25 ジゼルの迷い
フレイヤの登場に、部屋は音を失ったみたいだった。
その沈黙をフレイヤのかすれた声が破る。
「なんだい、これは……」
困惑と苛立ちが混じっている。
彼女は首元に手をやり、無造作にネックレスを引いた。
次の瞬間、指先が白く凍りつく。
「ベル殿下! こいつを外せないんだ。どうなってるんだい!」
吐き捨てるような叫び。
「それに宿る雪の妖精は俺の配下。監視させていたんだ。お前のような悪党を野放しにできるものか」
ベルハルトの声に、感情の起伏はない。
「くそっ!」
フレイヤの顔が、醜く歪む。
「さあ、断罪でも何でも、自由にしろ」
そう言い放ち、ベルハルトは興味を失ったようにソファに腰を落とした。
引き継ぐように、アーノルドが前に出る。
「前々世、お前はジゼルを呪い、今世はクレスと運命を入れ替えようとした。生かしてはおけない」
「あたしを殺すだって?」
「そうだ、お前に運命を狂わされた者は数知れない。処刑されて当然だ」
「はっ!」
フレイヤは、楽しそうに口角を上げる。
「あたしは願いを叶えてやっただけだ。それの何がいけない。悪いのは依頼者だろう!」
「ああ、どっちも悪い。お前が消えれば術も解ける。救われる者もいるだろう」
そこで、ベルハルトが口を挟んだ。
「だが、フレイヤの占い術は捨てがたい。生かして、依頼者を断罪させればよかろう」
「ひひ、ベル殿下は分かってるね。その通りさ、悪党貴族どもを断罪してやりな!」
その流れを、ナタリアが断ち切る。
「いいえ、こんな悪魔は処刑するべきだわ!」
次の瞬間、フレイヤの指がジゼルを指し示す。
「悪魔はあの小娘だろう! 処刑するならあの子だよ!」
「え? ……私?」
突然向けられた悪意に、ジゼルの思考は追いつかない。
「そうとも、お前さんは授かったんだ。**願えば何でも叶う**という恐ろしい異能をね! 世界の破滅、伝染病の拡散、この世の富、何でも思いのままだ」
アーノルドは即座に言い返す。
「歪んだ妄想だ。お前は邪神に、ジゼルは女神に選ばれたんだ。彼女の力の源は『愛情』だ」
しかし、フレイヤの言葉は、刃のようにジゼルの胸へ突き刺さった。
――**願えば何でも叶う**。
自分の中に、正体の分からない“何か”がある。
それを意識した瞬間、心臓がうるさいほど鳴り始めた。
もし本当に、世界を壊せるほどの力を持っているのだとしたら。
それは祝福ではなく、呪いだ。
「私の力は……もっと大きなもの……世界を変えるほどの……」
声が震える。
とてつもない恐れ。
「ジゼル、大きな願いには、大きな代償が必要なんだ!」
アーノルドの声が届いても、ジゼルは呟くのをやめられない。
「私の力は……
多くを救える……
でも、……反対に壊す力でもある」
部屋のあちこちで、息を呑む気配が広がった。
ベルハルトは立ち上がり、ナタリアに尋ねた。
「どういうことだ?」
「真の聖女はジゼルなのです。大公の子息を救えるのは彼女だけですわ」
「君が、昨日言わなかったのは……フレイヤが……ああ、そう言う事か」
彼の中で、点と点が線になる。
「はい、ジゼルを守る為に」
ベルハルトはジゼルの前に進み、膝をついた。
「聖女よ。どうか我が従弟を救って欲しい」
ジゼルは、ぼんやりと彼を見る。そして、ゆっくり首を横に振った。
「なぜだ! 報酬は望みのままに与えよう。できる限りの事はすると誓う!」
「どうしたのジゼル? 怖くなったの?」
ジゼルの目は虚ろだった。
だが、胸の奥では、ぐちゃぐちゃの感情が渦を巻いている。
(逃げ出したい)
本心だった。
でも、現実は優しくない。
たった一人を救うだけなら、耐えられる。
(それで、いいの?)
薬で命をつなぎ、死を待つ人がいる。
その人たちに手を伸ばせば、自分は――消える。
消えてしまう。
(消える……?)
(ううん、私には、幸福の星がついている)
(私は決して弱くない)
(時知らずの花のように強くなるって、誓った)
ジゼルの瞳に、かすかな光が戻る。
「アーノルド様、帰りたいです。今すぐに」
「わかった、帰ろう」
アーノルドはジゼルが逃げる選択をしたと思った。
(それでいい)
(ジゼルが犠牲になる必要はない)
「待ってくれ!」
制止の声を背に、アーノルドはジゼルを抱き上げた。
「まぁ、お兄様ったら……まるで騎士の様だわ」
「黙れ!」
ベルハルトの怒鳴り声を無視して、ナタリアは兄を見送る。
「彼女の選択です。誰も無理強いは出来ませんわ」
そう言って、扉の前に立った。
「くっ……!」
「ひゃひゃ、面白くなってきたね!」
「貴様も黙れ! 縛り付けておけ!」
そう言うなり、ナタリアの前に立つ。
「な、なにを……きゃぁああ!」
ナタリアを担ぎ上げ、ベルハルトは走り出す。
すでに、ジゼルの姿は廊下の向こうだった。
*
急ぐ馬車の中。
ジゼルは、アーノルドの胸に顔を埋めていた。
外は見えない。
見ようとも思わなかった。
今もまだ、ジゼルは迷路を彷徨うようだった。
「……消えたくない」
アーノルドは何も言わず、腕に力を込める。
ただ、抱き締める。
(この人は……私が何者であっても、そばにいさせてくれる)
ジゼルはそれが、たまらなく嬉しかった。
アーノルドは、白金色の髪にそっと口づける。
――何があっても、彼女の味方でいよう。
言葉にしなくても、その誓いは伝わった。
ジゼルは、そっと彼の服をつかむ。
「あなたが好きです」
自分の気持ちが、はっきり分かった。
(このまま時間が止まって欲しい)
決心に、また迷いが湧く。
それでも。
ジゼルは、彼の服をつかむ手に、ぎゅっと力を込めた。
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