4 クレスの怒りと解けた呪い
一方、ジェリコム侯爵家では──
帰宅するなり、クレスはジゼルの部屋へ向かった。
「おい!」
返事はない。
「あいつ、まだ学園か?」
ジゼルに行き場などないはずだ。
いつもは従順なジゼルが、ナタリア公爵令嬢に庇われた途端、態度を変えた。
まるで、自分に盾突いていい理由を与えられたかのように。
それが腹立たしく、許せなかった。
「クソッ! ナタリアめ、よくも俺をコケにしてくれたな。大勢の前で恥をかかせやがって」
怒りのまま、部屋を荒らす。花瓶をベッドに投げ、椅子を蹴り、机の上を払い落とす。
引き出しを床にぶちまけると、少しだけ気が晴れた。
なぜこんなにもジゼルが憎いのか。理由は分からない。ただ、苦しめるほど彼の心は軽くなった。
散乱した物の中に、ノートがあった。
「なんだ? ……日記か」
ページをめくると、そこには自分がジゼルにしてきた仕打ちが並んでいた。
「あいつ……こんなものを」
ある一頁で、手が止まる。それは正式に婚約した日の記録だった。
<初雪が降りました。凍るような池に、クレスは二人の婚約指輪を投げ入れて『拾ってこい』と言いました。無事に発見して彼に戻しました。558>
淡々とした文章に、記憶が蘇る。
──白い息を吐き、震えながら池に入り、必死に指輪を探していたジゼル。
『はっ! そんなに俺の婚約者になりたいのか?』
『はい……』
力のない返事に、惨めな少女だと思った。
それが当然で、正しいことだと、あの時は疑いもしなかった。
「くそっ! 婚約破棄なんて、あいつにできるもんか。俺にこれだけ執着しているんだからな」
クレスは日記を床に叩きつけ、部屋を出た。
ジゼルを傷つけ続けた数字の意味に、最後まで気づかぬまま。
──夕刻。
ジゼルはナタリアという最強の随伴者を連れて、その門を潜った。
公爵令嬢の来訪に、クレスの両親が慌てて顔を出す。
「デュアム公爵令嬢様、ようこそ」
「こんばんは。今日はクレス様とジゼルの婚約破棄について、お話があって参りましたの」
「……え?」
「婚約破棄、ですと?」
驚く侯爵夫妻。どうやらクレスは何も話していないようだ。
夫妻はジゼルに視線を向ける。
「クレス様は、確かに婚約破棄を宣言し、私に『裸で出ていけ』と命令されました」
「なんてことを……だが冗談に決まってるさ」
「そうよ。婚約破棄など、あり得ません。ジゼル、貴方に帰る家なんてあるの?」
笑顔で断じる二人に、ジゼルは唇を噛んだ。
その時。
「ジゼル!」
名を呼び、階段を駆け下りてきたのはクレスだった。
「貴様! よくも戻って来れたな!」
怒鳴られ、ジゼルは膝をつく。
「申し訳ありませんクレス様、どうかお許し下さい」
「ふん。最初からそう言えばいいんだ。お前のせいで俺は殴られたんだぞ!」
「……私を殴って下さい。それでクレス様の気が晴れるなら」
「いいだろう。歯を食いしばれ!」
「はい」
クレスは歩み寄り、躊躇なく殴った。力いっぱい、ジゼルの頬を。
彼女の口端から血が落ちる。
──その刹那、ジゼルの体の奥で何かが**パチンと弾けた**。
「クレス様、満足されましたか?」
「ああ、二度と俺に逆らうなよ?」
「婚約は破棄しました。もう貴方の命令には従いません」
「あ?」
「どきなさい!」
ナタリアはクレスを突き飛ばして、ジゼルの頬を両手で包み込んだ。
「ジゼル、大丈夫?」
「ナタリア様……なんだか胸が、熱くなって……」
ジゼルの瞳から、大粒の涙が溢れた。
呪いは解けた。ジゼルには、それがはっきり分かった。
──999回目。
殴られる覚悟でクレスに縋り付き、痛みと引き換えに自由を得た。
「そう。終わったのね。おめでとう、ジゼル」
「はい……っ、ありがとうございます!」
二人の会話を理解できないクレスが、口を挟む。
「何がめでたいんだ? まあこれで婚約破棄も取り消してやる。あはははは」
──ドガッ!
ナタリアの拳がクレスの顔面を打ち抜いた。
両親の足元まで転がった彼は、気絶して白目をむいた。
「きゃぁあ! クレス!」
「なんて事を! 医者を呼べ!」
慌てて抱き起こす侯爵夫妻。
ナタリアは叫んだ。
「女性に手加減もできない外道め! 貴方達は息子の教育に失敗したわね」
「なっ! このような振る舞い、公爵令嬢とは言え許されませんぞ!」
「なら訴えなさい。相手になるわ」
「むっ……」
強気なナタリアに侯爵は言い返せない。
「侯爵様、私は二度とここには戻りません」
ナタリアに支えられながらジゼルは歩き出す。
「……どうなっているんだ、一体」
唖然と立ち尽くす夫妻と、床に転がったクレス。
ジゼルは一度も振り返ることなく、侯爵家を後にした。
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