3 アーノルドとの出会い
ぽつり、ぽつりとジゼルは語る。
十歳で婚約者になったこと。
家の借金と引き換えだったこと。
その夜、ジェリコム侯爵家お抱えの占い師、フレイヤに会ったこと。
『前前世、この家に関わった因縁でお前さんは呪われている』
淡々と告げられた声は、今も耳に残っている。
『解きたければ、願いを叶え続けろ。占いでは999と出ている』
それだけ。
理由も、救いもなかった。
「……叶えてきました」
ジゼルは微笑もうとして、失敗した。
「頼まれたことを。命じられたことを。怒鳴られても、叩かれても……」
言葉が、喉で詰まる。
「それが終われば、自由になれると……そう、信じていたんです」
ナタリアは何も言わない。
ただ、カップを置く音だけが小さく響いた。
「婚約を破棄して……それが、999回目だと……思いました」
――でも。
解放されたはずなのに。
終わった実感が、どこにもない。
「呪いが解けたなら、もっと……嬉しいはずなのに」
ナタリアが、ゆっくりとジゼルを見る。
「身体に、変化は?」
「……ありません」
何もかも、昨日と同じ。
胸の奥に残る重さだけが、はっきりしていた。
ナタリアは、少し考えてから言った。
「なら、呪いが終わったかどうかは、まだ分からないのね?」
その言葉に、ジゼルの背筋がひやりとする。
「でも……」
ナタリアは続けた。
「少なくとも貴女は今日、“誰かの命令”じゃなく、自分の意思で選んだ。それは価値のあることよ」
ジゼルは、思わず俯いた。
指輪を外した瞬間の感触が、よみがえる。
「……怖いんです」
本音だった。
「もし、まだ終わっていなかったら。
これから、私は……どうすればいいのか……」
――修道院に逃げれば、楽かもしれない。
でも、それは“選ぶ”ことだろうか。
胸の奥で、小さく何かが軋んだ。
それが呪いなのか、迷いなのか。
ジゼルには、まだ分からなかった。
──話を聞き終えたナタリアは納得した。
「貴女の事情はよく分かったわ。兄が《鑑定》できるのよ」
ナタリアは、興味深そうにジゼルを見つめた。
「付いて来なさい」
連れられて向かった二階の一室。
そこには、ナタリアによく似た赤髪の青年がベッドに横たわっていた。
「ナタリア、どうしたんだ? ご令嬢にこんな姿は見せたくないのだけど」
弱々しく笑う彼は、公爵家の長男、アーノルド。
「ごめんなさいお兄様。こちらはジゼルよ。《鑑定》をお願いしたくて」
「初めまして。ジゼルと申します」
「私はアーノルド。ベッドの上で失礼するよ」
そう言って、彼は身を起こした。
青白い顔、こけた頬、今にも折れそうな体。
難病を患っているのは一目で分かった。
「ジゼル嬢、君の噂はかねがね妹から聞いていた。一度、会いたいと思っていたんだよ」
「まぁ、そうなのですか?」
何故? と、ジゼルはナタリアの顔を見た。
だが、彼女は用件だけを兄に語った。
「彼女、呪われていたらしいの。今はどうなのか分かるかしら?」
「呪い?」
アーノルドは目を細め、ジゼルをじっと見つめた。
「本当だ。呪いが掛かってる」
「え……?」
「間違いないよ。体が、黒い靄に包まれている」
「……解けて、ない……?」
力が抜け、ジゼルはぺたりと床に座り込んだ。
「どういうことかな? 呪いだなんて」
不思議そうなアーノルドに、ナタリアが事情を説明する。
ジゼルは考え込んだ。
(違う。数え間違えるはずがない。
──999回目だった。何度も、何度も確かめた)
ジゼルは毎日、欠かさず日記に記してきたのだ。
「ねぇ、もしかしたらだけど。彼はジゼルとの婚約破棄を望んでいなかったのかしら?」
「どういう事でしょう?」
「性格の悪いあの男のことですもの。破棄を取り消すよう懇願するのが……正解だった?」
ジゼルは息をのんだ。
(──間違えた!)
「ああ……“クレス様に命じられた課題”を済ませていれば……」
嘆くジゼルを見て、ナタリアの顔からさっと血の気が引いた。
「わ、私が余計なことを……」
確かに余計だった。だが、ジゼルは責める気にはなれなかった。
「いえ、ナタリア様のせいではありません。私は何をしても上手くいかないんです。これは……呪いのせいです」
「ジゼル、貴方に誓うわ! 力になる。必ず呪いを解いて、幸せにしてあげます!」
「ナタリアは、衝動的なのが悪い癖でね……。ジゼル嬢、申し訳ない。私も力になろう。だから、どうか妹を……ゴホッ、ゴホッ……!」
激しい咳。
それを抑えた彼の掌には、血が滲んでいた。
「お兄様!」
「申し訳ありません。私ごとで煩わせてしまって……」
「いや……ゴホッ……」
従者が主治医を呼びに走り、二人は部屋を後にした。
「兄は原因不明の難病なの。薬で抑えているけれど……」
長くはない。──ナタリアの表情が、そう語っていた。
アーノルドのような善人が短命で、クレスみたいな人間が健康なのはなぜか。
神は不公平だと、ジゼルは思う。
早くクレスの元に帰らなければならない。
不安に曇るジゼルの前に、ナタリアが手を差し出した。
「大丈夫よ。私達がついているわ」
豪快で高貴、だがどこか危うい。
それでも今のジゼルには、これ以上ない味方だった。
「ありがとうございます。……お力を貸してください」
ジゼルは、その手を強く握り返した。
まだ呪いは続いている。
そんな自分に親切にしてくれるナタリアとアーノルド。
二人の温かな思いやりは、ジゼルの心に深く染み込んだ。
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