1-13.
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前話あらすじ
ゴブリンの集団が逃げる人達を追いかけ校庭に侵入してきた。
彰弘達は応戦を開始する。
「油断大敵って言葉知ってるか?」
長剣ゴブリンはその声を聞いた瞬間、脇腹の痛みに顔をしかめた。そして声のした方に顔を向けた。
そこには両手に持つ剣を構える彰弘の姿があった。
彰弘は火球が撒き散らした火の欠片のため、ゴブリン二体が自分から意識を外したのを感じた。だからその隙に杖ゴブリンの首を斬裂き、長剣ゴブリンの左横へ移動しその脇腹に攻撃を仕掛けたのだった。
長剣ゴブリンは怒りの叫びを上げながら彰弘に襲い掛かった。
怒りのまま剣を振り上げ迫ってくる長剣ゴブリンは隙だらけに見えた。だから彰弘は早期に決着をつけようと待ち構えた。
彰弘の思惑など知ったことではない長剣ゴブリンは相手を叩き潰すための一撃を振り下ろす。彰弘はその初動を目視した瞬間に全力で大地を蹴った。そして長剣ゴブリンの右側面へ回り込むと右手のマチェットを相手の首へと振り下ろした。
しかしマチェットが長剣ゴブリンの首に僅かに食い込んだところで、異常を感じた彰弘は後ろに飛び退く。
長剣ゴブリンが振り下ろした剣を外側、つまり彰弘が先ほどまでいた場所へと横に薙いだのだ。
危うく彰弘は自分の脚を斬り裂かれるところだった。
冷や汗が背中を伝う彰弘に長剣ゴブリンが再度迫る。先ほどと同様、いやそれよりも速い斬撃が次々と彰弘を襲い始めた。
彰弘は攻めることができなくなっていた。
明らかに首へ攻撃を加える前より長剣ゴブリンの動きが速くなっている。その速度は彰弘が全力で回避に力を入れなければならないほどだった。そのため彰弘の両脚は悲鳴を上げ始めていた。脚が限界を迎える前に何とかしなければならなかった。
一度距離を空けた彰弘は構えを取り長剣ゴブリンを見据えた。そしてどう攻めるか悩む。相手の攻撃は全てが致命傷へと結びつく。だから攻撃は全て躱す必要がある。しかし何時までも躱し続けることができるわけではない。全力での回避なんてそんなに長くできるわけがないのだ。
加えて右手に持つマチェットにも懸念があった。刀身の半ばあたりに亀裂があることに先ほど気づいたのだ。後一度でも攻撃したら、そこから折れることが容易に想像できた。
思考が彰弘に隙を作った。しまったと思ったときにはもう遅い。叫びを上げた長剣ゴブリンの斬撃が目の前に迫っていた。
彰弘は右に倒れこみながら反射的に左手の小剣を振るった。その小剣は偶然にも迫り来る長剣を持つ腕を斬り裂き、その手の長剣を手放させることに成功した。
一瞬の安堵も束の間だった。彰弘は強烈な衝撃と共に数メートル飛ばされていた。ゴブリンが蹴りを放ったのだ。
地面を転がり長剣ゴブリンから十メートルほどの距離で止まった彰弘は自分の状態を僥倖だと感じた。武器を手放してなかったのだ。それに蹴られた部分に感じる痛みも覚えのあるものでパニックにならなくてすんだ。
とは言え横になったままでは殺されるのを待つだけなのは確実だった。だから彰弘は痛みを我慢して立ち上がった。
痛みは肋骨あたりにあった。ヒビが入ったか、もしくは折れたか。それを感じ取れる痛みだった。不幸中の幸いは肺などに刺さってないだろうということだった。もしそうなっていたら、今程度の痛みではすまないはずだった。
彰弘は右半身で迫る長剣ゴブリンを待ち受ける。
長剣ゴブリンは手放した剣を拾いもせず彰弘へと向かって来ていた。
もう激しく動くのは難しいと悟った彰弘は危険を承知で賭けに出ることに決めた。今までと違い、相手の攻撃をギリギリの距離で回避することにしたのだ。
双方がそれぞれの間合いに入った。まず長剣ゴブリンが傷ついていない左腕を彰弘目掛けて振り下ろした。彰弘はそれを内から外へ逸らすように、右手のマチェットが折れるのも構わず叩き付け、素早く敵の懐に入り込み、左手の小剣をその顎下へと突き上げた。
決まっていればそここで終わりだったが、長剣ゴブリンが身体を仰け反らせたため、小剣は僅かに顎先を斬り裂くだけにとどまった。
彰弘は即座に後方へ跳躍し距離をとる。行動の一つ一つに肋骨や両脚から悲鳴が聞こえるが無理矢理押さえ込む。
再び両者は距離を置いて対峙する。
彰弘は小剣は逆手に持ち変えてから右半身に構えた。右手のマチェットはそのままだ。折れたとはいえまだ三十センチほどの刀身が残っている。まだ利用価値があった。
一方の長剣ゴブリンは両腕から血を流し彰弘を睨んでいた。腕を動かすことはできていたが拳を握ることは無理のようだった。賭けの結果は五分五分といったところだった。
今度は彰弘から動いた。
彰弘は長剣ゴブリンに向かってゆっくりと歩き出した。如何にもその速度が限界だというように装ってだ。
長剣ゴブリンはそんな彰弘の姿に警戒したのかその場を動かずに待ち受けていた。
数秒後、彰弘が攻撃の間合いに入る。
その瞬間に身体を沈めた彰弘は両足に溜めた力を即座に開放し、大した構えもしていない長剣ゴブリンへと肩から体当たりをした。
その体当たりは長剣ゴブリンの不意をついた。よろめく長剣ゴブリンは体勢を立て直そうともがくが、彰弘が折れたマチェットで顔面へ叩きつけたため、そのまま仰向けに倒れる。
折れたマチェットを投げ捨てた彰弘は倒れた長剣ゴブリンに馬乗りになると、逆手に持った左手の小剣の柄に右手も添え、一気に長剣ゴブリンの咽喉へと小剣を突き刺した。
咽喉を貫かれた長剣ゴブリンは断末魔を上げることもできずに僅かに暴れたが、最後に一度痙攣し、そのまま息絶えた。
彰弘は苦痛に顔を歪めながら立ち上がった。身体は見た目以上に傷ついていたのだ。肋骨は言うに及ばず、体当たりとした時に右肩を痛めた。それだけではない、限界間際だった脚が、先ほど踏み切ったせいでさらに限界に近づいた。立っているだけで痛みが走る。足の骨にも異常があるのかこちらにも痛みがあった。
それでも動かないわけにはいかなかった。彰弘が向けた視線の先ではまだ戦っている人達がいた。助けないわけにはいかなかった。
彰弘は投げ捨てたマチェットの代わりに長剣ゴブリンが手放した黒い刀身の長剣を手に持ち、そして歩き出した。
山田達や逃げて来た人達が戦っている場所は、彰弘が長剣を拾った場所から十五メートルほどの距離だった。普段なら何でもない距離だが今の彰弘には遙か遠くに思えた。
彰弘が五メートルほど進んだときだ、山田達にも逃げて来た人達にも絡んでいなかったゴブリンの内の一体が彰弘の存在に気が付く。
そのゴブリンは何やら奇声を上げると彰弘に向かって走り出した。するとそれまではただ騒いでいただけのゴブリンが続々と倣うように彰弘へと向かい出した。
「そっちから来てくれるのは助かる。歩くのも辛くてな」
向かってくるゴブリンを見て彰弘は立ち止まりそう独りごちた。事実、彰弘の脚は限界を迎えていた。しかしまだ上半身は何とか動く。だから脚が動かせない分、腕にそして左右の手に持つ小剣と長剣に意識を集中させてゴブリンをその場で待ち構えた。
最初のゴブリンは彰弘に近づいた瞬間に何もできず首を断ち切られた。二番目に到着したゴブリンは棍棒を振り上げたところで心臓を貫かれた。その次も、またその次も似たような光景が繰り返される。彰弘が鈍く光る長剣を振るたびにゴブリンの身体は切断され、小剣を振るたびにその首から血を吹き上げる。
彰弘は自分が死なないために只管剣を振り続けた。どのくらいだろうか? そう時間はかかってないと思える。無心で剣を振っていた彰弘が気が付いたときには、周りからゴブリンの姿が消えていた。変わりにあったのはゴブリンの血と臓物で溢れかえり酷い血の臭いを漂わせる地獄のような光景だった。
彰弘はその中心で苦しげに肩を上下させ荒い息をつく。そんな状態でも彰弘は生きているゴブリンがいないか周りを見渡した。自分の周りにはいない。山田達や逃げて来た人達の周囲にも見当たらなかった。後ろを振り向くと数体のゴブリンの背中が見えた。身体が万全であれば追撃もできただろうが今の状態では到底無理な話だった。
生きているゴブリンが校庭から姿を消して数分が過ぎた。
危険は去ったと考えたのか、昇降口から何人かが出てくるのが見えた。大人もいれば子供もいる。無事を喜んでいる人も倒れた人に寄りすがり泣いている人もいた。
そんな中、彰弘の目に少し離れたところで倒れている二人に駆け寄る小柄な少女の姿が映った。少女が駆け寄る先にいたのは、ゴブリンの火球により倒れその後も起き上がることがなかった二人だった。
倒れた二人の傍で膝をついた少女はその顔を確認するような動きをし、そのまま地面に座り込んでしまった。
彰弘は酷く痛む身体を無理矢理動かし座り込んだ少女の下まで歩み寄った。そして俯いたままの少女とその前に横たわる一組の男女を目にし、間違いであって欲しかった事実を彰弘は認識した。俯いたままの少女は、昨日の朝に彰弘が知り合ったばかりの少女で、横たわる男女はその少女によく似た顔立ちをしていたからだ。
「……六花」
彰弘の口から少女の名が漏れた。
僅かに聞こえる程度のその声に六花は顔を上げた。そしてその瞳に涙を浮かべて震える口を動かした。
「お父さんとお母さん、死んじゃった……」
笑顔が似合う子のこんな顔は見たくなかった。彰弘はそう思う。
「すまない。助けられなかった」
彰弘は膝を地面について謝罪の言葉を口にした。それ以外に言葉が出てこなかった。
六花の悲しみに沈んだ表情が彰弘の心に痛みをもたらす。それは単純な身体の痛みなどとは比べものにならない痛みだった。
彰弘は何か言わなければいけない気がした。泣くことをしない少女に何か言葉をかけるべきだと感じた。しかし言葉が思いつかなかった。結局、彰弘の口から出た言葉は「六花」という少女の名前だけだった。
でもその一言が鍵だった。それまで両親の死という突然の出来事に感情が混乱し、六花は悲しくても声を上げて泣くことができなかった。しかし両親から与えられた名前が彰弘の口からはっきりと聞こえた時、混乱していた感情が全てあるべき形に戻った。
六花は彰弘に抱きつき、大粒の涙を零しながら泣き出した。
彰弘はそんな六花の背中をあやすように優しく擦っていた。
暫くの間、泣き続けていた六花だったが落ち着いたのか彰弘の身体から離れた。
「彰弘さん。お父さんとお母さんの声が聞こえました。そんなに泣くなって。遠くからだけどいつでも見守ってるって。だからもうだいじょぶ」
赤い目をした六花は彰弘へとそう伝えた。その顔にはまだ悲しみがあったが、微かに笑みも浮かんでいた。
六花が聞いた両親の言葉は幻聴かもしれない。でも、それでもいいんじゃないかと彰弘は思う。幻聴と断ずることは誰にもできないそれは、六花にとって紛れもない真実なのだから。
「そうか。でも無理はするんじゃないぞ。泣きたくなったらいつでも身体を貸してやる」
そう言った彰弘はふと自分のグローブを着けた手の中に何かがあるのに気が付いた。そしてそれを確認した彰弘は聞き覚えのない声を耳にした。
「六花、ちょっと手のひらを上に向けて」
疑問を浮かべながらも六花は彰弘の言葉に従う。
そんな六花が差し出した手の上に、彰弘は「君の両親からの贈り物だ」といつの間にか自分の手に握られていた二つの指輪を置いた。
「これ、お父さんとお母さんの結婚指輪。どうして彰弘さんが?」
手に置かれた指輪の刻印を見た六花は当然の疑問を口にした。
その指輪は六花の言うとおり倒れ伏した男女の指に着いていたものだった。
「その指輪が手の中にあるのに気が付いたとき『娘を頼む』って声が聞こえたよ。多分、その証明だろう。六花を思う両親の気持ちは確かに受け取った。ただ六花、その指輪は君の物だ。大事にするといい」
彰弘の言葉に六花は両手で指輪を包み込み祈るように目を閉じた。
胡坐の彰弘と女の子座りの六花は互いの姿を冗談交じりで酷評していた。
傍から見ると不謹慎かもしれないが精神を保つためには必要なことであった。
「お二人とも大丈夫ですか」
全身血塗れの彰弘と、その彰弘に抱きついて泣いたため同じく血塗れになった六花へと近づいてきた鷲塚が声をかけた。
鷲塚のすぐ後ろにはどこか沈んだ顔の紫苑の姿も見えた。
「ああ、俺と六花は大丈夫だ」
そう言った彰弘は僅かに視線をずらす。彰弘の視線の先には六花の両親が横たわっていた。
その意味に気が付いた鷲塚は沈痛な表情を浮かべる。
聡い紫苑も同じく意味に気付き沈んだ表情のまま六花の傍に座り込んだ。
暫く沈黙していた四人だったが校門の方へ目を向けた彰弘が口を開いた。
「どうやら助けが来たようだ」
その言葉でその場にいる残りの三人も校門を見た。
そこにはいたのは三十人ほどでほとんどが揃いの装いをしていた。
その中の一人が次々と指示を出しているのが彰弘達のいるところからも分かる。
よく訓練されていると見て取れるその姿に彰弘は安堵を覚えた。
「さて鷲塚教頭。さっきは大丈夫といったんだけどな、実のところいろいろ限界だ。すまないが少し休む」
鷲塚へそう言った彰弘は、視線を六花と紫苑に向けた。
「そういう訳だから、このまま……」
少し前から意識がところどころで途切れていた彰弘は言葉の途中で意識を失った。
「彰弘さん?」
六花が動かなくなった彰弘に声をかける。
「ねぇ、彰弘さん。返事をしてください」
六花の手が彰弘を揺さぶる。
「お願いだから返事をしてよ。彰弘さんいなくなったら、わたし独りになっちゃう! そんなのやだよ。お願いだから返事をしてよ!」
取り乱したように六花は泣きながら彰弘の身体を揺らし続ける。
彰弘の身体は呼吸のため僅かに動いていたが、つい先ほど両親を失ったばかりの六花はそのことに気付くことができなかった。
六花の突然の変わりように呆然としていた鷲塚は事態を治めようと動く。
「和泉さん落ち着いてください! 榊さんは死んだわけではありません。だから落ち着いて!」
そんな鷲塚の言葉も六花には届かない。今の六花に他人の言うことを聞き入れる余裕はなかった。
「六花さん落ち着いてください!」
紫苑はそう言い六花に後ろから抱きつき、彰弘から引き離そうとする。
しかし紫苑は六花を引き離すことはできないでいた。
「離してよ! わたし独りになっちゃうよ!」
「大丈夫。大丈夫だから。彰弘さんは六花さんを独りになんてしないから。今はちょっと寝ているだけだから。ほら、落ち着いて。彰弘さんは死んでなんていないから。ね、息しているのが分かるでしょ。だから落ち着いて」
六花に抱きついたまま紫苑は彰弘が生きている証を示し六花を落ち着けようとする。
紫苑の透き通ったその声が六花の耳に入ってくる。
すると今までの変わりようが嘘のようになりを潜め、六花は自分の耳をそっと彰弘の顔に近づけた。
「ほんとだ。息してる」
ぼそっと呟いた六花は「ごめんなさい」と続け彰弘から離れた。
元の場所に戻った六花は黙ったまま下を向いた。そんな六花に寄り添った紫苑は慰めるようにその身体を抱きしめていた。
鷲塚は少女二人のその姿に一つ安堵の息を吐き出すと、座ったままの彰弘を地面に横たえた。
そして、どうしましょうかと思案し始めたときに男に声をかけられた。
それは先ほど校門に現れ指示を出していた迷彩服を着た男だった。