辺境伯ヘルムート その2
「王都からの早馬だと?」
「はい、緊急のご連絡だと。王家の紋章付です」
家令からの言葉に、ヘルムートは眉を寄せた。見せられたそれは、緊急時に最優先で届けられるものだ。家令から受け取り、急ぎ封を開ける。
「なんだと?」
そこに記された内容はあまりに衝撃的で、ヘルムートは顔を顰め、頭痛のする頭を押さえた。
(これは王家の策略か? いや、それにしてはタイミングが……陛下は何を考えていらっしゃる)
ヘルムートは昨日王都から領地に帰ってきたばかり。王都から辺境伯領へは馬車で一週間ほどかかるのだが、ヘルムートたちはやや無理をしたため五日で帰ってきたところだ。
昨日の今日で早馬が届くということは、少なくともヘルムートたちが発った翌日か、翌々日には早馬が出たことになる。
「彼女を呼んでくれ」
「かしこまりました」
やがて執務室にやってきたアイコは、おちついた色合いのデイドレスで静かな雰囲気をまとっていた。
「休んでいるところを呼びつけてすまない。王城より、君宛に召喚状がきている。急ぎ王城へ来いということだ」
「それはまた、随分と急ですね」
ヘルムートの言葉に、アイコはゆっくりとだが目を見開き驚きを露わにした。昨日、王都から帰還したばかりで、再び来いと言われれば誰だって驚くだろう。
「我々が王都を出立した後で、何かあったらしい。可能な限りすぐにとのことだ」
話しながら、ヘルムートは正面の椅子に座るアイコを注意深く観察した。彼女は話に驚いてはいるが、その雰囲気は落ち着いている。落ち着きすぎている気もする。
(まさか良好な関係を築こうと考えた翌日から、妻を疑う羽目になるとはな)
ヘルムートは届いた書簡の内容を思い出し、零れそうになるため息を呑み込んだ。
王都からの早馬が届けた書簡には、ヘルムートの妻となった元聖女に国家反逆罪の容疑がかかっているという内容が書かれていた。
元聖女のアイコが王都を出立した後、議会は聖女の不在を国民に悟らせないよう、すぐにでも次の聖女の召喚を行おうとした。しかし、そこでとんでもない事実が発覚したらしい。大聖堂の聖女の間に封印されていた召喚陣が破壊されおり、聖女召喚の儀について記されていた古文書は偽物にすり替えられ、禁書庫から消えていたという。
それはつまり、新しい聖女の召喚が行えなくなったことを意味していた。
今頃、王城は水面下で大騒ぎだろう。
(本当に聖女召喚が出来なくなっていたら、だがな)
お払い箱となった元聖女が秘密裏に嫁いだ途端に、国家反逆罪の容疑をかけられるなんて流石に出来過ぎだろう。彼女を早々に排除したい勢力からの策略を疑ってしまうのは、仕方ない。
(だが、彼女を嵌めるつもりなら、我々が城を発つ前に告発するはずだ。それともまさか、披露宴の翌日に城を発つとは相手も思わなかったということか)
さまざまな憶測がヘルムートの脳裏で飛び交う。
(そもそも、召喚陣の破壊も古文書の紛失も、元は王城の管理不十分が原因だろうに)
アイコが第一容疑者にあがっている辺りに陰謀を感じるが、彼女には犯行をする十分な理由があり、他にこんな大それた犯行をする人間がいそうにないこともあって、それなりに説得力はあった。
聖女召喚は王国にとっての希望の光だ。それを破壊するとすれば、それだけ王国に恨みを持つ者ということになる。
(アイコ殿は聖女の称号を剥奪され、王太子との婚約も解消され、瘴気の強い辺境伯領へ追い出された。かつて栄光の全てを持っていくであろう新しい聖女を呼び出せないようにした、と考えるのも分かるが……私には、彼女はそんな浅はかなことをする人間には見えなかった)
ここ数日顔を合わせていたアイコには、深い覚悟が感じられた。初夜は拒否されたものの、辺境伯領への帰還の道中は強行軍だったにも関わらず文句の一つもなく、領都に着いたときは領民の目の前で領都全体を浄化して希望を見せ、今後の領地全体の浄化を効率化するための政策をも考えているようだった。
彼女には、生涯を辺境伯領で過ごすことへの覚悟があるのだ。
(嫉妬や憎しみから、破滅を願うような人間ではない気がする)
ヘルムートにも、彼女が秘術を会得してくれさえすれば、という落胆と失望はある。しかし、感情に任せて叶わぬ希望ばかり数えるのは愚か者だ。
ないものは、ない。辺境という厳しい土地では、ある中でやっていくしかないのだ。
彼女も、恐らくそれを分かっている。そんなアイコが、あのような大罪を犯すだろうか。
アイコがやったのか、やっていないのか。大罪が陰謀か。
確固たる証拠はない、ただの憶測だ。紛失した古文書は未だ見つからず、召喚陣もいつ破壊されたのか分かっていない。理由はあるが証拠ないため、あくまで内々の容疑という段階だ。
(警戒されないよう、容疑内容を伏せて王都へ連れて来い、ついでに彼女の動向を探れとは、随分と無茶なことを命じられたものだ。私の妻だということを忘れているのか。いや、むしろ婚姻を結んで僅か一週間ほどの今だからこそ、情もなにもないだろうと思われているんだろうな)
書簡と共につけられた手紙を思い出し、ヘルムートは奥歯を噛み締めた。
実際、ヘルムートにアイコへの情はまだない。不憫だとは思うが、彼女を守るためだけに王家に逆らい、不興を買う危険を冒そうとは思わない、が。
(情はない、だが、彼女の能力は辺境伯領に有益だ。あの膨大な魔力量で毎日領都に浄化を施すとなると、辺境伯領も活力を取り戻す。間もなく収穫期だ、浄化魔法と結界魔法があれば魔物の襲撃も瘴気も恐れず収穫することができる。そのまま浄化を繰り返せば農地の拡大さえ可能だろう。これほど高位の聖魔法使いは国にも滅多にいない。すぐ代わりの者を寄こすとも思えないし、いまさら手放すのは惜しい)
聖魔法使いというアイコの持つ価値が、辺境伯領にとってなにより重要だった。
(さて、どうするべきか)
アイコの動向を窺いつつ、ヘルムートが思考していると、ゆっくりとアイコが動いた。
驚きに見開かれていた目が真っすぐにヘルムートを見て、右手が頬に添えられる。困ったように眉が下がり、小首をかしげて問いかけるように口を開いた。
「もうすぐ収穫期でしょうに、困りましたね」
まるで、雨が上がりましたね、と天気を口にするのと同じ口調でおっとりと告げられ、ヘルムートはつい沈黙した。内心で同意してしまったからでもある。
アイコの言葉は続いた。
「領地にくる途中、国境のガルク山が見えました。既に随分と瘴気が濃くなっているようで、例年よりも早く魔物が降りてくるかもしれません」
「なんだと? なぜ分かる」
「広域浄化魔法をかける時の前準備で、目算ですが瘴気濃度を測る癖があるんです。ざっくりとですが、だいたい当たりますよ」
微笑みながら告げられた内容に、ヘルムートの背に嫌な汗が流れた。彼女の言葉が本当であれば、収穫期前に魔物の大群が降りてくる可能性もある。食い止めきれず、魔物が農作地に降り立てば、それだけでほとんどの作物は腐り、駄目になる。そうなれば、辺境伯領は冬を越せる民がどれだけいるか。
目の前にいるのは、元とはいえ聖女。そして、膨大な魔力を持つ高位の聖魔法使い。そんな相手の言葉を疑うのは難しかった。
(いや、ここは例え騙されていたとしても、防衛に回るべきだ。万が一があっては辺境伯領が終わる)
ヘルムートは、領地のためを判断した。
神妙な顔をつくり頷く。
「収穫期に領主が領地から離れるわけにはいかないな。君にも聖魔法使いとして力を尽くしてほしい。王都には私から話を通しておこう」
「ありがとうございます。辺境伯様」
「ヘルムートでいい。今後夫婦としてやっていくんだ。私もアイコと呼ばせてもらおう」
「分かりました。ヘルムート様」
制約も宣言もなく、共犯が成立した瞬間だった。
(収穫期が過ぎた後の言い訳も、考えておかないとな)
王都がどう動くか、彼女はどう動くか、己はどう動くべきか。重々見定める必要がある。
◇◇◇
一年後、聖女アイコの病死が発表され、王国は聖女を失った。
同時期の辺境伯領の記録には、聖魔法を込めた魔石の生産効率化に成功した辺境伯夫人の記録が残されている。
辺境伯視点は終了ですが、まだ続きます。