第21章 亡霊の同調(Sync with the Ghost)
【2054年2月9日|04:35 JST|ネオ有明タワー・地下第3放水路】
「ハアッ……ハアッ……!」
地下深く、東京湾の海水を引き込む巨大な放水路。
膝まで冷たい海水に浸かりながら、ハン・ロメロは壁に手をついた。
MEX-55改の右脚アクチュエータが、断続的に火花を散らしている。先ほどのタランチュラとの戦闘で、パイルバンカーの反動が関節フレームに微細な亀裂を入れていたのだ。
「ハン、急いで! 後方からSaintsの追撃班が来るわ!」
ユイが先行してハッチを開けようとするが、錆びついたハンドルはびくともしない。
「……クソッ、電子ロックじゃない。物理的に錆びてる!」
その時、通ってきた通路の奥から、複数の赤い光点が闇を切り裂いた。
Saints部隊だ。足音はない。水面を揺らさないほどのステルス歩行。
だが、彼らが構えるサプレッサー付きサブマシンガンの銃口は、確実に二人を捉えていた。
「前門の錆び扉、後門の殺人鬼か……」
ハンは舌打ちし、ハンドガンの残弾を確認した。
《Magazine: 3 rounds. System Status: Yellow.》
「残り3発。敵は6人。……計算が合わねえな」
ハンはユイを背中の後ろに庇い、敵に向き直った。
絶体絶命。
逃げ場のない一直線の水路。遮蔽物もない。
敵がトリガーに指をかけるのが、スローモーションのように見えた。
その瞬間。
ハンの脳髄を、鋭い電気信号が貫いた。
『……右壁面、配管ジョイントB-4。入射角18.5度』
ノイズ混じりの声。
聞き間違えるはずがない。それは、3年前に死んだ戦友、アイザック・カレンの声だった。
『同期しろ、ハン。……俺の視界を使え』
「……アイザック?」
ハンの意志とは無関係に、彼の右眼の義眼用カメラが強制的にフォーカスを変更する。
瞳孔の周縁部で、アイザックのパーソナルカラーだった「蒼い光(ブルー・LED)」が激しく明滅した。
【視界モード:ゴースト・リンク(Ghost Link)】
世界が一変した。
暗闇と汚水しかなかった視界が、青白いワイヤーフレームのデジタル空間へと書き換わる。
壁が透ける。
敵兵士の装甲の下にある心臓の鼓動、筋肉の収縮、そして「次に動く軌道」が、光のラインとして予測表示される。
『計算は済ませた。……撃て』
ハンは思考するよりも早く、右腕を跳ね上げた。
敵兵士を狙ったのではない。彼は、横の壁にある「剥き出しの金属配管」を撃った。
バォン!
一発の銃声。
発射された.45口径弾は、配管の曲面に命中。火花を散らして跳弾する。
物理法則を無視したような鋭角な跳ね返り。
弾丸は天井の鉄骨に当たり、再び跳ね返り――先頭にいたSaints兵士の「首の装甲の隙間」へと吸い込まれた。
「ガッ……!?」
兵士が倒れる。だが、それで終わりではない。
弾丸は兵士の頸椎を砕いた勢いで軌道を変え、後ろにいたもう一人の兵士のメインカメラを貫通した。
一撃必殺。二重の跳弾。
「……ハハッ、ふざけた計算だ」
ハンは笑った。これは彼自身のスキルではない。
アイザックの――あの「計算高いくせに無茶をする男」の思考回路そのものだ。
残る敵は4人。彼らは一瞬、状況を理解できずに動きを止めた。
その隙があれば、ハンには十分だった。
「見えてるぞ、テメェらの次の動きも、その次の動きも!」
ハンは水面を蹴った。
壊れかけた右脚が悲鳴を上げるが、ゴーストが最適な負荷分散制御を行っているおかげで、動きは鈍らない。
2発目。水面を撃つ。水柱の向こうで、跳ねた弾丸が敵の脚部関節を砕く。
3発目。天井の照明器具を撃ち落とし、落下した高圧ケーブルが水面に触れ、残る敵全員を感電させる。
バチバチバチッ!!
青白いスパークが水路を照らし、Saints兵士たちのボディが痙攣して沈黙する。
静寂が戻る。
ハンは空になったハンドガンを下ろした。右眼の蒼い光が、ゆっくりと通常色の琥珀色に戻っていく。
「……ハン?」
ユイが恐る恐る声をかける。彼女は見ていた。
今のハンの動きは、普段の「野性的な戦闘スタイル」とは違う。
恐ろしく緻密で、機械的で、それでいて――どこか哀しいほどに完璧な動き。
ハンは額の汗を拭い、頭を振った。
「……ああ、大丈夫だ。ただ、頭の中に住んでる奴が、少しお節介なだけさ」
彼は錆びついた扉の方を向き、義手のパワーで強引にハンドルを回した。
ギギギ……と音を立てて、扉が開く。
「行こう、ユイ。……アイザックが道を教えてくれている」
ハンは自分のこめかみを指差した。
「あいつは言ってる。『遅れるなよ、中隊長』ってな」
ユイは頷き、ハンの背中を追った。
彼女は確信していた。
データとして残された「亡霊」は、単なる記録の再生ではない。
彼らは今も、ハンの目を通して、共に戦っているのだ。




