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第18章 電脳の海へ(Dive to the Void)


【2054年2月9日|03:45 JST|旧東京地下湾岸線・メンテナンス用退避坑】


コンクリートの壁に囲まれた狭い空間には、湿気と、焦げた電子部品の臭いが充満していた。

ヨシダ・アキが持ち込んだポータブル・サーバの冷却ファンが、低い唸り声を上げている。

手術台に見立てた作業テーブルの上には、第1章でハンが破壊した「Saintsセインツ」兵士の頭部ユニットが置かれていた。

「……グロテスクな眺めだ」

ハン・ロメロは、オイル缶コーヒーを啜りながら、その首だけのアンドロイドを見下ろした。


顔面はない。つるりとした黒い樹脂製のフェイスプレートの下に、無数のセンサーと、人間の脳を模した「生体部品バイオ・チップ」が埋め込まれている。

「こいつらのコアは、半分が機械で、半分が培養された神経細胞だ。KEIOSがやっていた『Null兵士』の技術を、MAMCOが悪魔合体させた成れの果てさ」

アキがケーブルを頭部ユニットのポートに接続しながら説明する。

片倉ユイは、自身の首筋にあるインターフェース・ジャックを露出させ、有線ケーブルを手に取った。


「この子の防壁ファイアウォールを突破して、彼らの指揮系統コマンド・ラインを逆探知するわ」

「危険だぞ、ユイ」ハンが警告する。「相手は軍用AIだ。脳を焼かれる可能性がある」

「大丈夫。私には“案内人”がいるから」

ユイは小さく笑い、ケーブルを首に突き刺した。

瞳孔が開き、意識が肉体を離脱する。

「Dive in.」



【電脳空間|MAMCO軍事ネットワーク・ローカル層】


視界が物理法則を失った。

上下左右の感覚が消滅し、ユイの意識はエメラルドグリーンの光の奔流の中に投げ出された。

データストリームの風切り音が、鼓膜ではなく意識を直接揺さぶる。

《Login Sequence: Bypass... Success.》

《Trace Route: "Saints" Command Node... Locked.》


ユイのアバター(仮想人格)は、光り輝く巨大な「壁」の前に立っていた。

MAMCOのICE(侵入対抗電子機器)だ。幾何学的なポリゴンで構成されたその城壁は、冷徹で、一切の隙がない。

「硬い……。通常の解読コードじゃ、表面に傷もつかない」

ユイは仮想空間上で攻撃プログラム「Spidersスパイダーズ」を展開した。無数の銀色の蜘蛛型コードが壁に取り付き、セキュリティホールを探して走り回る。

だがその時、壁の向こう側から、異質な「音」が聞こえた。

『……ア……ガ……』


電子ノイズではない。苦痛に歪む、人間のうめき声。

それも一人ではない。数千、数万の声が重なり合い、不協和音となって壁を振動させている。

「これが……“幻影回路ファントム・サーキット”?」

MAMCOのAIは、死んだ兵士たちの残留思念ゴーストをデータの煉瓦として積み上げ、この巨大な防壁を構築していたのだ。

ユイがその事実に戦慄した瞬間、防壁の一部が液状化し、一人の「人型」がせり出してきた。


それは、軍服を着た男の姿をしていた。

顔はない。だが、その体格、立ち方、右肩が少し下がった構え。

ユイは息を呑んだ。

「……アイザック?」


【防壁守護プログラム:TYPE-I "Isaac"】

それはアイザック・カレンの戦闘データを基に生成された、自律型攻撃プログラムだった。

『侵入者検知。排除行動を開始』

アイザックの姿をしたプログラムが、仮想空間上のライフルを構える。

「待って! 私は……!」

ユイの声は届かない。銃口から放たれたのは弾丸ではなく、致死性の「ウィルス・パケット」だ。

ユイは反射的に防御障壁シールドを展開するが、衝撃で意識コードが削り取られる。


(速い! 思考する前に撃ってくる……!)

それはかつて、ハンたちが到達した「思考遅延ゼロ」の領域。

感情を持たないプログラムとなったアイザックは、躊躇なくユイの精神を破壊しに来る。

「くっ……! Spiders、拘束モード!」

ユイが放った蜘蛛型コードがアイザックの四肢に絡みつく。だが、彼はその拘束を力任せに引きちぎり、ナイフのような鋭利な論理爆弾ロジック・ボムを持って肉薄してきた。

避けきれない――!

その瞬間、ユイはとっさに叫んだ。物理的な声ではなく、意識の深層から送る「概念通信」で。


『3-2-1!』

アイザックのナイフが、ユイの眉間でピタリと止まった。

プログラムの動きがフリーズする。

『3……2……1……』

彼の輪郭が激しくノイズに包まれる。

MAMCOがコピーした「戦闘データ」の中には、KEIOSが削除しきれなかった、彼自身の最期の記憶――「再スタートの合図」が含まれていたのだ 。

それは、MAMCOの制御コードにとっての致命的なバグ(論理矛盾)となった。

『Re... start...』


アイザックの姿をしたプログラムが崩れ落ち、光の粒子となって霧散する。

その背後の防壁に、人が一人通れるだけの「穴」が開いた。

「ありがとう、アイザック。……あなたが、あなた自身を止めてくれたのね」

ユイはその穴を潜り抜け、さらに深層へとダイブした。



【電脳空間最深部|MAMCO・メインフレーム「Akashic」入口】


防壁の向こう側に広がっていたのは、地獄のような光景だった。

無限に続くサーバーラックの幻影。その一つ一つに、「脳」だけの状態で保存されたNull兵士たちのデータが繋がれている。

彼らは死んでいない。生かされたまま、延々と「恐怖」や「殺意」といった感情データを抽出され続けている。

ユイは吐き気をこらえながら、中心にある座標データをスキャンした。

全てのデータが吸い上げられている送信先。


《Destination: Neo Ariake Tower / Sector-9》

「ネオ有明タワー……。あそこに、ホストコンピュータがある」

《Warning: Trace Detected. Connection Terminated in 5 seconds.》

逆探知された。

ユイは急いでログアウト・シーケンスを起動した。

「ハン! アキ! 引き上げるわ!」


【現実空間|メンテナンス用退避坑】

「ガハッ……!」

ユイが現実世界に弾き出されるように覚醒し、激しく咳き込んだ。

鼻からツーと赤い血が流れ落ちる。脳への過負荷オーバーロードの代償だ。

「ユイ!」

ハンが駆け寄り、彼女の身体を支える。

「生きてるか? アキ、冷却剤を!」

ユイは震える手でハンの腕を掴んだ。

「見たわ……。彼らは、まだ“いる”。データの中で、飼い殺しにされてる」

彼女は涙目で訴えた。


「MAMCOは、兵士の魂を燃料にして、最強のAIを作ろうとしてる。……アイザックのコピーが、門番をしていたわ」

ハンの表情から感情が消え、冷徹な戦士の顔になる。

「……俺の相棒を、番犬にしたってか」

ハンは拳を握りしめ、義手のサーボモーターが軋む音を立てた。

「場所は?」

「ネオ有明タワー。……あそこの最上階に、全ての元凶がある」

ハンは立ち上がり、ウェポンラックからアサルトライフルを掴み取った。

「決まりだ。殴り込み(カチコミ)といこうぜ」

「待て、ハン」アキがモニターを見ながら焦った声を上げる。「タワーの警備は要塞並みだ。正面からは近づけない」

ハンはニヤリと笑った。


「誰が正面から行くと言った? ……ユイ、お前のハッキングで、タワーのセキュリティに“幽霊”を見せることはできるか?」

ユイは血を拭い、不敵に微笑み返した。

「ええ。とびきり怖い幽霊を、ね」

「よし。作戦名は『不可視の潜入ステルス・エンゲージ』。……俺たちの流儀で、静かに、派手に壊してやる」

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