1-3.
前話あらすじ
避難所へ行く準備を終えた彰弘と六花は部屋を出た。
そこでまだ生きていたゴブリンを発見し息の根を止める。
その行為に何も感じない自分を不思議に思う彰弘だったが避難所へと向けて歩き出した。
二人は避難所に指定されている小学校へ向かって歩いていた。
彰弘のアパートから六花の通う小学校までは、直線距離にしておよそ百メートル。途中の丁字路で横断歩道を渡り道路の反対側へと行かなければならないが、そう時間はかからない。
そんな小学校までの道のりを二人は並んで歩いていた。ただ今回二人が歩いているのは歩道ではなく車道だった。車の往来がなかったこともあるが、今の状況で歩道を歩くのは都合が悪かった。ガードレールとブロック塀や畑を囲うフェンスで挟まれた歩道は、小さな子供がかろうじて並べる程度の幅しかない。ゴブリンが襲ってくる可能性がある以上、ブロック塀で視界が悪くなるのも狭い場所で行動が制限されるのも好ましくなかった。故に車道を歩いていた。
何事もなく着ければいいな、とそんな会話をしながら二人は歩いていた。
そんな話をしながら歩き、小学校の校門手前まで近づいた時だった。校門を通り過ぎ、その百メートルほど先にある交差点から走り出てくる人影が二人の目に映った。
彰弘にはその人影がかろうじて女性と解る程度だった。だが六花の目にははっきりと映ったようだ。
「あ、桜井せんせーだ」
「知ってる人?」
「はい、わたしのクラスの担任のせんせーです。なんか慌ててる?」
彰弘は六花の声で走り出てきたパンツスーツ姿の女性――桜井――を注視した。
桜井は首の後ろ辺りで結んだ黒髪を揺らし、時折後ろを振り向きながらも慌てた様子で彰弘たちのいる方向へ走ってきていた。
距離が縮まったお陰で彰弘にも桜井の表情が見えた。その表情は初めて会った時の六花と酷似していた。
まさか、と彰弘が思った時を同じくして、桜井が出てきた場所から三体の背の低い何かが飛び出してきた。手に持った何かを振り上げながら奇声を発し桜井の後を追いかけてくる。それはゴブリンだった。
馬鹿か俺は、何故ゴブリンに思い至らなかった! 彰弘は舌打ちをし、心の中で自分を罵倒する。しかし自分を罵ったところで現状は変わらない、と彰弘は思考を切り替えた。
彰弘は素早く周囲を見渡す。桜井の後ろ以外にゴブリンは見当たらない。後は六花を待機させる場所を探すだけだ。
彰弘の目が捉えたのは、いまどき珍しい円柱形の郵便ポストだった。校門を通り過ぎた先にあるそのポストは、六花が身体を隠す程度の大きさがあった。都合の良いことに歩道と車道を遮っていたガードレールは、そのポストを少し過ぎたところで途切れている。
最適とはいえないが、ある程度身体を隠すことができ、周りを見渡すのにも苦労はしない。いざとなったらすぐ逃げ出せる。時間のない現状では他に場所はなかった。
「六花。あのポストまで行って、そこの陰にいるんだ。周りを警戒するのを忘れるな。何かあったら声を出せ。先生が近くに来たら一緒に待たせておけ」
彰弘は六花へと指示を出しながら、ドラムバッグと背中のリュックを地面に降ろした。そしてリュックから取り出した滑り止めがついたグローブを手にはめ、腰に差していた二本のマチェットを左右の手で引き抜いた。
ゴブリンと戦う準備をしている彰弘に六花の声が届く。
「う、うん、わかった。だから先生を助けてあげて!」
焦りを含んだその声に彰弘は「任せろ」と一言返した。
その声を聞いた六花は強ばりはあるがどこか安心を思わせる表情でポストへ向かって走り出した。
ポストへ向かう六花を確認した彰弘は両手のマチェットを握り直す。そして、必死の形相で逃げている桜井の方へ駆け出した。
桜井と彰弘との距離は五十メートルを切っていた。逃げる桜井と追いかけるゴブリンとの差は縮まっていない。それを確認した彰弘は六花から離れすぎるわけにもいかないため、ポストを通り過ぎて十メートルほど進んだ位置で足を止めた。
「先生! 六花のところまで走れ!」
彰弘のいる地点へ後少しというところまで来ていた桜井は、自分の知らないその声を訝りながらも自分の教え子を探した。
桜井の耳へ六花の声が届いた。桜井が目を声の方へ向けると、六花がポストの陰から顔を覗かせ声を出していた。
彰弘は自分の横を通り過ぎる桜井の気配を感じながら、後少しで接触するゴブリンを迎え討つため攻撃の構えをとった。
ゴブリンに対して右半身で構えた彰弘は、膝を曲げやや腰を落とし、足の親指付け根部分へと体重をかけている。身体の前面に出された右腕は軽く肘が曲げられており、その手には切っ先を左上へと向けたマチェットが握られている。一方、左腕も右腕同様に肘が曲げられているが、その腕は身体の横で下げられており、手に持つマチェットは刃が地面を向いていた。
構えながらゴブリンを見ていた彰弘は違和感を感じた。それはゴブリンの視線だった。
彰弘は攻撃の体勢を取った自分にゴブリンが何らかの反応を示すはずだと思っていた。しかし今十メートルほど先にいるゴブリンは、彰弘に注意を向けるそぶりすら見せていない。まるで一つのことに集中して周りが見えていないような、そんな感じだった。
ゴブリンの反応のなさに違和感を拭えない彰弘だったが、注意が自分に向いていないというのは都合がよかった。注意を向けられないということは相手の意識外から攻撃ができるということだからだ。
ただ気をつけなければいけないことがある。それは初撃を外した場合、まず間違いなくゴブリンは彰弘を無視してその後ろに行くだろうということだ。後ろには六花達がいる。それだけは避けねばならなかった。
先頭を走っていたゴブリンが彰弘の考える間合いに入る。戦闘開始の合図だった。
彰弘はゴブリンが間合いに入った瞬間、右手に持つマチェットを身体を左に捻り限界まで振り上げた。そして右足を軸とし左足を前へ踏み入れ、右手のマチェットを身体の捻りを戻す勢いも乗せて振り下ろした。振り下ろされたマチェットの刃はゴブリンの首を捉え、その軌道上にある頚動脈を切断し大量の血を吹き上げさせた。
続けて彰弘は初撃で斬り裂いたゴブリンのすぐ後ろを走っていた個体へと襲い掛かる。先ほどとは左右逆だが左手のマチェットで同様の動きを行った。今度は僅かに狙いを外しゴブリンの左肩を斬り裂く。しかしその攻撃でゴブリンの動きが止まった。その隙に彰弘は右手のマチェットでゴブリンの首を斬り裂いた。
最後のゴブリンは目の前で起こったことが理解できないのか、彰弘から少し離れた位置で立ち止まっていた。それを見た彰弘は自分が斬り裂いたゴブリンを一瞬確認する。二体のゴブリンは大量の血を流しながら地面に横たわっていた。命の灯火も後僅かということが一目瞭然だった。
彰弘が最後のゴブリンへと再び目を向けると、そのゴブリンは逃げ出そうとしていた。逃がすつもりはなかった。この現実にいるゴブリンが小説とかと同じとは限らないが、逃がして仲間を連れてこられたら厄介だ。
逃げようと背を向けたゴブリンへ、間合いを詰めた彰弘は右のマチェットでその背中を斬りつけた。致命傷には至らなかったが、ゴブリンの動きを止めることには成功する。そして動きの止まったゴブリンへと今度は左のマチェットを突き刺す。マチェットを引き抜くとそのゴブリンはうつ伏せに倒れ伏した。足で転がし仰向けにするとゴブリンは心臓の位置から大量の血を流していた。暫く痙攣を繰り返していたがやがてピクリとも動かなくなった。
彰弘は辺りを見回した。自分の周囲には三体のゴブリンが大量の血を流して息絶えているが、他には異常は見当たらなかった。六花のいる方向を見ると、あちらも異常は無いようで六花が手を振っているのが見える。彰弘は手を振り返し安堵の息を吐き出した。
とりあえず一度六花のところへ戻ろうかと彰弘が歩き出した時、最初に斬りつけたゴブリンの上に赤黒い塊が浮かんでいるのが見えた。気になって他のゴブリンの死体へと彰弘が目を向けると二番目のゴブリンの上にも同様の塊を発見した。そして最後のゴブリンを見た彰弘の目に興味深いものが映っていた。それはゴブリンの死体から透明な靄のようなもの出てが、その靄の中心に赤黒い塊が形作られていく光景だった。
後で六花に教えてあげようと、そんなことを考え彰弘はその場を離れた。
彰弘はゴブリンの返り血を気持ち悪く思いながらも、六花の待機していた場所へと近寄った。
「大丈夫だったか? 六花」
「はい、何の問題もないです」
「そうか、よかった。そっちの……桜井先生だったか? あなたも怪我とかはしてないか?」
「……はい、大丈夫です。怪我もしていません。助けていただき、ありがとうございます」
「なら、よかった」
返り血で酷い見た目になっているであろう彰弘を前にしても、六花は特に変わった様子を見せなかった。しかし桜井は違った。彰弘を見る桜井の目には忌避や不安などの感情がありありと浮かんでいた。
それも仕方ないのかもしれないと彰弘は思う。返り血を浴びた姿もさることながら、自分を追いかけ恐怖を与えたとはいえ、その人型の生物を問答無用で斬り殺してきたのだ。普通の生活をしていた日本人ならばそう簡単に受け入れられないであろうことは容易に想像できた。
ともあれ今はそれらを気にしていてもしかたない、そう判断しこれからの行動を彰弘は口に出した。
「さて、さっさと小学校へと避難したいところだが、やることをやってしまおう」
「やること?」
「そう。塊の回収。死体の後始末。そして俺の着替え。返り血が気持ち悪い。ま、俺の感情はともかく、この姿で避難所へ行くのはちょっと躊躇われる」
「返り血を浴びている彰弘さんもかっこいいかも、と思ったりもするですけど、確かに学校に行く姿じゃないかもです。洗うのお手伝いします」
六花の返しに乾いた笑いで答えた彰弘は、ふと視線を感じそちらを見る。そこには、不審者を見るような目をした桜井の顔があった。
「とにかく俺らの荷物のところまで行こう」
ヘタに返すと墓穴を掘りそうだと、彰弘は桜井の目を無視することにした。そして言葉と同時に移動を開始した。
荷物のところに着いた彰弘は六花に言って、ドラムバッグからペットボトルの水とタオル、そしてシャツを出してもらう。幸いジーパンには返り血がほとんど付いていなかったため、そちらの着替えは必要なかった。もっとも必要があったとしても、流石にこんな路上で下を着替えるわけにはいかないのだが。
彰弘はマチェットを地面に置き、はめていたグローブをはずす。そしてシャツも脱ぎ上半身裸になる。
その彰弘の行為に六花と桜井は正反対の反応をした。六花は興味深そうに見つめ、桜井は身体ごと目を離す。
「ああ、先生悪いな。ちょっとデリカシーが無かった。悪いついでであれだが、少しの間、周りを見ていてもらえないかな? って、六花は人の脇腹を突くな」
「えへへ〜。ちょっとぷにぷにです。わたしのお父さんはもっとぷにぷにです」
「い、和泉さん! 何をやっているんですが、おやめなさい!」
ほんの数分前までの緊張が切れたせいか、ちょっとしたカオスになっていた。六花は満面の笑みで彰弘の脇腹を突き、桜井は彰弘をチラチラ見ながら六花を注意する。当の彰弘はどうしてこうなったと自問自答を繰り返していた。
それでも数分後には全員が現状を思い出した。
彰弘は六花に生ぬるいペットボトルに入った水をかけてもらいながら身体を洗い、タオルで水気を拭きとってからシャツを着けた。マチェットも同様に洗って水気をふき取り鞘に戻した。
桜井は彰弘が身体を洗っている間、辺りを監視していた。
荷物を持ち立ち上がった彰弘は何事もなくて良かったと、安堵の息をつくのだった。
三人はゴブリンの死体がある場所まで移動してきた。
首を切り裂かれたゴブリンが二体、胸を刺し貫かれたゴブリンが一体、横たわっている。彰弘と六花はその死体を普通に見ていたが、桜井は口を押さえて後ろを向いた。
「桜井先生。耐えれそうもなかったら、そのまま後ろを見ていてくれないか? こっちの処理はすぐ終わると思うから、ちょっと待っててくれ」
「わかりました。すみません」
「気にしないでくれ。こんなのはできる奴がやればいい」
ゴブリンの死体を見た桜井は、その凄惨さに拒絶反応を起こしていた。人の死を多く目にする職業についているならば、今のゴブリンの死体を見ても大丈夫だろうが、その人達にしても初見であれば桜井と同じ反応を示す可能性が高い。普通の生活を送っていたであろう桜井が人型であるゴブリンの死体に拒絶反応を起こすことは当然といえた。
つまり初見で普通のものを見るように、ゴブリンの死体を見ていた彰弘と六花の二人は、そういう面において現代日本人の中では異常といってもよかった。
「さて六花。早く終わらせたいところではあるが、今後を考え少し試したいことがある」
「試したいこと、ですか?」
「ああ、俺の部屋の前で燃やしたゴブリンは僅か数分の内に燃え尽き、尚且つ灰も残らなかった。でだ、今ここにあるゴブリンの死体なんだが……。俺の部屋の前で燃やした死体と違いがあるんだがわかるか?」
「?」
「正確に言うと、燃やす直前の状態ということなんだが」
「ん〜。あ! あの塊!」
「そう正解だ。だから試したいことというのは……」
「塊のある状態と塊のない状態での違い、ですか?」
「そういうこと。ついでにいえば油の量もな」
六花と簡単な問答をした後、彰弘は行動を起こした。
まず一体目。ゴブリンの死体から赤黒い塊を取り除き、少量の油をかけ火を点けた。
はじめは油についた小さな火だけだったが、次第に大きくなりゴブリン全体を炎が包み込んだ。そして彰弘と六花の目の前で青白い炎を上げ、その炎は数分でゴブリンの死体を焼き尽くした。その後は、アパートの前で焼いたゴブリンと同様に灰さえも残さず消え去った。
二体目は赤黒い塊をそのままにして、先ほどよりは多い量の油をかける。
結果、何ともいえない臭い発し少しの間燃えたが、赤黒い塊を取り除いた個体とは異なり一部が焼けただけのゴブリンが残った。
この個体は塊を取り除いた後、一体目のゴブリンと同じ方法で処理をした。
最後、三体目。今度は塊を取り除いた後、油を使わず直接ゴブリンへと火を近づけ点火した。
すると一体目と同様、ゴブリンは青白い炎に全身を包まれ、数分で燃え尽き灰も残さず消え去った。
「いたってシンプルな結果になったな」
「そですね。塊あると普通に燃える。塊ないと燃え尽きちゃう。油いらなかったです」
今、二人の目の前には、おびただしい量の血痕と三箇所の黒く煤けた地面、そして僅かに燃え残ったゴブリンが持っていた棍棒があるだけだった。
その光景を目の前にして、もう少し試してもよかったかな? と、一瞬考え、言葉に出しそうだった彰弘だが、時間をかけていい状況ではないのを思いだし開きかけた口を閉ざす。
そんな彰弘の考えを余所に六花は口を開いた。
「あの塊取らないままゴブリンを動かしたら、どうなってたんでしょう?」
まさに彰弘が試せばよかったと心の中で思っていたことを六花が口にする。
それほど時間のかかる話題ではないことについて、考えすぎたか、と彰弘は苦笑する。
「それは最後の仕上げをした後、小学校に行きながら話そうか」
彰弘はそう言うと、地面に置いといた返り血の付いたシャツに油をかけ火を点けた。返り血で濡れていたがシャツはすぐに燃え尽きた。
その後、彰弘は後ろを向いていた桜井に声をかけ、三人一緒にその場を後にし小学校へ向かった。
小学校へ向かう道中は新たなゴブリンを見かけることもなく、特に問題はなかった。
先の話題の『塊をそのままにしてゴブリンを移動したらどうなるか』については当然のことながら答えは出なかった。余裕があったら試すということで落ち着いた。
後は、彰弘が目撃した赤黒い塊の生成過程の話をしていたくらいだ。何故か六花の食いつきが凄かったが、問題というほどではない。
あえて問題があったとしたら、六花がポロッと口から漏らしたゴブリンに対する賭けのことを桜井に聞かれ、彰弘が彼女から凍りつくようなその目で見られたぐらいである。
世知辛い世の中だ。