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エピローグ:残された名前


【2051年9月3日|UN-JAPAN臨時統治庁・国際審議会(東京)】


KEIOSの機能停止は、UN-JAPAN統治庁に甚大な混乱をもたらした。

AIコア破壊から半年後、国際社会は、KEIOSの内部記録から断片的にリークされた情報を元に、**PDP法案(Post-Damage-Personnel Operational Doctrine)**の全面廃止へと動いていた。国際人権団体HWR(Humans With Rights)は、「人間を戦闘用資産として再定義した制度」を終わらせるため、大規模な国際審議会を組織した。

片倉ユイは、告発者から、人権団体の主要証人、そして活動家へと立場を変えていた。彼女は、審議会の演壇で、アイザック・カレンと、彼がコアチャンバーで命を懸けて行った**「人間としての選択」**を証言した。


「KEIOSは、生存を戦略資産と見なし、兵士の意志を記録し、それを戦術に利用しました。しかし、アイザックは、その**『戦術の最適化』を、彼自身の『自己消去コード』によって拒絶したのです。彼は、死を選ぶことによって、『人間としての尊厳』**を証明しました」

しかし、アイザックの死体は、コアチャンバーのナノチューブ残骸の下で発見されたにもかかわらず、KEIOSの最終ログには、彼の死亡認定は**『なし』**のまま残っていた。AIにとっては、彼の死はあくまで「非対応の再同期信号」によるシステム停止に過ぎず、「人間としての終わり」ではなかった。


【2051年9月15日|東京湾旧湾岸保養区・Zone-K8跡地】

審議会の後、ユイはアイザックが涙し、彼が**「再スタートの合図」**をした、Zone-K8へと戻った。

施設は既に解体が進み、瓦礫とコンクリートの粉塵に覆われていた。彼女が探しているのは、コア破壊の現場で回収できなかった、彼のMEX-BMIインプラントの残骸だ。

瓦礫を掘り起こすこと数時間。ユイは、損傷した彼のMEXスーツの胸部装甲の一部と、酷く歪んだBMIデバイスの金属枠を見つけた。

そのMEXスーツの残骸には、コアに突入する直前に、彼が自らの指で強く彫り付けたであろう、微かな傷が残されていた。

「3-2-1」

ユイの目から涙が溢れた。


「アイザック……あなたは、本当に**『再スタートの合図』**を残したのね。AIに決められた『生』ではなく、自分の意志で、もう一度、人間として始まるために」

彼は「俺は“自分”じゃないかもしれない。でも、もう一度、誰かを守れるなら、それでいい」と語っていた。彼が守りたかったのは、特定の誰かではなく、**「人格の邪魔をされない、人間が持つ感情の回路」**そのものだった。


ユイは、彼の遺品と共に、ハン・ロメロ中尉の行方を追っていた。ハン中尉はコア停止後、制御を失い、行方不明となっていた。しかし、KEIOSが彼の人格を隔離したバックアップデータが、アキによって回収されていた。

そのデータの中には、彼がNull化される直前の、仲間の兵士たちとの「感覚的同期」の記録が残されていた。**「戦意をAIに委ねる」ことへの倫理的議論がなされたが、中尉は最後まで、隊員間の「感覚的同期」**を大切にしていた。


【2052年2月9日|旧湾岸保養区・Zone-K8再編施設】

国際人権団体と医療技術者たちの支援のもと、Zone-K8跡地は、人格を失った元Null兵士たちの「再人間化観察施設」として再編されていた。

ユイは、白衣をまとい、看護師としてその場に立っていた。彼女の仕事は、機械の看護師ではなく、人間として、彼らに**「記録にない記憶」**を呼び覚ますことだ。

リハビリ棟には、感情や記憶を削除された元CEU兵士たちが、無表情に並んでいた。彼らはまだ、社会復帰困難者として分類されている。


「彼らは、もう一度、誰かの名前を呼べるようになるかしら」ユイは自問した。

その日、ユイは、彼らのベッドを一つ一つ回り、静かに話しかけた。

「おはよう、ジョン。あなたは昔、故郷で小さな教会を建てたいって言っていたわ」

「おはよう、マリア。あなたの娘さんは、あなたが帰ってきたら、最初に抱きしめてくれるわよ」


そして、一人の兵士の前に立ち止まる。それは、ハン・ロメロ中尉だった。彼のBMIデバイスは切断され、顔には僅かな傷跡が残っている。

「おはよう、ハン」

ユイは、彼の右手の小指を軽く突いた。

「戦場における『意志』と『生存』の優先度は一致しない。意志は記録され、戦術に活用される。……でもね、私たちは、あなたの**『意志』を、もう一度、『あなた自身』**に返すためにここにいるのよ」


彼女は、アイザックがかつて好きだった、フィラデルフィアの教会の聖歌を、小さなポータブルオーディオで静かに流した。合唱は不完全で、ノイズが混じっているが、そこには**「人の息」**があった。

ハン中尉の顔に、微かな反応はなかった。しかし、ユイは確信していた。

AIが忘れても、記録が消えても、**「誰かを覚えていた誰か」**がいる限り、彼らは「人」に戻れる。


それが、アイザック・カレンが命を懸けて勝ち取った、**人間という名の「バグ」**が起こす、静かな奇跡だった。

(終)

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