5-12.【獣車】
前話あらすじ
雨の日というのは休息日である。
そんな休日に彰弘たちは今後のことについて話し合うのであった。
僅かに白い雲が残る青空と照りつける太陽の下を歩く彰弘は珍しく一人であった。正確には肩にガルドが乗っているため、完全に一人というわけではないのだが、世間一般からしたら一人といえるだろう。
それはそれとして何故に彰弘が一人で歩いているのかだが、それは六花や紫苑が友人たちとお茶会をするために朝早くから外出していたからである。
グラスウェル魔法学園の卒業式から三か月ほどが経ち、彼女らの新しい生活もひとまずは落ち着いてきていた。そのため、ここで一度お茶会でも開いて近況報告会でもしようかとなったのである。
さて、そんな理由から珍しい状態で歩く彰弘の向かう先はラケシス商会だ。
ラケシス商会は獣車の取り扱いを主としている商会である。彰弘は世界が融合してから初めての夏にファムクリツへ向かう際、そこで獣車を御者付きで借りてからこれまでも何かと利用している。
今年の夏もファムクリツへ行くので、その関係もありラケシス商会へ向かっているのであった。
ラケシス商会へ向かう道中をのんびりと歩く彰弘の目に見知った二人の姿が映る。
その二人は露店で何やら買うと近くのベンチに腰を下ろして、買ったものを食べ始めた。
「かき氷か、いいな。それにしてもウェスターとベントとは、また珍しい組み合わせだな」
「そう言うあなたこそ、一人とは珍しいのではないですか?」
「だな……って、お茶会か」
彰弘が見かけた二人はウェスターとベントであった。
そして二人が露店で購入し、今食べているものはかき氷である。
「六花と紫苑、それとクリスなんかも学園のときの友人と近況報告会というお茶会に行ってるよ」
「ああ、なるほど」
彰弘とベントの言葉で事情を察したウェスターは、納得してからスプーンを口に運ぶ。その隣ではベントが一心不乱にかき氷を食べていた。
「ところで、それはなんだ?」
二人が食べているものがかき氷だということは分かったが、何のシロップなのかは見ただけではよく分からない。
透明に近い液体がかけられており、そこに白い角切りの果物だろうものが乗せられているが、一見しただけではそれが何なのか判別はつかなかった。
「梨ですね。梨の絞り汁と角切りの梨です。程好い甘さと少し凍った角切りの梨の食感が絶品ですよ」
「そういや、夏は梨。梨が好きと言ってたか」
幾分、呆れたような様子の彰弘の目が、会話に参加せずにかき氷を口に運び続けるベントへと向けられた。
彰弘がベントの梨好きを知ったのは、初めてファムクリツへ行ったときのことである。その後については、タイミングの妙かベントが梨を食べる場面をほとんど見なかった彰弘であるが、あのときのことを思い返せば今の状態を予想できないこともない。
「なんか俺も食べたくなってきた。……梨シロップで一つくれ」
「あいよ! 六十ゴルドだ」
日本円換算六百円。なかなか良心的な価格である。
氷が解けないようにし、シロップも冷やし続けるための魔導具の維持費は馬鹿にならない。
またシロップに使われている果実自体もなかなかに良品質のものであり、それを考えれば儲けはそれほど多くないだろう。
「お、美味いな」
店主からかき氷を受け取りウェスターとベントがいる隣のベンチに腰掛けた彰弘は、果汁のかかった氷と角切りの梨を一緒に口に入れ咀嚼する。すると、自然な甘みが口内に広がり、氷と梨で種類の異なるシャリシャリとした食感が食べる感覚を楽しませる。
「だろ? ここのは最高なんだ。いくらでも食べられるな!」
彰弘が顔を上げると、そこには新しいかき氷を持ったベントが立っていた。
かかっているシロップは勿論梨シロップである。
「確かに美味い。って、お前、また食うのか? 冷たいもんあんま食うと腹壊すぞ」
「それ何杯目ですか? 私がここに来たとき、既に一杯は食べ終わってましたよね?」
「まだ四杯目だ。ま、へーきへーき。慣れてるからさ。それにだ、仮に腹を壊しても明日も休息日。なんら問題はない!」
腹を壊すことも問題はないと断言するベントに、彰弘もウェスターも開いた口が塞がらない。
だが、ベントも大人だ。彰弘たちが必要以上に何かを言う必要はない。
「ま、ほどほどにな。さて、美味かった。ごちそうさん」
だから彰弘は自分の分を食べ終わり食器を露店の店主に返すと、その場から立ち去る。
ウェスターの行動もまた、彰弘と同じであった。確かに美味かったし、また食べにきたいと思うのだが、流石にベントのように立て続けに食べられるほどでない。だから、一応ベントへと注意の言葉をかけてから歩き出す。
「本当にほどほどにしておいた方が良いですよ? では、私は図書館へ行きますので、これで失礼」
そんな二人の様子を満面の笑みで梨シロップのかき氷を食べつつ、ベントは見送る。
ちなみにベントは、この後更に追加で二杯のかき氷を食べ、見事トイレの住人となっていた。
かき氷を食べた彰弘が、その後寄り道をせずに辿り着いたそこは、本日の目的地であるラケシス商会である。
そこにある建物と敷地は、とても獣車関係を取り扱っている商会には見えないほど小さい。無論、普通の一般家庭の家よりは大きいが、それでも二倍程度の大きさでしかなかった。
だが、それもそのはず。今、彰弘の目の前にある建物は獣車の貸し出しや販売などの手続きを行ったり、ちょっとした小物などを販売するだけの施設だからだ。車部分や、それを引く獣などは、この建物から少し離れた充分な広さ持つ場所にある。
だから彰弘は、特に気にせず目の前の建物に入り、受付に向かった。
「ようこそ、いらっしゃいました。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「八月に獣車を借りる契約をした彰弘です。借りる方の確認と、それとは別の相談事の件で来たんですが、担当者にお取次ぎしていただけませんか?」
受付嬢に応えつつ、彰弘は身分証をカウンターの上に置く。
すると受付嬢は、「失礼します」と断りを入れてから、彰弘の身分証を魔導具に翳し身分に問題ないことを確認すると、彰弘を待合室へと案内する。そして受付嬢は一礼してから彼の担当となっている者を呼びに向かった。
それから数分。待合室に年配の男が入ってきて彰弘へと近づく。
「お待たせしました。貸し出しの方は何も問題はございません。契約どおり御者はファルンで以前までと同じ獣車をお貸しいたします。そして別件の方ですが、ご要望のものは一応完成しております。後は実際に動かしてみて調整という段階です。指示は出しておきましたから、我々が到着するころには準備ができているでしょう。では、行きましょうか」
「分かりました。それはそれとして、助かります」
「いえいえ当然のことですから」
笑みを浮かべる顔見知りである担当者の言葉で彰弘は立ち上がると、二人は揃って建物を出て行く。そして担当者が言った要望のものがある場所まで歩き出した。
なお、彰弘の言葉と、それへと返した担当者の言葉は離れた場所へと指示を出したことによるものだ。
ラケシス商会は国と領から、契約するための施設と工場のある施設との間だけということで許可を得て遠距離通信を行える設備を敷いている。この装置は魔力伝導率の高い素材を用いた有線のものであり、世界融合前の電話と似たようなものであるが、そのコストは一言二言を相手に伝えるだけでゴブリンの魔石を二桁単位で消費してしまうという非常に高いものであった。また整備もなかなかに難易度が高く、設置にもそれなりに高額である。
だからこそ彰弘は、担当者が離れた場所へと指示を出したことにより待ち時間が減ると礼を述べたのであった。
ちなみに離れた場所への通信は、そのコストやら難易度やらで一般には普及しておらず、もっぱら公的施設間や大規模な民間企業が自社間でのみ使用している。
余談だが、この遠距離通信設備を敷くのに国や領の許可が必要な理由は、所持している土地の使用権に記された敷地外に有線を敷く場合のみであって、敷地内であれば必要はない。
担当者の案内で彰弘が向かったのは、ラケシス商会が保有する工場がある敷地である。工場の中で生産されているのは、言うまでもなく獣車の車部分と、それに関係する部品であった。
なお、ここには工場だけでなく、車を引く地球の馬に似たオルホースなどの飼育施設や完成した車部分を保管する保管所。また獣車の動きを確認する広場などが併設されている。
「さあ、着きました。ええーっと、ああ、あそこですね」
「随分と立派なものを……」
工場の脇を抜け車を引く獣たちの飼育場の隣にある広場まで来た彰弘は、遠目でも分かるほどに立派だと思えるそれに驚きを表した。
「予算も充分でしたし、その……素材が希少でしたので職人たちが張り切りまして。あ、でもご要望のとおり装飾は最低限にしてありますよ」
彰弘がラケシス商会に頼んでいたのは、ガルドに引かせるための車であった。
当初の予定通り順調に身体を大きくしていくガルドを見て、家族探しにはガルドを使った獣車で行くことを彰弘は決めたのである。そして、どうせなら多少の無理をしても壊れないものをと考え、通常の獣車の車部分を造る値段の二倍以上の資金を全て前金で支払っていた。加えてマジックバングルに眠っている輝亀竜の甲羅も相応に提供していたのである。更に追加でいうならば、木材も深遠の樹海の中層域に近い部分の木を切り倒し提供していた。
「まあ、途中で壊れたら困るからな」
実際のところ、旅の途中で獣車の車が壊れたとしても、彰弘にはそれほど影響はない。壊れた車部分はマジックバングルへ仕舞っておけばいいだけだし、移動に関しても目立ったりすることを除けば、大きくなったガルドの背中に乗ればいいのだ。
「頑丈さは保障します。フレーム部分全ては輝亀竜の甲羅と魔鋼を融合させた軽く丈夫なものを使用していますし、それ以外の木でできた部分もアキヒロ様が持ち込んでくれた深遠の樹海の奥にある木で、最近出回っているものよりも状態があらゆる面で良いものですから。あ、勿論、乗り心地も悪くないはずですよ」
と、そんな話を担当者から聞きながら彰弘が車に近づくと、側に控えていた年配の男が声をかけてきた。彼がこの車を造った者たちの責任者である。
「ようこそ、お越しくださいました。ご要望に限りなく近く造れたと自負しておりますが、やはり実際に動かしてみないことには。……なにぶん、初めてのこととなりますので」
それはそうだろう。
車を引くのはガルドであり、そのガルドの姿形は言ってみれば亀である。
だからこそ、今彰弘の目の前にある車には轅はあっても軛などはない。
「とりあえず、やってみるか。ガルド、頼む」
「(うむ。心得た)」
とりあえず試すべきだと、彰弘は肩にいるガルドに声をかける。
すると、ガルドは彰弘の肩から飛び降りると即座に身体を、自分が引っ張る予定の車と同じくらいにまで大きくした。
「ちょっと大きすぎるか。高さを車の半分くらいに。……そうそう。で、轅の間に入って固定して……どうだ?」
「(一応、固定はできた……。少し動いてきても良いかな?)」
「ああ。何か気づいたら言ってくれ」
「(心得た)」
ガルドの変化に驚いたまま固まる担当者と責任者を尻目に、彰弘とガルドは確認を行っていく。
確認用の広場をゆっくりと進むガルドと車は、特に問題はないように広場を一周して彰弘の前へと戻ってきた。
「どうだ?」
「(うむ、悪くはないと思うが……そうじゃな。この轅はもう少し太く長く丈夫なものに変え、先端側から中ほどまで上下に広いと良い。後は轅の先端部分に大きめの返しがあると、より良いな)」
「今のままだとブレるか?」
「(今の倍くらいなら問題はないと思うが、更に速度を上げた場合は少々不安じゃな)」
「なるほど。んじゃ、次は俺が乗ってみるから、また一週してくれ」
「(了解じゃ)」
そんなやり取りを彰弘とガルドが交わしていると、ようやくこの件の担当者と車を造った責任者が復帰してきた。
「すみません。勝手に確認していました」
「ああ、いえ、それは構いませんが……いやはや驚きました」
「ええ。まさか本当に一瞬で大きくなれるとは」
既に多すぎる金額が支払われていたからだろうか、彰弘とガルドが車の確認を勝手にしていたことを二人は問題にはしなかった。
「それでどうでしたか?」
「そうですね。いや、とりあえず試乗してから、変更してもらいたい部分を話します。私は乗りますが、お二人はどうしますか?」
「私は外で動きを見ています。中の方は頼みます」
「分かりました。では、私が同乗させていただきます」
どうやら責任者は自分たちが造った車が動くところを外から見て確認し、乗り心地などは担当者が確認するようだ。
「では」
彰弘は短くそう言うと扉を開けて中へと入り、その後で担当者も乗り込む。
車の中は外から見た予想通り広いものである。
何せ搭乗人数を十四名と設定して注文したのだから当然だ。
「よし。ガルド動いてくれ」
担当者が扉を閉め備え付けられた椅子に座ると、先に中に入って座っていた彰弘が全面に付けられた小窓を開けガルドに指示を出す。
ちなみにガルドと念話するのに小窓を開ける必要はないが、何となくである。
それはそれとして、ガルドがゆっくりと動き始めた。最初はゆっくりとだったがガルドは徐々に速度を上げる。そして最終的には一般的な獣車が何も障害のない街道を移動するのと同じくらいの速さで進み出した。
「平坦な広場だからかもしれないが、ほとんど揺れないな」
「サスペンションもダンパーも、それから車輪も今できる最高の物を作ったと言っていましたから……それにしてもこれは凄いですね。もっとこれを安く短い期間で作れたら良い利益になるのでしょうが」
自社の技術力を誇るように言う担当者であったが、そこにはやはり問題があった。
これだけのものを作るには手間隙も金銭もかかるため、費用対効果が悪いのである。
勿論、今回の車の乗り心地は、輝亀竜の甲羅や深遠の樹海の中層域近くの木などの影響もあるのだが、それらがなくても今の車に近いものを時間と金銭があれば造れるのだ。
だが、それを全ての獣車用の車に備えることは難しい。利益を無視するならできるが、それでは商会が立ち行かなくなり本末転倒であった。
「まあ、そこは頑張ってくださいとしか言えないですね。ともかく、乗り心地は最高です。全く問題はない」
「ありがとうございます。それでは降りましょうか」
獣車が止まり、その車部分から彰弘と担当者が降りる。
そしてガルドもまた甲羅で固定していた轅を外し身体を小さくすると、彰弘の身体をよじ登り定位置である肩へと腰を落ち着けた。
「さてと、少しだけ変更の注文をしたいんですが、いいですか?」
真剣な顔で動きを止めた車へと目を向ける責任者へ彰弘が話しかける。
すると責任者は幾分表情を和らげ彰弘へと向き直った。
「ええ、何でも言ってください」
「そうですね、まず乗り心地には満足していますので、そこ関係は特に問題はないんですが、轅を少し変えてください」
「やはり、そこでしたか。今回はとりあえず普通の獣車を参考に、そちらの従魔が引くことを考えて造ったんですが、今実際に動いているところを見て、もっと大きい方が良いと感じました」
伊達に車を造る責任者をやっているわけではなかったようだ。
そのことが分かり、彰弘は遠慮なく変更後の形状を、ガルドが望んだままに責任者へと伝えた。
「単なる棒状では駄目だと。なるほど。……出発はひと月後でしたよね?」
「ええ。長距離を移動する試しになるファムクリツ行きは、そのくらいです」
「なら、申し訳ありませんが、十日後に一度来てもらっても構いませんか? 新しい轅をいくつか造っておきますので」
「分かりました。お願いします」
そしてそんな約束をして、この場はお開きとなる。
後日、再度この場を訪れた彰弘は、ガルドの要望にそった轅を目にする。そしてその場で見事な車が完成するのも目にするのであった。
お読みいただき、ありがとうございます。




