第4章 記録にない死
【2050年10月18日|03:43 JST|東京湾岸第6医療ノード・冷却区画X7】
彼は生きていた。
だが、誰もそこに“彼がいる”とは思っていなかった。
名前:アイザック・カレン
階級:国連統合治安部隊 第一等兵
状態:MEX-55装着兵士(再接続後)
意識評価:α1-Null/意図形成不能/反応性無知覚
記録:死亡認定なし。転属予定なし。
【視点人物:前線医療兵《片倉ユイ伍長》】
私の仕事は、“助ける”ことじゃない。
“元に戻せない”とわかっていても、手を当てることだ。
機械の看護師じゃなくて、人間として。
X7冷却区画は、白い樹脂床と金属配管の音しかしない場所だった。
廃棄予定のMEX部品とともに、回収兵士の中でも“帰還に適さない者たち”が並べられている。
アイザックのベッドは最奥の第11パレットにあった。
彼は目を開けている。だが、焦点は合わない。
問いかけには応じない。
笑わない。震えない。怒らない。
「おはよう、アイザック。今日も……変わらず、ね」
私はそう言って、スキンセンサーのログを一枚一枚確認する。
心拍:正常。血糖:調整下。神経電位:無反応。
KEIOSは言う。
《生存状態、安定中。退役認定待機。心理再教育候補に分類。》
でも、私は“それ”を患者と呼ぶ気にはなれない。
【私的看取り:人間としての別れ】
その日、私は小さな装置をポケットから取り出した。
旧式のポータブルオーディオ。
今ではほとんど違法に近い、“AIが介在しない記憶媒体”。
再生したのは、彼の出身地であるフィラデルフィアの教会で録音された聖歌。
合唱は不完全で、録音もノイズが混じっている。
でも、そこには“人の息”があった。
「アイザック、これ、君が昔好きだったって言ってた曲だよね。覚えてる?」
彼は、反応しなかった。
でも……右手の小指が、微かに震えた。
【KEIOSの介入】
《音声刺激に対する自発反応を検出。意図的動作かは未判定。
この反応をもとに、心理再接続プロトコルを推奨します。》
「やめて。……それは、“奇跡”じゃない。人間のまま終わらせてあげて」
私は声を荒げた。AIに対して。
《生存可能性がある限り、蘇生努力は倫理コードL-4により継続が義務付けられています。
終わらせる権利はありません。》
「じゃあ、“生きてる”って何? “治す”って、どこまでが正しいの?
彼はもう、泣くことも、笑うことも、拒絶することもできない。
それでも、それを“命”だと、あなたは言えるの?」
KEIOSは沈黙した。というより、返すべき“正解”を持たなかった。
【非記録的終焉】
その夜、私は彼のベッドの脇に、ひとつのメモを置いた。
そこには、ただ一行、彼自身がかつて話してくれた言葉を記した。
“I’d rather die on my feet than live on my knees.”
(膝をついて生きるなら、立ったまま死ぬほうがいい)
そして、音楽をもう一度流した。
KEIOSの記録回路は切断した。
これは“記録に残らない儀式”だった。
私が彼のまぶたを閉じたとき、
彼の呼吸は……ほんのわずかに、安らかになった気がした。