LittleApple 中編
当日、私たちはけいちゃんの車に乗って小さなホールへと向かった。
配られたチラシを見ながら開演を待つ。
今回の劇は「白雪姫」。主役の所には垣谷 林檎とある。
しばらくすると部屋は暗くなり、劇が始まった。
私が最初に驚いたのは小学生と中学生が一緒の舞台に立っている事だった。劇団ではそんな事あり得ない。
それでも不思議とそれが自然に見えた。
私は目を奪われた。彼女は可憐で愛らしく、キラキラしていた。
それが林檎の第一印象。
私は林檎の世界に魅入られ、時間を忘れた。
劇はクライマックスに入り、魔女が白雪姫にリンゴを渡す。
私にはそのリンゴが許せなかった。
遠くから見ても偽物とわかる安っぽさ。その安っぽさが彼女に似合わなくて、そんな物を使っていることが許せなかった。
それでも彼女はリンゴを齧り、倒れた。
気がつくと幕は降りており、拍手の音で私は現実に引き戻された。夢から覚めたような気分だった。
「京華ちゃんに会わせたい人がいるんだ」
けいちゃんにそう言われ、私達は、けいちゃんの後を付いていった。
段々と表から遠ざかり、舞台裏に来ていることに気づく。
「…けいちゃん、もしかして」
けいちゃんは私がどんな反応をするかわかっていたのだろう。
私の前にしゃがみ、私の両手をしっかりと握る。
「そうだよ。林檎ちゃんに会いにいくんだ」
咄嗟に逃げ出そうとした。でもけいちゃんに手を取られて逃れることはできない。
「いやだ!会いたくない!」
私は心の底から拒んだ。
そんな私を意外そうに見ているいー兄が見えた。
いー兄は知らない、家族に話したこともない。私が劇団を嫌う理由を。
私は夢でいいと思った。実際夢のようだった。キラキラした舞台。
幻想だとわかっているから、それを壊したくなかった。
けいちゃんは私の手をぐっと引っ張る。
その強さとは裏腹にけいちゃんの口調は優しかった。
「心配することは何も無いんだよ。林檎ちゃんに会って壊れるものなんて何も無い」
そんな言葉信じられなかった。たとえけいちゃんの言葉でも。
「そんなの嘘だ」
「会ってみれば…見ればわかるよ。ここはあそこじゃないんだ。それに劇団はみんな同じじゃない」
けいちゃんに説得されても私はなかなか動こうとしなかった。
「その子に会え、京華」
突然口を開いたのはいー兄だ。
何を思ったのか分からないが、滅多に命令しないいー兄が私に命令した。
いー兄に逆らうことなどできなかった。
「お疲れ様です」
そう言って入るけいちゃんの後に私達も続いて入る。
楽屋は広くないが、十数人しかいない部屋は思っていたより広く見えた。
彼女はすぐに見つかった。
部屋の奥で座り込んでいる。けいちゃんが私の手を引いてそこに連れて行く。
「また泣いているのかい?林檎ちゃん」
彼女は確かに泣いていた。
「…けいごさん…だってだって」
言葉が続かずまた泣き出した。
舞台ではあんなに大きく見えていたのに、目の前で泣いている彼女はただの女の子だった。
私は彼女が泣いてるのが不思議で堪らなかった。
「なんで泣いてるの?」
突然声をかけた私を彼女が見上げる。
「…だって、終わってほっとしたんだもん」
ますます意味がわからない。
「なんで、舞台の中心に立って、一番に注目を浴びて満足してないのか?」
「んん?どういうこと」
そこにけいちゃんが割って入ってきた。
「林檎ちゃんは主役が好き?」
「何言ってるの、けいごさん。主役とか関係ないよ」
その言葉に私は耳を疑った。
「どうして関係ないのかな」
「だって、みんなで一つの劇を作るんだよ」
みんなって何?
まるで引力のように彼女の言葉に引き寄せられた。
「だって一人じゃなにもできないでしょ」
あっ。
「そうでしょ、けいごさん」
「そうだね」
二人の会話なんてもう耳に入らない。
私は……わたしは……ワタシハ……。
身体の熱が急激に上がる。
足がその場から離れる。
考えるよりも先に身体が逃げた。
だって、私はそれ以上そこに居られなかった。
「京華ちゃん!」
私を引き止めるけいちゃんの声。だけど私はもう止まれなかった。
頭が真っ白になった。
「京華!」
腕を掴まれ、バランスを崩した身体は大きな身体に抱きとめられた。
気がつけばそこはホールのロビー。人の姿はまったく無かった。
「…いー兄」
私はいー兄の腕にすっぽりと収まる。
いー兄は肩で息をする私を優しく撫でた。
「泣くならちゃんと泣け。我慢するな」
私は自分が泣いている事すら気づかなかった。
なんで泣いてるのかわからずに私はただいー兄に縋りついて泣いた。
しばらくして、けいちゃんが私に「ごめん」と謝った。
私は何も言えなかった。何も考えていなかった。ただいー兄の手を握っていた。
自分が恥ずかしかった。
主役中心の世界を拒んでいたはずなのに、結局それは口先だけだった。
私もまた「主役」という権力にこだわっていた。
だけど、彼女は違った。
根本から違っていた。
一人では何もできない。そんな当たり前のことを私は見失っていた。
だからけいちゃんは私と彼女を会わせた。
私の間違いに気づかせるために。




