第5話 身を引くという選択
その夜、私は眠れなかった。
部屋の灯りを落としても、瞼を閉じても、脳裏に浮かぶのは彼の言葉ばかりだ。
――君自身が選べ。
その声は優しく、同時に残酷だった。
選ぶ?
私に、何を選べというのだろう。
彼の隣に立つ未来は、最初から用意されていない。
それでも彼は「選ぶ」と言う。
ならば私は――彼に、何を与えられる?
答えは、分かっている。
何もない。
平民で、資格がなくて、制度の外側にいる私が、彼の未来に残せるものなど一つもない。
「……だからこそ、よね」
声に出して、ようやく決心が固まった。
彼がすべてを失う前に。
世界が彼を壊してしまう前に。
私が、身を引く。
翌朝、記録院に向かう足取りは、不思議と軽かった。
怖くないわけではない。ただ、迷いが消えただけだ。
私はまず、異動の手続きを進めた。
院長の元を訪ね、正式に地方記録庫行きを受け入れる。
「……本当に、それでいいのか」
院長は、どこか苦しそうな顔をしていた。
「はい」
私は、はっきりと頷く。
「これが、正しい形です」
嘘だった。
でも、この嘘だけは、つき通さなければならない。
昼過ぎ、彼を呼び出した。
場所は、あの中庭。
彼が「選び続ける」と言った場所。
皮肉だと思ったけれど、ここで終わらせたかった。
「……話って?」
彼は、いつも通りの顔で現れた。
だから、余計に胸が痛んだ。
「私、地方へ行きます」
開口一番、そう告げる。
空気が、一瞬で凍った。
「……それは」
「正式に決まりました」
彼の言葉を、遮るように続ける。
「自分で、手続きをしました」
沈黙。
彼の目が、信じられないものを見るように見開かれる。
「なぜだ」
低い声だった。
「なぜ、俺に相談しない」
「相談する必要が、ありませんから」
あまりにも冷たい言い方になってしまった。
でも、引き返すわけにはいかない。
「レオン様。これは、あなたにとっても最善です」
「……最善?」
彼の声が、わずかに揺れた。
「君がいなくなることが?」
「はい」
私は、視線を逸らさずに言い切る。
「私がいれば、あなたは選択を誤る」
胸が裂けそうだった。
「平民で、資格のない私のために、あなたが未来を失うなんて……そんなの、間違っています」
彼は、何も言わなかった。
ただ、じっと私を見ている。
「だから、これは……私なりの選択です」
選ばれない世界で、
彼を守るために、私が選べる唯一の道。
「……そうか」
ようやく、彼が口を開いた。
その声は、驚くほど静かだった。
「それが、君の本心なんだな」
「……はい」
嘘だと、分かっているはずなのに。
彼は、しばらく黙ったまま、私を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「分かった」
その一言に、胸が締め付けられる。
「君がそう決めたなら、俺は……」
一瞬、言葉を切り、
「表向きは、止めない」
表向き、という言葉に、顔を上げた。
「だが、覚えておけ」
彼は、一歩近づき、低く告げる。
「これは、君が俺を拒んだわけじゃない」
心臓が跳ねる。
「世界が、そうさせた」
そして、決定的な一言。
「だから俺は――世界を説得する」
息が、止まった。
「レオン様……」
「君が身を引いた以上、次は俺の番だ」
彼の瞳には、静かな炎が宿っていた。
「君は去れ。君が傷つかない場所へ」
優しい声。
「だが、俺はここに残る」
彼は、微笑った。
「選ばれない存在を、選べない世界のままで終わらせないために」
その言葉が、胸に深く刺さる。
私は、何も言えなかった。
ただ、涙が一筋、頬を伝った。
――この人は。
本当に、
私がいなくなっても、選び続けるつもりなのだ。
その覚悟を知ってしまったからこそ、
私は初めて、恐ろしくなった。
この恋は、
もう、後戻りできない。
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