第十六話「連休中の過ごし方(2)」
散歩から帰れば、そろそろ八時になろうかという時間だった。
行きしなに回していた洗濯機から洗濯物を取り出し素早く干せば、次は布団からシーツを引っ剥がしもう一度スイッチを押す。いい天気だし、布団も干しておこう。
「……仕事するかぁ」
『今日は休みじゃなかったのか?』
「休みだけど、持って帰ってきた仕事があるの」
『人間は大変だな。俺に何か手伝えることはあるか?』
気持ちは嬉しいが、残念ながらヴォルフにお願いできそうなことはない。
連休明けにするつもりの国語と算数のテストを作り、遅れ気味の社会の授業予定を組み直し、来月に行われる林間学校の部屋割り、活動班決め、しおり作り……と、これ本当にこの休み中にできるんだろうか。
仕事を理由に夏菫の誘いを断ってもよかったかもしれないと思うくらいには山積みだ。
まあ、ぼちぼちやりますか。
ヴォルフにおやつを出し、自分用にコーヒーを淹れてからパソコンを立ち上げる。
開けた窓からは穏やかな風が吹き込み、その風に乗って遠くで歌っているメジロたちの声が小さく聞こえてくる。“こいのぼり”は季節的にはぴったりだけど、よく聴いていると歌詞が間違っていた。”美味しそう”には泳いでないだろ。
“ブー、ブー”というスマホの通知音で、自分がずいぶんと集中していたことに気づいた。スマホの画面に表示されている時間を見るにもうお昼近い。
受信されたメールはただのメルマガだったのでそのまま放置しておく。
あれ、LINEも来てる。
相手は高校からの友達である沖野詩織里だった。
犬カフェに誘われていたので散歩の途中で行くと返事をして、連休最終日の六日に行くことに決まっていたのだが、どうやら彼女の予定が変わってしまったらしい。
「うーん。……ねぇ、ヴォルフ」
『ん?』
「犬カフェ行くの、今日の午後とかでも大丈夫?」
ヴォルフが快く了承してくれたので、そのまま話を進め、今日の十四時に犬カフェ“OPPO”で待ち合わせることにした。
このお店はテラス席だけじゃなく店内も犬の同伴オッケーで、犬用のフードメニューも充実している愛犬家御用達の一軒だ。週に一回は何かしらのドッグイベントを開催しており、地域の犬やその飼い主の交流の場にもなっている。さえき動物病院とも提携しているので、私もオーナーさんやスタッフさんとは顔見知りだった。お客として行ったことは一・二回しかないが。
ちなみに、タイニープードルの可愛い店長がいるので犬好きのみなさんも足繁く通っている。そして来店ポイント貯めると店長とのツーショットチェキが撮れる。
「お昼どうしようかなぁ」
『カフェに行くんだろう? そこで食べればいいじゃないか』
でも朝が早かったからお腹が空いているんだ。
しかしヴォルフの言う通り、いまご飯を食べるとカフェでの食事に支障が出てしまう。カフェの日替わりプレートランチが食べたい気分でもある。
「コーヒーでも飲むか。ヴォルフも何か食べる?」
『いや、俺は大丈夫だ』
「放置しててごめんね。仕事はもう一区切りついたから」
出かける前に一度ブラッシングをしておこうかなと考えながら水を飲んでいるヴォルフの毛を梳く。恭くんの努力の賜物なのか、めちゃくちゃ手触りが良くて気持ちいい。
幸い、山積みだった仕事は奇跡的に終わりが見えている。やっぱり家だと集中力が違うわ。
大型犬のブラッシングとか、久しぶりだな〜。
お出かけに嬉しそうに尻尾を揺らすヴォルフを尻目に、私は恭くんから渡されたお手入れ道具一式が入った鞄に手をかけた。
◇◇◇
詩織里は先に着いていたらしく、私に気づき手招きする。
「待たせちゃった? ごめんね」
「いやー、まだ約束の五分前よ。私がお腹空いたから早く来ただけ」
そう言う詩織里の前にはちゃっかり日替わりランチがあった。しかももう食べ始めているし、コイツ。相変わらずマイペースというか、自分勝手というか……本当に自由だな。
「おっ、その子がヴォルフ? 想像より大きいわね。まあ、アンタが飼うなら犬だとは思ってたけど」
「いやいや。違うよ? 知り合いから預かってるだけだって言ったでしょ」
『お久しぶりです、莉佳さん』
「豆之助も元気そうだね」
詩織里の愛犬、ポメラニアンの豆之助だ。
五年程前に捨てられていたこの子を私が拾い、その後は詩織里が正式に引き取って育ててくれている。出会った頃はガリガリに痩せて、汚れた毛玉のような可哀想な姿をしていたが、いまは詩織里からの愛情を一身に受け、どこからどう見ても可愛い柴犬だ。
「……まだ柴犬カットにしてるんだ」
「うちの子はポメラニアン界の柴犬だからね」
満足げに笑う詩織里には悪いが、まったく意味がわからない。
そりゃ昔は毛が汚れきって絡まりがひどく短く切るしかなかったが、いまはポメラニアン独特の豪華な毛吹きにしてあげてもいいだろうに。
『僕もこのカット気に入ってるからいいんです』
『お前はポメラニアンなのか? 柴犬なのか?』
『柴犬カットのポメラニアンです』
『???』
ヴォルフが混乱しているのがわかる。
ご丁寧に唐草模様のスカーフまで巻いているが、豆之助は柴犬ではなくポメラニアンだ。詩織里も別に柴犬が飼いたいわけではなく、ただ似合うからという理由で柴犬カットを続けているらしい。
首輪を隠すようにスカーフを巻き、首元に小さな交通安全のお守りをつけられた豆之助は迷子になっても一発で見つかると思う。特徴的すぎる。
「莉佳も何か食べるでしょ。今日の日替わりはチキン南蛮よ」
『僕はオムレツ頼んでもらいました!』
「オムレツも美味しそうね」
「……莉佳。さすがに犬のご飯見ながら言うのはどうかと思うわよ」
いや、人間用のメニューにもちゃんとオムレツ載ってるから。
確かに豆之助の言葉でいいなとは思ったけど、別にそれが食べたいわけじゃないし。
「ヴォルフは何がいい?」
『莉佳のおすすめはなんだ?』
だから私は犬用のご飯は食べたことないって。
「あれ、新條さん。とうとう犬飼ったんですか?」
バイトの工藤くんがお水を持って来てくれる。ふとその後ろに目をやると、珍しいことにいつもはカウンター近くにある専用席で接客をしている店長が彼のあとをポテポテとついて来ていた。
店長を勤めているタイニープードルのクーだ。
彼の首輪にはお店の制服とお揃いのダークグレーの蝶ネクタイと、犬カフェ“OPPO”店長の肩書きが掘られたシルバープレートがついている。
「クー、テラス席まで来るなんて珍しいね」
「あれ、ホントだ。店長どうしたんですか?」
『莉佳ちゃんが結婚したって聞いたからお祝いを言いに来たんだ。あと、工藤くんお水出すタイミング遅いよ。お客さんはなるべく待たせないようにね』
またそれか。
その噂はいったいどの辺りまで広まっているんだ。今日一日ですでに訂正することの無意味さに気づきつつあるよ、私は。
「えーっと、この子はヴォルフ。この連休中だけ知り合いから預かってるの」
「なんだ。新條さんも愛犬家への一歩を踏み出したと思ったのに」
『なんだ。結婚はまだだったんだ。じゃあ、お祝いは次の機会だね』
『莉佳さん、結婚したら教えて下さいね。僕もお祝いしたいです』
ああ、豆之助にまで噂を知られてしまった。
人間には私が“犬を飼った”という話が回り、動物たちの間では私が“犬と結婚した”という噂が流れているこの現状をどうしたらいいんだろう。
どちらともちゃんと言葉が通じているはずなのに、誤った情報がこのまま広がっていく気配がして頭が痛かった。
今回登場した柴犬カットのポメラニアンは相方・雨柚のリクエストです。
*以前拍手小話として掲載していた「とある町の仁義ニャき戦い(ΦωΦ)」を短編として投稿しています。莉佳やヴォルフは登場しませんが、そちらも読んでみていただければ嬉しいです。




