第8話 隣に立つ理由
アルヴェイン家の屋敷は、以前よりも静かだった。
人の出入りが減り、廊下を行き交う使用人の数も少ない。
それが、彼が支払った代償なのだと、否応なく実感させられる。
「……ごめんなさい」
私がそう呟くと、レオン様は書類から顔を上げた。
「何に対してだ?」
「全部です」
短く答えると、彼は小さく息を吐いた。
「謝るな」
強い言葉ではない。
でも、拒絶の余地がない声音だった。
「君が戻ってきた。それで十分だ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
私は今、彼の執務室にいる。
かつては“補助官”として出入りしていた部屋。
今は、ただ――彼の隣に立つ一人の人間として。
「……ここにいても、いいんですか」
不安が、言葉になって漏れる。
「いい」
即答だった。
「君を遠ざける理由は、もうない」
机の端に置かれた書類の山。
婚姻管理局、評議会、各家門からの抗議文。
それらを見て、私は改めて現実を知る。
「状況は……厳しいですね」
「予想通りだ」
彼は淡々としている。
「だが、想定外でもある」
「え?」
「君が戻ってきたことだ」
ふっと、柔らかく微笑った。
「正直に言えば、戻らない可能性も覚悟していた」
胸が、きゅっと痛む。
「その場合は?」
「制度と戦う」
迷いなく言う。
「一人で、だ」
私は、ぎゅっと拳を握った。
「……それは、嫌です」
自分でも驚くほど、はっきりした声だった。
彼が、こちらを見る。
「私は、あなたの隣に立つと決めました」
逃げない。
身を引かない。
「だから、今度は一人にしないでください」
一瞬の沈黙。
そして、彼は静かに笑った。
「ようやく、言ってくれたな」
その表情に、安堵が滲んでいるのが分かる。
「では、正式に頼もう」
「……何をですか」
「俺の未来を、支えてくれ」
胸が、熱くなる。
「それが、君の仕事だ」
私は、ゆっくりと頷いた。
「はい」
その日から、私の役割は明確になった。
改革の旗を振るのは、彼。
けれど、現場を動かすのは私。
各地の記録を洗い直し、
過去の災害、政策失敗、外交の齟齬を洗い出す。
「……やはり」
古い記録を読み進める中で、ある共通点に気づいた。
「予測が外れた事例、どれも“例外的存在”が関わっています」
「例外?」
レオン様が、身を乗り出す。
「制度の想定外に置かれた人たちです。
平民、地方出身者、混血……」
私は、資料を並べた。
「彼らは予測不能とされ、重要な決定から外されてきました。
でも実際には――」
「事態を救っている」
彼が、続きを言う。
「はい」
確信があった。
「選ばれなかった存在が、未来を支えてきた。
それが、この国の現実です」
レオン様は、しばらく黙って資料を見つめていた。
「……君は、最初からその中にいた」
その言葉に、はっとする。
「選ばれない側として」
「はい」
そう答えながら、私は初めて思った。
――それは、本当に“欠点”だったのだろうか。
「リナ」
彼が、静かに呼ぶ。
「君は、俺の弱点じゃない」
真っ直ぐな視線。
「俺が立つための、根拠だ」
胸が、いっぱいになる。
「だから」
一歩、近づいて。
「これからは、胸を張って隣にいろ」
私は、思わず笑ってしまった。
「……それ、簡単じゃないですよ」
「時間をかければいい」
彼は、少しだけ照れたように視線を逸らす。
「俺は、待つのは得意だ」
その一言が、妙に嬉しかった。
夜。
屋敷の廊下を歩きながら、私はふと立ち止まった。
「……怖いです」
ぽつりと零す。
「また、全部失うかもしれないって思うと」
彼は、足を止め、私を見る。
「それでも?」
「……それでも、隣にいます」
覚悟を込めて言うと、彼はゆっくりと頷いた。
「十分だ」
そっと、私の手に触れる。
握るほどではない。
でも、確かにそこにいると分かる距離。
「選ばれない世界でも」
低い声で、囁く。
「君は、俺の選択だ」
その言葉が、胸に深く沈んだ。
――戦いは、これからだ。
けれど今は、
この場所で、
確かに隣に立っている。
それだけで、十分だった。
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