第7話 朝の輪郭
朝の光は、思ったよりも静かだった。
カーテン越しに差し込む白い光が、
部屋の輪郭をゆっくり浮かび上がらせていく。
ひよりは、目を開けてからしばらく動かなかった。
天井。
カーテン。
聞き慣れない、家の音。
——ああ。
そうだ、と遅れて思い出す。
隣から、かすかな寝息が聞こえた。
ひかりだ。
それだけで、胸の奥が少しだけ落ち着く。
ひよりは、そっと息を吐いた。
昨夜は、久しぶりに安心して眠りに落ちた。
途中で目が覚めた記憶もない。
その事実が、少しだけ怖くて、
でも同時に、ありがたかった。
起き上がるタイミングを迷っていると、
ドアの向こうで小さな物音がした。
足音。
階段を上る音。
しずくだ。
ひよりは、布団の中で指先を握る。
起きていないふりをするほどではない。
ただ、まだ朝の顔を作れていなかった。
しばらくして。
「……おねぇ、起きてる?」
控えめな声。
ひかりが目を開ける気配がした。
「……ん。起きてる」
低い声で返す。
ドアが少しだけ開く。
「朝ごはん、できてる」
しずくは、部屋の中を一瞬だけ見た。
並んだ布団。
ひよりの姿。
驚いたようにも、気まずそうにも見えない。
ただ、見たものをそのまま受け取って、視線を戻す。
「ひよりねぇも、起きてたら一緒に」
「……うん」
ひよりは少し遅れて返事をした。
しずくは、それ以上何も言わず、
静かにドアを閉めた。
ひかりが布団の中で、小さく息を吐く。
「……ごめん、起こした?」
「ううん」
ひよりは首を振った。
「……なんか、変な感じ」
「なにが?」
「安心しすぎて」
言葉にすると、少し照れくさい。
でも、照れだけじゃない。
安心すると、
その反動が怖い気もした。
ひかりは、くすっと小さく笑った。
「それ、悪いこと?」
「……分かんない」
ひよりは布団の端をぎゅっと掴む。
「でも……学校行く前なのに、ずるい」
「なにが?」
「こんなに落ち着いてるの」
ひかりは少し考えてから言った。
「じゃあさ」
「行く前に一回、落ち着けたってことでしょ」
「……そんなの、あり?」
「あり」
即答だった。
ひよりは、少しだけ笑った。
二人で起き上がり、
身支度を整えて部屋を出る。
リビングには、朝の匂いが広がっていた。
トーストの焼ける音。
コーヒーの香り。
しずくがテーブルに皿を並べている。
「おはよう、ひよりねぇ」
「……おはよう、しずくちゃん」
しずくは、ひよりの顔を一度だけ見て、
いつも通りの調子で言った。
「よく眠れた?」
問いは短い。
深掘りしない、ちょうどいい距離。
「……うん」
それだけで、十分だった。
朝食は静かだった。
でも、重くはない。
ときどき、昨日の続きみたいに昔の話がぽつりと出て、
それに笑いが混じる。
ひよりは思う。
——ここでは、
無理に「平気」じゃなくていい。
それが、
どれだけ助かることか。
食後、支度を終えて玄関に立つ。
靴を履きながら、
ひよりは一瞬だけ立ち止まった。
「……ありがとう」
誰に向けた言葉か、分からないまま。
しずくは、少しだけ首を傾けてから言った。
「また、来ればいいよ」
余計な意味は足さない。
ただ、そう言うだけ。
ひかりが、ひよりの方を見る。
「行こ」
「……うん」
玄関を出ると、朝の空気が冷たい。
並んで歩きながら、
ひよりは胸の奥を確かめる。
不安は、まだある。
学校に行けば、また色々あるだろう。
でも。
——戻れる場所がある。
それを知ったまま向かう朝は、
少しだけ、世界の輪郭がはっきりしていた。




