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楽園  作者: 八塚
5/12

05 evil bubble


 次の日、下層の見回りがてら、グレイシアスはカナリアの店に向かう。天使が近くに隠れているかもしれないことを伝えようと思ったのだ。

 彼女の店まで行くと、カナリアは軒先でしゃがみこみ、そこに幾つか並べられた鉢植えに水の手入れしているところだった。振り返って彼に気付くと笑顔になる。

 下層に隠れる天使の話をすると、彼女も噂には聞いていたようだった。気を付ける、と真面目な顔で頷く。


 人を襲う化け物が、身近に潜んでいるかもしれない街並み。

 だが歩きしな見て回ったそこには変化があるようには思われなかった。それはこの街が、もう長らく天使という異物を抱えて回り続けていたからかもしれないし、この下層でそれが現れることが稀だからかもしれない。とりわけ下層では強盗や暴行による人死にが珍しくもない。単純に下層の住人たちには、差し迫った危険として感じられていないのかもしれなかった。

 実際のところ、天使に対して出来る備えというものも限られている。

 どこからやってくるか分からず、いざ襲われればひとたまりもない。家に閉じこもっていたとして、押し入ってこないとも限らないだろう。せめて夜は出歩かない程度しかできることがない、とも言えた。

 そして夜に下層の街を出歩くべきでないのは、平時から同じことだ。

 伝えたいことを伝えてしまうと、二人はいくつか世間話を交わす。

 普段と変わらぬ娘の笑顔は、グレイシアスを安堵させる力があった。

 最後に、あまり一人で出歩くなよ、と念を押すと、けれどカナリアは目を泳がせる。いかにもこの後その用事があります、と気まずそうに顏に書いてある娘に、立ち去りかけていたグレイシアスは苦虫をかみつぶした顔になった。

 彼女にも生活というものがあり、それは彼に止められるものではない。薬師としての仕事は、引きこもっているだけでは成り立たないことも理解している。

 だからここはむしろ、咄嗟に嘘をつけないカナリアの性格に感謝すべきだろう。

 何か用事でもあるのか、というと、今日は夕暮れ時にある人のもとに薬を届けに行くのだ、と控えめに言う。今日の日中は店を空けられないので、遅めに出かけて帰りは陽が落ちる後になる、と。

 グレイシアスは、まだ陽が中天にある空を仰ぐ。

 今日は日暮れ前には見回りも終わる予定だ。中層の詰所に戻って仕事を片付けてから、またここに戻ってくれば用事には間に合うだろう。悪戯の見つかった子供のような目で見上げてくるカナリアに、彼は共に行く約束を取り付ける。


 夕刻前に戻ってくると、グレイシアスはカナリアと連れ立って店を出た。

 向かうのは同じ下層だが、彼女の店からは少し距離のある地区らしい。そこに薬師としての師が暮らしているのだと、カナリアは言った。

 孤児である彼女を拾い育て、自らの知識を受け継がせ、生計を立てる術を教え込んだという男。すでに身動きが出来なくなりつつあり、身の回りの世話は今まで彼に恩をうけた者たちが行っている。だから自分もこうして時おり様子を見に行くのだ、とカナリアは話す。

 夕暮れの陽を赤く照り返す石造りの街路。行き交う人々は、この先の闇夜から逃げ去るように、気忙しそうに立ち動いている。眩い紅の陽射しに染まるカナリアの横顔は美しかった。師について語る声音からは、血のつながりがなく、たとえ離れていても、相手が紛れもない家族であることが察せられた。

 細い腕に通された籠の中、歩くたびに薬瓶が揺れている。


 しばらく街を歩き、彼らはやがて下層の外れにやってくる。

 娘に先導されての道行きは、細く小さな路地裏へと入り込んだ。

 簡素な暮らしぶりの多い下層の中でも、なおさら荒れた路地だ。薄汚れた立て板やぼろ布が目立ち、道脇にごみが打ち捨てられた区域は、民家の手入れもおざなりで黒ずみ傾いているように見える。見回りでもここまでの郊外にやってくることはまずない。荒んだ目の住人たちに、グレイシアスは思わず腰の剣を意識したが、カナリアは慣れたものらしい。変わらぬ足取りで先へと進んでいく。

 やがて彼女は粗末な石組みの家の前に立つ。雨風に褪せた木戸を軽く叩いた。

 カナリアは少しどうするか考えるそぶりを見せたが、一緒に来てと言った。頷きを返すと、戸を開けて中に入っていく。


 何もない部屋、というのがその一室を目にした印象だ。

 手狭で殺風景な部屋。隅によせられた木棚にいくつか生活用具が置かれているが、見当たるのはそれくらいだ。別室に続く扉もない。いまは夕日の光に明かされた廃墟のような石室には、その部屋しか存在しないようだった。

 唯一、正面の突き当たりには寝台と、生きるのに必要な用を足すための道具が据えられている。

 くすんだ木窓のはまった窓辺に置かれたそれらは、この家がただそれだけのために用いられていることを訴えかけてきていた。寝台の上には、丸められた毛布に背を支えられて上半身を起こしている一人の老人の姿がある。

 来たのか、と殊更に喜ぶでもない声が響く。

 ゆっくりと首をこちらに向けた老人は、静かな表情をしていた。

 無感動に凪いだ顔つきには、これまで彼が負ってきたであろう辛苦が細かな皺となって刻まれている。感情を奥底深くに沈めた瞳。薄い灰色の髪が首元で結われ束ねられている。

 来ました、と穏やかに応じてカナリアは寝台のもとに歩み寄る。

 初めて見る青年の姿に気付き、老人は彼を観察するように一瞥した。その目が腰元の剣に留まる。天使狩りか、と小さな呟きが漏れた。

 彼らを忌み嫌う者は珍しくない。だが老人はそれ以上を言うでもなく目を閉じた。皮肉げに口元をあげてみせる。

 来なくていいというのに。男と来るようになるとはな。

 口調は呆れたような淡々としたものだ。そういうのじゃない、危ないからって送ってくれたの、とカナリアは唇を尖らせた。そうして部屋の中を動き回り、老人の身の回りや棚の小物を慣れた手つきで確認しはじめる。


 今日の食事の話。つづいて持ってきた薬について。それから世話にやってくるのだろう他の人間の名が挙がる。最近の流行り病から、珍しい薬草の育ち具合。ゆっくりと会話を交わす二人のやり取りを、グレイシアスは壁際に立って眺めていた。

 明るく話しかけるカナリアに対して、老人はあまり語らなかった。ぽつぽつと、投げかけられた話題に二言、三言を添える程度だ。

 人のことを言えた義理ではないが、表情のころころと変わるカナリアと比べ、その不愛想な顔立ちは際立って見える。ただ彼女のことを厭っている、という風でもなかった。あまり口を開かないのは、この老人が単に受け入れているからだろう。

 人生において、己が為すべき役目を果たしたことを。

 あるいは、もうこれ以上の幸福は手にしえないことを。


 老人の世話はそれほど長くかからず終わった。

 ここに来たのは、本当に顔を見に来るという程度の意味合いであるらしい。

 最後にカナリアが、また来るから、と言うと、老人は諦めたように息をつく。それからちらりとグレイシアスを見やった。

 そこのが面倒をかける、と声がかかる。

 短くも、そこには儀礼的なものだけでない感情が読みとれた。

 グレイシアスは首を振った。彼女の薬には助けられています、と返すと、そうか、と老人は呟いて頷いた。窓からの赤い落陽の光を背に、老人の横顔には逆光の陰と、微かな苦笑の気配が混ざり込む。

 沈黙と孤独を置き去りに、彼らは老人の部屋を辞する。


 帰り道の陽は落ちかけていた。

 暗い影の落ちはじめる街路を、二人は歩いていく。

 不機嫌そうだったでしょう。でも、いつもああだから。

 小さな声で言って、カナリアは微笑む。グレイシアスは頷いて首肯した。言葉の少ない老人ではあったが、恐らくそういう人間であることは伝わって来ていた。

 だが少し、意外ではあったな。そう言うと、カナリアは首を傾げる。

 カナリアを育てた人間だというから、もっとよく喋る人間かと思っていた。そのようなことを告げる青年に、娘は頬を膨らませて腕を軽く叩いてくる。

 街路には人の気配がなくなりつつある。

 とろりと濃さを増していく夜の気配。互いの足音が静けさのなかで耳につく。


 隣を行くカタリナは小さく溜息をつくと、目を伏せる。

 そうしてそっと、師の来歴を語り出した。昔は中層にいた薬師であったこと。かなり名の知れた医者であったこと。妻と子を持ち、そしてある時、それらを天使によって亡くしてしまったこと。彼が下層に降り、人を避けるように暮らし始めたのはそれかららしいと。

 ぽつぽつと宵闇に落とされていく娘の声音に、グレイシアスは聞き入る。

 悲劇によって歪められた老人の涯生。それを語る声には憤りも嘆きもなく、ただどうにもできない微かな寂しさだけが込められていた。


 はじめはね、怖がっているのかと思ったの。

 グレイシアスは同じ言葉を問い返す。怖がっている。

 カナリアが隣で頷く気配がした。天使に殺されるかもしれないのを、怖がってるんだって。目の前で、子供が天使になって奥さんを殺してしまったそうだから。

 また襲われるかもしれないという恐怖。

 それは理解のできる感情で、グレイシアスも頷く。

 でも、と娘の言葉は続いた。本当はそうじゃないんだと思う。あの人はきっと、自分が誰かを傷つけることが怖いの。

 グレイシアスはああ、と溜息をついた。自分と天使が入れ替わって、誰かを襲ってしまうということか。そう問うとカナリアは頷いた。


 言っても栓のないことだ。

 そのようなことを気にしていては、この街で生きてはいけない。

 天使はどこからともなくこの街にやってきて、誰にでも成り代われるとされる。

 小さい頃から共にいたはずの友。確かに妻の腹から生まれたことを見届けたはずの自分の子。そのような存在であっても、いつの間にか天使は彼らと入れ替わってしまう。元居た人間がどこにいったのか――――それを知る者は誰もいない。

 だからこの街の人間たちは、隣人が天使かもしれないと、自分がいつか天使に取り変わられてしまうかもと怯えながら、それでもその可能性を考えないようにして生きている。空から太陽が落ちてくるのを心配するのと同じように、それは考えても仕方のないことだからだ。

 グレイシアス自身、自分が天使になって誰かを害する可能性を考えて行動することはできない。

 生きている以上、彼の人生はまだ彼のものだ。いつか来るかもしれない破滅のために、自分の全てを明け渡すことなど、多くの人間には選べない。


 だが現実に、それによって大切な人間を失ってしまったカナリアの師は、その可能性を孕む己の生に堪えられなくなったのだろう。引きちぎられた親愛という名の鎖。そうして彼は、孤独を選ばざるを得なくなった。

 誰にも触れなければ。触れられなければ。

 きっと誰も傷つけずにいられる。それは手に出来るはずの多くを対価にした安寧だ。常人では耐えがたいほど強く、謙虚であり、そして賢い。

 でもそれは寂しいことだと、カナリアは言った。

 言葉もいらず、他人の温もりを感じることもない。それはいつか全てが失われてしまっても、誰の記憶の欠片になることもない生きざまだ。――――夜にさみしさを覚えて涙する子の手をとって、黙って傍にいる。不器用ながらに初めて花かごを作って贈り物をすると、口元を緩めて抱き締めてくれる。そういう優しさを持ち合わせるあの老人が一人でいることが、良いことだとは思えないとカナリアは言う。

 だから彼女はこうして彼のもとに出向いていくのだろう。

 もう来なくていいと言われても。たとえ必要がないとしても。


 静かなカナリアの口調に、グレイシアスは彼女自身の持つ人恋しさを感じ取る。

 それは普段明るさを絶やさない、彼女の心の裏側であるのかもしれない。

 傷が生まれるとも、誰かに触れていたい。その苦悩や喜びを分け合いたい。

 彼女は孤児だという。今となっては分からないことだが、あるいは彼女が捨てられた理由もまた、あの老人と同じ恐怖によるものだったのかもしれない。

 そうして一度は一人きりになった彼女が、だからこそ人と人とのつながりを尊ぶようになることは、充分に理解できた。


 人は死ぬ。その別離は避け得ない。

 天使の手によって、あるいはその手によらざるとも。

 しばらく会えていない僚友の顔を、彼は思い浮かべて嘆息する。

 それから、何度でも会いに行けばいい、と静かに彼は言った。

 彼も孤児で、しかし孤独を感じたことはない。

 はじめからそれは、そうあるものとして彼の傍にあった。だが人に添おうとするカナリアの意思は、守られるべきものなのだと思えた。

 大事な人には会っておくべきだ。

 道が危ないのなら、俺が傍にいる。

 息をのむような一瞬の間。

 それから、ひどく安堵した声音で、ありがとうとカナリアは言う。

 辺りはすでに暗闇に落ちていた。互いの顏はもうよく見えない。

 だがその声は、確かにグレイシアスには聞こえていた。


 二人は下層の路地をカナリアの店に向かって歩いていく。

 視界の闇は濃くなるばかりだ。人通りもすっかり絶えていた。下層ではあまり火も焚かれないので、明かりとなるのはほんの一部の家々から漏れ出る光だけである。石造りの家々の合間の細い道を、彼らは静かに進んでいった。

 ふいに路地の先に誰かが現れる気配がして、彼は隣を行くカナリアを留める。

 おかしいと思ったのは、それが彼らを立ち塞ぐように正面で足を止めたからだ。

 宵闇に溶け込んで黒色に沈んだ外套の輪郭。小柄な背格好からして女だろうか。目深にかぶられた頭巾と暗さで顔は見えない。じっと動かない影に、天使狩りの青年は顔つきを変えた。これまでの経験が直感で剣を抜かせる。

 問おう。汝は人なりや。

 夜を刺す誰何。――――返答はない。

 おかしな気配を漂わせるその影は、かわりにゆらりと揺れて一歩をこちらへと踏み出した。グレイシアスはカナリアを背後に庇うと、剣先を正して構える。

 空恐ろしいほどの沈黙。ざり、と相手が地面を踏む音が鳴る。


 斬るか、それとももう少しだけ様子を見るか。

 僅かにグレイシアスは逡巡する。返答がない以上、斬られても文句は言えまい。それはこの街の絶対の掟だ。だがもし人間であるのなら。

 周囲を襲っている者を斬ることと、先んじて斬りかかるのでは話は違う。

 その一線を割り切れるほど、彼はまだ冷徹にはなれていなかった。

 ふらりと一歩を、もう一歩を近づいてくる影。

 そちらに剣先を向けるグレイシアスは迷いながらも、しかし相手が天使であるのなら、この迷いこそが致命のものとなることも理解していた。

 人外である天使は、動きも反応も人とはかけ離れて素早い。攻撃されてからでは遅すぎる。カナリアを逃がす余裕もなくなる。

 ――――動くな。斬るぞ。

 それは最後の警告だ。

 あと一歩を踏み出してきたら、こちらから踏み込む、と青年は覚悟を決める。


 その耳に、何か音が聞こえた。

 夜の闇に紛れて小さく、密やかに。泡のように生まれては消える何か。

 途切れとぎれの異音。それは呪詛のような――――しわがれた囁きのような。

 それが近づきつつある何者かの呟きだと理解するのと、相手の次の一歩が踏み出されたのは同時だった。グレイシアスは地を蹴って相手へ踏み込む。

 相手が仮に人間であっても、もう待てない。

 決断した一線を引き延ばすことは、カナリアの死に直結する。

 振りかざされる刃。あるべき銀光が黒く塗りつぶされた闇に紛れて走る。

 グレイシアスの振り下ろした剣身は、相手の体へと吸い込まれたかに見えた。だがそれは直前で甲高い音を立てて弾かれる。

 ばさりと外套を突き破って左右に広がった歪な影。

 謎の影の背後から現れたその葉脈のような片翼が、彼の一撃を防いでいた。

 痺れそうになる手応えにグレイシアスは顔を顰める。ひやりとしたものが背中に伝った。やはり天使だ。だがそうなると、この状況は不味い。

 グレイシアスは咄嗟に剣を振るう。

 半ば勘で走らされたそれは、相手が振り下ろしたもう片方の爪を辛うじて迎え撃った。鋭い擦過音を立てて、薄く光るかぎ爪の羽根が体の近くをよぎる。

 夜の闇のなか。守る者を背後において、一人で天使と刃を交える。

 考えるに最悪の状況だ。しかしそう思ってもどうしようもない。


 グレイシアスは思いきり剣を真横に振り払う。

 至近の相手を両断せしめる斬撃。

 だがそれは空を切った。相手の天使は羽を大きくうち振り、まさしく人外の跳躍力で後ろへ飛び退る。間合いを外された彼は、剣を構え直した。

 外套を纏った人影は離れたところでこちらを窺うように動きを止める。近づいた時の対格差からして、やはり女らしかった。だが顔は見えない。


 このままやりあうことは避けたいが、戦わないわけにもいかない。

 ひとまずカナリアに逃げろと声を上げようとした瞬間、また何か音が聞こえた。

 ぶつぶつと途切れる、聞き取れない何か。

 低い祈りの囁きのような――――忌まわしい呪言のような、ひび割れた異音。

 息をひそめると沈黙に混じって微かに届くそれは。

 ――――話せるのか。

 先ほどの呟きも、聞き間違いではなかったらしい。

 それを改めて理解して、グレイシアスは愕然とした思いになる。

 天使は人語を解さない。それはこの街で古くから伝わる定説であり、グレイシアスも例外に出会ったことはなかった。今この時までは。


 ――――災いを、贖いを。

 ――――許されぬ、不義へ。


 聞き取れたものは不穏な単語の羅列だ。

 そのなかにぽつりと、薬師、という単語が混じる。

 頭巾の暗がりの中から向けられる視線が、彼を通り抜けて背後を見つめた気がした。グレイシアスは顔つきを険しくする。

 狙われているのは、まさかカナリアなのか。

 天使が意志を持って特定の者を狙うことなど、聞いたことがない。

 彼女に逃げろというべきか。だが彼女が遠く離れたところを狙われたら彼は追いつけないかもしれない。この立ち位置のまま戦うべきかと思考を巡らせた時、唐突にびくりと視線の先の外套が震える。天使は掌で自分の顔を覆ったように見えた。

 広げられた羽がざわりと動く。

 それと同時に、黒い影は身を翻した。光の差さぬ暗闇の奥へ。人のものではない動きと素早さであっという間に路地の先へと姿を晦ませる。

 グレイシアスは息を詰めてそれを見送る。追いかける余裕はなかった。

 緊張が持続する数瞬。暗闇の奥を注視して、剣を構え続ける。

 痛いほどの沈黙が夜の静けさで満たされていき――――そうして危機が去ってしまったことを察すると、彼はようやく息をついた。

 カナリアが彼の名を呼び、駆け寄って来る。互いの無事を確かめ合う彼らの足元で、削り零された羽根の欠片が、薄く淡い燐光を放っていた。


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