16 告白
ジゼルとナタリアがデュアム公爵家に戻るなり、執事が慌ただしく駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませ。アーノルド様が、ご心配のあまり体調を崩されまして……」
「え? 大丈夫ですか?」
「ええ。なので、ぜひお顔を見せて差し上げて下さい。きっと安心なさいます」
「分かりました!」
小走りで向かうジゼルの背中を、ナタリアと執事は顔を見合わせ、にんまりと見送った。
アーノルドの部屋を訪れると、彼は静かに、ソファで本をめくっていた。
「おかえり、ジゼル。ナタリアはうまく片付けてくれたようだね」
「ただいま戻りました。
はい、すべてナタリア様が……あの、起きていて大丈夫なのですか?」
「ん?」
「体調を崩されたと、執事さんから……」
「あ、ああ。そう、そうだったね」
アーノルドは慌てた様子で本を机に置いた。
「少し動悸がして……でも、君の顔を見たら落ち着いたよ」
「本を読まれていたではありませんか。心配したのですよ?」
「執事が少し大げさに言っただけさ。
ほら、ここに座って。今日の出来事を聞かせてくれる?」
彼が隣のクッションを軽く叩くと、ジゼルは素直に腰を下ろした。
難病だったとは思えないほど、彼の顔色は良い。
ジゼルが真剣に報告を始めると、アーノルドはその横顔から目を離さなかった。
華やかに振る舞わずとも、ジゼルには人の心を和ませる力がある。
澄んだ声に耳を傾け、ふと触れる肩に、抱き寄せたい衝動を覚える。
肩が触れたまま、どちらも動かなかった。
離れるのは簡単なのに、二人は動けない……。
――ジゼルと共に生きたい。
そのためにも、健康な身体を取り戻さねばならない。
今や、ジゼルを守る騎士役はナタリア。
アーノルドは、そんな現状を静かに噛みしめた。
「……あの、私の話、長すぎて疲れませんか?」
「いいや、君の話は、いくらでも聞ける」
ジゼルは少し驚いたように目を瞬かせ、それから照れたように小さく笑った。
報告が進むにつれ、アーノルドの表情に影が落ちる。
「そのフレイヤという呪術師を逃がしたのは残念だった」
「一瞬で消えてしまって……まだ聞きたいことがあったのに」
「両家を法的に断罪するのは難しそうだ」
「いいんです。両家と縁が切れたので、満足です」
ジゼルらしい感想だとアーノルドは思った。
しかし、フレイヤという存在は危険な火種のように、彼の胸の奥をチリチリと焦がす。
クレスやニルトンのような小物ではない、もっと巨大な何か。
そして、ジゼルの内側に隠された「秘密」に触れた唯一の存在。
アーノルドの胸に、黒いインクが滲むような不安が広がる。
「大丈夫ですか?」
ジゼルの青い瞳がアーノルドを覗き込んでいた。
「……ジゼル。お願いだ、どこにもいかないと約束してほしい」
「はい。今後はナタリア様にお仕えすることに決めました。
ナタリア様の幸福を願いたいと思います」
「いや、もう異能は使わないでほしい。次に何を失うか分からないから」
「では、もう一度だけ」
「ナタリアは望まないと思うよ。君が傍に居るだけで私達は幸せだ。そして、私は君を幸せにしたい。私の人生はジゼルに捧げるよ」
ジゼルは弾かれたように目を見開き、すぐに耐えかねたように視線を落とした。
「アーノルド様の人生はアーノルド様のものです。私達は長い間、縛られて生きてきました。もう、心のままに自由に生きていきませんか?」
「心のままに……そうだね。私は君が好きだ。ずっと一緒に居たいと思っている」
アーノルドの視線が、ジゼルの瞳を捉える。
けれど、見つめ返す彼女の瞳は、波紋のように揺れていた。
「その……迷惑だろうか?」
怖がるように、アーノルドの細い指が僅かに震えている。
それはジゼルも同じだった。
「迷惑だなんて……でも、そんなふうに言われる資格は、私には……」
言葉とは裏腹に、視線だけは、どうしても逸らすことができなかった。
「資格がないのは、私の方だよ。ナタリアには悪いけど、君を義妹に望むのはもう少し先だ」
「それは……」
「健康な体を取り戻す。その時、改めてプロポーズさせて欲しい」
真っ直ぐすぎるその言葉に、どんな表情を返せばいいのか、ジゼルにはわからなかった。
適切な言葉が、頭の中からすっかり消えてしまっていた。
「ジゼル?」
「はい。……その時に」
それが、今の彼女に絞り出せる、精一杯の「答え」だった。
(――嬉しいです。でも、約束はできません)
飲み込んだ言葉は、喉の奥でひっそりと、熱を帯びていた。
読んでいただいて、ありがとうございました。




