19 ナタリアとリーゼ
セドリックが去ったという知らせを聞き、待っていたかのようにアーノルドはジゼルを散歩に誘った。
学園が冬季休暇に入ってからというもの、この時間は二人の間ですっかり「日課」になっている。
「今日は少し暖かくて、嬉しいですね。疲れたら言って下さいね」
ジゼルが隣で、柔らかな笑顔を向ける。
「ああ。前より、ずいぶん歩けるようになった」
そう答えるアーノルドの顔にも笑みが広がる。
庭の小道を、ゆっくりと進んでいく。
二人の歩幅は、自然と揃っていた。
ふと、アーノルドが足を止める。
小道の脇、冬枯れの景色の中に、小さな黄色の花が咲いていた。
彼は、無意識に指を伸ばす。
「時知らずの花だね。庭師は見落としたか」
何度抜いても生えてくる、厄介な雑草。
だが、その指が花に触れる直前、ジゼルがそっと彼の手を止めた。
「……庭師が見つけるまで、そっとしておきませんか?」
「これを?」
本当は見るのも嫌な花。
かつて、無意味に何度も、クレスにこの花を摘ませられた記憶が、ジゼルの胸をかすめる。
捨てられるだけの花。
無力な自分。
(それでも、この花のように、生きるために強くならなければ、ならなかった)
「……ジゼル?」
名を呼ばれ、彼女ははっと顔を上げる。
「ほら、もう枯れかけていますから」
そう言って、少しだけ寂しそうに笑った。
(そっと咲かせてあげよう。今はもう、摘む必要はないもの)
彼女は、この花を許してあげたかった。
「君がそう言うなら、そうしよう」
不意に触れた指先は、驚くほど細くて、冷たい。
アーノルドは思わず握りしめた。
ジゼルは、手を引かなかった。
むしろ、わずかに力を込める。
「寒くないか?」
「はい。……平気です」
二人は再び歩き出した。
握られた手は、そのまま。
たったそれだけのことだけど、幸せだった。
散歩を終えると、ナタリアが待ち構えていた。
「ベルハルト殿下が我が家に⁈」
珍しくアーノルドは大きな声を出した。
彼の私室には、ナタリアとジゼルもいる。
三人の間に流れる時間は、どこか薄氷を踏むような危うさを孕んでいた。
「お父様達は迎える準備を始めたわ。大忙しよ。本当に何が目的かしら」
「調査が必要だ。……とてもじゃないが、純粋な求婚目的とは思えない」
「失礼ですわ! ――まぁ、否定はできないけれど」
ナタリアの記憶では、ベルハルトという男は、黒い髪と黒い瞳を持つ、豪快で得体の知れない人物。
噂では冷酷とも囁かれているが、彼女の印象は少し違う。
「悪は絶対に許さない、そんな感じだったわ」
「ナタリア様に似ていらっしゃいますね」
ジゼルが「ふふ」と微笑む。
「あら、私と一緒にしないで。私は『必要悪』なら、ある程度は許容範囲よ?」
「悪に、許容範囲なんてあるんですか?」
「浮気者を殴るくらいは、ね」
姉妹のように笑い合う二人。
けれど、アーノルドはその光景に真面目な声で割って入った。
「暴力はいけない。ベルハルト殿下には絶対に手を出さないでくれよ? 戦争になる」
「わかってますわ!」
アーノルドは、すっかり元気になった。
けれど、その回復はまだ「なかったこと」にされている。
死の淵から生還した理由を、世間に説明する術を、彼らはまだ持っていないからだ。
王太子殿下にさえ、嘘をついた。
(……守ってもらっている)
ジゼルは、感謝と同時に、申し訳なさに苛まれる。
そして、ナタリアからは、空元気を感じていた。
(きっと、殿下に会って、また心を傷つけられたのね)
叶わない想いなら、いっそベルハルト殿下との縁が、彼女にとっての救いになればいい。
ジゼルはそう、祈るように願った。
* * * *
数日後。
ベルハルト殿下の一行はサウスランド王国に到着した。
ナタリアは城に招かれ、歓迎式典に参加していた。
出迎える王家の中に、あの「聖女」リーゼの姿がある。
彼女はセドリックにしがみつき、小動物のようにぴょこぴょこと跳ねるように歩いている。
(──全く、学んでないわね)
ナタリアは思わず、額に手を当てた。
ふと、ベルハルト殿下と目が合った。
彼は不敵に笑い、ナタリアに向かって、まるで古い友人を見つけたかのように軽く手を上げた。
(なんなの?)
歓迎式典は問題なく終わり、帰ろうとするナタリアをセドリックは呼び止める。
「ナタリア、内緒で話がある」
「なんですの? 名前で呼ばないでと……」
「困ったことになったんだ」
無理やり連れていかれた部屋にはリーゼが待っていた。
「ナタリア様!」
今にも泣きそうな顔。
セドリックはリーゼを落ち着かせようと肩を抱きしめる。
「どうかなさいまして、リーゼ様?」
ナタリアの問いに、リーゼの泣き顔は一瞬にして、醜悪な顔に変貌した。
彼女は「リーゼ」と呼ばれることを嫌悪していた。
「聖女」と呼ばない者は、自分を平民と見下す敵だと思っているのだ。
ナタリアとリーゼ。
二人は互いを、黙って睨み続けた。
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