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男爵令嬢アリア

 辺境伯夫婦が出て行ったあと、アリアはぼんやりと扉を見ていた。


「セイコイ、とはなんだ?」

「あ、ええっと、その、聖魔法の古文書にあった気がして。でも、私が古語の訳を間違えたのかもしれません」


 王子の問いにアリアは慌てて誤魔化した。かなり無理があったが、話すつもりのないアリアの気持ちを汲んでくれたのか、王子はそれ以上聞いてこなかった。


(聖女様、知らなかったんだ。知ってて逃げた線もあると思ってたけど、何にも知らないパターンだったのね)


◇◇◇


 アリア・ソルジュには、二人分の人生の記憶がある。

 今世のアリアという少女の人生の記憶と、そしてもう一つ、こことは違う世界で孤独に死んだ少女の人生の記憶だ。三歳で高熱を出した際に思い出したそれは、前世と呼ばれるであろう、王国とは違う、魔法も瘴気もない異世界で生きた記憶だった。

 

 その世界で、アリアは病弱な少女だった。

 幼い頃から入退院を繰り返し、学校にもほとんど通えず、友人もなく、人生のほとんどをベッドの上で過ごした少女は、健康な体と自由な世界に憧れながら十五で息を引き取った。

 そんな少女の唯一の娯楽は、親が与えてくれた携帯ゲーム機だった。退屈な病室で、いくつものゲームをして少女は時間を潰した。


 そのゲームの中に、乙女ゲームというものがあった。

 「聖なる恋を君と」略して『セイコイ』と呼ばれていたそのゲームは、王都の学園に入学した主人公のアリア・ソルジュが、攻略対象と呼ばれる複数の男性たちと仲を深めながら、聖女として目覚めていく話である。

 つまり、アリアはこの世界のヒロインとして転生したのだった。


 しかしアリアにとって、乙女ゲームのヒロインということは、さして重要ではなかった。それ以上にアリアの心を歓喜に震わせたのは、何よりも健康な体だった。

 日の下をめいっぱい駆け回っても倒れず、お腹いっぱいご飯を食べても吐き気を感じず、友人をいっぱい作って笑い合った。男爵家は貴族の中でも裕福な平民に近い生活で、前世の記憶があるアリアでも違和感が少なく生活することが出来たこともあり、アリアは前世ではとんと味わうことのなかった体験に包まれ、日々幸せをかみしめていた。

 毎日が新鮮で、毎日が楽しかった。


(ヒロインってことを忘れて過ごしちゃったのは、ちょっとまずかったかもだけど)


 しかし、やがて聖魔法使いとしての素質を見出され、王都の魔法学園に通うようになると、さすがのアリアも自身の立ち位置を思い出していた。


(私が、この国を救う聖女になるんだ)


 国を救うという大役に、アリアは震えあがった。ゲーム知識があるとはいえ、前世はただの病弱な小娘だ。自身の行動が多くの人の命に関わると思うと、怖くて眠れない日もあった。しかし、アリアはこの国、この世界に大きな恩がある。

 この世界には魔力の元になるマナというものがあり、アリアは聖女であるためか、そのマナと相性がいいらしい。大気中にあるマナは、いつだってアリアを助け、守り、力を貸してくれる。そのせいか、今世のアリアは人よりも丈夫な体で、かつての苦しみが嘘のように人生を謳歌していた。


(それだけじゃない、両親も、友達も、近所の人たちも、みんな温かくて優しい)


 かつてベッドの上で独りぼっちで死んだ少女は、もう一人きりではなかった。

 だから、アリア・ソルジュは聖女になると決めたのだ。


◇◇◇


 辺境伯夫人が元聖女かどうかを確かめる、という第三王子の目的は、到着数時間であっという間に終わってしまった。

 しかし、辺境の視察という名目で訪れた以上、はい、終わりと帰るわけにもいかず、アリアたちはフリートの案内で、辺境伯領でも新しい聖石の実地試験を行っているという、北の地域へ移動することになった。

 収穫期が近いということもあって、領都周辺の畑には、一面美しい小麦が広がっている。隣では第三王子が元聖女の力に感嘆し、やはり連れ戻せないかと悩んでいるが、アリアの頭は別の事を考えていた。


(セイコイって、確か主人公を二パターン選べたのよね。辺境伯夫人は、召喚聖女モードのときの主人公のはず)


 セイコイのゲームは、最初の段階で主人公を二つのストーリーで選ぶことができた。

 アリア・ソルジュとして学園に通い、そこから聖女として目覚めていく学園ストーリーにするか、異世界から召喚された聖女アイコとして、王宮で恋愛を深めていくストーリーにするかである。

 運営が幅広い年齢層を狙ったのか、学園での甘っぱい青春物語と、王宮での甘くほろ苦い大人な物語のどちらかを選んで体験できるというのがセイコイの売りの一つだったのだ。


 選んだストーリーには、それぞれ選ばれなかった方の主人公がライバルポジションで現れるため、セイコイは各ストーリーにハマったファンによる、どっち派という対立関係までできるほどの人気ぶりだった。

 アリアの前世は学園ものが好きだったため、主に学園ストーリーを進めていたはずだ。


(学国ストーリーだと、数年前に聖女召喚で呼ばれていた聖女が悪役ポジションになるはずだったから警戒してたけど、なんか予想と違ったな)


 終始優し気な微笑みを浮かべていた辺境伯夫人を思い浮かべ、アリアは浮かない顔だった。

 もともと、聖女は病死として伝えられていたため、アリアはこの世界には悪役令嬢はいないんだと安心して過ごしていた。しかし、半年前ほどからささやかれ始めた噂で、もしかしたら聖女は生きているのかもと思ったあたりから、心配だったのだ。

 この世界がセイコイというゲームをもとにした世界なら、悪役令嬢となるべき聖女も強制力により生きており、しかるべき時にアリアの前に現れるのではないか、と。


(ゲームの聖女様は、前任者としての経験と魔力の高さから支持者も多くて、上から目線でネチネチ虐めてくるから嫌だったんだよね。嫁姑戦争みたいって書き込みあったくらいだし。しかも王太子と婚約してるから権力のトップで誰も逆らえないのがまたラスボスっぽかったし)


 しかし、現実世界から召喚され権力に目がくらんだ聖女は、やがて修練を怠るようになり、力は衰え、瘴気による被害が各地で頻発するようになる。やがて、それを憂えた少女アリアの献身が人々を支えるようになり、最後に聖女の秘術に目覚めたアリアが国を救うのだ。

 怠情だった聖女は辺境に迫放となり、アリアが真の聖女として認められ、第三王子と結婚して国を支えていくことになる。


(聖女様が出てくるのは後半だし、それまでは学国でいっぱいイベントこなして仲間と絆を深めて、国の危機からのラストはちょっと駆け足ぎみに感じた展開だけど、まあ王道のストーリーよね)


 一説には、召喚された聖女は《聖女の秘術》が使えなかったことで、王太子からの寵愛を失って自暴自棄になっていたのでは、と考察されていた。実際、聖女が秘術を使えていれば、アリアが教済するまでもなく国は救われていたはずで、その辺は公式で明かされていないが裏設定でありそうだった。


(でも、秘術が使えなかったってことは結局は修練不足でしょ。自業自得よ。あの様子だと、こっちの聖女様も秘術は使えないみたいだし。ゲームとは色々変わってるみたいだけど、やっぱり、私が頑張らないと)


 アリアは王命で結婚したと言っていた辺境伯夫妻を思い出す。

 夫婦というよりも、上司と部下のような雰囲気を纏っていた二人だった。少なくとも、愛し、愛されている夫婦ではない。


(王命ってことは、やっぱり怠けて王太子に愛想つかされて追放されたのかな。ゲームじゃ追放って言葉だけだったから分からなかったけど、それが王命での結婚ってことになるのね。それなのに聖女は病死って発表したってことは、聖女様が秘術を使えないことは、隠しておきたいんだわ)


 瘴気の穴は、聖女の秘術でしか塞ぐことはできない。それなのに、当の召喚された聖女が秘術を使えないなど、大問題だ。


(なんのために喚んだんだって感じだものね)


 アリアは生まれたときからずっと王都で暮らしているため、地方の瘴気被害を目の当たりにしたことはない。しかし、ゲームでも時折あげられていた瘴気被害の様子は悲惨で、各地域で人々が聖女の救済を支えに頑張っていることは知っている。それを思えば、どうして救える力を持ちながらそれを鍛え、人々のために振るおうと思えないのか不思議でならなかった。


(ああ、でも、今の辺境伯夫人はすごく辺境伯領のために頑張ってるのよね。フリート様が言ってたし、領民にも慕われてた。追放されて、改心したのかしら?)


 第三王子からの招集にも、辺境伯領のためにと断っていたほどだ。一部、王都に行きたくないがための言い訳にも聞こえたが、追放された身で今更戻れないとでも思っているのかもしれない。


(だったら、私が聖女になった時に、お互い力を合わせて頑張りましょうって言ってみようかな。聖女同士で対立なんて誰も得しないし、何の意味もないもの。ダブル聖女で力を合わせて国を守るなんて、素敵じゃない?)


 二人の聖女が手を取り合えば、国民も貴族たちもみな喜び安心することだろう。

 大聖堂のステンドグラスの元、互いに微笑み握手する自分と夫人の姿を思い浮かべ、アリアの心は浮足立った。


(うん、良い!)


 いっきに心が晴れた気分だった。

 やはり、一人で国を救わねばという重責は、知らぬ間にアリアにプレッシャーをかけていたのだろう。独りじゃないという思い一つで、アリアの心は羽のように軽くなった。


「殿下、アリア嬢、着きましたよ」

「ああ、ありがとう」

「ありがとうございます!」


 ちょうどよく馬車が到着したのか、フリートの声がした。

 先ほどよりも空が曇り、どこか重々しい空気が漂う地だが、そこに降り立つアリアの心は軽やかだった。


(大丈夫、全部私が救ってみせるから)


◇◇◇


 その日、辺境伯領で予想外に発生したスタンピードを、たった一人の少女が浄化した。それは代々王家に伝わる聖女のごとく、まばゆい白金の魔力であったという報は、瞬く間に国中を駆け巡ったのだった。


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