2-42.
肉体に戻った彰弘は目を開け映し出された一人と一柱の身悶える姿に、我関せずと目を閉じる。
そんな彰弘へと言い忘れたことがあると破壊神であるアンヌが話しかけてきた。
暫くして、アンヌとの会話を終えた彰弘は目を開けた。
するとそこには涙をためる少女達と安堵の表情をする大人達の姿があったのである。
上半身を起こした彰弘の胸で泣きじゃくっていた六花も落ち着き、その場にいた面々はこの後の行動について話すため車座になっていた。
「ところで……何故、そんな離れたところで正座?」
自分の上から退いた六花が片膝を立てて座る自分に、ぴったりと寄り添う位置で座ったことに苦笑する彰弘の口からそんな疑問が漏れた。
彰弘が目覚めるまで正座させられていたミリアは他の面々と同じように、今は車座の位置で横座りしている。しかし、同様に正座させられていた国之穏姫命は、未だ元の位置でその格好を崩さすにいたのである。
「穏姫様、もういいですよ。彰弘さんも無事に戻りましたから」
六花と反対側でぴったりと彰弘に寄り添い座る紫苑が声を出した。
しかし、その声にも国之穏姫命は動かない。それどころか、正座したまま器用に少しずつ後ろへと下がっていった。
「やりすぎた……かな?」
小首を傾げる香澄に「むぅ」と唸る瑞穂。
やがて二人は頷き合うとおもむろに立ち上がり国之穏姫命へと近付いていった。
数歩の距離を移動した瑞穂と香澄は、国之穏姫命の両脇に立ち、その肩へ手を置いた。
「さあ、穏姫様。いい子だから向こうで一緒にお話しましょうね」
そう話しかける瑞穂の声は気安い。
初対面での印象。六花とそれほど変わらない体格。余程のことがない限り威圧感やら何やらを外へと出すことのないその神格。加えて、今いる境内が国之穏姫命が人種と会うのに最適な空間となっていた。これらのことが相まって瑞穂の気安さに繋がっていた。
なお、これは瑞穂のみならず、この場にいる全員に言えることでもあった。
唯一ミリアだけは神職であるため、他の者よりは国之穏姫命を敬う気持ちは多くあったが、そんな彼女であっても畏敬より気安さが上回っていた。
「そうですよ。彰弘さんも別に怒っているわけではありませんし、一緒に向こうに行きましょう」
香澄はそう言うと、瑞穂と一緒にそれぞれの側にある国之穏姫命の腕を取って立ち上がらせようとした。
しかしその瞬間、国之穏姫命が絶叫した。
「嫌じゃぁぁぁぁ! まだ死にとうないぃぃぃぃ!」
怯えて泣き叫ぶ国之穏姫命を彰弘除く全員で何とか宥めること数十分。
その後、理由を聞き出すことでまた数十分。
計一時間強かかり、ようやく国之穏姫命を話し合いの車座へ着かせることができた。
それでも、強張った顔をした国之穏姫命は確認のための口を開いた。
「のう、ほんとに喰わないんじゃよな?」
「ああ、喰わない」
「ほんとにほんとか?」
「喰わないって。あんな経験金輪際ごめんだ。そもそも。何をどうすればいいのかも分からないしな。だから、安心しろ」
「うん、分かった。後先考えずにすまなかったのじゃ」
未だ少しの怯えが残る顔の国之穏姫命だったが、彰弘の答えに最後は理解を示し、自分のしたことで起きた事象について謝罪をした。
さて、国之穏姫命は何にそんなに怯えていたのか? これは彰弘が新たに獲得した称号が関係していた。
メアルリア教の神の一柱である、破壊神の神格を持つアンヌが創りだした精神世界で、神の魂を一欠片とは言え喰らうという行為で完全にそれを自分の魂とした彰弘には『神の魂を喰らう者』という新たな称号が与えられていた。
そして、そのことをお仕置きお尻叩きの間、国之穏姫命は延々と聞かされていた。そのため、いつしか彰弘が自分の魂を喰ってしまうのではないかと考えるようになり、果てはそれが現実になると信じ込んでしまったのである。故にある程度落ち着いた今でも完全に払拭できず、怯えた表情をしているのであった。
この後、セイルが神の魂の味を聞き、それに対してディアがどこかともなく取り出したハリセンで頭をスパーンと叩き「空気読め」と戒めたり、彰弘が真面目にセイルの問いに答え一同がその想像の痛みで顔を顰めたりしたが、次第に雑談へと変わり場の雰囲気は穏やかになっていった。
「では、そろそろ本題にしませんか?」
国之穏姫命の顔から強張りも消え、少し経ったころライがそう声を出した。
首を傾げる面々に、ライはやれやれと首を振ってから再び口を開いた。
「この子達が何故人を殺した後すぐに普通でいられたのかと、穏姫様の頼みを聞くためにここに来たのではないのですか?」
ライはそう言うと、少女四人を見てから国之穏姫命へと目を向けた。
「おおう、そうじゃった」
国之穏姫命は手のひらをもう片方の手で作った拳でポンと叩くとうんうんと頷く。
それを見て、残りの面々も「そうだった」と納得の表情を浮かべた。
「目覚める前までは覚えていたんがな。いろいろありすぎて、忘れてた」
彰弘の言葉は、ライ以外のその場にいる全員の言葉を代弁していた。
もっとも、ライも雑談の中で偶然思い出せただけであるのだが。
ともあれ、当初の目的をようやく果たす段階へと進むことになった。
居住まいを正した国之穏姫命は静かに口を開いた。
「まず、約束どおり六花達のことじゃな。お仕置き最中にいろいろ聞いたから、昨日よりも詳しく話せるぞ。まあ、それでも簡単に言ってしまえば、神の試練を乗り越えたことによる恩恵じゃ。元々、乗り越えるだけの資質があったからこそ、神の試練を乗り越えられたわけじゃから、心配する必要はないぞ」
「少々、お待ちください。試練を乗り越える以前にどなたのお力でこの子達は試練を受けたのですか?」
国之穏姫命の話にミリアが疑問をぶつけた。
「どなたって、アキヒロじゃ。正確に言うとアキヒロにくっ付いていた神の魂がアキヒロの思いに反応したわけじゃな。幸い、そのときは純粋に試練の力だけ使えたようじゃがな」
「……え?」
ミリアが疑問符と共に呆然と彰弘を見た。
中々に信じがたい事実を国之穏姫命は口にしたのである。
通常、神以外のものが神の力を使うと言えば、神職が神属性の魔力をもってその魔法を行使することを指す。しかし、それはあくまで魔法でしかない。
だが、国之穏姫命が言う『神の力』は神属性の魔力云々とは次元が異なるもので、これは神にしか行使できないはずのものなのである。ミリアが驚き呆然としたのは当然であった。
そもそも、神の魂と人種の魂が接触するということ自体が皆無だ。仮に那由他分の一の確率でそれが起きたとしても、人種の魂に神の魂が接触して人種の魂が無事であることなど、その格を考えたらありえることではないのである。
「詳しくは話せんのじゃが、アキヒロにくっ付いていた魂はそれが可能なほどに親和性が高かったということじゃ。中々に前代未聞のことらしいぞ? 何せ、神界でも記録にないことで、実に無量大数分の一以下の確率との話じゃからなぁ。もっとも、魂が完全にアキヒロのものとなった今ではそんな現象は起こせんじゃろうが」
ずずー、とお茶を啜った国之穏姫命は「ほっ」と一息ついた。
「そんなことよりも、その試練の内容を教えてくれないか? それが分かれば皆も納得するだろう。残念ながら、俺にはそれをやったという自覚がないからな」
起こっていた事実が信じられずに固まるミリアを余所に、彰弘はお茶でまったりする国之穏姫命に自分の起こしたとんでもないことを「そんなこと」で片付け試練の説明を求めた。
その言葉に少女達は興味津々、残りの面々は一部考えを放棄したような態度で沈黙を保つ。
「分かったのじゃ!」
お茶のお代わりをディアから受け取った国之穏姫命は再び口を開いた。
「試練の内容は経験じゃったな」
「経験?」
「うむ。自分よりも強い者、自分よりも弱い者、人型だったり人型じゃなかったり、それらとの戦闘経験じゃ。もっとも、あの試練の本質は戦いに関する心の持ちように比重が偏っておったから戦闘が上手くなったわけじゃないがの」
「それは、つまり多くの戦闘を経験したことにより、戦闘で感じる気持ちが……」
国之穏姫命の説明を聞いた紫苑が口を開き自分の考えを述べる。
しかし、途中で国之穏姫命が遮った。
「別にそなた達の心が麻痺したわけではないのじゃ。単純に戦いに関する心の持ちようが歴戦の戦士以上に成長しただけじゃ」
「んー?」
「ぬー?」
「むー?」
紫苑は無言で黙り込み、六花、それに瑞穂と香澄は低く唸り考え込んだ。
本来ならしっかりした経験の上で越えるべきそれを、少女達は半ば強制的に極短時間で越えてしまった。そのため、自分自身で納得できない状態になっているのである。
「あんまり考え込んでも仕方ないのじゃ。神の試練を乗り越えられたということは、仮に試練がなくても遅かれ早かれ今の状態になっておるのじゃ。まったく、アキヒロが心配しすぎの愛しすぎなのじゃ。必要以上に縮めおってからに。あ、ちなみに以前お主らがオークの解体を見ても平気だったのも同じ理由なのじゃ」
国之穏姫命は少女達の様子にさらなる言葉を追加する。しかし、いろいろと言い足りないらしくぶつぶつと何やら口の中で呟いていた。
そんなことを言われても困る、彰弘はそう思う。意識して行ったことならまだしも無意識でのことだ、どうにもならないことだったのである。
ただ、それよりも今は対処すべき問題が起こっていた。
「えへへー」
「ふふふ」
「愛、かー。ふへへ」
「はぅ」
先ほどまでの雰囲気はどこへやら、四人の少女は喜色満面で彰弘を見つめていたのである。
「あー、なんだ。無意識とは言え悪かったな。これからも一緒に頑張っていこう」
「うん!」
元気よく返事をする六花。
「一生……一緒です」
突っ込んだら終わりそうな台詞をうっとりしながら出す紫苑。
「ここで止まっているわけにはいかないもんね。ごーごーだ!」
非常に前向きな瑞穂。
「今から根回しを……」
何故か不安になる言葉を呟く香澄。
どこか間違ったか? 彰弘は先の自分の発言を思い返した。国之穏姫命の一言で劇的に変化した少女達の様子に呆気に取られたことは否定できない。それもあって、何も考えずに発言したことは事実。それでも、もう少し良い言い回しはなかったかと、取り消すことができない発言についてため息をついた。
ふと、数日前に瑞穂へ言った言葉を彰弘は思い出した。それは「何かやる前に可能な限り一瞬でも考えることにしている」というものだ。行動にしろ発言にしろ、それが大事であることを痛感した四十歳手前の冬であった。
少女達の様子も元に戻り、ミリアも硬直から復帰したところでセイルが思い出したように声を出した。
「そう言えばアキヒロ。お前はどうなんだ?」
一瞬、セイルの言葉の意味が分からず小首を傾げた彰弘だったが、すぐに何のことかに思い当たった。
「ああ、殺人等々についてか。精神世界で会った破壊神曰く『あなたは元々そうなのよ』だそうだ。何かいろいろ神様にもルールがあるらしくてな、今は何で分かるのかとかは教えてもらえなかった」
「元々とかってありえるのか?」
彰弘の答えにセイルは疑問を投げかけた。
普通に生きていたら、ありえないことだったためのセイルの疑問である。
「知らん。文句なら破壊神様に言ってくれ」
「無茶言うな。死ぬわ」
疑問に対する彰弘の答えに、率直な言葉を返したセイルは冷たくなったお茶を飲み干した。
この後、再び雑談をしてから二つ目の本題である国之穏姫命の頼みへと進んだ一行は、その頼みに驚愕で口を大きく開いた。
何故なら国之穏姫命の頼みとは……。
「わらわを、ここ周辺の土地ごと人のいるとこへ連れてって欲しい!」
であったからだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
暑いですね。脳みそ茹りそうです。
神の試練について
神の試練とは、その神が自らの『力』を使い試練専用の空間を創りだし、そこで対象者を鍛えるものである。
例えばメアルリア教では、主に司祭以上の位階を得る資格があるかどうかを判定するための一つとして、特定期間毎に司教以上の実力者の祈りによって神に試練を希うことにより行われている。
なお、試練を越えた者は、その試練の中で培った力を持って現世へと帰還するのである。
ちなみに、試練が行われる空間の時間は現世とは違う。しかし、作中での六花達のように現世側から見て、人が認識できない速度で試練が行われることは基本ない。通常はどれだけ早くても、現世の時間で数分はかかる(現世から試練を受けている者が消えている時間)のである。
二〇一五年十月二十二日 二十時四十九分 追記
神の試練について話している国之穏姫命の会話文に下記を追加
「……あ、ちなみに以前お主らがオークの解体を見ても平気だったのも同じ理由なのじゃ」