Loved Apple 中編
放課後。
「林檎、行くぞ」
「うん」
荷物をまとめて、ざわつく教室を出る。誰もその様子に気を止めない。
ただ一人を除いては。
「司郎、どこ行くの?」
「図書館」
図書館はいつも通り担当の先生すらいない。
まぁ、先生は準備室にいるだろうけど。
俺の足は自然と一番奥の机に向かう。林檎じゃ窓側に座り、俺はその向かい側に座る。
林檎の後ろにあのイチョウの木が見える。昨日その下にいた二人…。
一瞬、目を閉じて心を落ち着かせる。
目を開けた時、意識的にイチョウの木を消した。
「あのね、司郎…」
林檎は意を決したように話し出す。俺はそれを静かに聞いた。
林檎は今まで手紙とかはよくあったらしいが直接告白された事がなかったそうだ。
そして昨日、面と向かっての告白に戸惑い、俺に相談してきたという事らしい。
「私、どうしたらいいのか分かんなくて」
正直、俺だってどうしたらいいのか分からない。
いや、本当は分かってる自分のためにどうしたらいいのかは。
林檎は少し恥ずかしそうに、それでも俺を見て話している。
真剣に林檎は俺に相談している。友人として俺に。
「その、相手の人は知り合いとか?」
だから俺は友人として相談にのると決めた。下心を自分の奥底に追いやって、林檎が頼ろうと思った俺になって。
林檎は首を横に振る。
「ううん。昨日初めて声かけられた。一つ上の先輩でサッカー部なんだって」
「林檎はその先輩の事どう思った?」
「いい人だなぁって。告白されて戸惑ってる時も、いきなりでごめんねって何度も言ってくれたし、付き合うとかじゃなく、友達からでって…」
何だろう、昨日はあんなにショックを受けた男の話なのに俺は動揺しなかった。
ある程度予想はしてたが、なぜだろう。
「優しかった?」
「うん、とっても気遣ってくれた」
スッとその一言が出てきた。
「なら、いいんじゃないか」
分かった。
俺は安心したんだ。その先輩が優しくて、いい奴だってわかったから。
俺じゃなくてもいい、と思えたから。
「ん?どういうこと」
「その先輩いい人なんだろ。友達になってみたら」
その先輩はちゃんと林檎と向き合ってくれた。
気持ちをただ押し付けるのではなく、林檎を見て、謝って、友達でいいと言って、林檎に考える時間をくれた。
「でも、そんな…私、先輩のこと何も知らないし、なのに告白された相手と友達って…」
林檎は真面目で真っ直ぐで綺麗で…。
「そうじゃない。大事なのは林檎自身の気持ちだ。林檎が先輩ともっと話したいと思うなら、そう言えばいい。
……俺がその先輩なら、林檎の素直な気持ちが知りたい」
林檎は笑った。
「やっぱり、司郎に話して良かった」
その笑顔はどこか安心しているように見えた。
一度目を閉じて深く、ゆっくりと静かに呼吸する。
目を開けた時、俺の目の前にはイチョウの木しかない。
林檎は数分前に図書館を出ていった。
もしかしたら先輩の所に行ってるのかもしれない。
その時、静かに図書館のドアが開いた。
「やぁ、正司郎君」
偉そうで、口が悪くて、自信家で、欲しいものなら手段を選ばない女の子。
不敵な笑みを浮かべる京華がそこにいた。
どうせ奴のことだ。……多分、全部知ってる。
京華は遠慮なくズカズカと歩き、当然のように俺の隣に腰掛ける。
京華が隣に座った、だから目の前のイチョウが消えることも隠れることもない。
…あ、俺もしかして今更ながらに落ち込んでるのか。
さっきまで消えていたイチョウ、その前には林檎がいた。
そんな事を思っていると身体が急に揺れた。
京華が俺の椅子を強引に動かして、俺達はハの字に向かい合う。
「林檎、昨日告白されたんだって」
「らしいな」
「林檎はなんて相談したの?」
京華はこう言うが本当は俺がなんて言ったのか知りたいだけだ。
ただ俺は京華が望んだ言葉を林檎に言ってないのだが。
「残念だけど、京華が期待してる事は言ってない」
「私が聞きたいのはそんな言葉じゃない」
誤摩化せば誤摩化す程自分の立場が危うくなるのがわかる。
本当のことを言っても大して変わらないだろうけど。
俺は一つ溜め息をついた。
「その先輩いい人なんだろ。友達になってみたら」
「そんな言葉じゃない」
「その先輩なら、林檎の素直な気持ちが知り…」
バンッと机を叩く音に遮られた。
「それがお前の本心か。お前、林檎が好きなんじゃないのか!!」
本当、京華も危ないくらい真っ直ぐだよなぁ。
でも今はそれが羨ましいのかもしれない。
「なんでだろうな」
自分でも驚くくらい穏やかな声だった。
その瞬間肩に痛みが走る。京華が俺の肩を拳で殴った。
「なんで司郎はいつもそうなんだ」
一瞬、泣いているのかと思った、でも違った。
京華はただ呆れていたのかもしれない。
殴った拳を大人しく握りしめ、京華は溜め息をついた。
「司郎は実力があるのに、いつも進んで裏方に回る。今回もそうなのか?」
京華は真っ直ぐで、子供で、人の気持ちなんて全く考えてないように見える。
だけど、どうしてこうも見透かされてしまうのだろう。
きっと俺が屁理屈ごねて、御託並べてみた所でそれすら見透かされてしまうのかもしれない。
真っ直ぐには真っ直ぐで、
真剣には真剣で、
本音では本音で、
結局そうじゃなければ京華は納得しない。
否、それしか求めていない。
最初から。
「正司郎、本当に林檎を好きなのか」
「好きだよ」
「付き合いたいとか思わない?」
「友達で十分だ」
「本気か?」
俺は黙った。京華は続ける。
「林檎を大切に思うお前の気持ちもわかる。けど、恋愛なんだ。自分勝手でいいじゃないか。林檎に彼氏ができて、それでも友達でいいのか。友達だってずっと一緒にいられるとは限らない、わかってるのか」
「わかってる。でも俺はあんな真っ直ぐな林檎に…告白することはできない」
林檎は直接告白を受けただけで、かなり動揺した。
なのに友人である俺が告白したら林檎はどう思うだろう。友人として俺を頼ってきてくれた林檎に俺はどう映るだろう。
好きという気持ちよりも、何もかもが壊れてしまうようで怖い。
それ以上なにも答えない俺を京華は一睨みして席を立つ。
「正司郎の考えはわかった」
「でもさ、正司郎はバカだよ」
そう言い捨てて、京華は俺の前から去った。
そんなこと、言われなくてもわかってる…つもりだった。
後悔してない、判断も誤っていない。
だけど俺は実感していた。
俺はバカだ。バカでただの臆病者だ。
やはりまた俺は閉館の声がかかるまでその場から動けなかった。
「好きだ」と自覚していてもそれが本気の恋だと気づけない、意外と自分には鈍い司郎君です。