22 兄妹の策略
誰かを救うための特別なギフト。
神様からもらった綺麗な力だと信じていたそれは、自分という存在を少しずつ削り取っていく、呪いに似た等価交換だったと、ジゼルは知った。
「私が何とかする。だから、ジゼルは遠くに隠れていて欲しい」
必死に訴えかけるアーノルドの声が、水の中にいるように遠く、ぼやけて聞こえる。
足元から世界が崩れていくような感覚にジゼルは混乱した。
けれど、彼女は細い体を奮い立たせた。
消えてしまうかもしれない恐怖よりも、何もしない自分への嫌悪が勝ったのだ。
「隠れるなんて嫌です。代償があっても……やります!」
ナタリアは小さく息を吐いた。
(やはり、ジゼルは頑固だわ)
呆れると、同時に、どうしようもないほどの愛おしさが、込み上げてくるのだった。
一方、デュアム公爵家で必要な要件を済ませたベルハルトは、セドリックの待つ王宮へ戻る準備を整えていた。
玄関に並ぶ公爵家の面々の表情は、どこか沈んでいる。
歓迎の色は、最初からほとんどなかった。
今や、客人を送り出す際の名残惜しさすら、存在しない。
(俺は王太子だぞ? 少しは名誉に思ってくれても、いいのではないか?)
胸の奥に浮かんだ小さな苛立ちは、そのまま顔に滲み出ていた。
それでも、ベルハルトには一つだけ、確かめておかなければならないことがあった。
「アーノルド殿を回復したのは、聖女で間違いはないか?」
「そうですわ。聖女が兄の回復を祈ってくれたのです」
迷いなく答えたのはナタリアだった。
澄んだ声には、一片の躊躇いもない。
「そうか」
短く頷き、ベルハルトは馬に乗る。
「ナタリア嬢、明日の親交会の際には、昼から迎えを寄越す」
大ざっぱな、命令にも似た誘い。
ナタリアは、貴族令嬢らしい完璧な微笑みを浮かべた。
「お待ちしておりますわ」
隣国の王太子の誘いを、断れる立場ではない。
それを理解したうえで、ベルハルトは満足そうに口角を上げ、馬を走らせた。
蹄の音が遠ざかると、張り詰めていた空気は一気に解けた。
ナタリアは大きく腕を伸ばす。
「やっと帰ったわね」
「いいのですか? 本当の事を言わないで……」
平民である自分が王太子に声をかけるなど、ジゼルには不可能だ。
だからこそ、二人が事情を説明するものだと、どこかで思っていた。
「ナタリアは嘘を言っていない。ジゼルは私の聖女だから」
「そうよ、聞かれたことに答えただけだわ」
「で、でも、セドリック殿下が困るのではないでしょうか?」
「だろうね」
「リーゼと一緒に困ればいいのよ、ほほほほ」
あまりに軽やかな兄妹のやり取りに、ジゼルは言葉を失う。
そんな彼女を見て、ナタリアは少しだけ声の調子を落とした。
「ジゼル、私達がどれだけ対策を話し合ったと思っているの?
貴方とは違って、リーゼ達は逃げる道を選ぶわ」
「だからジゼルを隠そうと考えたんだよ。でも君は拒否した」
二人がここまで考えていたことを、ジゼルは知らなかった。
体の奥から、すうっと血の気が引いていく。
「私ったら何も知らないで……生意気なことを…申し訳ありません」
「そういう意味で言ったのではなくてよ?」
「ああ、大公の令息を救いたいと言うなら、次はベルハルト殿下の協力が必要だ」
アーノルドは、ジゼルの決心を予測していた。
そして、それを止められなかった自分の弱さを、まだ情けなく思っていた。
「計算が狂ったのはフレイヤが現れた事だ」
「ねぇジゼル。難病を患う人が世界中に、何人いるか知っている?」
「いいえ。……存じません」
恥じるように、消え入りそうな声。
「実は私も知らないの。でも多くの人が苦しんでいるのよ」
「君が決心した今、恐れるのはフレイヤだ。彼女は何度も、君を利用するだろう」
アーノルドは、あの時、一瞬でその本質を見抜いていた。
**ノース王家の秘宝《フェ・デ・ネージュの涙》**
ベルハルトは、従弟を救うための「対価」として、その秘宝とフレイヤの情報を交換したのだ。
「どんな対価を払ってでも回復を願う人は現れる。
──君を攫ってでもね。
だから、絶対にフレイヤを、捕えないといけない」
「それをこちらの条件にしましょう」
王族との駆け引きなど、ジゼルには想像するだけで恐ろしい。
(うまくいくのかしら)
胸の奥に、得体の知れない不安が、毒のようにじわじわと広がっていく。
逃げたい、と本気で思った。
それでも――
知らなかったふりをすることも、できたはずなのに。
(いいえ、できない……)
たとえ一人だけでも、救えるのなら。
──そうするべきだと、ジゼルは決心した。
*
リーゼが聖女だと、ベルハルトは信じている。
いや、正確には――**信じたい**のだ。
苦しむ従弟を救えるのなら、手段は選ばない。
それが呪術師との取引であっても構わなかった。
同時に、彼はナタリアをノース王国へ迎え入れたいと、驚くほど強く願っていた。
かつての婚約者との間にあったのは、冷え切った義務だけ。
粗野な気質を持つ彼を、洗練を好む女は、澄ました顔で最後まで受け入れなかった。
だがナタリアは違う。
生き生きと笑い、遠慮なく怒る。
言葉を交わすたびに、彼女は彼の予想を裏切った。
――あろうことか、あのセドリックを殴り飛ばした。
その話を聞いた瞬間、ベルハルトは思ってしまったのだ。
(欲しい)
(我が国には、太陽のような彼女が必要だ)
それは理想であり、同時に――一途な願望だった。
読んでいただいて、ありがとうございました。




