2-1.
前話あらすじ
ゴブリンを撃退し終わった避難所に元自衛官らで構成された部隊が到着する。
避難所の人達はその部隊の護衛の下、校庭を片付け亡くなった人達の葬儀を行うのだった。
子供の笑い声が外から聞こえてくる。
朝から書類整理をしていた女はそれを中断し窓の外へと目を向けた。そこには雨露に濡れた芝の上を元気に走り回る子供達と、そんな子供を見守る大人達の姿があった。
女は凝り固まった身体をほぐすように椅子に座ったまま伸びをしてから立ち上がり窓辺へと近づいた。そして「子供は元気が一番よね」と独りごちながら微笑みに目を細めた。
子供達の姿に顔をほころばせ外の様子を眺めていた女だったが、仕事が途中であることを思い出した。正直、書類整理の類は好きではない女だったが他に適任がいないので仕方がない。
その場で「ん〜」と声を出し伸びをしてから、女は中断した仕事を再開するため窓辺から離れたのだった。
◇
世界の融合から八日目。すでに元自衛隊員による護送任務は拠点の治安維持と拠点周辺の警戒任務へと移っていた。
この拠点となるべき作られた避難所からは、どの方向に進んでも直線距離にして最長で十キロメートルほどしか地球の土地はなかった。その先はリルヴァーナの土地だ。そのため、三日目にはこの場所から行ける全ての避難所を巡り終え、五日目には全ての部隊がこの拠点へと帰還していた。
今、この拠点には日本人がおよそ三万人ほど避難している。
政府の想定ではこの拠点への避難者は十五万人ほどであった。それがここまで少ないのにはいくつか理由がある。それは融合会見の後、離れて暮らす家族の元に帰郷した国民が多かったことと、融合に際しこの拠点周囲の地球側の土地が想定より狭かったこと、そして魔物に襲われ亡くなった人が多かったことだ。
特に魔物の被害は想定外であった。これは何も政府のせいだけではない。事前の通達に従い避難した人々が全員建物の中で助けを待っていれば最小限の被害ですむはずだった。しかし一部の避難所の人達は僅かな期間とはいえ建物に篭ることに我慢できず日中は外に出ていた。その結果、魔物に見つかり襲われたのだ。
そんな理由もあり、拠点に避難することができた人々は家族や知り合いと合流できていなかったり死別したりで、最初の数日は酷く落ち込んでいた。しかし徐々に――元通りとは言えないが――元気を取り戻していった。何しろこれからはこの環境で生きて行かなければいけないのだ。いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないことは誰もが分かっていた。
幸い拠点は周りを強固な壁で覆われており、周辺にいる魔物なら屠る力をもつ元自衛官である兵士も駐在している。また水や食料に関しても事前に備蓄されていた分に加え、この拠点の近くに融合した異世界の街とも連絡が取れており心配する必要がなかった。
本当に何の準備もなく融合が起こったのならば、どのような組織でも対応することは難しかっただろう。しかし此度の融合は十分でないとはいえ事前に準備をする期間があり、それぞれの組織が最善の努力を行った。結果、生き延びた人達は当面の生活を心配せずに、先のことを考えることができたのである。
◇
目を醒ました彰弘はおもむろに上半身を起こすと一度深呼吸をした。覚醒した直後から様々な思考が入り乱れ収拾がつかなくなりそうだったからだ。
ここはどこなのか、何故自分はここにいるのか、六花達は無事なのか、あの後どうなったのか……。
彰弘は再度深呼吸を行う。二度目のその行為でようやく入り乱れていた思考が落ち着いてきた。
とりあえず現状を確認しないとどうしようもないと考えた彰弘は、今自分がいるこの部屋がどこにある何なのかを考察することにした。
大きめの窓にかけられたカーテンの隙間から外の光が差し込んでおり、少々薄暗いが部屋の中が見て取れた。
その部屋は彰弘の記憶になかった。丈夫そうな壁は僅かに灰色が入った白色で、広さは六畳ほどだろう。光が差し込む窓の近くに彰弘が今上半身を起こして座っているベッドが一つあり、窓側ではない脇に引き出しのついた物入れがある。窓と対面の位置にある壁際には丸テーブルが一つ置かれており、これまた丸い背もたれのない椅子がその傍に数個重ねて置かれていた。そしてその壁がある面に出入り口となるだろう引戸も設置されていた。
一瞬、小学校の保険室かとも思ったが、あそこはもっと広かったし部屋の作りも違っていた。
なら病院か? 生まれてから今まで入院などしたことはなかった彰弘だが、その場の雰囲気と、以前、交通事故で入院した友人の見舞いに行ったときの病室と何となく感じが似ていたためそう考えた。
そういえば、と今更ながら彰弘は自分の友人のことを思い出した。アイツは生きているのだろうかと。
その友人は住んでいるところが少し離れていたことと勤務時間の関係で、ここ数年は電話とメールなどのやり取りだけで直接会う機会はなかった。それでも親しいといえる間柄であった。
彰弘と同年代のその友人は妙に馬が合っていた。翌日が休日だと文字通り朝まで語り合ったり――主にチャットだが――もするそんな仲だ。語り合う内容は様々で、現実にはいないゲームなどに出てくるスライムの生態考察などというものから、大気圏に突入する物体が加熱するのは圧縮熱なのか摩擦熱なのか、というようなものまで多岐に渡っていた。
ともかく、そんな仲の友人が無事であることを彰弘は祈った。
そんな風に彰弘が友人のことを思い出していると、ふと人の気配を感じた。どうやらこの部屋の出入り口であるであろう引戸のある方向のようだった。
壁が薄いわけでもないだろうにと思いながら待つこと数秒、彰弘の耳にノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
誰だろうなと考えながら彰弘はノックに対して声を返した。
すると一拍ほどの間をおいて「やっと、起きたー!」との大声と共に引戸が勢いよく開けられた。
引き戸が開け放たれたその場所には白衣を着た女が立っていた。
一言で言えば美人である。見た目は二十代前半だろう。色白の肌に切れ長の目。スラリとした均整のとれた体型をしている。そして空色をしたセミロングの髪は色艶が良くサラサラしており思わず触りたくなる。そして頭頂部より少しだけ低い位置まである細長い耳も女の美顔を損ねるものではなく、むしろ引き立てさえしていた。
彰弘はその女の容姿を見たままの感想を頭に思い浮かべ、「は?」と間抜けな声を漏らした。
イメージ的には日本人が思い浮かべるエルフに近い。違うのは髪の色くらいだ。
しかし問題はそこではない。何故コスプレした女が自分のところにくる。いや、コスプレにしては自然すぎる。ではコスプレじゃないのか? いやいや現実にいるわけないだろう。
彰弘は混乱しそうな思考を何とか治めようと努力した。
そんな彰弘の努力を知らない白衣のエルフ? は、ずかずかと部屋の中に入り込むと矢継ぎ早にまくし立てた。
「もうもうもうやっと起きたどれだけあの子たちを心配させるのよあなたが起きてないのを見て落ち込んででもすぐ気を取り直してあなたの世話をして帰ってまた次の日に来て落ち込んで気を取り直して世話をして帰ってああもうもうもうもう何六日間も寝てるのよもうもう……」
余程鬱憤が溜まっていたのだろう、その口撃は止まる様子を見せなかった。
彰弘は目の前で顔を赤くし憤る白衣のエルフを見て、自分の思考が治まるのを自覚した。
だが今度は目の前で未だまくし立てる白衣のエルフをどう治めるかで悩み始めた。
相手の性格やら今の状況が分かっていれば今の口撃を止めることができるかもしれないが、残念ながら初対面の上に状況もさっぱりの彰弘だった。
しかし似たような経験を彰弘はしたことがある。だからその時の対応に倣うことにした。それは、適度に相槌を打ちながら話が終わるのを待つ、これだった。
どれだけの時間で終わるかが分からないという欠点はあるが、要所要所での相槌により話を聞いているアピールができる。ついでに話が終わった時には相手は疲れいて対処がしやすくなる。下手に口を挟むより余程有効な手段だった。
部屋の引戸が開いてからおよそ十分、彰弘が適度に相槌を打っていたその口撃は白衣のエルフの息が続かなくなったことで、ようやくやんだ。
「え〜と、大丈夫か?」
顔を上気させ肩で息をする白衣のエルフに向けて、彰弘の口からそんな言葉が出た。無論、他意はない。
白衣のエルフは「ちょっと待って」と手振りだけで返し、息を整えることに集中する。どうやら声を出す余裕はないらしい。
彰弘が待つこと数分、呼吸を整え終えた白衣のエルフが窓にかかったカーテンを開けながら声を出した。
「お待たせ。私はこの治療院の雇われ院長で、名前をサティリアーヌ・シルヴェニアというの。多分呼びにくいでしょうからサティでいいわ。さて、無駄に時間を使ってしまったことだし、さくさく進めましょうか。起きているところ悪いけど診察するから横になってもらえる?」
時間を使ったのは明らかにサティリアーヌなのだが、そんなことはお構いなしに物事を進めていく。
その行為に意見の一つも言いたい彰弘だったが、従っといた方がいいぞとの本能の語りかけにより開きかけた口を閉じ素直にその場で横になった。藪をつついて蛇を出す必要はないのだ。
なお、彰弘の自己紹介は「リッカちゃん達から聞いてるから大丈夫よ、アキヒロさん」とのことで省略させられた。
サティリアーヌの声で身体を起こした彰弘は、真剣な顔で何やら書いている彼女へと向かい声を出した。
「今のが診察?」
彰弘がそんな疑問を持ったもの無理はない。サティリアーヌが行ったのは彰弘の身体に手を翳してそれを動かしていただけだからだ。
地球での診察方法は身体所見である。これは視診や聴診などにより、医師がその感覚で患者の反応を読みとり診断する方法である。
一方のリルヴァーナでは手翳しと言われる診察方法が一般的であった。
この手翳しは患者へと診察用に調整した魔力を送り込み、そこから返ってきた様々な反応によって患者の状態を診断する方法だ。
そのため、彰弘はリルヴァーナのそれを診察と捉えることができなかったのである。
余談となるが、先ほどまで彰弘に手翳しをしていたサティリアーヌと小学校の校庭で彰弘の怪我を治したミリアは、手翳しで地球のMRIなどの機器と同等以上に患者の状態を把握できる実力を持っている。
手翳し自体は魔力がありその方法さえ知っていれば誰でもできるのだが、サティリアーヌとミリア並の実力を持つものはそうはいない。
そんな二人に診てもらうことができた彰弘は幸運であるといえた。
手翳しで得た情報をカルテに書き込み終わったサティリアーヌは彰弘へと顔を向けた。
「ん? 地球のとは違うと思うけどちゃんとした診察よ。嘘だと思うなら後で図書館とかで調べてみて。そんなことより、身体に異常とかは感じない? 何でもいいから言ってみて」
彰弘の疑問を「そんなこと」の一言で片づけてサティリアーヌは診察を続ける。
問診はあるんだなと思いながら彰弘は自分の状態を口にした。
「そうだな。少し身体が怠い、体型が違う。痛みは特にない。後、異常といえるか分からないが、眼鏡がなくても良く見える」
「ふーむ。特に問題はなさそうね」
彰弘から聞き取った内容と自分の診断した内容を照らし合わせたサティリアーヌはそう呟きカルテにペンを走らせる。
その声耳に入った彰弘は眉間に皺を寄せ疑問をその顔に表した。
身体の怠さはともかくとして、何もしていないはずなのに、眼鏡がなくても周りがはっきりと見え、身体についていた余分な脂肪がなくなっていたのだ。疑問に思わないわけがなかった。
「そんな顔しないでよ、ちゃんと説明するから」
そう言うとサティリアーヌは書き終えたカルテをベッドの横に置かれた物入れの上に置き、彰弘へと向き直った。
「まず身体の怠さだけど、これは単純に魔力が全快してないからよ。だから今晩ぐっすりと寝れば明日には消えてるはず。次に体型と視力だけど、その二つはゴブリンの魔素を吸いまくったためね。特別に気にすることじゃないわ」
「せっかく説明してもらったところで申し訳ないんだが、さっぱりだ。そもそも魔力とか魔素とかが何なのか、そこからして分からない。さらに言うと君みたいな耳と髪の色をした人物を見たこともない」
サティリアーヌの説明に彰弘は首を横に振り、ついでとばかりに初めて彼女の姿を見た時の疑問も解消しようと言葉を付け加えた。
魔力や魔素は小説やゲームなどで使われることもあるので彰弘も単語自体は知っていた。しかしそれはあくまで空想の中での知識だ。サティリアーヌが言った魔力や魔素の意味と彰弘が思い浮かべたそれが同じとは限らなかった。
同じようにサティリアーヌの種族も彰弘がエルフと思っただけで実際には違う可能性があった。
「ああ、そうね、そうよね。わからないよね。じゃぁ、ちょっと長くなるから飲み物でも持ってくるわ。後、時間もちょうどいいしお昼ご飯の用意もしてくる。少し待ってて」
そう言うとサティリアーヌはカルテを持ち部屋を出るため身体を返した。
「ちょっと待った。行く前にトイレの場所を教えてくれ」
尿意を感じた彰弘は部屋を出ようとするサティリアーヌへと声をかける。その言葉に立ち止まった彼女は彰弘に向き直り、道順の説明と注意を口にした。
「トイレは部屋を出て右に行って、その突き当たりを再度右に曲がれば見えるわ。ああ、そうだ、身体を動かすときは注意してね。あの子達が毎日間接をほぐしてくれてはいるけど、流石にいつも通りに動くのは危険だから。ゆっくりと動いてね、ゆっくりと」
彰弘はお礼を言い無理のない早さでベッドから降りた。
確かに若干間接などが強張っていることを彰弘は感じた。しかし六日間も寝ていたにしては滑らかに動く。
彰弘の口から六花達への感謝の言葉が思わず零れた。
ベッドの脇に立った彰弘は自分に注がれている視線に気が付いた。
その視線はサティリアーヌであった。何故か口元をカルテで隠して彰弘を見ていたのだ。
何だ? とその行為に彰弘が疑問を浮かべているとサティリアーヌが口を開いた。
「んふ〜。いいこと教えてあげる。ゆっくり歩いて、それで漏らしても問題ないから安心して。今、アキヒロさんは高機能魔導パンツ『多くても安心EX』を穿いている上に、あの子達が毎日新しいものに変えてくれているから万が一にも外に漏れ出ることはないわ。ついでだから言っちゃうけど、口腔ケアと摘便はアルケミースライムが、身体の汚れはあの子達が毎日拭き取ってくれてるわ。私は楽できたし、あの子達も嬉しそうだったし良いことだらけね。後、栄養補給は当院特性ゼリーを管を通して胃の中に、ちゅーって送り込んだの。あ、ちなみにアルケミースライムっていうのは老廃物やら何やらを食べて分解してキレイにしてくれるいい子なの。詳しくは自分で調べてね。じゃ、また後で」
「ちょっと待……」
サティリアーヌは一気に言い切ると彰弘の言葉も聞かずに部屋を出て行った。
片手を伸ばした状態で数秒固まっていた彰弘だが諦めたように腕を戻した。
そして不意に小学校で山田に言われたことを思い出す。
「『大変だと思いますけど』って、こういうことか山田先生? あなたはエスパーか……」
思わず独りごちた彰弘だったが、気を取り直すように深呼吸をしトイレへと向かうのだった。