1-11.
前話あらすじ
校舎に戻った彰弘達は着替えをするために職員用の更衣室に向かう。
そこで隣からの物音を聞く彰弘。隣の部屋へ突入すると男に組み敷かれている、桜井と二人の少女の姿があった。
その後、彰弘は女性を組み敷いていた男をゴブリンを使い始末する。
世界の融合から二日目の今日も、空からの日差しは厳しかった。雲一つない快晴である。
校舎内での作業を終え見張り交代のため屋上に出た彰弘は、そんな空を見やり厳しそうだと目を細めた。しかし屋上に建てられた小屋に入るなり思わず感嘆の声を漏らすことになる。
その小屋は昨晩急遽建てられたものだった。
九月とはいえその日差しはまだ強く、日中の見張りは厳しいとの意見が出ていた。そこで考え出されたのが見張り場所となる屋上に日除けを作ることだった。
日除けを作る場所は、昨日荷運びの最中に屋上で見張りについていた人達が最適な位置となる四ヵ所を見つけていた。それぞれの見張り場所となるその位置からは、小学校の敷地と外を繋ぐ三つの出入り口の内、その二つ以上を確認することができた。
日除けを作ったのは昨晩見張りについた人達だった。その日除けというより小屋と言えるそれは、どこにあったのかは不明だが、簾や角材、そしてベニヤ板などで作られており、屋上の柵にしっかりと固定されていた。そのため、台風でも来ない限り崩れそうもない。本来の目的である日除けについても万全で、頭上の板とそこから垂れ下がる簾により問題なく遮られている。また時折吹き抜ける風も簾のお陰で小屋の中を適度に吹き抜けた。床にあたる部分には備蓄品で余っていたマットが敷かれており、ある程度長時間座っていても苦にならない。そして何より大事な見張りを遂行する為の視界が確保されていた。
欠点は小屋の高さが屋上の柵と同じため、小屋の中で立ち上がることができないくらいだ。しかしその欠点もゴブリンに見つかる可能性を少しでも防ぐため、柵より上に身体を出さないのようにしなければならない今、欠点とはなり得なかった。
一晩で作ったにしては恐ろしいほどの完成度をもつ小屋であった。
「いやぁ、ほんとに涼しいっすね〜」
若干緩い調子で彰弘の感嘆の声に同意したのは校舎内の作業で彰弘と打ち解けた用務員の宮川だ。
初対面のときと口調が違うが、こっちが宮川の素であるらしかった。
彰弘や宮川、それに今見張りに就いている面々が校舎内で行っていた作業というのは、重量のある物を指定された位置に運ぶ作業だった。何故運ぶのかというとバリケードを設置することになり、それに必要だったからだ。
当初、バリケードの設置は予定になかったことだが、ある理由により急遽その必要が出てきた。その理由とは一部の大人が今朝早くにこの避難所を出て行ってしまったことだった。
警察官である脇谷や昨日校庭で見張りについていた人――ゴブリンとの戦闘経験がある人達――が全員避難所に残ったことは不幸中の幸いだが、大人の減少は如何ともしがたい。
そのため、元々の校舎にゴブリンが入って来そうな場合は速やかに防火扉を閉めそれを固定し対処する、という方法を取ることが難しくなった。
万が一にも防火扉を閉めるのが遅れたら、児童と呼ばれる年齢の子供が避難者全体の六割を超えたこの避難所は全滅する恐れがある。
そのため考え出されたのが、ゴブリンの動きを妨害し誘導するためのバリケード設置だった。
避難所となっているこの校舎には三つの階段があり、中央に一つと左右の端に一つずつ、全てが建物の中に配置されていた。中央の階段は幅が広く左右の階段は狭い。
バリケードはその三つの階段の内、左右の階段に対して設置することとなった。正確に言うとその左右の階段は完全に封鎖することにしたのだ。
バリケードに用いるものは各教室にあった机や椅子だ。一階から四階までの階段をその机と椅子で埋め尽くす。しかもただ埋めるだけでなく撤去が難しくなるようにと、机と椅子の足を交差させその足を紐で縛り離れないようにするなどの細工を施す。一つ一つは子供が持ち運べる程度の重量しかないそれは、幾重にも重なり組み合わされたことにより、手作業で取り除くのは人であろうと多大な労力と時間を必要とするものへと変貌するのだ。
中央階段もそのままというわけではない。
各階の間にある踊り場には、校舎内にあった重量のある物――例えば図工室の机など――を積み上げる。ゴブリンが階段を昇ってきた際には、それを落とし少しでも数を減らすためだ。
最後に四階の中央階段側を除く全ての防火扉を閉じる。そして一階から三階までの中央階段に続く防火扉は、念のために取っ手の部分を潰して簡単に開かないように細工を施す予定であった。
完璧を期すならば全ての防火扉を閉め固定してしまうべきだが、それでは避難者の精神が持たない可能性が高かった。そのため、屋上やトイレ、それに水道のある場所へ繋がる四階の中央階段側にある防火扉だけはギリギリまで開けておくことにした。
尚、一見すると破られやすそうな一階の出入り口や窓のガラス部分は防犯ガラスが使われている。そのため、資材が足りないという理由もあり、特に補強はしないということになっていた。
見張り小屋に入って暫く経ち、それまで彰弘と同様に無言で外を見張っていた宮川が口を開いた。
「そう言えば、今日出て行った人達はよく出て行く気になれたっすね」
バリケード設置の要因となった大人十人について、宮川は理解できないと表情をした。
宮川の言葉には彰弘も同じ気持だった。昨日のゴブリンを見る限り、見つからなければ襲われる可能性は低いだろう。それなのに見つかりやすい外を出歩くなど正気とは思えなかった。
それに目的地とする場所が融合前と同じ位置にあるとは限らないのだ。今、彰弘の目に映る樹海や山脈のような異世界の土地が、この小学校と拠点となる避難所の間を阻んでいるかもしれなかった。
「まったくだ。外は危険だと分かる上に目的地もはっきりしていない。よくこんな状態で出て行ったもんだ」
「そうっすよねー。そうだ榊さん。見張りを放棄するわけじゃないっすけど、そのことについて考えてみないっすか?」
無言でじっとしていることが苦手な宮川はそう彰弘に提案した。
「そうだな、眠気覚ましにもなるし少し考えてみるか」
今はまだ眠気などないが、延々と無言で見張りをしていたら眠気がやってくるのは分かりきっていた。だから彰弘は宮川のその提案を受け入れることにした。
「でも考えるのはいいとして、何から考えればいいっすかね? 闇雲に考えても答えは出そうにないっすよ」
「そうだな……。出て行った連中、逆に残っている人達、そして当初は出て行くと言ってたがここに残った三人。ついでに昨日の襲撃でここから逃げた方がいいと言っていたが結局残った人達。それぞれの共通点から考えるか」
「最後のは、残っている人達、と同じに考えてもいいと思うっす。あの人達は今日出て行った人達の言葉で不安になった声を出しただけみたいっすから。結局、山田先生の説明ですぐに残ることを決めてたっすよ」
宮川の言葉に「そうか。なら三種類だな」と彰弘は返し、顔の向きはそのままで考え始めた。
彰弘の目は時折左右に動き敷地の中と外を見ており見張りを忘れてはいないようだった。
横で口を閉じ考え始めた彰弘を見た宮川もそれに倣った。
暫くして彰弘が口を開いく。
「とりあえず、俺が思いついたことを口に出すから意見を出してくれ」
「了解っす」
宮川は横目で彰弘を見てそう答えた。
「まず、性別や年齢の差はないと考えていいと思う。どのグループも男女両方いるし、歳もバラバラだ」
宮川が頷くのを見て彰弘は言葉を続ける。
「後、家族と一緒に避難してきたか、そうでないかも外していいだろう」
昨日、移動を主張していながらも残った三人には子供がいたが、元々残っていた人達と出て行った人達の中には、家族で避難してきた人達が混じっていたことから、彰弘はそう口に出した。
「そうっすね。ん? ちょっと待ってくださいっす。家族、親子……」
何かが引っかかったように宮川が考え始めた。
それを見た彰弘は黙り込み、宮川が口を開くのを待った。
「親子、というか子供が鍵っすかね……」
暫く考え込んでいた宮川はそう声を出した。
「子供?」
「はい、そうっす。今朝出て行った人達の中には夫婦はいましたが親子はいなかったっす。ちょっと短絡的ではあるっすが、子供のことを考えない大人が出て行ったと考えられるっす。そう考えれば、移動を主張していて今残っているあの人達にも当てはまるっす。あの人達は親子で避難してきていたっすから」
一度、言葉を切った宮川は彰弘の顔を見て、その顔が続きを待っているのを確認してから言葉を続けた。
「もちろん、子供といっても親子としての子供のことだけじゃないっすよ。これはさっき言った三人に当てはまるかは分からないっすけど、子供を見捨てられないって人が今ここに残ってると思うっす。先生方は間違いないでしょうし、他の大人も様子をみる限り子供を見捨てるようには見えないっす。僕は子供が好きっすから自分だけ逃げようなんて考えたこともないっす。榊さんもそうっすよね。でなければゴブリンと戦うなんて危険なこと積極的にするわけないっすもんね。何より、ここには和泉ちゃんや望月ちゃんがいますもんね」
最後に意地悪そうな笑みを宮川は浮かべた。
宮川の言いように彰弘は何とも言えない表情をしながら六花と紫苑の顔を思い浮かべ「そうだな」と同意する。
「とりあえず大人はそうだとして、子供達はどうなんだ?」
「子供達は多分単純にここにいた方が安全だと思ってるんすよ。なんたってここにはヒーローがいるっすからね」
「ヒーロー?」
場違いに思える宮川が発した単語に彰弘が聞き返した。
そんな彰弘へ宮川は笑みを返す。
「敵の攻撃に膝を折る主人公。そこに飛ぶ少女の声。その声を受けて主人公は迫り来る火球を撥ね除け立ち上がる。そして一瞬の内に敵へと迫りそれを打倒する。どうっすか? いやぁ、憧れるっすよね、ヒーロー」
はじめは何のことか分からなかった彰弘だが、徐々に背中がむず痒くなる。そして理解したところで顔を手で覆った。
「恥ずかしすぎる……」
宮川の言うヒーローは彰弘だ。なるほど、作業中に感じた視線はそれが原因か。確かに自分が当事者ではなければ王道っぽいヒーローだと彰弘も思わなくもない。
「いいじゃないっすか。お陰で子供達は騒ぎもせずにいるんすから」
「そうは言うがな……まぁ、それは置いとくか。にしてもそれだけでおとなしくしていられるものか? いくら守ってくれる人がいるとはいえ、怖いものは怖いだろ。それに自分で言うのも何だけど、俺のことを怖がる子供もいると思うんだが」
いくら何でも子供全員が、怖がりも騒ぎもせずにいるとは思えない。彰弘の疑問はもっともだった。
「まぁ、半分くらいは和泉ちゃんと望月ちゃんのお陰っすね」
「六花と紫苑の?」
「はい。榊さんと話すあの二人の顔は安心しきってるっすから。それをみんな見てるんすよ。だから安心だと思い込んでるんすね。そしてそれは榊さんについても同じで、あの二人と話す榊さんは、いたって普通のおじさんにしか見えないっすからね。だもんで『戦っているとき以外は普通のおじさん』が榊さんの今の印象となっていて怖がるとこまでいかないみたいっすよ」
子供から見たら確かに彰弘はおじさんだと言える。同年代の子供が安心して話す姿を見ればそれに影響も受けるだろう。
ただ、それだけか? 何か別の要因もあるのではないかと彰弘は思う。しかしどれだけ考えても答えは出そうになかった。
結局、理由は分からないが子供達がパニックになっていないだけマシとの結論に彰弘は達した。
「つまり、子供を守ろうとした人達と、ゴブリンに対抗できる人がいる避難所が安全と思った人達が残り、そうでない連中が外に出て行った。そういうことになるのか」
「まぁ、短く纏めるとそうなるっすね」
宮川の同意に彰弘は一つ頷いた。
一つの結論を得た彰弘は「さて本題だ」と口に出そうとしたが、その前に宮川が口を開いた。
「そう言えば榊さん、ヒーローの如きあの動きはなんだったんですか? ちょっと気になるっす」
ヒーローというその言葉に恥ずかしさがぶり返してきた彰弘は顔に手を当てる。
「その『ヒーロー』というのはやめてくれ。柄じゃないし恥ずかしすぎる」
疲れたように言う彰弘に、宮川は「ええ〜」っと不満気な声を漏らしたが、それに返ってきたのは無言の圧力であった。
「し、仕方ないっす。もう言わないっすよ。それはそうと、あのオリンピックの選手も真っ青な動きは何だったんすか?」
彰弘の態度に、少し顔を引きつらせた宮川は再度疑問を口にした。
その疑問に彰弘は昨日の自分を振り返り、そして宮川の言いたいことを理解する。
走幅跳の世界記録が今現在、九メートル弱だ。助走もなしに五メートル近くを一度の跳躍で移動した彰弘は明らかに普通ではなかった。
「何なんだろうな? 朝は普通だったんだがなぁ」
「昨日の夕方くらいから今にかけたはどんな感じなんすか?」
「そうだな、昨日はよく分からないが今はすこぶる体調がいいな。身体が軽いと言えばいいか、そんな感じだ」
宮川の聞いてきた内容が何に関係するのか、いまいち分からない彰弘はそう答えつつも首を傾げる。
そんな彰弘の横で宮川は何やらブツブツと口の中で呟くと、ある確信を持ったように喋り出した。
「さっきの作業中に山田先生と話したんすけど、昨日の夕方くらいから身体が軽く感じてたらしいんすよ」
山田も自分と同じ様な感じか? と思うものの、いまいち良く分からない彰弘は続きを促す。
「多分、実際に動きやすくなってるんだと思うっす。もちろん体重が減ったとかいうわけではなく、力が増したって方向で」
「昨日の今日で、いや山田先生の話だと昨日の内にか。そんな時間でそうは変わらないだろ?」
普通ではありえないことに、彰弘は疑問を返す。
「普通ならそうなんすけどね。昨日の体調は榊さんが鈍いせいなのかはっきりしないっすけど、今日の体調は榊さんと山田先生で一致しているっす」
宮川の言いように彰弘は「おい」と突っ込みを入れるが、宮川は自分の考えに集中して話しているためか、それに気が付かない。
「で、考えたんすよ。榊さんと山田先生の共通点を。まず二人とも成人男性で独身っす。この二つだけだったら僕や他の人にも当てはまるんすけど、決定的に他の人と違うところがあったんす。それはゴブリンを倒した数っす。正確な数は覚えてないっすけど、榊さんと山田先生以外の人は多くて二体っす。でも二人はその三倍以上倒してるっす。だからゴブリンを倒しただけ強くなってると考えられるっす。どうっすか?」
その宮川の推測について彰弘は思考を巡らせ、出てきた疑問を宮川に返した。
「まるでゲームみたいな話だが、それはまぁいいとしてだ。昨日最後の戦闘前まででゴブリンを倒した数だが、俺はここに来るまでの分も合わせて二十四、山田先生は確か五体だ。たったそれだけで、運動不足だった俺が助走もなしで五メートルも跳べると思うか?」
「そこなんすよね〜。この推測だと異世界の人達はとんでもない力を持ってることになりそうっすもんね。ゴブリンを倒さなきゃいけないっすから、試すわけにもいかないですし」
彰弘の言ったことは宮川も考えていたのか、気落ちした様子は見られなかった。
そこで彰弘はふと思いついたことをそのまま口に出した。
「まぁな。でも、ゲームみたいだっていうなら、ひょっとしたら初心者救済処置かもしれないな」
「どういうことっすか?」
あまりに現実離れした内容に宮川は疑問を口にした。
そんな宮川に彰弘は軽く笑い説明した。
「オンラインゲームとかだと、新規登録者を呼び込むための方法であるやつさ。取得経験値アップアイテムプレゼントとか、限定アバタープレゼントとかあれ系だよ。ま、真偽のほどは分からないけどな」
「ああ」と頷いた後、宮川は彰弘を意外そうな顔で見た。
「オンラインゲームとかやるんすね。てっきりやらないもんだとばかり思ってたっす」
宮川はここに来てからの彰弘しか知らなかった。そのため、ゴブリンを平気で殺していく彰弘が部屋の中でゲームをやっている姿を思い浮かべることができなかったのだった。
「既婚者と違って自分の時間はあるからな。それに今はプレイするだけなら無料が多い。金もかからず時間も潰せる、手を出さない理由はないな。もっとも四六時中やってるわけじゃないから、ソロ専門だけどな。いくら自分の時間があるといっても数時間とか拘束されたらたまらん」
「それもそうっすね。僕もやってましたけど、リアル知り合いと時間が合うときにちょっとって感じだったっす」
暫くゲーム談義で盛り上がる二人だったが一段落ついたところでその話題を彰弘が締めくくった。
「さて、最初の話題に戻るか」
「そうっすね。でも実は今話している最中に思い出したことがあるんすよ」
話題を戻そうとした彰弘は「また脱線か?」と声を出し訝しむ。
心外だ、という表情をした宮川は続きを話し出した。
「そんな顔しないでくださいっす。ちゃんと最初の話題のことっすよ。出て行った人達のことなんすけどね、その時に思ったことをそのまま実行しちゃったんじゃないかと思うんすよ」
「何故そう思う?」
「昨日の夜、出て行ったという男三人。桜井先生と一緒に逃げて来た女の子を襲ってたんすよね? それも含めると、どうも感情の制御ができなくなっているか難しくなっているんじゃないかと思うんすよ」
宮川の言葉に彰弘の顔が険しくなる。
昨日の夜に出て行ったことになっている男三人については避難所の全員が知っている。しかし襲われていたことを知っているのは、あの場にいた人間と知っておくべきだと彰弘達が判断し、その報告を受けた鷲塚のみのはずだった。それなのに何故か宮川がそれを知っていた。
少女二人のことを考えると不特定多数に話していい情報ではない。どこから話が漏れたのか確認する必要があった。
「どうしてお前がそれを知っている。誰に聞いた?」
雰囲気が豹変した彰弘に宮川の顔が強張り、暑さのせいではない汗が吹き出る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっす。話しますから落ち着いてくださいっす」
その言葉でやや雰囲気が落ち着いた彰弘は宮川の話を聞く体勢に入った。
態度が軟化した彰弘を見て、息を吐き出した宮川は口を開いた。
「誰かから聞いたんじゃないっす。昨日、トイレに行ってたときに聞こえてきたんすよ。始めは用を足したらすぐ出て行こうとしたんですけど、何か重要な話っぽかったんで出て行きづらくなったんす。そしたら襲われたとか聞こえてきたんすよ。あ、当然誰にも言ってないっすよ。そうそう話していいことじゃないくらい僕にも分かるっす」
宮川の説明に彰弘の雰囲気が元に戻る。
彰弘は宮川に頭を下げて謝罪した。
「そうか、すまなかったな。こちらが迂闊だった」
そんな彰弘に宮川も「僕も、初めに言っておけばよかったっす」と返した。
場の雰囲気が戻ったところで、宮川が話しを再開した。
「さっきの榊さんを見てで確信したっす。やっぱり感情の制御がおかしくなってるっす。榊さんとは少ししか話してないっすけど、以前までは、あんないきなり豹変するようなことはなかったんじゃないかと思うっす。どうっすか?」
宮川のその問いに彰弘は少し考え答えた。
「そうだな。そもそも一昨日までは、あそこまで怒ったことすらないと思う。なのに昨日だけで……二回か」
彰弘は危うく三回と言いそうになり内心焦る。今はまだ男三人を殺したことを悟られるわけにはいかなかった。
「その二回というのは?」
「六花がゴブリンに襲われていたときと、更衣室に入ったときだな。状況が目に入った次の瞬間、相手を蹴り飛ばしていた」
自分の問いに答えた彰弘に引きつった顔を向けた宮川は冷や汗を流す。
「おおおお、よかったっす。榊さんが座っててよかったっす」
「おい、その反応はないだろ。昨日は助けなきゃいけないと思ったから蹴りが出ただけだ。さっきの状況じゃ、いくらなんでも蹴ったりはしないぞ」
大げさに怖がる宮川に彰弘は弁明した。
「本人だから分からないと思うっすけど、さっきの榊さんはめちゃくちゃ怖かったんすよ。一瞬だけ死神の姿が見えた気がするっす」
「死神は明らかに見間違いだ。それより話を続けてくれ」
ため息をついた彰弘はそう促す。
宮川は彰弘の言葉に半信半疑だったが話題を戻し話を続けた。
「了解っす。えーと、昨日出てった三人は女性とやりたいっていう思いを制御できなかったと考えられるっす。普通だったらいくら何でも理性が働いてあんなところで事を起こそうとは思わないっすからね。で、今日出てった十人については出て行かないと死ぬって思いの結果だったと思うっす」
そこで宮川は一息ついた。
彰弘はなるほどと頷く。強すぎる思い込みにより通常なら認識できるはずのことを認識できずにいた。だから端から見たらありえないとしか思えないことを、昨晩の三人も今朝の十人も実行したのだろう。
彰弘がそう自分の中で考えを纏めていると、宮川が再度口を開いた。
「残りはここに残った人達……昨日の襲撃で不安になって声を出したけど山田先生の説明で落ち着いた人達も含めてっすけど、出てった人達と基本的には同じだと思うんすよ。ただ方向性が違っただけで。つまり残った人達は外に出たら死ぬという思いがあって、大人はそれに加えて子供を守りたいという気持ちが強くあったと思うっす。ただ、根本の原因はさっぱりなんすけどね」
宮川の話を聞いた彰弘は暫し考え込んだ。
宮川の推測は何となく理解できた。昨日は出て行くと言っていた三人が考えを変えてここに残ったのも、外に出たら自分の子供を死なせてしまうという思いが強くなったからだろう。自分のことを軽く考え六花達を何がなんでも守りたいと思ったのも分からないでもない。
根本の原因はともかく、一応は納得できる結果が得られた。
しかし、ふと疑問が浮かんだ。昨日、あの三人を殺したのは宮川の言う感情の制御もあるのかもしれない。だが人を殺した自分が欠片もそのことを気にしていないのもそのせいか? あの男達を殺したことを後悔しているわけではない。ただ一晩経ち冷静に自分自身を視ることができる様になった今でも、あの三人を殺したことに対して何の感情も浮かんでこない。精々殺した事実を思い浮かべるくらいだ。
何故だ? あのとき奴らをゴブリンと同等以下に見たからか? いや、それでも相手は人だ、いくらなんでも……。
「榊さん。榊さん!」
自分の考えに沈み込んでいた彰弘はその声で意識を現実に戻した。
横から不思議そうな顔をした宮川が彰弘の顔を覗いていた。
「どうしたっすか?」
そう聞いてくる宮川に彰弘は無難な返答をした。
「ああ、根本の原因は何なんだろうなと考えててな」
「何か分かったすか?」
「いや、さっぱりだ」
「この話題も榊さんが強くなったことの話と同じで、何となくそうじゃないかっていうのは分かったっすけど、どうもすっきりしないっすね」
少々、不満気な顔の宮川は校庭の向こうにある道路へと目を向けた。
「ま、現状が分かっただけいいとするさ。これだけのことが分かれば、とりあえず問題はない。後は分かったことを前提に行動していけばいいだけさ」
彰弘もすっきりしない気持ちではあるが、今のところ大きな問題となることはなさそうだと判断し、そう言葉にした。
彰弘と宮川は一応の結論が出たところで口を閉じ校門方向にある道路へと意識を向けた。相変わらず人の姿はない。今、二人の目には映るのは、こちらから遠ざかる道を行くゴブリン数体の群れのみであった。