくなるしな。とりあえずだ、六花。何かあったら大声出せ。そしたら駆けつけるから。それにこの教室に友達がいるみたいじゃないか、ほら」
六花を宥めながら教室内を見ていた彰弘は一点に目を向ける。そこには先ほどから大きな声ではないが六花を呼んでいる少女がいた。
先ほどは教室に入ってきたばかりの彰弘と六花に視線を向けていた児童やその親と思える人達も、今は六花と声を出す少女を交互に見ている。
おそらく気がついていないのは六花だけだろう。
「あ、美弥ちゃん」
ようやくそれに気がついた六花が不満顔を一転させ笑顔で手を振る。
「さ、行ってきな」
「わかりました。あ、でも、屋上行くときは連れてってください。屋上行ったことないんです」
「わかったよ。そんときは声かけるから」
そうしてやっと彰弘から離れて六花は友達のところへと歩いていった。
彰弘が友達のところへ歩み寄る六花と、会話を再開した児童やその親の姿を見ていると下の方から声がかかる。
「あの、ありがとうございます」
彰弘が「ん?」と声の方を見ると、黒髪の少女がほっとしたように安堵の表情を浮かべていた。
その表情が本来の少女だとでもいうように彰弘には見えた。
「いや、悪かったな。別に君のせいじゃないから気にしないようにな」
「んじゃ、俺は行くわ。無理しない程度に頑張ってな。辛くなったらあそこで凹んでる先生に押し付けてしまえ。先生も何かやってた方が復活も早いかもしれない」
彰弘は教室の隅で膝を抱いている桜井を指差す。
黒髪の少女は困ったような顔で「いえ、それは」と言葉を濁した。
「ま、こんな状況だ、気を張ってばかりいるとダメになるぞ。ほどほどにな」
「はい、ありがとうございます」
その言葉を最後に彰弘は教室から出た。
彰弘が廊下を歩いていると教室の中から六花が手を振っているのが見えた。若干の恥ずかしさを感じた彰弘だが、それに手を振り返してから指定された教室へと向かった。
待機場所として指定された教室の前まで来た彰弘は、ノックしてから扉を引き開けた。
扉を開けた彰弘は教室の中を見回す。
その教室には十人ほどの人達がいた。先ほどの教室と同様に机と椅子が片付けられ、そしてできたスペースに思い思いの格好で座っている。
その人達は新たな避難者へと顔を向けていたが、その顔にはまだ余裕があり、彰弘達のように何かに襲われたという雰囲気はなかった。
それを見て彰弘は思い返す。そういえば最初の教室にいた人達も、通り過ぎて来た教室の人達も、見た感じ普通そうだった。つまり鷲塚の言葉は嘘ではなかったということか、と。
ただ、そうなると自分達は運が悪かっただけなのか、という疑問が浮かび上がってくる。六花については運が悪かったとしか言いようがないが、桜井に関してはどうなんだ……。
扉を開けその場で動かないまま彰弘は考え込んだ。
いつまでも扉を開けたまま動かない彰弘を不審に思ったのか、教室の中にいた男が一人立ち上がり彰弘のところへと歩いてきた。
「どうしました? 何かありましたか」
その言葉で我に返った彰弘は思考を中断して慌てて返事をする。
「ああ、すみません。この教室にいる人数が少なかったので、思わず今避難して来ている人はどのくらいだろうかと、それに大人の数も少ないなと、考え込んでしまいました」
咄嗟に出た言葉であったが、彰弘が実際感じていたことでもあった。
彰弘がこれまで見てきた大人の数は三十人にも満たなかった。鷲塚の話から推測するにしても大人は全体の半分いるかいないかというところだった。
「それについては、中で説明しますよ。とりあえず入ってください」
そう言って男は彰弘の前を空けた。
断る理由もないので、彰弘はそのまま中へと入り簡単に自己紹介を済ませ、荷物を壁際に置いてその場に座り込んだ。
彰弘が教室に入った後、扉を閉めた男は元々教室にいた人達が雑談に戻ったのを確認してから彰弘の近くに座った。
「どうも。僕はここで用務員をやってる、宮川です」
そう自己紹介をしてきた宮川に彰弘も「榊です」と言葉を返す。
「で、人数ですよね。だいたい今いるのは百人程度です。大人と子供の割合いは凡そ半々といったところですね。大人の数が少ないのは、多分まだ融合までは期間があるからと仕事に行ったからだと思います」
なるほどと頷いた彰弘は、六花の両親もそうだったのかもしれない、と思いながら宮川の話を聞いていた。
その後、彰弘はこの場にいる人達と共有できない思いを抱えながら、鷲塚が向かえに来るまでの間、宮川や他の避難者達と雑談をしながら過ごした。
本日は二話連続投稿となります。