6-13.【バルス侯爵家】
前話あらすじ
女子会中の六花たちから離れて、彰弘はウェスターとともに冒険者ギルドへ向かう。
そこでは久しぶりとなるゼファーと顔を会わせるのであった。
皇都サガにも貴族街と呼ばれる区域がある。そこに住むのは貴族と貴族に連なる者たちであり、彼らの住居となる屋敷は他の場所に建つ家と比べて立派であった。
ただ、当然ながら爵位や位階、役職などにより屋敷の規模や立地に違いはある。爵位などは上位であるほど年金は多いし、また立場が上なほど儲け話に接する機会が多くなるからだ。
そんな貴族街の通りを一目見ただけで並ではないと分かる一台の獣車が進んでいた。御者を務める者の服装や態度からも、その獣車がかなり位の高い人物の所有物であることが窺える。
別段、急ぐ様子を見せることのない獣車は、やがて貴族街の中でも間違いなく上位である屋敷の門へと近づいていくのであった。
御者は門番とのやり取りの後、屋敷の敷地内に指定されている位置へ獣車を止めた。そして遅滞なく御者台から降り、車内にいる人物に到着を告げて中からの返答を待ってから扉を開く。
御者が車の扉を開けてから少し。まず初老の男が姿を現した。服装は上等であり、姿勢や動きに無駄なところはない。彼は現バルス侯爵家の執事で、名はレビン・レイという。
続いて車から降りたのは二十歳前後に見える男であった。夏間近ということで薄着であるため、なかなかに鍛えられた身体をしていることが見て取れる。こちらの男はルスト・バルス。バルス侯爵家の第三男であった。
「ご苦労さん。ちょっとあの二人に挨拶してくるわ。にしても、どうにもこの獣車の揺れは眠気を誘うな」
ルストが御者へと労いの言葉をかけ、続いて門番を指しつつ執事のレビンへと言う。
グラスウェル魔法学園に通っている間と卒業してからの一年間という月日の間、実家であるバルス侯爵家へと帰ってこなかったルストであるが、別に家族や屋敷で働く兵士や使用人たちと中が悪いわけではない。知らない顔ではないので挨拶くらいはしても不思議はない。
挨拶くらいは門を通るときにしておけ、と思わなくもないが、ルストは獣車を降りる直前まで居眠りをしていたのである。
「承知しました。それでは到着を伝えた後、私はここでお待ちしております」
「ガキじゃないから別に待ってなくてもいいぞ。……てわけにもいかないのか。すぐに戻る」
頭を下げるレビンと御者に片手で応えたルストは無言で門番のところへ向かう。
その姿を見送った後、レビンは屋敷へと足を向け、御者は獣車を移動させるのであった。
門番への挨拶を終えたルストは、律義に待っていたレビンの案内で屋敷へと入る。そして応接室へと向かい、そこでバルス侯爵家の次男であるルーバスと再会した。
使用人が茶の用意を終わらせて下がるのを待ってからルストが口を開く。
「ルーバス兄上、ひさしぶり」
「ルストか。学園を卒業したら手紙じゃなく、一度帰ってくるって約束じゃなかったか?」
「ちょっとあってね。あのまま卒業してすぐに一度帰る気にはなれなかったんだ。仲間のこともあるし」
卒業試験の闘技会で彰弘に手も足もでなかったことで、自分を鍛えることを優先していたこともある。また、その闘技会が切っ掛けでゼファーと仲良くなったことも、ルストが実家に一度帰るのを遅らせた理由でもあった。
自分を鍛えることについては、単純に何となくこのままの状態で帰るのは嫌だというルストの気持ちの問題であって大した理由があるわけではない。
ルストが卒業後すぐに帰らなかったのはゼファーと仲良くなったことに関するものが大部分を占めていた。
身分を気にしない友人がいなかったルストにとってゼファーは貴重な存在であり、できれば実家に顔見せに帰るときにも行動をともにしたいと考えたのだ。だから暫くは帰らずにゼファーと一緒に行動し絆を深めようと思ったのである。
もっとも、これはルストの考えすぎであった。ゼファーにしてみれば仲間で友人となったルストが一度実家に帰るというなら、余程重大なことが起きない限り、一緒に行くことを拒否する理由はない。むしろ冒険者になったばかりで長旅となるなら、その経験を積む良い機会だと考えたりもするのが彼であった。
ともかく、そんな感じでルストはこれまで実家に帰ることをしなかったのである。
「まあ、それはそれとして、手紙とかじゃなくわざわざ人を俺のところまで寄越して帰省させた理由って何か知ってる? 今日なんて宿までレビンが迎えに来たんだが」
「ん? 聞いてないのか?」
「クラツまで呼びにきた連中は詳しいことは知らないと言ってたな。レビンは……獣車の中で俺寝てたからな」
「やれやれだ。簡単に言うと兄上のことと私の結婚についてだ」
「ああ、廃嫡の件と結婚か……は? 結婚!? 何それ、初耳なんだけど」
溜息後で言われたルーバスの言葉にルストが声を上げる。
ルーバスが言う兄上のことというのはルストにも予想がついた。
ルストの母はなかなかにマメな人であり、彼がグラウウェル魔法学園在学中にも幾度となく手紙を書いていた。無論ルストも届けられた手紙には全て目を通し返事を書いてもいる。
そのようなこともあり、ルストは自分とルーバスの兄であるバルがどのような状況にあるのかを知っていた。
だが、ルーバスの結婚については全くの未知だ。なぜなら母の手紙にそのことは何も書かれていなかったらだ。
「結婚に関係することは状況が落ち着くまでは可能な限り情報の伝達を止めさせてもらったのさ。だから母上にはお前宛ての手紙にも書かないようにお願いしていた。まあ、流石にそれはやり過ぎだったと今は思うが」
「ますます分からん。……そういえばルーバス兄上に婚約者いたっけ?」
「お前がグラスウェルに行った時点ではいなかったな。バル兄上の廃嫡が決定してからもいろいろあったが……ようやくだったよ。そう、シャライラが正式に私の婚約者となったのは、今年になってからだ」
「へえ、シャライラさんっていうのか。バル兄上の婚約者と同じなま……え……?」
「そうだ。お前の予想は間違ってない。私の結婚相手は、元々は兄上の婚約者だったバクペリー伯爵家のシャライラだ。私は正直に言って理解できないよ。あんなに素晴らしい婚約者がいて、あのような愚行に及ぶのだから。まあ、お蔭で私は最良のパートナーを得ることができた。私にとって彼女以上の存在はいやしない」
「嘘だろ、おい」
シャライラ・バクペリーは、運動系統は苦手だが容姿端麗で性格も頭も良い、現時点の年齢が二十四歳という女である。
バルの行動に精神を病んだシャライラを慰め励まし支えたルーバスが彼女の心を射止めたのだ。無論、貴族家間の婚約と結婚だから様々な問題はあった。
だが最終的には本人たちの意向に加え、バルス侯爵家とバクベリー伯爵家の事情もあり、ルーバスとシャライラは婚約することになり、この度目出度く結婚の運びとなったのである。
「私は兄上の愚行のせいで弱っていく彼女を黙って見ていることはできなかった。まあ、はじめは単なる同情でしかなかったが、彼女と接するうちに惹かれてね。いつの間にか恋仲となっていたよ。さっきも言ったが、私は彼女以外が私の妻となることは考えられない。本当に良かった」
「ふふ。そこまで言われると恥ずかしい気持ちになります。でも、嬉しい」
「!?」
ルーバスと自分の二人しかいないと思っていたところに、自分たち以外の声が聞こえてきてルストは無言で身体を震わせた。
誰かに聞かれても大きな問題になることはない会話内容だろうが、何となく聞かれたら拙いような気がしたからだ。
「シャライラさん、びっくりしました。……にしても、元気そうで何よりです」
「ふふ。ドア空きっぱなしでしたよ? 一応ノックもしたのですが。それはそれとしてルスト君も元気そうで良かったわ」
「ところでシャライラ。何か用事かい? 今日は母上と一緒に仲の良い方々とお茶会だったと記憶してるけど」
「今は準備の真っ最中。先ほど準備しているところにレビンさんが来てルスト君がいらしていると聞いたので、ちょっとご挨拶に。後、伝言を二つ。バルス侯爵様、もう少しお時間かかるそうよ。というのが一つで、もう一つは今日は泊まっていきなさいという伝言。ネーナ様からルスト君へよ」
「二つとも承知したよ」
「……分かりましたと母上には伝えてください」
「ふふ。それでは私は戻りますね。それでは、また」
優雅にお辞儀をして応接室を後にするシャライラを見て、ルストは何故か嵐のようだったと思った。
物腰は柔らかく嵐とは無縁のような彼女であったが、事前にルーバスと話していた内容のせいでルストはそう感じたのである。
「さて、父上が来るのはもう少し先のようだから、これも話しておくか。実はな兄上は廃嫡のみならず、家族ですらなくなった。ミーナ嬢が通っていた学園への侵入なんてことをやらかして廃嫡まで示唆されたのに謹慎期間を経ても何ら反省も改善もされなかったことに加えて、彼女が卒業した直後に接触したらしい。流石に父上の堪忍袋の緒も切れたよ」
「完全な絶縁かよ。でも、擁護できるところがないな。で、そのミーナ嬢は?」
「何事もなく無事さ。いつからかは知らないが、ミーナ嬢と彼女の実家にはメアルリア教がついていたようだ。そうそう、お前が知っているかは分からないが、世界融合前にバルにここから追い出されたウェスターという兵士がいたんだが、その彼が今度の大闘技会本戦を舞台にミーナ嬢のためにバルと決闘をするらしいぞ。しかもメアルリア教の正式認定でだ」
「ああ、その人ならある程度知っている。卒業後にグラスウェルで活動してたころは模擬戦の相手をしてもらったこともあるからね」
「その先は私にも聞かせてもらおうか」
ルーバスとルストの会話に別の声が混じる。
今度はノック音も聞こえたのでルストも驚くことはなかった。
「父上、お久しぶりです」
「まったく。顔くらい見せにこい。まあ良い。話を聞かせてもらおうか」
応接室に入ってきたのはルストとルーバスの父親であるバルス侯爵であった。
その彼の斜め後ろには執事のレビンが控えている。
なお、バルス侯爵がわざわざ応接室まで足を運んだのは、屋敷内を歩くことで使用人たちとのコミュニケーションを取ろうとしているからであった。休日もなんだかんだでやることがあり、執務室に籠る傾向にあるので意図的に出歩くようにしているのである。
バルス侯爵が座るとレビンが茶の用意を始めた。
無駄のない動きのレビンを三人の男が眺めるという、少々奇妙な場が形成されるが、それはそう長い時間ではない。
「ルストから話を聞く前に、まずは伝えるべき内容をまずは伝えてよう」
そう前置きして話し出したバルス侯爵の口から語られた内容は、先ほどルストがルーバスから聞かされたことを詳しくしたものであった。
聞けば聞くほど自分の兄の一人であったバルに対して、碌でもない兄だったとしか思えないルストは無意識の内に溜息を漏らす。
その様子にバルス侯爵とルーバスは同情の顔をもってお互いに顔を見合わせた。
「今回絶対話さなければならないことは話した。後はルーバスとシャライラの結婚関係だが、これは大闘技会の少し後に行うことが決定している。ルスト、お前はそれまで……」
「それくらいは言われなくても分かってますよ父上」
「ならば良い。さて、ルスト。こちらでも調べてある程度のことは把握しているが、ウェスターという者のことを聞かせてもらうか」
「ええ、いいですよ。でも、その前に聞かせてください。何故そんなにあの人のことを知りたがるのですか? メアルリア教の正式認定を受けた決闘ですから当人たちやヴェルン子爵家の方々には影響が大きいでしょうが、既にバル兄上はうちとは関係なくなっているのですよね?」
ルストの疑問はもっともかもしれない。
単純に考えれば、今回のウェスターとバルの決闘は、どちらかがミーナへと近づけなくなるというだけで、周囲への影響はないように思える。
だが、当然それだけならば、バルス侯爵が自分たちで調べた上で更に情報を得ようとはしない。
「ルスト。よく考えてみろ。バルの愚行は女性からしたら赦せることではないだろう。シャライラに行ったこともそうだし、ヴェルン子爵家のミーナ嬢に行ったこともだ」
「もしバルが勝ってミーナ嬢に近づけるようになったとしよう。ヴェルン子爵やミーナ嬢にとっては悲劇でしかないが、私たちにとっても無関係ではないんだよ」
ルストは父親と唯一となった兄の言葉を聞き考える。
難しいことではない。少し考えれば二人の言いたいことがルストには分かった。
「正式認定された決闘の結果であっても感情は別もの、ということですか」
「そういうことだ。廃嫡絶縁。法的には当家とバルの間には何の繋がりもなくなっている。だが、バルに対して嫌悪感を持つ者にとって、そんなものは何の意味もないだろう。特に女性からしたらバルの行為は赦せるものではないはずだからな」
「仮にバルが勝ってミーナ嬢に近づけるようになり、実際に近づくのを黙って見ていた場合、当家に批難が来るのは目に見えている」
ウェスターが負けること前提で動くという手もある。しかしそれは侯爵家としての情報収集能力を疑われることになりかねない。軍務関係の要職に就いているバルス侯爵とルーバスにとって致命傷となる可能性があった。
決闘による二次被害を最低限に食い止めるためにバルス侯爵家として、ウェスターの情報は必要だったのである。
無論、バルス侯爵らは独自に情報収集をしていた。だが、ウェスターを直接知っている者から話を聞けるなら、それを行わない選択肢はない。
「……何かいろいろと察せた気がする」
「「おい」」
「いや、はっはっは。まあまあ、ちゃんと話しますよ。とはいっても、ウェスターさんがバル兄上に勝てるかどうかは判断できませんよ。俺には今のバル兄上がどの程度強いのか分かりませんから。ただ、そうですね。もしバル兄上が俺の知っているころから普通の速度で強くなっているなら、絶対にウェスターさんには敵わないと思います。何せ、一対一ならオークのキング級もあの人は今なら倒せるって話ですから。あ、ちなみにこの情報はガイエル領での大討伐で実際にオークキングを倒した人から聞いた話です」
ウェスターはガイエル領であった大討伐の時点でオークのロード級を倒せるだけの実力を持つに至っていたが、その後に行った深遠の樹海での無茶ともいえる狩りなどのお蔭で短期間でオークのキング級すらも倒せるだろう力を手に入れていた。
もっとも、オークにしろ別の魔物にしろ、キング級というのは滅多なことでは遭遇できないため、あくまでだろうという予想でしかない。
ただ実際にオークのキング級と戦った彰弘がウェスターと模擬戦をし、そう判断したし、竜の翼のセイルなどのランクC以上の実力者が複数名ウェスターなら単独で勝てるだろうと予想していた。
「……父上、どうしますか?」
「う、む。次の報告が数日中には来る。とりあえずは現状維持だ。まあ恐らく対策方法を変更する必要は生じないだろうが」
「ですね。私もそう思います」
ルストの口から出たウェスターの力について、これまでの受けた報告を大きく上回る内容だったので、すぐに声を出せなかったバルス侯爵とルーバスだったが、数瞬後には我に返る。
元々、調査し得た情報からバルス侯爵とルーバスは、バルが勝つ確率は高くないと考えていたので、ルストの話を聞いても対策の方向性は現状のままで問題はない。
あえて何かするなら、これまでの報告と今のルストから聞いた話、それから数日後に届けられる報告を合わせて検証し、より良い結果に繋げられるようにできればよい。
「さてと、用事は終わりということで?」
「ああ」
「なら、俺はギルドに行ってきます。ゼファーもいるだろうし、今日の日課がまだ終わっていなもので。母上に泊まると返しましたから、勿論、夕方には帰りますよ」
話は終わったと受け取ったルストは立ち上がり座ったままの二人に退室を告げ、返事を待ってから応接室を出る。そして、お茶会中のネーナに挨拶をした後、冒険者ギルドに向かったのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。