10 ジゼルの前前世?
アーノルドは、あの冷え切った実家にジゼルを戻してはならないと確信していた。
呪いが解けたとはいえ、親子の繋がりが希薄なのは明白だった。
「ゴホッゴホッ……」
不意に、肺の奥からせり上がってきた発作に、彼は胸を強く押さえた。
「はぁ……はぁ……」
倒れるようにソファーに座り込んで息を整える。
体調は、幾分良くなっている。だが死の影は付き纏う。
医師は、一度も「治った」とは口にしていない。
もう時間は残されていないと、彼は悟っていた。
寿命が尽きる前に、999回も苦しんだジゼルの力になってあげたかった。
──7年。
それは、彼が難病に侵されていた年月と同じだった。
互いに足掻き、苦しみながら、生きてきた。
ようやく不幸から抜け出したジゼルに、幸せになってほしい。
たとえ、その未来に自分がいなくても。
「誰にも、邪魔はさせないよ」
それは、最愛の妹ナタリアを想う気持ちでもあった。
自分がいなくなった後の世界を、せめて穏やかなものにしたかった。
婚約を破棄されて落ち込んでいたナタリアを、ジゼルは救ってくれた。
「怒ったり笑ったり、すっかり元気になって。以前のナタリアに戻った」
だからこそ、ジゼルの笑顔の先に、妹の未来も続いていくと信じていた。
二人が幸福になる未来を、アーノルドは願う。
それが、彼の最後の望みだった。
*****
──数日後。
ジゼルの父親から、『娘を迎えに伺いたい』とデュアム公爵家へ先触れが届いた。
客室で、ジゼルたちはニルトンの到着を待っていた。
すると沈黙の中、ナタリアが思い出したように口を開いた。
「ジェリコム侯爵家の経歴を調べさせたのだけど……」
「どうだった?」
アーノルドが身を乗り出す。
「特に問題はなさそうよ。ただ、60年前に先代の侯爵夫妻が離婚しているわ。その時の使用人がまだ生存していて、話を聞けたそうなの」
「それで?」
「夫人が『未来永劫、夫を呪ってやる!』と言って、呪術師を呼んだらしいの」
部屋の空気が一瞬、重くなる。
「でも、夫は離婚後に愛人と再婚して、幸福に暮らしたそうよ」
「それは……呪術師の失敗ということだろうか?」
アーノルドの問いに、ナタリアは首を傾げた。
「どうかしら。ただ、その愛人の妹が精神を病んで、3年後に身投げしたそうなの」
「……呪いは、妹にかかったのか」
「分からないわ。妹は異母妹で、姉に憎まれていたみたいだけど」
「姉に憎まれていた……」
アーノルドは言葉を切り、しばし考え込む。
「ジゼルが『未来永劫呪われた夫』の生まれ変わりとは思えないし、この話は関係ないと思うわ」
ナタリアはそう言って、この話題に蓋をした。
けれど、静かに耳を傾けていたジゼルの胸はざわついた。
『異母妹』という言葉が、棘のようになぜか深く心に刺さる。
絶望の果てに、崖から身を投げる自分の姿が、一瞬だけ鮮明に脳裏に浮かんだ。
(ジェリコム侯爵家の呪いは、姉によって、妹に移し替えられた?)
確証はない。
それでも、そう思えてならなかった。
「コートナー伯爵がお見えになりました」
執事の声に、3人の表情が引き締まる。
父に呪いの件を話し、日記も、すべて見せる。
同情されなくても、理解されなくても構わない。
婚約破棄と修道院行き。
それが唯一の逃げ道でも、選んだのはジゼル自身だ。
罪滅ぼしは終わった。
二度と、あのクレスの元には戻らない。
ジゼルは背筋を伸ばし、気持ちを固めた。
──今から過去と決別するのだと。
読んでいただいて、ありがとうございました。




