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辺境伯子息フリート その2

 一か月後、長期休暇に合わせた帰省に、第三王子と、そして何故かアリアが同行した。

 聖女に憧れ、噂に心を痛めていた彼女は、王子とは別の理由で噂を確かめようと辺境伯領についてきた。直接自分の目で辺境伯領を確かめ、噂は噂だと皆に伝えるのだという。


「何故、彼女を同行させるのですか?」

「アリアは優秀な聖魔法使いだ。卒業後はさらに聖魔法を磨き、国中を回って瘴気の浄化に従事することになるだろう。辺境伯領を見るのは、今後の彼女のためにも良いはずだ」

「それは、辺境伯領の聖石の生成を見せろということですか?」


 王子の言葉に、フリートは緊張を孕んだ目を向けた。

 聖魔法を込めた魔石、《聖石》の生産は、近年辺境伯領が断トツで群を抜いている。独自技術により生産の効率化が進み、いまや聖石は辺境伯領における大切な財源でもあるのだ。それを、他領の貴族に見せろということは、いくら王子といえど横暴と言えた。


「そ、そうではない。もちろん、聖石の製造も気になるところだが、見せたいのはこの地の体制そのものだ。辺境伯領は瘴気が多い地方だ。あの地の者たちは日々瘴気と戦いながら生き抜いている。王都育ちである私では教えられない現実を、学園を卒業する前に彼女に見てもらいたかったのだ」


 弁解するように言葉を紡ぐ王子は、随分とアリアに期待しているようだった。


「辺境伯領に行っても、殿下方を危険な場所へはお連れできませんよ」

「ああ、分かっている」


 頷く王子の強い要望により、帰省は三人でとなった。

 義父には王子が視察に来ること、同行者が一人増えたことを前もって連絡していたが、聖女を探すという王子の本当の目的を伝えることはできなかった。それを言えば、学園で囁かれている馬鹿げた噂の話もしなければならないからだ。瘴気と魔物の対応で忙しい義父たちを、そんな話で煩わせたくなかった。


◇◇◇


 領地に到着した翌日には、第三王子殿下と書類上フリートの義母となる辺境伯夫人との面会は、実にあっさりと叶った。


「ア、アイコ、姉さま……」

「まあ殿下、まだそう呼ばれていたのですか」


 コロコロと鈴の音のような声で、夫人は困った顔で頬に手を当てた。

 使用人たちの人払いがされた応接間に、辺境伯と共に現れた夫人を見て、第三王子は零れんばかりに目を見開いて言葉をおとした。驚き過ぎてそれ以上の言葉が出ないのか、硬直したようにじっと夫人を見つめ固まっている。

 

 それはあまりに予想外過ぎる反応で、フリートもまた硬直した。

 フリートの予想では、夫人が来ても王子は目を瞬くばかりで、やっぱり別人でしたね、と笑って終わるはずだったのだ。王子の希望で同席していたアリアもまた、驚き戸惑っているようだった。

 衝撃に時間がとまったような部屋で、動いているのは辺境伯夫婦だけだった。


「それで、この度は当家にどのような御用でしょうか? 視察ということでしたが、なにぶん瘴気の多い土地ですので」

「っ、なんでっ、なんで聖女であるアイコ姉さまが辺境伯の妻になっている! この方は兄上の婚約者だったんだぞ!」


 義父の言葉を遮るように、第三王子は跳ねるように立ち上がると、詰め寄らんばかり声をあげた。事実、ソファーの前にテーブルがなければ夫婦に詰め寄っていてもおかしくない勢いだった。

 答えたのは辺境伯だった。


「……陛下や王太子殿下から何も伺っていないのですか?」

「聞いていない! そもそも、アイコ姉さまは病死したと発表されたではないか、何故ここにいる! まさか、あの噂は真実だったのか⁉」


 混乱激しくも問い詰める王子の姿に、フリートはどこかぼんやりと目の前の出来事をみていた。


(つまり、本当にこの方は……義母は……聖女様だった?)


 荒唐無稽な噂だったはずが、突然現実として目の前に落ちてきた気分だった。

 目の前の義母に目を向けてもいつもと変わらない微笑みを浮かべていて、何を考えているのかよく分からない。


「殿下、落ち着いてください。お話しいたします」


 義父の言葉に、興奮していた王子はぐっと言葉を呑むと、耐えるようにソファーに座り直した。フリートもまた、黙って視線を向ける。

 辺境伯は、一度アリアを気にするように視線を向けたが、そのまま口を開いた。


「殿下方が我が領にいらした目的は、視察ではなく元聖女である妻の存在を確認するため、ということでよろしいですか?」

「そうだ」

「であるなら、殿下は我々ではなく陛下と王太子殿下に詳しく聞くべきだと存じます。我々の結婚は、陛下からの王命によりなされたものなのです」

「なんだと?」


 辺境伯の言葉に、王子の眉間にきつく皺が寄った。


「王太子殿下と妻の婚約は、王命をいただく前に解消されております。しかし、王太子と聖女の婚約解消という報はまちがいなく国民に影をおとす。下手をすれば辺境伯領に恨みさえ抱かれるかもしれない。だから、聖女アイコは辺境伯家に嫁いだ際に聖女の称号を剥奪され、その一年後、病死したという事にされたのです」

「そもそも、なぜアイコ姉さまが辺境伯の元へ嫁ぐんだ。王太子の婚約者だったんだぞ」

「それは……存じ上げません。余程の理由があったのかと思いますが、王家により秘匿されていますので」


 辺境伯の言葉に、王子は納得いかないという表情でじっと睨みつけるように見返していた。確かに、義父の言葉はほとんど答えになっておらず、はぐらかすような形に、この真っすぐな王子が納得できるとは思えなかった。

 だが、本当に王命による結婚だったのなら、義父たちに拒否権はなかっただろう。王命とはそういうものだ。


「……分かった。では、この件に関しては陛下と兄上に確認しよう。そのために、アイコ姉さまには王都までご足労いただきたく思います」

「それはできません」


 それまで黙って聞いていた夫人がはっきりと拒否したことに、王子もフリートも驚いた。


「な、何故ですっ」

「我が辺境伯領は国境のガルク山から流れ降りてくる瘴気と魔物の脅威に常に晒されています。今は収穫期が間近、私が浄化をして回らなければ、せっかくここまで育った作物が駄目になってしまいます」

「では、収穫期が終わったら来てくださいますか」

「収穫期が終わったら辺境伯領は冬季に入ります。ここは例年雪が深く、冬季には冬の魔物が餌を求めて降りてくるのです。私が不在にするわけにはいきません」

「では春まで待てというのですか!」

「聖魔法使いは地方であればどこでも貴重な存在です。王子殿下におかれましては、その重要さをご理解いただけるものと思います」


 微笑みを浮かべながら一切の譲歩なく言い切った夫人に、王子は言葉に詰まった様子だった。言われたことは全て正論だったのだから、この王子には効いたことだろう。


「貴方の、聖女の力を求めている人々は、辺境伯領以外にも大勢いるのです。その民たちは見捨てるというのですか」


 それでも諦めきれないのだろう。王子の言葉に、沈黙が落ちた。


「……先ほども申し上げましたが、我々の婚姻は王命によるものです。陛下のお考えは殿下ご自身がお聞きになったほうがよろしいと思いますわ」


(王命、最終的にはそこにいきつくんだな)


 悔し気に言葉を失った王子を横目に、フリートは夫人の言葉に納得した。


(お二人と暮らしたのは昨年の一年だけだが、どこか距離のある二人だと思っていた)


 決して不仲なのではなく、まるで仕事の上司と部下の様な関係だと感じていたため、夫妻の言葉に妙に納得してしまった。事実、この二人は夫婦ではなく上司と部下なのだろう。

 なぜ聖女が辺境伯領に、という疑問は尽きないが、聖女ではなく聖魔法使いとしてであれば、聖魔法使いが辺境伯領に就くことはなにも可笑しなことはない。


(義母は聖魔法使いとして、辺境伯領に嫁いだということか)


 これは、絶対になにかあるのだろう。

 だが、納得できない者は王子以外にもいた。


「で、でも、聖女様は秘術で瘴気の穴を封じることができるんですよね。今この時も、国中が瘴気によって苦しめられているのに、辺境伯領しかその恩恵を受けられないのはおかしいはずです。聖女様だって、苦しむ人々を救うために聖魔法を極められたのではないのですか!」


 黙っていられなくなったのか、アリアが立ち上がり、声をあげた。両手を胸の前で組んで涙ながらに訴える姿は、見るものの胸を打つ。

 しかし、夫人は冷静だった。


「貴方は?」

「わ、私は、殿下とフリート様と同じ学園に在籍しております、ソルジュ男爵が娘、アリアと申します。聖魔法使いとしてご指導いただいている身です」

「そう、貴方が……」


 慌てて姿勢を正し自己紹介をするアリアに、夫人はじっと見定めるように静かに見つめた。その視線にたじろぐアリアを庇うように、王子が口をはさむ。


「彼女は非常に優秀な聖魔法使いなのです。学園の成績も優秀で、実習などで傷ついた生徒を率先して癒してくれています。卒業後は教会に入ることも内定しているほどです」

「あ……」


 王子の最後の言葉に、アリアの瞳が揺れた。


(それ、まだ言ったらいけないやつだろ)


 やはり動揺しているのだろう。まだ秘匿段階の内定を話してしまった王子に、フリートも動揺した。

 教会に入るというのは、聖魔法使いの中でも極めて優秀と認知された者が更なる修行をするために、教会で生活をすることをいう。日々神に国の安寧を祈りながら修行を行い、聖魔法を極めた者は数少ない高位の聖魔法使いとして国でも特に大切に扱われるようになる。しかし、教会に入ると外界との接触は必要最低限にされ、家族にすらなかなか会えなくなるという。要するに、貴重な高位の聖魔法使いを囲うための制度だ。


(アリア嬢の家は成り上がりの男爵家だが、両親とも健在で仲が良いと聞いた。家族と離れるのは辛いだろうな)


 胸の前に組んだ手が震えているが、国と教会が内定したのなら、貴重な聖魔法使いとして彼女にも拒否権はない。なにより、国のために必要なことだ。


「殿下、それは彼女の了承を得ての内定なのでしょうか?」


 勢いを失い俯いていたアリアは、凛とした声にぱっと顔をあげた。

 驚きに目を見開くアリアを他所に、姿勢正しく座る辺境伯夫人が真っすぐに王子を見据えていた。


「いや……これは国と教会の決定です。彼女には意思確認ではなく、通達が届いています」

「それは、いささか乱暴ではありませんか?」


 夫人の言葉は正義感の強い王子には痛いものだったのだろう。やや冷静さを欠いた王子が早口で反論した。


「ね、姉さまも先ほどおっしゃった通り、高位の聖魔法使いは貴重です。国としては何よりも守らねばなりません。それに、彼女はこの若さで歴代の聖魔法師の中でも群を抜いているとか。姉さまの力さえすでに超えているかもしれません。一瞬で広範囲の浄化と回復をもたらす金の魔力に、一部では聖女となれるのではと、期待の声さえ上がっているのですよ!」


 興奮さえ交えて語る王子に、フリートは唖然とした。

 誰が言い出したのか知らないが、随分と過剰な期待だ。彼女が聖魔法使いとして優秀なことは認めるが、聖女にもなれると考えるのは突飛なことだ。


 もともと、聖女は異界から来た人間にしかなれないという話ではなかったのか。

 思わず口をあけて見上げそうになったフリートだったが、不意に目に入った夫人の微笑みにぞっと背筋が凍った。

 確かに微笑んでいるはずなのに、身をが震えそうなほど冷たい目をしている。


「つまり、聖女候補として教会に入れるということですか?」

「そう捉えてもらって構いません」

「それを陛下と王太子殿下も了承していらっしゃる?」

「いえ、父上と兄上は、あくまで高位の聖魔法使いとして技術を高めさせる目的で教会に入れると。最近の父上たちは、聖魔法使いの教育にひときわ熱心になられていますから」


 どこか失望した表情の王子は、国王陛下との考えの差異があるのだろう。納得いっていないということがその表情でありありと分かった。真っすぐで正義感が強く、素直な分、とても分かりやすい王子なのだ。

 しかし、感情の機微には疎いのか、夫人の変化に気づいていない様子だった。


「アリアさん、でしたか。貴方はどうお考えなのですか? 教会に入ってご家族と離れ離れになってしまうことには納得していますか?」


 不意に話を振られたアリアは肩を跳ねさせたものの、じっと見つめる夫人に対して、少しの間考えるように見つめ合った後、震える声で答えた。


「確かに、家族と離れ離れに暮らすのは寂しいです。聖女候補というのも、自信はありません。でも……」


 不安気に瞳を揺らしながらも、ぎゅっと両手を握り、決意したように背筋を伸ばして肯定した。


「でも、私なんかが国のために出来ることがあるのなら、全力でお応えしたいと思います。家族と離れるのは寂しいけれど、全く会えなくなるわけじゃないし、なにより、その家族の暮らす場所を守れるのなら、本望です」


 迷いを振り払った凛とした言葉に、王子は感銘を受けたように嬉し気な顔を向けると、次いで真剣な表情をで改めて居住まいを正した。


「彼女の献身には、王家も全力で報いるつもりです。家族とも会う時間を取れるよう、私が責任をもって対応します。ご安心ください」


 アリアと寄り添うように手を取り合う王子の顔は正義感で溢れており、生き生きしていた。


(これは一体なんだ?)


 フリートは何を見せられているのかと思った。

 先ほどまで、義母を追求するようなことを言っていたはずが、すっかりアリアと王子の独壇場のようだ。


「……そうですか」


 フリートが奇妙な気分で見ていると、夫人は静かな声でそう言った。感動も失望もない平坦な声に、フリートはまたどきりとしたが、何か言う前に夫人は優雅に立ち上がった。


「では、優秀な聖女候補が育っているということで、私が辺境伯領を離れて王都に行く必要はありませんね」

「えっ?」

「今の領都は日々の浄化により、瘴気がほとんどありません。辺境の瘴気を知るためにいらしたのなら、ここより北の地域が今の時期は良いでしょう。新しい聖石の実地試験も行っているため、視察のし甲斐があると思います。フリート、あとはご案内して差し上げて」

「ね、姉さまは……」

「私は午後のお勤めがありますゆえ、申し訳ありませんが、ここからは息子のフリートがご案内いたします」


 淡々と口を挟む余地すらなく言った夫人は、そのまま流れるような義父のエスコートで出口まで進んでいった。


「あ、あの!」


 そのまま退出しようとする夫婦を呼び止めたのは、アリアだった。先ほどよりも緊張した顔で、彼女は言った。


「聖女様は、セイコイってご存じですか」


 それは謎の言葉だった。隣の王子も怪訝な顔をしていることから、知らない言葉なのだろう。両手を握りしめて判決を待つような顔をしたアリアに、夫人は一瞬目を見開くと、しかしすぐにいつもの顔に戻って静かに首を振った。


「申し訳ないけれど、知らないわ」

「そ、そうですか。すみません、呼び止めてしまって」


 アリアの謝罪を受けて、夫婦はそのまま退出していった。残されたのは、よく分からない空気になったままのフリートと王子とアリア。


 フリートはどっと疲れが押し寄せてきたが、これから王子たちの案内をしなければならないため、下手に力を抜くわけにもいかず、ため息を呑み込んだ。

 隣では王子が先ほどの言葉の意味を聞いていたが、アリアにはぐらかされているようだ。それでも、繋がれたままの二人の手をみるに、彼らの気持ちは結ばれたのだろう。


(結局なんだったんだ? 義母は聖女で、噂は半分本当で、でも結婚は王命で……)


 知らされていなかった多くの事実に、眩暈がしそうだ。今になって知ることができたのは、王子が突撃したからということもあるが、学園の卒業までに呑みこめという辺境伯夫婦からの試練なのだろう。


(王命といえど、聖女が一領地に嫁ぐなんて、絶対に裏があるもんな。心構えはしておけってところか)


 辺境伯夫婦の思惑を考えながら、フリートは王子たちが作り始めた二人だけの空気を阻止するために振り返った。

フリート編は終了。まだもう少し続きます。

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