23 リーゼの嘘
ベルハルトがセドリックの部屋を訪れたとき、そこにはリーゼの姿もあった。
偶然にしては、できすぎている光景だった。
「確認した。アーノルド殿は完治して、元気そうだった」
短く、事実だけを置くような声。
「そうか……それで彼は何と?」
「聖女に救われたと言った」
セドリックは、わずかに息をつく。
ナタリアが、自分の立場を汲み、余計な波風を立てない選択をした。
そう理解したかった。
その沈黙を縫うように、リーゼが一歩前に出る。
「ええ、私が治療したのです。それはもう全力で! なので、残念ですが、奇跡の力を失ってしまったのです」
まるで、用意していた台詞を読み上げるように。
「なんだと?」
ベルハルトの顔色が、目に見えて変わる。
――これで、リーゼはもう奇跡を起こせない。
そう告げられたのと同じ意味だった。
聖女では、なくなった。
それでもリーゼは、言った。
王太子妃として生き残るための、嘘を。
その嘘を、この時のベルハルトは疑いもしなかった。
胸の奥に、冷たい水を流し込まれたような感覚。
目を閉じれば、従弟の顔が浮かぶ。
(失ったものは、もう戻らない)
(ならば、次に進むだけだ)
治療薬の研究は停滞している。
今後も、死を先延ばしにするだけの薬に縋るしかない。
「そういう事なら仕方ない。残念だが……早々に帰るとしよう」
淡々とした声。
けれど、その奥には、確かな無念が沈んでいた。
「本当に、申し訳ない」
セドリックは頭を下げ、同時に、自分に言い聞かせた。
(アーノルドは奇跡的に回復したのだろう。難病を克服する者も、存在するのだ)
横のリーゼも、同じ結論に辿り着いていた。
自分以外の聖女など、最初から存在しない。
重苦しい空気の中、ベルハルトはふいに口を開く。
「デュアム公爵令嬢に求婚した」
セドリックは目を見開く。
「冗談だろう? 彼女が受け入れるはずがない」
「彼女は君を愛していた」
間を置かず、続ける。
「だが、君は捨てた。俺は拾うだけだ」
「ぐぅ……!」
喉が詰まる音。
「俺は必ず、彼女を妃にする」
「いや、ナタリアは……」
「側妃になど、矜持の高い彼女が、受け入れるはずがない」
リーゼを視界の端に捉えたまま、ベルハルトは言い切る。
「君は、すでに選択をした」
「後悔する日が来るだろう」
「その時は――友よ。俺を恨むな」
情も、迷いもない声だった。
セドリックの顔から、ゆっくりと血の気が引いていく。
「では、失礼する」
背を向けた瞬間、甲高いリーゼの泣き声が響いた。
「見苦しい執着だな。……だが、こちらはまだ希望がある」
瞼の裏に浮かぶのは、凛と背筋を伸ばしたナタリアの姿。
(必ず、手に入れる)
ベルハルトは、迷いなく歩き出した。
* * *
翌日の昼。
みぞれが静かに落ちる中、ベルハルトは自らナタリアを迎えに来た。
支度途中だったナタリアは急いで身なりを整え、サロンへ向かう。
胸元には、彼から贈られたエメラルドが輝きを放っている。
「お待たせして申し訳ございません」
「いや、早く来過ぎたな。城に居ても気が滅入るのでな」
軽い口調。
けれど、瞳は笑っていない。
――リーゼに、希望を打ち砕かれた。
そう悟った瞬間、ナタリアの思考は盤面を描き始める。
今日。
この男は、希望を欲している。
「予定を切り上げて明後日、帰国する予定なんだ。その時、君も一緒に来ないか?」
誘い。
同時に、試し。
「……随分と急ですのね。考えておきますわ」
即答しない。
可能性だけを残す。
ベルハルトの眉が、わずかに動いた。
「ただ、条件がありますの」
「ほう?」
「フレイヤを捕えてください」
「それが叶えば?」
震えそうな指先を、ドレスの裾で押さえる。
恐怖ではない。
勝利を確信したときの、高鳴りだった。
「殿下と共に参りますわ」
彼女は、内心で小さく息をついた。
――条件は、整った。
ベルハルトは、ゆっくりと笑う。
その笑みは、どこか少年のようで。
ナタリアの胸の奥は、かすかにくすぐったくなる。
「いい取引だ。交流会の後で構わんな?」
「はい」
期待以上の返事。
ナタリアは、静かに微笑む。
それは――
盤上の駒が、ひとつ進んだ合図だった。
「では行こう」
差し出された腕にナタリアは手をかけた。
「君には、緑が良く似合っている」
ナタリアは胸元のエメラルドに触れる。
「素敵な贈り物、ありがとうございます」
その言葉にだけは、計算も偽りもなかった。
読んでいただいて、ありがとうございました。




