表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

林檎アレルギー後編

 時間はあっという間に過ぎ、ついに夏休み最終日まで来た。


 今日は体育館でリハーサルが行われる。


 体育館でのリハは本番前日と今日の二回だけだ。元々舞台を使うクラスは少ないので十時から十二時間までの二時間が彼女達のクラスに割当られている。


 教室は想像以上にごった返していた。


 早めに集合という事で八時には全員集合していたが、衣装や道具など準備していてこの有り様である。


 京華が「今日で全員に舞台仕込んでやる!」と豪語したせいで、初めてなのに(本来はそこまでしなくていいのだが)本番並みの準備をしているのだ。


 そのせいで司郎も道具組と京華の間を行ったり来たりしていた。


「じゃあ、体育館前に道具置いてもいいんだな、京華」


「ああ。なぁ司郎、小道具は全部こっちに持ってきたな」


「向こうにはもう無かったはずだ」


「オッケー。じゃあ伝言よろしく」


 そう言って司郎から離れると、京華はまた別の子に捕まって細かい指示を出した。


 その切り替えの早さに司郎は素直に感心する。


 


「…林檎?」


 司郎は道具組への伝言し、教室に帰る途中だった。目の前に階段に座ってる林檎がいた。  


「あっ、司郎…」


 しかし、林檎にはいつものような元気は無く、顔は青ざめていた。


「どうしたんだ?気分でも悪いのか?」


「大丈夫、いつもの事だから」


 林檎はヒンヤリとした階段のコンクリートの壁に寄りかかり、ゆっくりと息を吐いた。


 どう見ても辛そうなのだが、今にも倒れそうという訳でもない。


 司郎も林檎の隣に座り、肩を並べた。


 司郎は以前にも同じような林檎を見た事がある。それは入学して間もない頃。クラスでの自己紹介の時だった。司郎の隣に座っていた林檎は今と同じように青ざめた顔をしていた。


「もしかして、緊張してるのか?」


「……」


 どうやら図星らしい。


「気持ちはわかるけど、衣装は着ろよ。京華に怒られるぞ」


 林檎はいつもの制服なままだ。


「違うっ、私の衣装まだできてないの」


 そう言えば京華がそんな事愚痴ってたような気がする。と司郎は曖昧な記憶を更に、なんとなく思い出した。


「司郎は教室行かなくていいの?」


「大体の仕事は終わったし、休憩したって罰当たらないだろ。林檎こそいいのか?」


「…だって教室に居たらもっと緊張するから」


 半ばお祭り状態の教室。小道具とかは揃ってるし、ほとんど衣装着てるし、意識しない方が無理か。と林檎の心境を司郎なりに理解した。


「それでここの階段かぁ」


 彼らは二階と三階をつなぐ階段にいた。四階にある自分達のクラスからは遠く、実に静かだ。それに体育館の移動にはこの階段を使うので一人置いていかれる心配もない。


 林檎は相変わらず辛そうだ。


「本番じゃないんだからさ、もっと気楽に考えろよ」


「さっきからずっと自分のそう言い聞かせてる」


「林檎、児童劇団に居たんだよな」


「それとこれとは話が別」


「そうか?」


 二人がたわいもない話をしようとした時だった。上から突然音がした。


 それは階段をすごいスピードで降りているのだと気づいた時、すでに本人が目の前にいた。


「おっ、司郎。林檎!こんな所にいたのか」


 息一つ切らさない京華がそこに現れた。


 京華はなんの前置きもせず、ただ言った。


「あれ知らねぇ」


「あれってなんだよ」司郎は冷静に返す。


「 リンゴ 」


 目の前にいる林檎ではなく、小道具で使っていたリンゴ(レプリカ)の事だ。


「俺が知るかよ」


「だよなぁ~。流石の司郎でもなぁ~」


 とその時、下から階段を上がってくる足音が聞こえた。


「あっ、司郎ちょうど良かった」


 その人物は道具組の一人で手には白いビニール袋を持っている。


「先生から、司郎に。なんだっけ…頼まれ物?」


 そう言って、ビニール袋を司郎に渡し、さっさと階段を降りていった。


「今渡されても困るんだけどな」


 と言ったところでビニール袋が消える訳じゃない事は司郎にも分かっていた。


 不意に司郎の手の中の重さが消える。驚いて後ろを見ると京華が袋を持っていた。


「おいっ、京華!」


 司郎は急いで京華を止めようとするが、座った体勢からでは遅かった。袋の中からある物が取り出される。


 


 赤くて


 丸い


 季節外れの


 


 リンゴ


 


 甘い香りが漂う。それは紛れもなく本物だった。


 


「おお!流石、司郎気が利くな」


 京華は感激していた。


「いやっ、違うんだ」


「あ?違う…何が?」


「いや、それは…その…」


 司郎らしくない歯切れの悪さに京華は苛ついた。


「はっきりしろよ!」


「……使えよ」


「サンキュー。先生には後で礼言っとくから」


 京華が去り、司郎は恐る恐る林檎の背中を見た。


 座ったままで何も言おうとしない林檎。


「…林檎…あの……ごめん」


 司郎は林檎の隣に座り直した。


「ねぇ司郎。…弱音吐いてもいいかな」


 その言葉は意外だった。林檎は続ける。


「私ね、すっごく緊張するし、すっごく不安になるの。…劇団に居た頃は泣きわめいて…周りに支えてもらってた。でも高校生にもなって泣く訳にもいかないし…」


「いいよ。聞いてやるよ弱音くらい」


 なんで俺は勝手に林檎は強い奴だって思い込んでたんだろう。


 林檎は普通の女の子だ。ただ努力家ってだけなのになぁ。司郎は自分が恥ずかしくなった。


 ポツポツと零れる林檎の弱音に司郎は頷いたり、返答したりと真面目に付合った。


 話が終わると林檎の顔色はだいぶマシになっていた。


「もう、教室に戻れるな」


 司郎は腰を上げ、林檎も続くように立ち上がった。


「うん。もう大丈夫、ありがとう司郎」


 元気になったが、しかし林檎からある事がすっかり抜け落ちていた。


「…林檎、もしかして忘れてません?」


「なにを?」


「これからリンゴ喰うんだぞ」


「あっ!」


 林檎の顔色が一気に逆戻りする。


「どーしよう!もうっ司郎のせいだからね!!」


「林檎が京華に話さないのが悪いんだろ」


「そーだけど…」


「…意外と喰えるかもよ」


「何よそれ」


「…林檎……あのさ…」


 その時、聞き慣れた声が上から降ってきた。


「林檎ー。ちょっと来てくれる」


 京華に呼ばれて林檎は階段を駆け上がろうとした。


「林檎なら喰えるよ」


 不意に言われて林檎は振り向く。


 司郎に「なんで?」と聞こうとした。でも言えなかった。


 司郎の方が林檎よりも不安そうな顔をしていたからだ。


 なんで司郎がそんな顔するの?林檎はそう問う事もできなかった。


 


 時間になり、体育館への準備も済ませ、みんなはただ待っていた。


 京華の指示を。


「じゃあ、一度全部やってみよう。転けても、つまずいても、そのままやり通す事!それでは…よーい、スタート」


 


 そこは森の奥ではなく、ましてや小さな小屋なんてない。


 そこはただの体育館で、そこはただの舞台の上で。


 しかし、そこには紛れもなくあの世界が広がっていた。


 


 舞台には制服姿の美しい少女と黒いマントを羽織った普通の女の子。


 


「お嬢さんにはこの赤いリンゴがよく似合う。これをあげよう」


 女の子は少女の前に赤々としたリンゴを差し出した。


「そんな、お婆さん。…悪いわ」


 階段での様子が嘘のように少女は堂々としていた。


「水をくれたお礼だ。受け取っておくれ」


 美しい少女は女の子を見て、にこやかな笑みを浮かべる。


「そう。ありがとうお婆さん」


 少女はリンゴを指先で器用に持った。


「一口齧ってごらん。とてもおいしいから」


「そうね。とてもおいしそう」」


 ただリンゴを眺めているばかりの少女。


「一口」


「…一口」


 ゴクリと少女の喉が鳴る。


 覚悟したように少女は目を閉じ、小さく一口齧った。


「う゛っ」


 少女は倒れ、リンゴが床に転がる。


 


 倒れた林檎の意識は朦朧としていた。


 誰も気づかない、芝居はまだ続いている。だけど、たった一人、舞台に走った。


 林檎の耳に微かに聞こえた声。


 


「林檎!!」


 

 林檎が目覚めた時に見たのは薄汚れた白い壁だった。それが保健室の天井だと気づくのにそう時間はかからなかった。


 林檎は保健室のベッドに寝かされていた。


「大丈夫か?」


 椅子の座った司郎が心配そうに林檎の顔を覗いた。


「うん…私、どれくらい…」


 起きようとする林檎を司郎が止めた。


「無理するな」


「もう大丈夫だから」


 林檎はゆっくりと身体を起こした。


「ごめん」


 突然、司郎が頭を下げたので林檎は戸惑った。


「…まさか倒れるとは思わなくて」


 リンゴを食べるはめになったのは司郎が原因だった事を林檎は思い出した。


「司郎のせいじゃないよ。私がちゃんと京華に話さなかったのが悪いんだし」


「いや、そうじゃなくて。…俺、林檎にリンゴ食べさせようと思ったんだ」


「えっ?」


 


「俺さ、林檎はリンゴアレルギーじゃないと思う」


 あまりに唐突すぎて林檎は理解できなかった。


「…ごめん。もう一回言って」


 リンゴ食べて倒れた人間が目の前にいるのに司郎は、はっきりともう一度言った。


「林檎はリンゴアレルギーじゃないと思う」


 林檎は何も言えなかった。


「別にカンとかで言ってるんじゃない」


 司郎は真っ直ぐ林檎を捉えた。 


「気づいてないだろうけど、ちょっと前にリンゴ喰ってんだよ」


「えっ、いつ!」


「先生が差し入れにくれたミックスジュース。あの中にリンゴが入ってたんだ。でも林檎は普通に飲んでるし…だから俺、試したんだ」


「なにを?」


「飴だよ。林檎にあげた飴」


 シンプルな缶に入った可愛い蜂蜜色の飴玉。


「もしかして、リンゴだったの?」


「そう。お菓子もジュースもダメって言ってたのに大丈夫だったから。林檎はリンゴアレルギーじゃない…と思う」


 林檎は混乱した。自分はリンゴアレルギーだと思っていたのに、そうではないと断言されたのだから仕方がない。


「そんな…じゃあ熱は?手の被れは?」


「きっと原因はリンゴじゃない。偶然近くにリンゴがあったんだろう」


 確かに、リンゴを食べて熱を出したのではなく。熱が出そうな時にリンゴを食べたのかもしれない。


「それに、ジュースとお菓子もダメっていうのは先入観ぽいし」


 事実、司郎の言う通りであった。


「…じゃあ…なんで私は倒れたの?」


 林檎がリンゴを食べて倒れたのもまた事実。


「…推理ってか、予想だけど。今まで言ってきたのもほとんど予想なんだけどさ。自己暗示だと俺は思う。林檎は今までずっとリンゴアレルギーだって思ってきたんだ。…何か起こるかもしれないって気づくべきだった」


「そうだよ。話してくれれば良かったのに」


「…本当は今日の帰りに全部話して、リンゴを食べてもらうつもりだったんだ。でも京華に取られるし、前もって話す時間なんて無かった。…止めようと思ったけど、クラスの連中見てたらそれもできなくて…」


 クラスのことを林檎は思い出した。


 同じ立場になったら自分もきっと言えないだろうと林檎は思った。


「あぁ、ごめん。結局全部言い訳だ。俺が悪いんだ。本当にごめん」


 司郎はもう一度、深々と頭を下げる。


 林檎は改めて自分の手を見た。


 かゆみも被れも無い、白く美しい手がそこにあった。


「司郎、リンゴってまだある?」


「ああ、林檎が齧ったやつなら」


「かして」


 リンゴは保健室の冷蔵庫の中にビニール袋に包まれて入っていた。


 司郎が袋から取り出し、林檎に渡す。


 リンゴはよく冷えていた。


 林檎は何のためらいも無く一口リンゴを齧った。


 シャリシャリと言う音だけが残る。


「…おいしい」


 林檎は笑った。


「大丈夫か?」


「アレルギーじゃないんでしょ」


「そうは言ったけど」


 林檎の身体にはなにも起こらなかった。


「うん、大丈夫みたい」


「今度でいいからアレルギーテスト受けろよ」


 やっと司郎の顔から心配の色がとれる。林檎はそんな司郎を凝視した。


「司郎はどうしてそこまで気にかけてくれるの?」


「っえ」


 林檎は不思議で堪らなかった。


「だって、リンゴアレルギーって言った時…ちゃんと話聞いてくれたの司郎だけだった」


 あの時、林檎がリンゴに触れなくて言った言葉をあの場にいた人達は京華も含めて冗談だと思っている。


 それが京華に話せなかった原因の一つでもある。


「あれは、場面が場面だったから」


「そうだけど、司郎は心配してくれた。京華も心配してくれたけど…司郎は私の話を聞いてくれた。それにジュースの事だって全然気づかなかったし、リンゴの飴も、このリンゴだってわざわざ用意したんでしょ。そんな事しなくたって、司郎が京華に話せば済むこと。アレルギーを治すことが司郎の仕事じゃないのに…」


 林檎は不思議で堪らない。


「なのに、なんで?」


「俺は…当たり前のことをしただけだ」


 どうして…。林檎にはわからない。


 他人のことを自分のことのように、いや自分以上に想う司郎の気持ちが。


 その時、戸が開いた。


「司郎、林檎の様子は?」


 京華は真っ直ぐに林檎の元へやってきた。


「今、起きたところだ」


「よかった、大丈夫そうだな。暑さにでもやられたか林檎」


「うん…ちょっと貧血ぎみだったから」


 京華がここに居るということは、もうリハーサルは終わってしまったという事。


「リハどうだった?」


「問題ない。白雪なしでも、役者は動き憶えてるし。支障はなかった」


 自信をもって言い切る京華に林檎はホッとした。


「よかった」


「よくねぇ。体調管理はしっかりしろ、特に主役なんだから」


「気をつけます」


「リハ終わったんなら帰るか」と司郎は椅子から立ち上がった。


「うん、そうだね」


 林檎がベットから出ようとすると司郎が止めた。


「荷物持ってきてやるからもう少し寝てろ」


「ありがと」


「司郎、やっさしー♪」


「うるせぇ」


 京華に茶化されながら司郎は保健室を出ていった。


 シンと静まり返る部屋に一人取り残された林檎はウトウトと睡魔に引き寄せられていった。


 


「林檎」


 上から降ってきた司郎の声に林檎は目を覚ました。


「あっ、また寝ちゃった」


「帰れるか?」


「うん、大丈夫。あれ、京華は?」


「用事があるって先に帰った」


「ふ~ん」


 ベッドから降りた林檎に鞄を渡す。司郎が歩き出し、自然と林檎は隣を歩いた。


 ふと、林檎は京華の言葉を思い出す。


「よくねぇ。体調管理はしっかりしろ、特に主役なんだから」


 


“特に主役なんだから”


 


「わかった!」


 突然の発言に司郎は驚いて林檎を見た。


「司郎が私を心配してくれるのは私が主役だからでしょ!」


 林檎は善意と好意の区別がまだできていなかった。…残念なことに。


「だって私が本番で倒れたら劇できなくなっちゃうもんね」


「……ああ」


 無邪気に笑う林檎を見て、司郎は苦笑する。


 


 


 そして文化祭当日。


 


 童話は崩壊することなく、無事ハッピーエンドをむかえ、


 


 彼女達は大きな拍手に包まれました。


 


 めでたし、めでたし。


 


end




今回のお題は「白雪姫はりんごアレルギー」でした。

お題配布元は「確かに恋だった」様です。この度はお題を使わさせていただきました。ありがとうございます!

今回はキャラがとっても書きやすかった。

林檎ちゃんは天然だし、司郎君(本名正司郎)は、どこまでも報われない。京華ちゃんは策士です。ツンデレです!

爽やかな気分になっていただけたら幸いです。

最後まで目を通してくださりありがとうございます。 


次回は京華ちゃんの過去話。劇で本物のリンゴに拘った理由とか書くつもりです。

では、では。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ