第9話 無視できない存在
最初に変化が現れたのは、思っていたよりも小さな場所だった。
「……この記録、合いません」
私は、地方から届いた報告書を指でなぞりながら言った。
「どこがだ?」
レオン様が、机越しにこちらを見る。
「数値は正確です。でも、前提条件が古い。
この地域、三年前から水脈が変わっているはずです」
「それは……公式記録では否定されている」
「ええ。でも、現地の補助記録では一致しています」
私は、別の書類を差し出した。
「小規模な井戸の枯渇、農地の移動、住民の流入。
どれも“偶然”として処理されていますけど」
一つ、息を吸う。
「偶然が、重なりすぎです」
レオン様は、しばらく黙って資料を見比べていた。
「……予測から外れた変動、か」
「はい」
彼が、小さく笑う。
「君らしい視点だ」
そう言われて、少しだけ胸が温かくなった。
その日のうちに、私たちは簡易報告をまとめた。
正式な進言ではない。
あくまで「補助的見解」として、下位部署へ回す形だ。
――それでも。
数日後、返ってきた反応は、予想以上だった。
「王都南部で、水路工事が前倒しに?」
マリアが、信じられないという顔で言う。
「しかも、被害が出る前に対応できたって……」
「……通ったんですね」
小さく呟くと、彼女が私を見る。
「あなた、何をしたの?」
「記録を、読み直しただけよ」
それは嘘ではない。
ただ――見方を変えただけだ。
その夜、レオン様は珍しく上機嫌だった。
「初めてだ」
ワインを一口含みながら言う。
「制度を通さずに、現場が動いたのは」
「怒られませんか?」
「もちろん、怒られる」
即答だった。
「だが、結果が出た以上、無視はできない」
彼は、グラスを置く。
「君は今、“扱いづらい存在”になり始めている」
胸が、少しだけ強く打った。
「……悪い意味、ですよね」
「最高の意味だ」
彼は、はっきりと言った。
「制度にとって、都合が悪いということだから」
その言葉に、私は思わず笑ってしまった。
「それ、褒め言葉ですか?」
「ああ」
迷いなく頷く。
「俺が欲しかったのは、それだ」
だが、世界は静かに反撃を始めていた。
翌日、婚姻管理局から一通の文書が届いた。
「“非公式活動に関する注意喚起”……?」
読み上げる私の声が、硬くなる。
「内容は?」
「……アルヴェイン家の影響力を用いた、
制度外の判断は慎むように、とのことです」
レオン様は、紙を受け取り、一瞥した。
「随分、早いな」
「怒られましたね」
「いいや」
彼は、紙を折り畳む。
「警戒された」
その一言で、空気が変わる。
「それは、つまり――」
「君が、無視できない位置に来たということだ」
胸の奥が、少しだけ震えた。
怖い。
でも、それ以上に。
「……進んでいるんですね」
「そうだ」
彼は、こちらを見る。
「後戻りできないところまで」
一瞬、沈黙。
「怖いか?」
そう問われ、私は少し考えてから答えた。
「……怖いです」
正直な気持ち。
「でも」
顔を上げる。
「選ばれないまま、何も残せないよりは」
彼は、ゆっくりと笑った。
「それでいい」
立ち上がり、私の前に来る。
「君はもう、“守られるだけの存在”じゃない」
そっと、手を差し出す。
「一緒に、踏み込もう」
私は、その手を取った。
確かに、温かかった。
その頃、評議会の一室。
「……例の平民、動いているな」
「アルヴェインの背後で?」
「いや。
アルヴェインが、あの女の背後に立っている」
低い声が、言葉を落とす。
「放置すれば、制度が揺らぐ」
沈黙の後、誰かが言った。
「……圧をかけるべきだ」
静かに、しかし確実に。
世界は、
彼女を“消す”準備を始めていた。
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