第一話 再会
「――我が呼びかけに応え、深淵の闇よりその姿を現せ。出でよ……スケルトン!」
日没直後の暗い森の中。
俺が杖を掲げ呪文を唱えると、目の前の地面に青く輝く魔法陣が現れ、陣の中心から何かが湧き出てくる。
全身がむき出しの骨で、身にまとった物は腰に帯びた刀身の曲がった剣、【サーベル】のみという召喚獣【スケルトン】だ。
「ふぅ……成功だな」
俺の名は【ペルヴィス】。三十歳の召喚士だ。
自分で適当に切っているボサボサの茶色い髪には目立つ白髪が混ざっており、飲み仲間たちには歳の割に老けているとよく言われる。
五年前に愛する妻【コスタ】を病で亡くしてからしばらくの間、自暴自棄な生活を続けてきたせいだろう。
まだ完全に立ち直れているとは言えないのだが、義妹の【カルヴァ】の助けもあり、今は召喚士として日銭を稼ぎながら辛うじて日々を生きている。
最近ようやく召喚士としてのレベルが上がり、レベル三の召喚獣であるスケルトンを喚び出せるようになった。今日はそのお試し召喚に来たというわけだ。
なぜ夜を選んだのか。それはスケルトンが【アンデッド系】に属するからだ。
アンデッドは夜に本領を発揮するため、その戦闘力は昼に喚び出した時とはかなり差が出る。
そんなわけで、こうして不気味な夜の森に一人やってきたのだ。
「ターゲットは目の前の【メルプラント】だ。頼むぜ、相棒」
俺が命令すると、スケルトンはサーベルを鞘から抜刀し、毒々しい赤と白のまだら模様の花の頭の下に、無数の緑の触手を生やした植物の魔物、メルプラントにとびかかって行った。
メルプラントがこちらに気づくと、触手を伸ばしスケルトンの左腕に絡ませるが、スケルトンは左肘の関節を外し、そのまま体勢を崩したメルプラントの懐に飛び込むと、花と触手のつなぎ目の部分を両断する。
「ほう、一撃か。やるもんだ」
花の部分が地面に落ちると、頭を失った触手も後を追うようにうねりながら静かに横たわり、緑色から茶色に変色していく。
「ご苦労さん。ありがとな」
メルプラントの花の蜜は回復薬の素材に使われ、そこそこの値段で売れる。
俺は日々こうして魔物を倒しながら、やつらが落とした素材を売って生計を立てているのだ。
なぜ俺が召喚士を選んだのかというと、仲間とつるんで戦ったりするのが苦手だから。
それと、召喚獣任せの戦闘は何も考える必要がないから楽だしな。
「それじゃ、また後で喚ぶかもしれんが、一旦帰っていいぜ。ま、お前さんにはもう、会うこともないかもしれんがね」
召喚獣は、同じ種類の召喚獣でも呼び出すたびに毎回違う個体が出てくる。
サイズもまちまちだし、戦闘中の動きも微妙に違ったりする。
まあ、世界中で召喚されてるわけだから、一体のみで現場を回すというわけにはいかないのかもしれない。
ちなみに仕事を終えた召喚獣は、元の世界に帰さない限りずっと俺の魔力を消費し続けてしまうため、すぐに召喚を解く必要がある。
「レ……」
【レディトス】と一言唱えれば、一瞬で召喚獣を元の世界に帰すことができる……のだが。
――どうもあのスケルトン、様子がおかしい。
口元を両手で覆ったまま俺の顔をじっと見つめている……ような気がする。眼球がないのでわかりづらいが、その仕草は、まるで女性のようだ。
「……どうした?」
問いかけてみるが返答はない。まあ、肺もなければ声帯もないから声は出せないのだろう。
そのままスケルトンが一歩一歩、こちらに歩み寄って来る。
「な、なんだよ」
薄暗い森の中、ゆっくりと近づいてくるスケルトンがどうにも不気味で、思わず後ずさってしまう。
しかし、サーベルは鞘に収められているので敵意があるわけではなさそうだ。
一体どうするつもりなのか戦々恐々としていると、やがてスケルトンは両手を広げ……静かに俺に抱き着いてきた。
「お、おいおい、なんだなんだ!?」
まさか、俺に惚れちまったとでもいうのか? じゃあこのスケルトンは女性? まさか男じゃないよな。いや、そんなことは今はどうでもいい。一体どうしたらいいんだこれは。
スケルトンは俺の背中に腕を回すと、ポンポンと軽く叩き始めた。
「おいおい、やめてくれよ。これじゃまるで、コスタと抱き合っている時のような……」
言いかけてハッとする。抱きしめた時に背中を叩く癖。そうだ、これはコスタがよく俺にやっていた……。
「……」
スケルトンは無言で俺の背中を叩き続ける。
そうだ……。この力加減、このリズム。間違いない。
「コスタ……なのか?」
スケルトンの耳元で俺が名前を呼ぶと、コスタは手を止め、体を離すと俺の顔を見上げ小さく頷いた。
「コッ……コスタ……? ……コスタ!!」
今度は俺がコスタを強く抱きしめる。
一瞬骨が折れないか心配になったが、意外と骨太でなんともないようだ。そりゃ戦闘をこなせるくらいだし丈夫だよな。
「ぐっ……うぅっ……コスタッ……コスタ!」
目から鼻から、五年間ため込んだ感情の汁があふれ出す。
俺はぐちゃぐちゃの顔を隠すようにコスタの頭を胸に抱き入れ、そのまましばらく暗い森の中で泣き続けた。
♢ ♢ ♢ ♢
「はぁ……出たわ出たわ、五年分の汁が。ずずっ」
ひとしきり泣き終えると、俺とコスタは森の中の一段と大きな木の前に腰を下ろし、寄り添っていた。
見上げると、うっそうと生い茂る木々の隙間から煌めく星が俺たちを覗き込んでいる。
胡坐をかいた俺の左隣で、コスタが割座……俗に言う女の子座りをしていた。
「コスタ」
俺が呼びかけるとコスタがこちらに顔を向ける。
その何気ない仕草が在りし日のコスタを思い起こさせ、再び俺の目に涙が滲む。
「ぐすっ。本当にコスタなんだなぁ……。あ、そうだ」
俺は大変な事に気づき、立ち上がると自分が着ている茶色のローブを脱ぎ、コスタに着せる。
「ごめんな……気づかないで。寒い、かどうかはわからんけど、恥ずかしかったよな」
俺に言われて初めて気づいたのか、コスタはローブのフードを深くかぶり、恥ずかしそうにうつむいた。
ふっ……骨だけになっても俺の奥さんは可愛いな。この照れ屋な所は昔と変わっていないようだ。
「なぁ、コスタ。一体どういうことなんだ? どうしてコスタが召喚獣に……?」
少し考えた後、わからない、と伝えるようにコスタが小さく首を横に振る。
「そうか……。それならまあ、いいさ。とにかくこうしてコスタが俺の元に帰って来てくれたんだ。今日はもう帰ろうか、俺たちの家にさ」
俺がコスタに手を差し出すと、ためらいがちにコスタが手を乗せてきた。
硬くてヒンヤリした手を握りしめると、彼女もまた優しく握り返してくれた。
こうして俺たちは夜の森を後にし、手をつないだまま五年ぶりに夫婦で二人の家に帰ったのであった。
♢ ♢ ♢ ♢
俺たちの家は、狩りをしていた森から歩いて一時間ほどで着く【パックスの村】の外れにある。
かつて二人の愛の巣だった木造の平屋を、二人並んで見上げていた。
「どうだい? 久しぶりに帰ってきた我が家は」
「……」
しゃべれないとはいえ、コスタが言葉を失っているのがわかる。
それは感慨にふけっているのではなく、自分の記憶にある家の姿とあまりに様子が変わってしまっているからだろう。
家の周囲は生い茂る草に囲まれ、家自体も全体にビッシリとツタが絡まっている。
壊れたまま放置された玄関への階段。五年間一度も掃除していない埃で曇った窓ガラス。
ぱっと見空き家とも思われそうなあり様だ。
「いやー……その、なんというか。い、忙しくてさ、色々と」
とりあえず弁明を試みるが、コスタは呆然と立ち尽くしたままだ。
「……とりあえず中に入ろうか。もっと驚くかもしれないけど……」
俺は呆然としたままのコスタの手を引き、建付けの悪い扉をこじ開け、一緒に中へと入った。
「ただいまー……」
家の中に入ると、うっすらと酒の匂いが漂っていた。
入ってすぐの位置に置かれた木のテーブルの上には空の酒瓶。
床の上にも空の酒瓶がいくつも転がっており、台所にも汚れた食器類が積み上げられていた。
壁や天井には雨漏りのしみの跡。棚の上に積み重ねられた本はすっかり埃をかぶってしまっている。
「男の一人暮らしというものは、こんなものでして……ねえ、奥さん」
少しおどけて見せるが、コスタは微動だにしない。
「……あの。コスタさん?」
「……」
うん、と力強く頷くと、コスタがローブの袖をまくり上げ、気合を入れる。
そして素早い動きで床に転がった酒瓶を拾い上げ、机の上に乗せていく。
「か、片付けてくれるのか? なら俺も手伝うよ」
俺がそう言うとコスタは一度俺の方を見て、すぐさま部屋の奥の物置部屋へと吸い込まれていく。
すぐに出てきたかと思うと、持っていた鎌と皮の手袋を俺に手渡し、玄関の扉を指さす。
「お、おいおい。まさか今から草むしりを……? もう夜だぜ?」
コスタは玄関を指さした状態のまま微動だにしない。どうやら今やらないと気が済まないらしい。
「わかった。わかったよ……。君は中、俺は外だな。よーし、いっちょやりますか」
そういえば、コスタは一度思い立つと止まらない所があったっけな。
そんで俺が渋々重い腰を上げて……ふっ、本当にあの頃のままなんだな、君は。
外に出ると、三日月と満天の星空に迎えられる。心なしか、俺達の再会を祝ってくれているような気がした。
玄関に吊るされたランプのボンヤリとした明かりを頼りに、俺はにやけ面で草むしりを始めるのであった。
♢ ♢ ♢ ♢
「だはー……疲れた……」
草むしりとツタはがしを終え、精根尽き果てた俺は寝室のベッドの上でコスタにヒザ枕をしてもらっていた。いや……大腿骨枕と言うべきか? 俺の頭が痛くならないように布を挟んでくれている。
「コスタも大変だったろ。何しろ掃除なんてろくにしてなかったからなぁ」
家の中を見渡すと、先ほどまでの凄惨な光景が嘘のようにきれいに片付けられていた。
俺が散らかして、コスタに怒られて一緒に片付ける。それが俺たちの日常だったっけな。
『お疲れ様』とでも言うように、コスタが俺の前髪をかきあげる。それだけで、再び俺の視界がぼやけてくる。
「おかえり、コスタ。……よく帰ってきてくれたな」
そう言うと、コスタは優しく俺の胸をポンポンと叩いた。
この日、俺はコスタの膝の上でそのまま眠りについた。