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第17章 逃走経路(Escape Vector)


【2054年2月9日|02:28 JST|首都高速湾岸線・旧大井ジャンクション付近】


豪雨で視界が白く煙る高速道路を、一台の重装甲バンが時速180kmで疾走していた。

かつて暴動鎮圧用に使用されていた車両を、HWR(人権保護団体)の技術顧問ヨシダ・アキが改造した代物だ。複合装甲のボディに、対ドローン用のジャミングアンテナが角のように突き出ている。

運転席のアキが、後部座席に向かって怒鳴った。

「おいハン! 左舷後方に熱源反応! 振り切れない、しつこいぞ!」

後部カーゴスペースのハッチが内側から蹴り開けられる。

吹き込む雨と暴風の中、ハン・ロメロはその身を乗り出した。彼の義眼はナイトビジョンとサーマルモードを高速で切り替え、後方から迫る脅威を捕捉する。


《Target ID: MAMCO "Hornet" Autonomous Attack Heli x1 / "Road-Runner" Pursuit Bike x4》

「空から一匹、陸から四匹か。……MAMCOの新型、いいオモチャを持ってやがる」

上空、約200メートル後方に攻撃ヘリ。機首下部の20mmガトリング砲が回転を始めているのが見えた。

「ユイ! バイクは任せる。空の羽虫は俺が落とす」

ハンはカーゴのウェポンラックから、長大な銃身を持つライフルを引き抜いた。

『Barrett XM-109 改・対物狙撃砲』。25mmグレネード弾を使用する、本来は歩兵が扱うものではない怪物だ。

ハンは自身の右腕にある接続ポートから、ライフルの火器管制システムへ有線ケーブルを直結した。



【電脳空間・車両制御系|片倉ユイ視点】

車内のユイは、物理的な視界を閉じていた。

彼女の意識は車両の通信アンテナを介し、高速道路上のネットワーク領域へダイブしている。

視界に広がるのは、流れる光のグリッドと、後方から迫る赤色の攻撃パケット――追跡用バイク部隊だ。

「速い……! 独自の閉鎖回線イントラネットで連携してる。通常のジャミングじゃ剥がせない」

ユイは仮想キーボードを展開し、攻撃コード「Spiders(蜘蛛)」をコンパイルする。

目標は、敵バイクのライダー――いや、ライダーはいない。あれは完全自律型のAIドローンだ。


「視覚センサーを狙う。……ジャック・イン!」

彼女の意識が、先頭を走るバイクのAI防壁を食い破る。

セキュリティレベルC。民生用プロトコルを軍用に転用しただけの急造品。

「見えた。あなたの眼、借りるわよ」

ユイは敵AIの視覚処理ユニットに侵入。カメラ映像の上に、リアルタイムで「虚偽の障害物」を上書き(オーバーレイ)する。



【現実空間・高速道路】

先頭を走っていたMAMCOの追跡バイクが、突如として急制動をかけた。

AIが、何もない道路上に「巨大なコンクリート壁」が出現したと誤認したのだ。

時速180kmからのフルブレーキ。タイヤがロックし、車体は横滑りにスピン。後続の2台が避けきれずに激突する。

轟音と共に、3台の鉄塊が火花を散らしながらガードレールを突き破り、暗い海へと落下していった。


「……エグいな。幽霊が見えたか?」

ハンは皮肉を漏らしつつ、ライフルのスコープを上空のヘリに固定した。

ヘリからのガトリング掃射が始まる。

バババババッ!

装甲バンの屋根を大口径弾が叩き、火花が散る。

「ハン! 装甲が持たないぞ!」アキの悲鳴。

ハンは動じない。彼の脳内では、弾道予測ラインと風速、そして車両の振動補正が完璧な数式となって流れていた。


だが、通常射撃では墜とせない。あのヘリの装甲は複合セラミックだ。

その時、ハンの脳裏にノイズが走った。

『……メインローター基部、スワッシュプレート下部。油圧配管の露出を確認』

アイザックの声。冷静で、機械的な戦術助言。

『タイミング、俺が合わせる。……3、2、1』

ハンは自分の意志ではなく、脳内のカウントダウンに合わせてトリガーを引いた。

ドンッ!!


25mm炸裂弾が発射される。強烈な反動リコイルがハンの義手のショックアブソーバーを限界まで圧縮する。

弾丸は雨粒を切り裂き、ヘリの装甲板の隙間――わずか数センチの油圧パイプへ吸い込まれるように命中した。

内部で炸裂。

制御を失ったローターが異音を上げ、ヘリはキリモミ状態でバランスを崩す。

「墜ちろ」

ヘリはそのまま高速道路の防音壁に接触し、爆発炎上した。



【2054年2月9日|03:15 JST|旧東京地下湾岸線・搬入路】


追手を振り切ったバンは、地下深くに広がる旧湾岸線のメンテナンス用トンネルへと滑り込んだ。

エンジンを切り、静寂が戻る。

オイルの焦げる臭いと、雨の湿気が混じり合う。

ハンはライフルをラックに戻し、荒い息を吐いた。

右腕の義手が、過負荷による放熱で白煙を上げている。

「……ハン、大丈夫?」

ユイがバイタルチェック用の端子を手に近づく。

「俺の腕は問題ない。問題なのは……頭の中だ」

ハンはこめかみを指先で叩いた。


「あの一撃、俺のタイミングじゃなかった。……あいつが撃たせたんだ」

アキが運転席から振り返り、端末の画面を見せる。

「ハン、君の戦闘ログを解析した。射撃の瞬間、君の運動野の制御権が0.04秒だけ外部入力に切り替わっている。……発信源は、君自身のBMIの深層領域ディープ・セクタ。つまり、“幻影回路ファントム・サーキット”だ」

「幻影回路……」ユイが呟く。「アイザックたちの人格データが、ネットワーク化して残っているっていうの?」

「ああ。そしてMAMCOの狙いもそこにある」

アキは厳しい表情で続けた。


「彼らが使っていた兵士――“Saintsセインツ”を見たか? 人間じゃない。完全義体の自律歩兵だ。だが、動きが洗練されすぎていた」

ハンが頷く。

「ああ。まるで、熟練した兵士の“勘”をプログラムで再現してるみたいだった」

「その通りだ。MAMCOは、人間の“実戦経験ゴースト”だけを抽出して、AIに移植しようとしている。アイザックや君たちNull兵士の脳に残るデータは、彼らにとって宝の山なんだ」


ハンは義手を見つめた。

震えは止まっている。だが、脳の奥底には、まだ微かな熱が残っていた。

アイザックは死んだ。だが、その戦術データは俺を生かそうとしている。

あるいは――俺を使って、まだ戦おうとしているのか?


「……行くぞ」

ハンは立ち上がった。

「どこへ?」

「決まってる。俺の頭の中に居座ってる亡霊の正体を突き止める。それに、MAMCOとかいう連中にお礼参りもしなきゃな」

ハンはニヤリと笑った。その表情は、かつてアイザックが見せていた不敵な笑みに少し似ていた。


「ユイ、次のルートを引け。反撃開始カウンター・アタックだ」

ユイは頷き、携帯端末のマップを展開した。

「ターゲットはMAMCOのデータバンク。……潜入するには、正面突破は無理よ」

「裏口ならある」アキが口を挟む。「だが、そこには“門番”がいる。電脳の海に潜って、鍵を開ける必要があるぞ」


「上等だ」

ハンはアサルトライフルの弾倉を確認した。

「俺は物理フィジカルで道をこじ開ける。ユイ、お前は電脳デジタルで鍵を開けろ。……昔通りのやり方だ」

地下道の闇の向こうへ、三人の影が消えていく。

彼らの背後で、破壊されたヘリの残骸が、小さな爆発音を立てて燃え続けていた。


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