五円
兄「五円ってあるじゃん」
弟「うん、お金のことだね?」
兄「そう、それ。んじゃ、五円って“ご縁がある”とか言われて人気あるのは知っているか?」
弟「うん。知ってる。神社でお賽銭箱にたくさん入ってるの見た事あるよ」
兄「確かに五円でご縁というのはなかなかに洒落たセンスがある。だが、そういった考えでいいのなら、五円よりもっとありがたいお金が有るとお兄ちゃんは思うんだ」
弟「どんな?」
兄「そう。例えば十円」
弟「十円?」
兄「そうだ。これはさっきの考え方でいくと、“重縁”と読めるよな。すると縁が重なっているという意味になる。五円より、はるかにありがたいだろう?」
弟「本当だぁ。ありがたいね、兄さん」
兄「そうなんだよ。五円だけがありがたいお金ってのは間違ってるんだ」
弟「じゃあ五十円は?」
兄「よくぞ聞いてくれた。五十円だよな。五十円は十円プラス五。つまり“重縁”に、ありがたそうな言葉“御”がくっついているのだ」
弟「すごい。五円はもちろんのこと、十円よりも遥かにありがたいや」
兄「驚くのはまだ早いぞ。さらにさらに、百円の“百”という字は、一字だけで“多数”という意味があってな、直訳すると“数多くの縁”ということになる。二つの縁が重なっている十円に対して、こちらの縁には限りがない。弟よ、どちらが、よりありがたいか分かるよな?」
弟「絶対、百円の方がありがたいね、兄さん」
兄「そうだとも! オレもそう思うよ」
弟「兄さん……。じゃあ五百円のことも知りたいな」
兄「……」
弟「兄さん?」
兄「ああ……弟よ、遂に……ついにその存在に気づいてしまったのか。ああ……」
弟「どうしちゃったの、兄さん」
兄「……五百円は、“百縁”に“御”という字が足してあるんだ。“御”には“大切なもの”という意味があるんだが。……幾らあるともしれない無数のものを“大切”というには、いささか無理があるだろう?」
弟「……確かに、“大切”っていうものは、“普通”があるからこそ区別されるから、全部が大切ってことは、特別なものが無いってことになるね」
兄「そう。だから五百円は全くありがたくないんだ。ざんねんだ。」
弟「じゃあ千円は?」
兄「千円は、ありがたい」
弟「なんでなの兄さん」
兄「どうしてだと思う?」
弟「う~ん、千にも“たくさん”って意味があるのかな」
兄「ほう、いいスジしてるな。だが惜しい。お札は何でできている?」
弟「…はっ。紙だ」
兄「そう。“神”なんだよ。千円、五千円、一万円から二千円までお札と名のつくものは、例外なくお金のなかで最高にありがたいのだ!!」
兄弟「………だからね、父さん。お年玉はお札がいいな」
父「お前たち……なにもそこまでしなくても……」
兄弟「お父さん!」(満面の笑み)
父「ああ。もう、分かったよ。……ホラ」
兄弟「ありが……ん? 何……コレ?」
父「百円札だ。どうだありがたいだろう? 何? 使えない? 大丈夫。銀行に行けば使える。よかったな」
兄弟「………」
兄弟「……はぁ」