11 父ニルトンと忘れられた日記
意気揚々と公爵家を訪れたニルトン・コートナー伯爵は、豪華絢爛な屋敷に足を踏み入れた途端、体を強ばらせた。
もともと小心者だ。恐縮しながら客室へ案内されると、三人の若者が待っていた。
「お待ちしておりました。コートナー伯爵」
「は、初めまして──」
アーノルドと挨拶を交わした直後、痩せた少女が声をかける。
「……お父様」
それがジゼルだと、すぐには分からなかった。
「7年ぶりですね」
寂しげに笑う娘に父は一瞬、言葉に詰まらせる。
「ジゼルか……迎えに来た。家に帰ろう」
思わず手を伸ばすと、
「お待ちになって!」
ナタリアが遮った。
「ジゼルは私の付人になりましたの。勝手に連れて帰られては困りますわ!」
「その前に、娘はジェリコム侯爵令息の婚約者だ。私が連れて帰る」
ニルトンは言い切った。
「私の手紙を読まなかったのですか? ジゼルは酷い虐待を受けていました。それでも、クレスを婚約者だと?」
アーノルドの問いに、ニルトンは顔を背ける。
「ご、誤解があるのだろう。話し合えば、元に戻れる」
「いいえ、戻りません」
ジゼルがはっきり告げた。
「お父様、私は婚約を破棄しました。先に言い出したのはクレス様です。証人はナタリア様をはじめ、学園に大勢います。彼には恋人がいて、私は邪魔な存在でした」
「だが誓約が……」
「先に破ったのはクレスです。私は修道院に参ります。どうか、親子の縁も切って下さい」
「……そうはいかない。お前は私の娘だ。さぁ、帰るんだ!」
ニルトンは引かない。
「酷い父親ね。ジゼルが呪いで7年も苦しんだことも知らずに」
「呪い? ばかばかしい。将来はジェリコム侯爵夫人だ。幸せじゃないか!」
「何ですって! ……この薄情者!」
最初からジゼルは分かっていた。父は味方ではないと。
「ナタリア様、もういいです。何を言っても分かってもらえませんから」
「我儘を言うな、さぁ、帰るんだ!」
「なっ! 許せないわ!」
今にも飛びかかりそうなナタリアをジゼルは止めた。
だが――。
「ジゼルは渡さない」
アーノルドがニルトンの胸倉を掴んでいた。
「――これ以上、彼女をないがしろにするなら、私が相手になります。コートナー伯爵家をデュアム公爵家の敵と見なします」
静かな声だった。
だが、強い怒りが込められている。
「ジゼルは、もうあなたの所有物ではありません」
「は、離せ……」
ニルトンの顔が凍りつき、手が震えた。
ジゼルは、ここまで守ってくれるアーノルドに胸が熱くなった。
「理解されたならお帰りいただこう!」
アーノルドに突き放され、慌てて去ろうとする父親。
「ジ、ジゼル、きっと後悔するぞ!」
「お父様、これが婚約を破棄して、修道院に行く理由です」
ジゼルが差し出した日記帳をひったくるようにして、父親は帰って行った。
***
馬車の中。
ニルトンは、額の冷や汗をハンカチで拭った。
公爵令息の言葉が頭の中を駆け巡る。
「どうして、ジゼルはあんなに大切にされているんだ?」
「しかし、あの調子だとジゼルは本当に修道院に行くつもりだ」
落ち着きを取り戻し、気持ちを切り替える。
「ジゼルを取り返せなかった……何とかしなければ」
今はそのことだけで頭の中がいっぱいだった。
「……仕方ない。ジェリコム侯爵に、また相談するとしよう……」
彼はジゼルの日記を鞄に放り込んだ。
そして、そのまま忘れてしまった。
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