第3話 日常の中で
翌朝の教室は、昨日より少しだけ賑やかだった。
ひよりは席に着き、鞄を机の横に掛ける。
同じ教室、同じ席。
それなのに、視線の数が増えているのが分かった。
露骨ではない。
ただ、動くたびに一瞬だけ止まる視線。
――慣れてきた、のかもしれない。
そう思うことで、納得しようとする。
「おはよー」
クラスメイトの女子が、軽く手を振ってきた。
「……おはようございます」
少しだけ距離を保つ返事。
「昨日あんまり話せなかったからさ」
「学校どう? 慣れた?」
「……いえ、まだ少しだけです」
「そっか。でもすぐ慣れるって」
悪意のない、軽い調子。
ひよりは小さく笑って頷いた。
少し離れた席から、ひかりがこちらを見ている。
何も言わない。
ただ、目を離していない。
授業が始まり、
ひよりは板書に集中した。
集中していれば、大丈夫。
昨日も、そうして過ごした。
休み時間。
椅子を引く音と一緒に、
机の周りに人が集まる。
「ねえねえ」
「昨日聞けなかったんだけどさ」
数人のクラスメイトが、興味半分で覗き込んでくる。
「異世界って、やっぱ全然違うの?」
「……はい。少しだけですが」
「へー」
「魔法とかあるん?」
「危なくない?」
質問は、雑談の延長だった。
答えられる範囲で、ひよりは言葉を選ぶ。
「魔法は……ありますけど、
日常的なものが多いです」
「ふーん」
一瞬、間が空く。
「……耳ってさ」
その一言で、空気が少しだけ変わった。
「耳って、本物なんでしょ?」
確認するような口調だった。
「……はい。そう、です」
「やっぱり」
一人が、少し身を乗り出す。
「触ったら分かるんかな」
距離が、近い。
ひよりは言葉を探す。
断るべきだと分かっている。
でも、どう言えばいいのかが分からない。
「……あの……」
声は、思ったより小さかった。
「え?」
聞き返されて、さらに言葉が詰まる。
「……触られるのは……」
言い切れなかった。
「ちょっとだけだよ」
そう言って、指先が伸びる。
逃げるほどではない。
でも、近い。
ひよりは反射的に身を引いた。
「……やめ……」
声は、周囲のざわめきに消えた。
指先が、耳に触れる。
ほんの一瞬。
確認するような、軽い動き。
「ほんとだ」
「動くんだな」
笑い声が混じる。
ひよりは、何も言えなかった。
嫌だった。
でも、止められなかった。
「……すみません」
誰に向けたのか分からない言葉が、口から落ちる。
誰も気に留めなかった。
空気は、まだ軽い。
「じゃあさ」
次の言葉が、続く。
「しっぽってさ」
その言葉に、ひよりの背中が強張った。
「どこで繋がってるの?」
「付け根とか、どうなってんの?」
さっきよりも距離が近い。
視線が、下がる。
ひよりは、息を吸った。
「……あの……」
声が、出ない。
嫌だと思う。
触られたくない。
でも、
どう断ればいいのか分からない。
「別にさ、見るだけじゃん」
「嫌なら言えばいいのに」
正論みたいな言葉が、軽く重なる。
ひよりは、固まった。
その瞬間。
「やめて」
低い声が、間に入った。
ひかりだった。
いつの間にか、すぐ横に立っている。
ひよりと、クラスメイトの間に。
「それ以上は、ダメ」
短い言葉。
説明も、感情も乗せない。
空気が、はっきりと止まった。
「……あ、ごめん」
誰かが、気まずそうに視線を逸らす。
ひかりは、ひよりの方を見ないまま言う。
「大丈夫?」
「……はい」
声は小さいけれど、
確かに届いた。
ひかりは、それ以上何も言わなかった。
ただ、そこに立ち続ける。
それだけで、十分だった。
周囲は、何事もなかったように散っていく。
残ったのは、
少し早くなった鼓動と、
静かな安心感。
ひよりは、胸の奥で思った。
――昔と、同じだった。
守ってもらえた、という感覚。
ひかりは、ひよりの方を一瞬だけ見て、
小さく息を吐いた。
その目には、
迷いよりも、はっきりしたものが宿っていた。




